小話 憧憬と執着

本編のチョイ役、謎少女ラクレちゃんのお話。


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 小学校の時に発病した持病が悪化して、特殊な治療を受けるために医療研究都市ファンランに移転することが決まったのは、私が十五歳になった年の、秋だった。


「ごめんねえ、朱里あかりちゃん、わたしたちの力が、足りないばかりに」

 主治医の先生はそんな風に言ったけれど、別に先生の力不足ではないのは知っているから、首を振る。

 まだそのくらいは、動ける。言葉は、もう出ないけど。



 移動手段は空路。まあ病人を移送する距離としては長い方だけど、極東から大陸のほぼ中央なら、そんなに長い方ではない。

 今回の治療は、治験、だといっていた。新しい治療法の、試験。

 もう、そんな手段くらいしか、残っていない程度には、私の病は重いようだ。

 悪性腫瘍なんて、今どきの技術なら、どうとでもなるものだと思ってたんだけどなあ。

 子供のそれは、悪化しやすい、んだったか。ちらっと調べていたら、母さんに怒られて、ちゃんと最後まで資料を読めなかったけど。

 いや、まだ判らない言葉もちょいちょいあって、読むの自体も遅かったのもいけなかったな。

 ただ、自身の状態を知ることを拒むのは親としてはどうなんだろうなあ?

 別に悲観するために知りたいんじゃないんだよ、貴方と違ってさ。


 航空機で移動して、そこから新しい病院までは、VTOL。もとの病院からは五月蠅いヘリだったけど、こちらの機体は静かだな、ありがたい。

 病院施設の中庭に離発着場があって、そこからは車椅子。まだストレッチャーで運ばれる程ではないけど、歩けないからしょうがない。


 その途中。


 エレベーター待ちをしているところに、患者さんらしい人がやってきた。

 背の高い、痩せた女性。癖のある黒髪はベリーショート。明らかに具合の悪そうな、こけた頬。色の薄いくちびる。


 でも、彼女には、目を離せなくなるほどの、美しさがあった。

 私は、一目で。すっかり、見惚れて、しまった。


 ……まあ全然気づかれもしなかったんだけど。

 やっぱり美人だと視線には慣れてるのかなあ。


 それが、最初の出会い。いや、出会いと言っていいのか判らない、一方通行の、はじまり。



「アカリ・ヨノミヤさんですね。今日から検査及び治験のない日は、こちらの部屋で過ごすことになります」

 身分証明認証やらあれこれ済んで、新しい部屋に通される。今日は流石に移動だけでおしまいだ。

 明日から数日かけて検査をして、それから治験に挑むことになる。


 極東と違って、ファンランでは漢字を使わない。いや、極東しか漢字を使ってない、が正しいんだけど。

 極東で生まれ育ったけど、共通語を漢字文で書くなんて厄介な事をするのはなんでだろうね。

 一応共通文字でも読み書きはできるし、慣れればそっちのほうが判りやすいんだけどな。

 これも両親に言うとしこたま怒られるから、今まで言えなかったけど。


 今回の治験は親は付いてきていない。立ち入りできないタイプの実験が含まれているからだそうだけど。

 なまじ古い家柄だからって文化だの教養だの歴史だのばかり重視して利便性に背を向ける生活とは暫くおさらばだ。

 ……永久におさらばになる可能性もあるけどね。その時はその時だ。


 そんなわけで、検査や治験の合間に、親から禁じられていたゲームやら、小説やら、片っ端から申請して、遊びまくってやった。

 いやだって無料だし、勉強もそれなりにしてれば、空いた時間は自由にしていいっていうからさ。

 VRという便利なものがあるから、私のように身体の自由が利かない人間でも、ゲームや読書は結構やれる。むしろそれくらいしかやれないとも言う。


 貸出履歴なんかも院内のものなら、ちょっとごにょごにょすれば閲覧できちゃったりするんだけど、そのうち、ちょいちょい極東系の名前の人を見るのに気が付いた。

 カヤ・タカバヤシ。

 同じ本を借りてる率が、ものすごく高い。というか、片っ端から閲覧可能な本読んでるんじゃないか、この人。

 ゲームも結構被ってる。というか、この人私の数倍の読書量でよくこれだけゲームも手広く遊んでるな?

 と思ったけど、ゲームの方は一通り遊んだらそれっきりのタイプなようで、対戦なんかで遭遇する機会は、ついぞなかった。


 そのうち、この人の借りた本を追いかけて読むようになった。専門書にまで手を出していたから、流石に全部は無理だったけど。

 いや、タカバヤシさんの借りた本だと、本当にハズレがないからさ。

 なんでも借りてるんじゃないかと思っていた最初の印象は大間違いだった。思った以上に、厳選してる?

