第5話

「両玖は、ちょっと残ってくれないかな」

 帰りのホームルームが終わり、クラスの生徒たちが下校し始めた時、二年三組担任の竹内真由美教諭が言った。

 彼女は長めの研修会が終わり、本日の午後から勤務している。名指しされた津吉は、重荷を背負わされた老ロバのような足取りで教壇へと行く。その様子を見ていた数名の女子がヒソヒソと話をしていた。

「なんでしょうか」

「君は世界史の授業に遅れたみたいだけど、どうしてかな」

 午後からの授業は世界史が最初で、綾香の言いつけを忠実に守った津吉は、当然のように遅刻していた。

「いえ、あのう、ちょっとお腹が痛くて、トイレにいました」

「ほう、ぜんぜん元気そうだが」

 その苦しそうな返答がウソであることは見破られている。

「全部出したので、スッキリチャッカリ元気君になりました」

「オッサンみたいなギャグだな。かなり寒いが」

 ギャグの評価が低くていたたまれなくなり、津吉は下を向いていた。

「私のいない間にいろいろあったみたいだけど、どうしたのかな。説明が必要だよな」

 問いかけ方は柔らかいが、カッチリとした詰問であった。もちろん、綾香との一件である。

「いや、そ、そのう、なんていうか、突然、世の中がおかしいような気がして、なんというか、金魚の水で濡れた女子って魔法使いになれるんじゃないかと思いまして」

「その話は三十になっても童貞の男じゃなかったか」

「ちゅ、中二病的な心境になったというか」

「君は高二じゃないか」

「ちゅ、中学生の頃を夢見ていまして」

「夢を見るのだったら、過去じゃなくて未来にしような」

「は、ハイ」

 真由美教諭は、ギリギリ二十代の若い教師であるが、なかなかに優秀でありスキがない。たとえば古文の遠藤理沙教諭やゴリ山田教諭など、どうでもいいくらいにしか思っていない津吉だが、担任は苦手としていた。すべてを見透かしているだろう明晰すぎる視線にタジタジとなるのだ。しかもコワモテ感があって、そのオーラには触れたくないと思っていた。

「土曜日に文園さんのお母さんに会うのだけど、なにか伝えておくべきことがあるかな」

「ま、まあ、なんていうか、文園さんには申し訳ないことして申し訳なかったと、なんか申し訳ない気持ちで申し訳なくなっていたと伝えてください」

「ふむ。くどすぎるが、なんとなくわかったよ」

 綾香や井沢茜とは別次元であるタカの眼が、しっかりと津吉を突き刺して宣言する。

「二年三組担任、竹内真由美が両玖津吉に申し渡す。罰として、今日これから第二体育館の掃除をしろ。一人でだ」 

「ええーっ。き、きいてないです」

「女の子に金魚の水をぶっかけたんだ。当たり前だろう。前田のクラッカーだよ」

「でも、ちゃんと停学という罰を受けましたけど」

「三日ぐらいの謹慎ですむと思うな、下郎め」

 イタズラを楽しむような、意地悪な目で男子生徒を見つめていた。

 津吉はがっくりと肩を落とした。第二体育館は本館よりも手狭だが、一人で掃除するには相当に骨が折れる。罰としてはキツメの部類なのだ。

「掃除が終わったら職員室に来な。まあ、帰りにラーメンでも食おうや。トンコツ背脂ニンニクマシマシのいい店を見つけたんだよ」

 落胆している津吉は気づいていてないが、いろいろと相談にのるということを示唆していた。厳しすぎる視線の奥は、あんがいと柔らかな領域である。

 彼女は、受け持つクラス唯一の男子が陰湿で粗暴な生徒とは思っていない。どういった心情のせいなのか、それとなく気づかっているのだ。 



 第二体育館って、やっぱり広いな。このスペースを一人で掃除するのはダルすぎる。用具の後片付けとモップ掛けだけでいいと真由美先生は言っていたけど、折りたたんでいないパイプ椅子がたくさんあるのが難点だ。ここでPTAかなんかの集まりでもあったのかな。

 仕方ないな。ちゃっちゃと片付けて職員室に行くことにするか。真由美先生がラーメンを食わせてくれるらしいが、ほんとうだろうか。どうせならチャーシュー麺にしたいけど、あまり調子にのると殴られるかもしれない。小学中学高校を通して、俺を殴った教師は真由美先生ただ一人だ。

