宵の雛
時系列としては、4章と5章の間のどこか。
――――――――
その日は、龍の姫の母君がるんるんでなにかを支度していた。
シャキヤールも手伝っているが、何故だか不機嫌ではないけど、大変嫌そうな顔をしている。
「……瑞姫、砂抜きこんなもんでいいの」
どんよりとした顔で隣の美女にボウルとザルを重ねたところに入れたなにかを示している。
「ええ、大丈夫ですわ。砂姫屋さんがご用意されたものですから、余り手は入れなくてよろしいのでしょう?」
にっこりと美女。シャキヤールの顔がようやっと少し緩む。
その様子を見ながら、少女はこれは蓮根です、と言われて渡された野菜の皮を剥いている。
皮を剥いて、端っこを切り落とすと、綺麗に並んだまあるい穴。
手本を見せられた通り、穴が綺麗に見えるように薄切りにして、穴に合わせて表面を少し削るように、まあるく切る。
切り落としたほうは細かく刻んで、他の細かい、人参の端切れや茸なんかを刻んだものと混ぜる。後で煮るようだ。
花びらのような形になった本体は、色が変わらないよう、水の中へ。全部切り終わったらこれは酢水で茹でて、更に梅酢に少し漬ける。
人参も綺麗に花の形の飾り切りにされて、今茹でられている。
なんであたしこんなことしてるんだろう、と少女は首を傾げる。
いやまあ確かに今日やるべきことは全部終わって、彼女は暇ではあるのだけど。
美女は焼いた鮭だか鱒だかの身をほぐし終わり、今度は魚のすり身を混ぜた厚みのある卵焼きを焼いている。
シャキヤールはというと、笊の中身を鍋に放り込んだあと、なにか、赤くてつぶつぶした物体を取り出している。
ああ、あれも使うんだ、と作り方を教えた本人である少女は横目で見ている。
「あら、魚卵もありますの?とびこにしては大きいですし、鱒にしては小さいですけど、いいお色ね」
「ああこれ、流石に普通に魚卵は厳しい時期だったんで、アガーと油と食紅でそれっぽいやつ作ったの。そこの嬢ちゃんが何故かレシピ知っててさ。塩気と食感がそれっぽければいいかなって」
ちょい、と一つまみ口に放り込んだシャキヤールは、普通にイケるわねえ、と頷いている。
釣られて口にした美女も、あらこれは、と感心した顔だ。
いやマジ、なんであたし人造魚卵のつくり方なんて調べたんだろうね、昔。確かに、今よりよっぽど暇だったけど。
少女は記憶も朧な大昔の自分に疑問を覚えたが、まあどうせ病床で暇すぎて唸ってた結果だろうな、とそこを考えるのはやめた。
時は半日ほど前にさかのぼる。まあ、その日の朝だ。
「巫女ちゃんごめん、日課終わったらちょっと付き合って」
などと、珍しくかみさま、こと龍の姫が頼み事なぞしてきたので、予定もないしいいですよ、なんて言ってしまったのがいけなかった。
本当に、日課が全部終わった瞬間にダッシュで転移させられて、やってきたのがこの見知らぬ台所。
青銀の水がたゆたうような美しい髪と、たいへん時代がかった衣装の美しい女性に引き合わされたのだが。
「あらあら、かわいらしいお嬢さんですこと。これは今年は張り合いがありますわねえ」
などとのたまう可愛らしくも美しい彼女を、なんと龍の姫の母君だと紹介されたわけだ。
まあ言われてみれば面影はある。気のせいか属性が全然違う気は、しないでもないが。
で、そこからずっと、いろんな野菜の下ごしらえの手伝いをしている。
まあ、難しいことは頼まれていないし、自分の練習にもなるので、それはそれで構わないのだが。これは何を作ろうとしているんだろう。
途中現れたシャキヤールも、何やら材料を持ち込んだようで、持ち込んだ分の下ごしらえなどしているのが現状だ。
今は中くらいの大きさの海老の頭を取り、殻を剥いている。