 試し読み機能があるのに気が付いたのは、その頃だ。成程、これで地雷は避ければいいのか、そっか……


 治験のほうは私が思っていた以上に順調で、どうやらこれは私の体質が特にこの技術に合っているからではないか、という話だった。

 他の人も多かれ少なかれ、ある程度の成果は出ていて、このプロジェクトは成功と言えるだろう、と担当者さんたちが明るい表情で語っていた。


「だがあっちのプロジェクトはやばいね、また被験者がICUだって?」

「ああ、自称ナノマシン?あれ流石にあのサイズをナノマシンって言い張って運用しようってのが無茶だと思うんだけど」

「あの被験者の、タカバヤシさんだっけ、あの人よく耐えるよなあ。他の被験者全員脱落したって聞いたぞ」

「え、あの美人さんあのプロジェクトなの?マジか、よく頑張るな?」


 治験後の検査が終わったあとの弛緩した空気の中の研究者たちの雑談に、覚えのある名前。

 ほう、タカバヤシさん、美人、ってことは、女性?


「ああ、あの人後がない上に後見人もないらしくて、他に行き場がないらしいよ」

「うわ美人なのに勿体ねえ……なんか見たことない病名だけど」

「症例の生き残りが彼女しかいないそうだ。で、彼女も多分そろそろやばいんじゃないかな。あれの補助技術の方を相当入れてるそうだ」


 無責任に他人の余命を語る人たち。まあ研究者なんて、そんなもんだとは疾うに知っているけど。


 余暇の時間で、色んな事を調べていく。ちょっとしたハッキングなんかもしつつ、だ。

 タカバヤシさん、の顔写真は結構すぐに見つかった。

 ああ、あの日の、彼女だ。カヤ、は漢字で伽椰、と書くのか。覚えておこう。



 状態が良くなって、ベッドの上に結構な時間、起き上がっていられるようになってきた。

 プロジェクトの被験者の中では、一番経過がいいのが私だ。

 だけど、タカバヤシさんが被験者だったプロジェクトのほうは、ほぼ中止が確定したそうだ。

 彼女はどうなるんだろう。


 そんな風に思いながら、外を見る。3D画像で生成された空が、そろそろ夕方が近いような色をしている。この研究施設兼病院は地下都市に設置されているから、流石に本物の空は見えない。


 どん!

 突然下から建物全体が突き上げられるような衝撃。

 警報が鳴り響く中、建物の構造物が轟音と共に壊れて行く。どこかから、炎と煙。目の前の窓も、歪んで吹き飛び、外気に晒されながらベッドごとずるりと滑る私。


 その窓の、外に。


 屋上あたりに立っていたらしい人が、落ちてくるのが見えた。


 短い黒髪、びっくり顔の綺麗な、でも痩せた人。


 そんなことって、いやここの下は落下事故防止機構があるはずだ、と思った時。


 閃光が視界を奪う。何だこの光、投光器なんてここには



 何かが潰れる嫌な音と激痛、そして暗転する世界。


 そこで私の意識は途切れた。




「いった……あれ?」

 ぱちくりと眼を開けて閉じてまた開けて。


 なんだっけ、今、寝ても居ないのに随分と酷い夢を見たような。

 いや、これは夢じゃない。今の私になる前の、私の、記憶。

 どうしてだか判らないけど、はっきりと、そう認識できる。


「おいおい、なにすっ転んでんのラクレ、って血ぃ出てるじゃないか」

 ええとこれは誰だっけ、ああ、姉さんだ、ラセラ、ラセルラータ。で、私は、ラクレーシュリ。

 転んで擦りむいた手の甲をハンカチで拭いて、ラセラ姉さんがため息をつく。

 男勝りで口調も荒い姉さんだけど、私にはそれなりに、優しい。

 そのまま手を引かれて立ち上がると、二人で家路につく。今日は放牧の手伝いをした、その帰り道だ。

 手伝い賃は、家で使う用の、羊毛。フェルトでも作るのかな。


 この日の夢は激痛で終わったけれど、私の記憶には続きがある。

 そう、前の私はこの時には死ななかった。死に損ねた。全身不随に逆戻りする羽目になったけれど。

 そして、彼女――伽椰・タカバヤシは行方不明になったまま、最終的に死亡認定がなされた。

 私のほうは、後年、彼女が参加していたのと似た、でも別の人が立ち上げたプロジェクトによって、ある程度社会生活が送れるかもしれない、あたりまで回復できたのだけど、ある時、何らかの外的要因で事故死したようだ。肝心の死んだときのことは、思い出せないけど。


 でも、あの時、光の中に、奇妙な文様と、それに吸い込まれるように消えた彼女の姿は、思い出した以上、もうきっと忘れない。


 で、今の私は。

 森にほど近い鄙びた村落で、村の織物屋の娘なんてやっている。

 私が前に生きていた場所とは、文明からして遅れているというのか、とにかくまるで違う、ひょっとしたら異世界なのかもしれない場所。

 機械なんて影も形もないし、道具は全部人力かたまに馬や羊に牽かせるくらいだし。

 魔法でもあるのかと思ったらないし、って流石に小説の読み過ぎね、前世でだけど。


 まあ、前世の知識は役に立ちそうにないし、記憶が戻る前同様、おとなしく一般人として生きていけば、いいか。

 そう思ったところで、視界の隅に何か光るものがあったような気がした。紫紺の、穏やかな光。



 振り返っても何もなかったから、気のせいだったかな。

 そして、光の事はすっかり忘れてしまった。それこそ、この人生が終わる日まで。


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Q:あのーこれほんとにひつじ番外編なんですか

A:はい、ひつじ番外編ですよ?

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