「あのう、両玖君」

 後ろから声がした。振り返るとぽちゃ女子がいた。俺の心の女友だち、金城優奈だ。いつの間に来ていたのだろうか。ぜんぜん気づかなかった。

「ええっと、金城さんがどうしてここに?」

「もともと、ここの掃除当番だったから」

「今日は、俺一人がやれって言われているけど」真由美先生直々の命令だ。

「手伝うよ。自分の仕事をサボっているようで、そういうの好きじゃないんだ」

「まあ、俺はどうでもいいけど」

「じゃあ、一緒ね」

 こうして、二人で片付けることになった。

 金城さんは手際が良くて、思ったよりも早くパイプ椅子は片付いた。けっこう埃っぽくて、床が真っ白になった。鼻をムズムズさせながらモップ掛けをがんばっていると、ぽちゃ女子が近寄ってきて俺の前に立った。

「・・・」

「なに」

 黙ったままモジモジしている。ひょっとして告白とかか。

 まさかな。埃がひどかったから着替えに行きたいのだろうか。なんて考えていたら、予期せぬ剛速球が飛んできた。

「どうして、文園さんにあんなヒドイことしたの」

 うっ、いきなりあの日のことか。

 まあ、犯人の動機を善意の第三者が知りたがるのは当然だろうな。だけど、この質問は返答に困る。俺ではなくて文園の名誉とこれからの学校生活にかかわることだ。正直に話す気はさらさらないが、かといって無視するわけにもいかないだろう。なにせ金城さんは、金太郎と銀五郎を救ってくれた心優しき女子だからな。敵にしたくはない。

「え、ああ、うん」

 いちおう、返事だけはしておく。無碍にしていないことの証だ。顔を背けてその話題には触れてほしくないオーラをだした。勘のいい女子だ。男心を察して、話題をテキトーな世間話に切り替えてくれるはずだ。

「文園さんが好きなの」

 コーラを飲んでいたら、全量を噴き出していただろう。突然の直球が剛球すぎて言葉が出てこない。

「文園さんを愛しているから水をかけたんだよね。愛がすっごく強いから、ぶっかけられずにはいられなかったんだね」

 いやいやいやいや。

 どこをどう飛躍したら、そんな考えになるんだよ。それと言葉の表現がR18に近い気がするぞ。

「恋バナだったら、いつでも相談にのるから」

 そういうの、女子は大好きだもんな。自分が恋愛するよりも他人の色恋沙汰に興味津々なんだ。とくに失敗した話なんか大好物だろう。

「あ、クラスのみんなにはナイショね」

 俺と話をしていたとなれば、金城優奈は両玖津吉と同族となり排除の対象となってしまう。そこまでは深入りできないということだ。

「とりあえずハッキリさせておくけど、俺は綾香さんのことを」なんとも思っていないし、恋愛の対象でもないと言いたかった。それが本心なのかは極めてアヤシイが、対外的にはそういう態度をするのが正解だと思った。

「綾香さんって呼んでいるんだ。両玖君の心の声を、優奈はたしかに聴きましたよ」

 あちゃあ、やってしまった。

 他人には文園と呼び捨てにすべきだった。少なくともファーストネームを口に出すのはマズかった。文園と呼ぶたびに訂正されていたので、ついつい言ってしまったんだ。

「間違えた。文園さんだ。文園、文園」ハハハと誤魔化し笑いで、どうでしょう。

「両玖君」

 ぽちゃ女子が俺を見つめている。瞳が若干潤んでいるように見えるのは気のせいか。ズンズンズンと寄ってきた。近い、顔がすごく近いぞ。

「な、なに」

 よくわからない精神状態に追い込まれてしまった。後ろに壁がないので、ドンとやられないのは幸か不幸なのか。

「愛を間違えてはダメよ。女の子にはね、やさしくするの。力でねじ伏せたり、威圧してはダメ。そういう男がけっこういるけど、そんな輩は」

 金城さんの表情が厳しくなった。小学四年生の夏、味噌汁の中にカマキリを入れて、母さんに死ぬほど怒られたことを思い出した。

「死ねばいいのに」

 んーーーーーーーー。

 これは気の利いた言い訳をしないと、どこかで一服盛られそうだぞ。

「違うんだ。あれは、あの時はなんというか、ちょっと寝ぼけていて、被害妄想的な夢を見ていて、気がついたら金太郎と銀五郎の水槽を持っていて、それで、はっ」

 俺の頬に金城さんの手がそえられていた。

「私は信じているから、両玖君のこと。だから、ああいうことは二度としちゃダメよ」

 しっかりと目を見て言われた。どちらかといえば冤罪に近いのだが、俺は罪を認めるしかなかった。

「すんませんでした」

「はい、お説教はおしまいね。掃除をしましょう」

 金城さんの中でわだかまっていたものが溶けて流れたのか、スッキリとしたいい表情になった。かわりに俺の中でなにかがつっかえてしまったかもしれないが、それは気にしないことにする。さっさと掃除を終わらせよう。

 ん?

