第3話

 三日間は、あっという間だった。

 今日から登校なんだけども、かなり気が重い。教室に入って一歩目の注目がキツイと思われる。クラスに男がいればいいのだけど、二年三組には俺一人だけだ。入学した時は俺含めて三人いたけど、一年の三学期まで二人とも退学してしまった。元が女子高だから圧倒的に女子ばかりで、すごく居づらい。ほかのクラスにも男はいるけど数えるほどだし、クラスが違うからあんまし親しくはない。

 文園、どうしているだろうか。

 いちおう、クラスの連絡網的なSNSとかメールがあるんだけど、彼女からの連絡はもちろんない。まあ、これまで一度もないけど。たぶん俺のことは悪く思ってはいないはずだ。だけど、やり取りするほど親密になりたくはないのだろう。べつに恩着せがましいことをするつもりもないから、どうでもいいけどな。

 うっ。

 いま教室に入ったんだけど、俺の席が後ろの真ん中に移動している。いや、強制的にそこにされたんだな。ほぼ教室後ろの棚にくっ付いていて、その周囲が扇型の空白地帯だ。危険物からでき離れようと、女子たちが努力した痕がみられる。それにしても後ろが狭い。そう思って十センチほど机を前にずらしたら、周囲の女子たちも一斉に移動した。俺と近づきたくない一心だろうけど、まあ、これは仕方ないか。

 文園の姿が見えないから、ちょっと心配していたら見つけた。あいつ一番前の席にいた。周囲の気づかいか、自分からそうしたのか。たぶん後者だろう。俺と顔を合わせるのはいろいろと気まずいものがある。納得だ。

 おっ。

 机の中になにかあるぞ。もしかして、文園からの贈り物だろうか。手作り弁当だったりして。可愛い女子が作ってくれた弁当を食べたいと、男だったら思うよな。文園が気を利かせてくれたんだったら素直に受け取ろうと思う。カメの恩返しだ。

 うわー。

 ぜんぜん違った。

 腐ったミカンだった。

 ちょうどアオカビができていて、フニャフニャな部分に指を突っ込んでしまった。微妙に熟成したミカンのニオイがあってキツイ。猛烈に手洗いしたい。

 前の席にいる井沢茜がこっちを見て、さも憎々しげに笑っている。周囲の女子たちも同調してクスクス笑いだ。クラスの敵に対してのイジメってことだ。ため息が出る作戦だな。ふー。

 おや、まだ何か入っている。今度はなんだ。

 うっわ。

 なんとカナヅチが入っていた。

 これはどういう意味だ。釘でも打ってくれということなのか。いや、よくよく考えてみると、きっとホラー的な解釈をした方がしっくりとくる。

{震えて眠れ}って、柄に文字が書いてあって、一部が赤マジックで色付けされていた。これはきっと血を表しているのだろう。今晩は震えて眠るか。

 まだまだ何か入っている。もう生ものはやめてくれよ。今度は何だよ。

 本だ。文庫が一冊ある。タイトルは{女子高生、本気の痴漢、○○な○○〇をお触り放題}。

 これって、エロ小説だ。なぜこんなものが入れられているんだ。しかもこれ、ページが全部糊付けされていて、読むことがまったくできないではないか。

 中身が見られないとなると、なんだか余計に見たくなる。きっとすごい内容なんだと想像してしまうし、ちょっとだけでもいいから読みたい。

 うわー、これはもどかしいぞ。精神的にイライラしてきた。イジメとして斬新で、けっこう効果的だよ。やっぱり女子は侮れないな、こんちくしょうめ。


 

 午前中の授業が終わり、お昼休みとなった。昼食をとる前に、津吉はトイレに向かった。

 霧ヶ峰高校は、元は女子高なので男子トイレは職員専用しかなかった。三年前の男女共学化へ踏み切った際に、学年ごとに増設していた。ただし、男子生徒が極端に少ないので、つねに閑散としている。いまも使用しているのは一人だけだ。

 小用が終わった津吉は、ブルブルと体を震わせてからチャックを引き上げた。この時、背後の個室ドアが静かに開き始めたことを、彼は知らない。能天気に、あのエロ小説の内容はどのような感じなのかを想像していたら、突然、後ろから襟首をつかまれた。そしてハエが地蜘蛛の巣穴に引き込まれるように、個室へと連れ込まれてしまった。

