エルロムスの美麗王
エルロムスは、元々西の果てと呼ばれる地域の、だが大西方山脈からは些か離れた場所にある、小さな山間の寒村だった。
耕地は少なく、馬や羊を養う草原にも遠い。
森の恵みこそあったが、僅かな人を養うのがせいぜいだ。
そんな地ではあったが、一つ、他の地と違うところがあった。
他の地ではすっかり破壊され、あるいは風化して朽ちていた遺跡が、此処では随分と本来の姿を留めていたのだ。
野の獣には暮らしづらいそこを、狩りや伐木の拠点としたのが、この寒村の始まりであったのだろう。
何時しか、寒村の民は己を古代遺跡の主たる民の子孫と名乗るようになった。
寒村の民は、不思議なほど西方独特の難解な文字を理解し、学問に精通するものが多かった。
気付けば、村は異郷での文官働きや各種商いの稼ぎで随分と潤い、街と呼べるほどの人口を抱えるようになっていた。
その頃に領主として立ったのが、初代のエルロムス王だという。
知と財力と美しさを兼ね備えた王、という評判は、近隣の小国にも美麗王の綽名と共に響いた。
無論、遠い国になればなるほど、半信半疑でだが。
この頃には、まだ人の行き来は多かった。そもそも、智者を送り出し、外貨を稼ぐのがこの国の基幹であったからだ。
国と名乗ってより暫くは、まだその方針を続けていたので、王の姿を拝んでみるか、などといった物見遊山の客などもあったのだ。
そして実際に王の姿を垣間見た者たちは、成程確かに、人ならぬと思わせるほどに美麗な王であった、と感想を述べるのが常だった。
不思議なことに、代を重ねても、王は常に美麗であり、智者であったのだという。
ただ、王の名は、初代を含め、一人として他国には伝わってこなかった。
だが、何時しか少しずつ、エルロムスを訪れた者が戻ってこなくなりはじめた。
更に、智者の派遣も、徐々に沙汰止みになってゆく。
元々契約が切れ、継続を申し出なかった場合は、さっさと国元に帰る彼等だったが、それでも個人的な友誼を得たものへの手紙などは時折あったりしたものだが、それも、全てがあるときからぱたりと途切れてしまった。
その頃になり、近隣で争っていた小国群の一つが、これはエルロムス衰退の気配であり、略奪するなら今であろう、と侵攻を仕掛けた。
結果は惨敗。黒い鎧で統一された、攻め手の倍に近い軍勢が逆に小国の軍を押し包み、壊滅させてしまったのだ。
しかも、軍勢はそのまま小国本体をも、ほぼ移動時間のみで攻め落とした。
当時は、エルロムスは軍事に関しては二歩も三歩も他国に劣る、という印象を持たれていたから、この話を聞いた近隣の国は驚いた。
そもそも、当時までの間に出国していたぶんの観光客は、あの国、兵隊を殆ど見ないよな、などと語っていたほどであったのだ。
当然、争いあっていた小国群は混乱した。
エルロムスに付こうと使者を送った国はいくつかあったが、使者は一人として戻らない。
あの国の程度だからやられたのだろう、と逆に攻めた国も二つばかりあったが、どちらも最初の国と同じ末路を辿った。
エルロムスを攻めたみっつの国は壊滅し、生き残った民は全て本国に連れ去られたという。
事ここに及んで、対抗勢力を糾合しようとした男がいた。
名をハンヴァルテル・セハールという。これがのちのセハール連合王国の初代王である。
この王も優秀な男であり、官僚扱いにも、軍事にも、交渉にも長けていた。
彼はエルロムスとの直接の対峙を避け、周辺の諸国を比較的穏便に(とはいえ多少の武力威圧も、本格的な征服も時にはあったが)まとめ上げ、エルロムスと対抗する勢力を作り上げた。学術機関なども用意し、自前の人材をつくりあげることも軌道に乗せた。
ただ、この王も、跡を継いだものたちも、エルロムスへの侵攻は断じて許さなかった。
あくまでも連合は、守備のためのものである、というのが王とその一族の一貫した主張であり、これを覆すものはついぞいなかったのだ。
この頃になると、エルロムス側が、積極的に他国への侵攻を繰り返すようになっていた。
不気味な黒い軍勢は、恐ろしい機動力で他国を蹂躙し、土地には目もくれず、ただ民の全てと財貨を奪い取っていく。
セハール側についたいくつかの国も犠牲になったが、本国からの軍の救援により、ある程度の人命を助けることには成功していた。
エルロムスの黒鎧に対抗して、白い鎧を身にまとうセハール軍は、判りやすく民を護るものの印象を強くしていった。
西方の西半分は、すっかりエルロムスに蹂躙された土地と、セハールの領土に二分されつつあった。
東半分は、エルロムスからは流石に遠く、まだまだのんびりとしたものであったのだが……
ある時、クタラという、東の辺境でも大きな街がエルロムスの手の者に制圧され、領主の一族全員が奪い去られたという話が伝わると、セハールの現王はあからさまに顔色を変えたという。
少数精鋭の派兵により、クタラからエルロムスの手の者を一掃すること自体はできたが、領主一族は一人として戻らず、領主子飼いの近衛も姿を消したきり、彼らも二度とは戻らなかった。
王はとある集落を探させたという噂もあったが、詳細は判っていない。
エルロムスの王宮。
ステンドグラスに飾られてはいるものの、酷くがらんとした広間。
淡い黄色の髪を長く伸ばした、若い美しい男。略式ながらも金銀宝石の煌めく王冠を被り、毛皮で裏打ちされたマントを身に纏う、それこそがエルロムスの美麗王。
その前に、異形のゴーレムにより罪人のごとく引き据えられているのは、乱れてはいるものの、引き揃えた生絹のような艶やかな白い髪に紅玉の如き赤い瞳。幼さを残す儚げな、だが血の気を喪った美貌と細い肢体。
クタラの姫、癒し手のミアストレーシャ。
一族全てを今目の前で喪った、クタラ領主家の最後の血族。
気丈に美麗王を睨みつけてはいるものの、その身体の震えを納めることができぬ、哀れな生贄。
彼女の眼には、美麗王の姿は、噂通りのそれではないものとして映っていたのだが……
それをどこに伝える術もないまま、彼女自身にも終わりの時が訪れる。
王が、ゆっくりと手を伸ばし、ただ翳す。
何もなかった空間に、その指先からじわりと闇が生まれ、渦巻き拡がっていく。
「――!」
声にならぬ叫び。絶望。
せめてもと美麗王に向かって伸ばされた乙女のその指先が、肢体が、石と化し、末端から砕けてゆく。
それをひとかけたりとも零すことなく、闇が奪い取っていく。命を、身体を。魂すらも。
闇が収束し、音もなく消えたとき。
そこに在ったのは、ただ無表情に何もない空間を見つめる美麗王、ただ一人のみ。
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