 ドアのところに人影がちらついている。誰か来たみたいだ。手伝いが増えるのは歓迎なんだけど、金城さんのおかげで掃除はもうすぐ終わりそうだからな。部活の連中かな。

 げっ。

 文園じゃないか。あいつ、こんなところでなにやってんだよ。俺は三メートル以内に近づいてはいけないことになっているんだ。その禁止を破ればまた停学、最悪退学の刑に処される。トイレや準備室みたいに誰もいない場所で会うのはいいが、人目のある所はダメだって。

 ドアに隠れてチラチラ顔を出すなよ。俺に何か用があるのか。まだ金城さんに見つかってはいないけど、目立っているからすぐにわかるぞ。

 う。

 また誰か来た。堂々と入り口を横切って行く。めずらしく、今度は女子ではない。

 二年で生き残っている男子はごくわずかで、あんまり仲良くないが顔ぐらいは知っているが、知らないやつだ。三年ではないな。おそらく一年の男子だ。確固たる目的があるのか、こっちを見向きもしなかった。

「あれ、誰か来てるの」

 ほら、金城さんに気づかれてしまった。

「うん、廊下に誰かいるよ。たぶん、一年かな」

 文園の姿を確認済みであるが、そのことはとぼけておこう。

「へえ、なんだろう。ちょっと見てくるね」

「あ、待って」

 俺の制止を無視して偵察に行ってしまった。

 ヘンに勘ぐられなければいいなと思っていると、ドドドドド、っと血相変えて走ってきた。ウエイトの関係で、床の鳴り具合が二倍となっている。迫力ある顔が俺を意味ありげに見上げた。

「告白っ」

「え」

 金城さんの手が俺の腕をギュッと掴んで、そのまま第二体育館のすみっこまで引っ張られた。廊下とは、かなり離れてしまう。

「だから、愛の告白」

「ええーっと、金城さんが」と間の抜けたことを言ってしまった。

「私が両玖君に告白してどうするのよ。そんなこと、この世界がバーチャルであってもないよ」

 少なくとも喜ぶべき返答ではないなと凹んでいると、好色そうな顔で語ってくるんだ。

「一年生の男子がね、文園さんにコクっているの。いま、そこで。もうさ、アツいよ~」

 いま、そこで、グレイ型の宇宙人を見たかのように興奮している。心が躍り過ぎて、あり余る肉が揺れていた。

「けっこうイケメン、っていうか、可愛い感じの一年生よ。これはひょっとして、ひょっとしちゃうのかなあ」憎たらしい目で俺を見るんだ。

 一年ごときに文園が落とされるとは思わないが、上級生女子をいきなりくどくとか、いい度胸をしている。俺にはできないことだけど、羞恥心のない男は女子にとって逆に危険である場合があることを教えたい。程度の低いホスト野郎にありがちだからな。いいようにもてあそばれて、ボロボロになってからでは遅いんだ。

「ちょっと、見てくる」

 進もうとしたけど、質量のある肉体が押し止めるんだ。俺の胸に両手をあてて、確信を込めた目線を刺して待ったをかけてきた。

「うんうん。両玖くんの気持ちがおだやかでないのはわかるけれども、ここは落ち着こうね」

「いや、一年が二年の女子に迫っているんだ。うちは女子ばかりの高校だし、へんな噂を立てられると文園が迷惑する」

「文園さんは、そんなに軽い女じゃないでしょ。頭がいい人だから、ちゃんと相手を見極められるよ」

 金城さんはわかってない。たしかに、あいつは頭の良い女だが、どうにも変人なところがある。ヘンすぎて、こっちの気持ちがヘンになるほどのヘンテコ女だ。そこがまた可愛いのだけど。いやいや、だから選択を間違うことがあるかもしれない。