「うわ、なになに」

 バタン、と扉が閉じられた。個室の内部が薄暗くなるが、何者が自分を引き込んだのかわかった。津吉は、なかば強制的に便座に座らされている状態である。

「文園?」

 地蜘蛛女は綾香であった。

「あ、あの、なんだろう。てか、ここ男子トイレなんだけど。というか、近っ」

 綾香の顔が津吉の顔に接近している。心惹かれるコリジョンコースであるが、しごく真顔な彼女は、そのことに躊躇していない。

 ドンと、綾香の右手が壁を叩いた。

「おっわ、壁ドン」

 壁ドンを初めて経験した津吉は、喜びと同時に驚いていた。

 ドンと、綾香の左手が壁を叩いた。両腕で津吉を囲う体勢となっている。

「さらにドン。これ、なんなの」

 綾香の整った顔が、いくぶん陰影に染まりながらも、さらに近づいてきた 津吉は焦る。心の準備が間に合わない。

「間質性膀胱炎」

「えっ」

「だから、間質性膀胱炎だから。あの時は」

 唐突な会話であり、津吉の頭の中に?が三つほど連なっていた。

「か、かん、なに? ぼうこう?」

 綾香の顔がスーッと引いた。津吉の顔の前の圧力がなくなり、さらにスペースに余裕ができたが、少し残念であるとも思っていた。

「ググれ、カス」

 そう罵倒した女子生徒は、腕を組んで睨みつけるように見下げている。トイレの個室は狭いので、お互いの膝頭がほぼくっ付いているが、両名とも是正しようとはしなかった。

 検索せよ、と命じられたので、津吉はスマホを取り出してポチポチした。

「ええーっと、なんかいろいろと難しい症状があるけど、要するに膀胱炎ということ?」

「そうよ、その通り。だから、あの時は病気で、もら、した、というか、出てしまったのよ。病気なのよ、病気。なかなか治らなくて、油断していると尿洩れしちゃうの」

 綾香の頬に赤みがかかっているのが、多少の薄暗さでもわかった。

「いや、べつに言い訳しなくてもいいから」

「言い訳じゃないっ」

 少しむくれた顔をしたが、すぐに平穏な表情となる。

「あなたには助けてもらった恩があるから、だから、そのう、事情を説明しなきゃ失礼になるでしょ」

「ありがとうな」

「え」

 津吉が礼を言った。いきなりだったので綾香は困惑している。

「金太郎と銀五郎を助けてくれただろう」

「金魚ちゃんたちね。まあ当然でしょう。わたしにもっと感謝して、土下座してもいいのよ」

 そこまでの感謝は大げさだ。だいいち、ほんとうにあいつらを救ったのは心優しきぽちゃ女子の金城優奈だと、津吉の心が言っていた。

「ネーミングセンスに、おじいちゃん臭があるのがマイナスポイントね」

「金太郎と銀五郎でよく金魚だとわかったな。文園には教えてないだろう」

「だって、エサをあげるときにいつも名前を呼んでいたじゃないの。金魚に名前をつける男、キモッて思ってたから」

 そう言われて、津吉は苦笑するしかなかった。

「わたしも名前を考えていたのよ。黒い出目金のほうはデュカプリオ、三毛猫みたいな模様のほうはアリアナ」

「欧米か」

 津吉が突っ込みを入れると、綾香がケラケラと笑った。彼女の笑い顔を見たのは初めてだなと、得をした気分となっていた。

「そのう、もういいのか」

「なにが」と訊き返す表情が可愛いと感じた。男子生徒は照れてしまい、目線を少し逸らした。

「だから、膀胱炎だよ。間質なんとかの」

「あれから、お薬を欠かさず飲んでいるから大丈夫よ。あの時は調子が良かったから、ちょっとサボっていたのね。そうしたらもらしちゃった。おもらしな女になっちゃったの」

 自嘲気味に言う綾香の気持ちを慮って、津吉はそれ以上お漏らしのことには触れなかった。

「そうだ、そろそろ教室に戻らないと。昼飯だし、腹減ったし」

 密室で可愛い女子といることに、戸惑いと焦りを感じていた。逃避したいという弱気が先にきてしまう。

「戻ってもムダよ。たぶん、あなたの菓子パンは粉々に破壊されて、ハトさんの昼食になっているとさ。カラスだったらごめんなさいね」

「どっちでも俺が飢えるということには変わりないんだけど。ていうか、いったい、どういうこと?」

「あなたはね、いたいけな女子生徒にいきなり金魚の水をぶっかけた極悪非道なチンピラ男子なのよ。女ばかりのクラスに男子はチンピラな一人。排除しようとするのがみんなの気持ちなの。そういうことよ。当然でしょ」

 当たり前のように言われたが、もちろん津吉は納得しない。

「いやいや、文園がそれを言うのはおかしいだろうよ」

「おかしくないっ」

 綾香が言い切った。腕を組んで偉そうに見下しているが、目元は緩んでいる。

「顔が笑っているんだけど」

 そう指摘されて辛抱の糸が切れたのか、綾香がクククと笑いだす。津吉は冷めた表情だ。

「まあ、なんかそうなっちゃったのね。どうやって両玖津吉を辞めさせるのか、って相談しているみたいよ。まずは食べ物を食べさせないってことでダウトね」

「女子は陰湿だなあ。つかダウトってなんだよ、ダウトって」憤慨するというより、呆れていた。

「だって女子だもん」

 綾香に悪びれる様子はない。津吉は諦めの境地である。

「だけど安心して。わたしは味方よ。生温かく見守っているだけにしておくから」

「見守るだけかよ。ちっとも安心できないんだけども」

「元気になるように本をプレゼントしたじゃないの」

 机の中に放り込まれていたオブジェクトの数々を、津吉は思い出した。

「あれって、文園だったのか。すげえ謎な嫌がらせで、なんかイラッときたぞ」

「中身は不純だから見せないの。想像するだけで喜びなさい。ほかのは茜たちが入れてた。血の付いたトンカチとか、ちょっとホラーよね」

 思い出してクスクス笑う綾香だが、津吉にとってはいい気分ではない。

「そこ、笑うところじゃないからな」

「さあ、おしゃべりはここまでよ。わたしをこんな個室に閉じ込めてどうする気かしら」

 両手で自らの体を抱いて、さも被害者であるフリをした。

「ここに引っ張り込んだのは文園じゃないか。なに言ってんだよ」

「そうよ、ここには意味があるもの。二人っきりでいることに重大なる、壮大なる、激烈なる動機があるんだから」

 綾香の言っていることの先が読めず、津吉はポカンとしている。

「立って」

「へ?」

「へ?、じゃないの。早く立って」

 便座に腰かけていた津吉だが、目の前にいる女子生徒に急かされるままに立ち上がった。二人を隔てている間は数センチもない。お互いの膝頭はくっ付いている。

 フッと、綾香が不敵な笑みを浮かべると、唐突に、すすーっとしゃがんだ。

「えっ、おっ、いや、これは、ちょっと、なんていうか、ヤバいんじゃないか」

 高校生にあるまじき不埒な考えに、鼓動の高まりが治まらない。

「ちょっとー、ヘンな勘違いしないでよね。重要なのはここなんだから」と、津吉の両足の外から両手を回して、不器用に便座のふたを開けた。

「おい、小さいほうのあとなんて見たくないぞ。まさか大きいほうじゃないだろうな」

「あなたはバカなの。男子のトイレでわたしがするはずないじゃないの。てか、なんで見せなきゃならないのよ、この、ドヘンタイ」

 そう罵倒してから、便器の中からビニールパックを取り出した。水に浸っていたために、若干滴っている。

「なんだよそれ、密輸品か」

「貴重なものであることは確かね。いいから座って」

 綾香はビニールパックのジッパーを引いて、中のモノを取り出した。そしてラップに包んである四角い物体を、津吉の膝の上に置いた。

「ええーっと、これはなに?」

「手作りパンに決まっているじゃないの。一目見てわかるでしょ」

「パン?手作り?」

「さっきの話聞いてなかったの。いまごろ、あなたの菓子パンは茜たちにバラバラにされて、窓から放り投げられているんだから。そういう刑なの」

「ひどすぎないか、その刑罰は。てか、どうして俺の昼食がパンだって知ってるんだよ」

「有名よ。お昼はいっつもパンでしょう。陰で菓子パン君って呼ばれてるんだから」

「すごく不名誉なあだ名だ。明日からはおにぎりにする」

 わりと本気で、そう思っていた。

「これはね、おもらしした文園綾香の、手洗いなしの素手で作ったサンドイッチなのよ。すっごくおいしいの。ほっぺたが落ちて、ゾンビみたいな顔になるんだから」

「自虐的な言い方が、自虐になっていないところが怖いな。しかも便器の中にあったし、衛生的に難易度が高い気がするんだけど。お腹壊してゾンビ顔になりたくない。