「ちょっと放してくれるか」

 申し訳ないが、金城さんの制止を振り切らせてもらった。

「っもう、一途なんだから」と、後ろからよけいな感想が返ってきた。

 廊下に出ると、右側の突き当りの壁に文園がいた。ナンパ野郎の一年男子がいろいろと言っていた。少し離れているのだが気合の入った声が聞こえてくる。二人の会話は、ざっとこんな感じだ。

「あのあの、文園さんの好きなことってなんですか」

「さあ」

「カラオケとかですか」

「だったらいいね」

「僕、カラオケが得意なんですよ」

「へえ」

「一緒にどうですか。いまからとか」

「ほう」

「いいんですか」

「帰って水戸黄門観るから」

「ええっと、テレビとかですか」

「そうそう」

「やってませんけど」

「アマプラ」

「アマプラでもやってませんって」

「ネトフリ」

 文園のやつ、スマホの画面を見ながらの、ながら聴きで返事をしている。これは男にとっては屈辱だ。

「僕、文園さんのことをけっこういい感じだと思っているんですよ。この学校で唯一モデルになれる人だって思うんです」年下なのにナンパ師みたいことを言いやがる。

「へえ」だが、文園は素っ気ない。

「誰か付き合っている人とかいるんですか」今度は直球で攻めてきた。

「ねえ」文園の返答が微妙だ。語りかけようとしているのか。

「なんでしょう」一年生男子が忠犬のように食いつてくる。

「だから、ねえ、って」否の返答だった。口説いている男にとっては朗報だが、あまりにも熱がなくて気勢を削がれそうだ。

「だったら、僕と付き合いませんか。ずっと好きだったんです」ここで、ド・ストレートな愛の告白だ。傍から聞いている俺の方が気恥ずかしい。

「だった、って、なに?」ちょっと、不機嫌な声色だ。

「え」一年生男子、言葉を失っている。

「いま、好きだった、って言ったじゃん。過去形」

「すみません。好きなのが継続しているっていう意味です」上手いこと切り返したな。

「へえ」

 だがしかし、文園の心には響いていなかった。愛くるし美顔が冷めた無表情でスマホをポチポチしている。かけてもいい。あの画面はスイカゲームだ。

 ぷっ、と噴き出し笑いしたのは、俺の背中に隠れて二人を見ていた金城さんだ。

「さすが文園さんだよね。一年生君、ぜんぜん相手にされていないんだけど。少しかわいそうかな」

「一年が二年に告白するのは一年早かった、ということだな」

「両玖君、いまのフレーズは、なんかいいね!」

 金城さんから、いいね!をもらって、なんだかうれしい。二人でクックと笑っていると、向こうの二人も気づいたようだ。文園は不機嫌な顔でこっちを睨み、一年生男子がズカズカと足音を立てながらやって来た。