「全部気のせいよ」

 さあ、早く食べてと期待を込めた顔が急かしている。

「文園の分がないような感じだけど」

「半分残しなさいよ。まさか、全部食べる気でいたの。どれだけ強欲な男なんだか。FBIに訴えてやる」

「欧米か。いや、そういうことじゃなくて、だってこのサンドイッチ、食パン二枚を挟んだだけだし、なんか具材がないような気がするのは気のせいだろうか」

「ちゃんとジャムを塗ってあるの。早く食べてよ」

 食後の反応が待ち遠しい綾香であった。

「じゃあ、いただくよ。食べればいいんだろう、食べれば」

「ネガティブな態度は女の子をムダに傷つけるのよ。サイテイの男ね」

「すっごく美味しそうなサンドイッチを、鬼嬉しく食べさせてもらいます」

「はい、めしあがれ」

 しっかりと耳の部分があるサンドイッチを、津吉がガブリと食べた。

「どう、おいしいでしょう」

「うう~ん、パンはそこそこ柔らかいんだけど、ジャムの塗りが薄くてもの足りない。激安スーパーハマタのサンドイッチより中身がショボい」

「これが文園家のレシピなの。贅沢は敵なの。わたしのお昼ご飯を食べておいて、文句を言うな」

 機嫌を損ねた綾香がサンドイッチを取り上げようとするが、津吉の口が離さない。

「ちょっとう、わたしの分は残しておきなさいよ」

 だが、津吉は食べ進める。すべてを平らげてしまうほどの勢いがあった。

「わたしのお昼がなくなっちゃうー」

 津吉の健啖ぶりにあわてた綾香が腰を落とし、反対側から食べ始めた。サンドイッチが両側から削られて、お互いの口が中間点まできたところで目と目が合った。薄っぺらではあるが確かな甘みを感じた時、二人ともがハッとして顔を離した。 

「いや、そのう、ごちそうさま。けっこう美味かったよ」

「あ、うん、まあ、そうでしょう」

 真ん中あたりの破片は津吉が食べきった。個室で接近しすぎている二人はモジモジしてしまい、ムダに視線を泳がせている。

「量が少なかったから、今度はちゃんとしたお弁当を作ってきてあげる」つぶやくように言った。

「そこまでしてもらわなくてもいいよ。なんか、心苦しいからさ」

「クラスの女子全員を敵にまわしちゃったのは、どう考えてもわたしのせいでしょう。これから肺腑を抉るような地獄の高校生活をおくるのに、少しでも慰めが必要になるわ」

「えっ、俺ってそんなに嫌われてんのか」

「当り前じゃないの。全女子の敵なのよ、敵。もう無敵なくらいの敵」

「誰のせいだよ」

 嬉々として話している綾香を、津吉は恨めしそうに見つめる。

「だから、お弁当作ってきてあげるって言ってるじゃないの。これはわたしの誠意なんだから」

「そういうセリフは、もう少し、すまなさそうに言うもんだろう」

 腕を組んで立ち上がり堂々と見下げている女子を、便座の男子がすまなさそうに見上げていた。

「早起きするのがけっこう大変なの。わたし、高血圧なんだから」

「高血圧なら早起き得意だろう。じっちゃんばっちゃん、朝からすげー元気だって」

「わたしは、ばっちゃんではない」

 キリリとした顔で宣言した。そういう意味ではないと津吉が言い訳をする。それから二人は、言い合いのような談笑のような会話をしばらく続けた。

 頃合いになったころを見計らって、綾香が退室を促した。

「じゃあ、そういうわけで明日のお昼もここで会いましょう」

「ええーっ、まさか明日も便所メシかよ」

「ほかに場所がないでしょう。誰かに見られたら、わたしが迷惑なんだから」

「だから、誰のせいだって言っているんだけど」

「せいぜいお腹を空かせてきなさい、少年よ」 

 男子トイレでの邂逅が無事終了した。

 そこが女子とのファーストコンタクトとして正しかったのか、津吉は首をひねって考えていたが、結論を出せぬまま教室へ戻った。

 綾香が言った通り、バッグの中に入れてあった彼の菓子パンは、粉々にされて窓からばらまかれていた。



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