「両玖さんですよね」

「ああ、そうだけど」こいつ、なぜか俺を知っているようだ。

「話は聞いていますよ」

「ああ、そうか」なんの話を聞いているんだよ。

「文園さんに金魚の水をぶっかけた人ですよね」

「ああ、まあ、そんなこともあったような」これは否定できない事実だ。

「文園さんに金魚を投げつけた人ですよね」

「ああっと、そこまではどうかな」この解釈については微妙なところだな。

「文園さんのブラの中に金魚をねじ込んだ人ですよね」

「それはねえぞ」

 おいおい、どんだけ話が誇張されているんだよ。

「ええー、やだー、両玖君、そこまでやっちゃってたんだ」金城さんの驚きが、わざとらしい。

「だから、違うって。それやったら停学じゃすまないだろう。てか、ふつうに犯罪だからな」

 向こうで文園がクスクス笑いだ。嘲られているんだけど、なんだかうれしい俺がいる。やっぱりあいつは、ムスッとしているよりも笑顔のほうが断然いい。

「そこでなにしてるー。掃除は終わったのかー」

 突然の真由美先生だ。様子を見に来たのか。というか、俺が文園と一緒なこの状況はマズい。

「なんだ、この集まりは。あれえ、文園さんがいるじゃん。まさか両玖、おまえまたやらかしたのか」

 一瞬、眉毛のシワがぶっ太くなった。ヤンキー女みたいで、怖っ。

「両玖君は文園さんになにもしていません。第二体育館の掃除が終わって返ろうとしたら、たまたま会ったようです。この一年生君も」

 金城さんがフォローしてくれた。やっぱり持つべき友は心優しきぽちゃ女子だよ。ちょっと思い込みが激しいのが玉に瑕だけど。

「君は、確か一年四組の、ええーっと、奥屋敷だったな」

「そうです。奥屋敷飛翔(おくやしきつばさ)です」

 この一年生、なかなかに重厚な名前だ。俺もけっこう変わった苗字だが、奥屋敷には負けそうだ。

「君はどうしてここにいるんだ。二年生に用でもあるのかな」

「僕は文園綾香さんとお付き合いしたいと思い、交際を申し込みました」

「え、そ、そうなんだ」

 まったく物怖じすることなく言い切る奥屋敷に、真由美先生が面食らっている。数秒間「・・・」の状態を過ごしたあと、奥屋敷飛翔を通り越して壁際にいる女子を見た。

 文園のやつ、鼻くそをほじるマネをして、さらに取り出したそれを親指と人差し指でクリクリと丸めて、一年生男子の後頭部めがけて弾き飛ばした。もちろんエアーな仕草であって、本当にやっているわけではない。求愛に対する彼女の空虚すぎる心境を、あますことなく表したんだ。

「君の行動力と度胸には敬意を払うけど、今日のところは帰ろうか。こいつらは私のクラスで、ちょっと話があるんだよね」

 自分の受け持ちの生徒を{こいつら}呼ばわりするのは、真由美先生のいつものことだ。

「わかりました。今日のところは帰ります」

 さすがの積極無礼一年生も、先生には逆らえないようだ。

「文園さん、僕はまた来ます」

 文園はスマホをポチポチしたまま返事もしない。本当に興味がないのかな。一年生は行ってしまった。

「さあてと、説明してもらおうかな。私は両玖一人で掃除をしろと命じたはずなんだが、金城さんがいるのはどういうことなんだ。それと文園さんに近寄るなと、禁止令も出ていたはずだが」

 う。

 詰問タイムとなった。なぜか俺に都合の悪い情況が作り上げられているのだが、どう言い訳しようか。

「先生、私は当番だったので掃除しました。両玖君が一人でやるとは知らなかったです」

 いや、俺が罰として掃除をしていたことを知っていて手伝ってくれただろう。金城さんのファンになってしまいそうだ。

「ふむふむ、言われてみればそうだな。金城さんがいるのは納得だ。だけど」と言って体を九十度捻った。廊下の突き当りには彼女がいる。

「わたしは、学校祭のポスターを貼りに来ました。三組はお化け屋敷をやるので、そのポスターです」

 文園の言い方には淀みがない。シロウトであれば彼女のウソを見抜けないが、残念なことに相手は心理戦のプロだ。

「ほうほう、なるほどなるほど。学校祭は二か月後なのだが、もう準備しているのか。文園さんは優秀だねえ。しかも、お化け屋敷は去年だったよね。今年はなにをやるのか、まだ決めていないけど」

「ノープロブレムです」

 文園は、去年使ったポスターを貼っていた。といっても一枚しかないので、画鋲の位置を何度も直したり角度を調整したりで、どう見てもプロブレムだらけなんだけどな。なにをやっているのだろうか。奇妙で、ある意味シュールな絵面だよ。

「ふふ~ん。これはひょっとして、あのうわさに聞くストックホルムシンドロームなのかな。ふんふん、MUSEは好きだなあ。あの曲はドラムがいいんだよね。ほほ~ん」

 真由美先生、誰かに語りかけているのではなくて、ひとり言を呟いていた。

「まあ、いいか。私はこまけえことは気にしない教師なんだ。腹がへったなあ。おい両玖、ラーメン食いにいくぞ」

 本当に連れて行ってくれるのか。半分冗談かと思っていた。

「え、なんの話?」金城さんがキョトンとしている。

「掃除が終わったら、先生とラーメン食べに行く約束なんだ」

「おごりだから、チャーシュー麺マシマシでもいいんだよ」

 今日の真由美先生は景気がいいな。

「私も掃除しまた、キリッ」

 チャーシュー麵マシマシに、金城さんが激しく反応した。キリリと引き締まったぽちゃ顔がステキだ。

「よし、金城さんも一緒だな。さて、文園さんはどうする?」

 文園のやつ、まだポスターをいじくっているよ。

「結構です。三メートル以内には近づけませんから」と素っ気なく言った。

「まあ、そうだよな。これからいくらでも機会があると思うし、急ぐことはないね」

 結局、三人でラーメン屋へ行った。文園のポスター貼りがいつ終わったのか、俺は知らない。

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