というか、あのはっちゃけねーちゃん、料理、できたんだ。というのが少女の正直な、本当に正直な感想である。
「れんこん、全部おわりましたー」
全部綺麗に切り終え、酢水に漬けたれんこんを、鍋のある場所まで持っていく。
「ありがとう、そこに置いてね。下ごしらえはこれで全部終了だから、そうね、そこの芹を洗っておいてもらえるかしら」
指定の場所にれんこんを置いて、笊に盛られた青野菜を、流しでざぶざぶと洗う。
「それは火を通さないし、切るのは最後でいいわねえ。ああ、いけない、豌豆の用意がないわね、どうしましょ」
「菜花でよければあるから、こっちでよくない?」
「あら素敵。ちょっと昔のと違うみたいですけど、扱いは同じでよろしいのかしら?」
「少し茹で時間長くしたほうがいいかしらね、野生種だしこれ」
大人二人は仲良く相談している。昔からの友人同士らしき、気安い様子。これもあんま見ない光景だな、と少女は思う。
しゃきしゃきした、茎のやや長い青物を洗い終わったら、暫く休んでおいで、と台所から追い出された。
「ああ、悪かったわね。かーさんがどうしても巫女ちゃん連れて来いってうるさくって」
畳敷きの部屋に、龍の姫がだらっと腑抜けた様子で浮いている。彼女は基本、自分の物以外の物質に、あまり触れようとしない。
「まさか台所に連れていかれるとは思わなかったけど、まあこれはこれで練習にはなったし?」
ひと様より成長が遅い少女は、最近ようやっと包丁使いの練習が様になり始めたあたりだ。
「そう?ならいいけど。あとはお茶でも飲んで待ってればいいわ。巫女ちゃんの見た目だとまだ火は使わせてもらえなさそうだし」
「いえすその通りでーす……あとは火を使う作業しかないからって」
答えながら、部屋の片隅に積まれていた座布団を一枚敷いて、足を放り出すようにして座る少女。
「正座ってできる?」
ふと思いついた、というような質問。
「正座?膝まげて揃えて座るんだっけ。やったことないなあ。集落だと性別関係なく胡坐だし」
スカートぽく見えても、下はずぼんだからねえ、などと言いながら、試しに正座を試みる少女。
「できなくはないかなあ、長時間は多分無理だけど」
「そっかー、まあ着替えまで要求はされないことを祈ろっか」
はて、着替え?
そう首を傾げた少女に、龍の姫は答えを返さなかった。
夕方、そろそろ一番星の時間。
幸い着替えはしなくて済んだようだが、今度は料理を運ぶおしごとですよ、と、また手伝いに駆り出された少女であるが。
白いご飯に刻んだ野菜と焼いてほぐした鮭と茸を混ぜたものに、美しく飾り切りされた蓮根や人参、更に魚卵(擬き)や錦糸卵や角切りの厚焼き玉子や平たく開いて茹でた海老、茹でた菜花が彩りよく散りばめられたお皿。
大きな貝と芹の入った澄まし汁。
あとなぜか、千切りキャベツの添えられた、中くらいのエビフライ。なぜそこは天ぷらじゃないんだろう。
飾りつけ用だという、三色の餅を重ねてひし形に切ったもの。食べる用は同じ素材で、三色団子。
ここにきて、ようやっと少女がああ、という顔になった。
「あー……もしかして、ひなまつり?」
そんな季節だったのか、という驚き。
「そうよ、三月三日。女の子のお祝いの日ね。流石にお人形はないのだけれど」
そもそも、わたくしが知っているのは流しびなですしねえ、と、美女が微笑む。
さあさ、召し上がれ、というので、言われるままに箸をつける。
なるほど、ごはんは酢飯のばらちらし。してみると、澄まし汁の貝は蛤?
「海老天のほうがそれっぽいんだろうけど、今日はあたしがエビフライの口だった!」
シャキヤールが悪びれもせず言い放つ。まあ平常進行だ。
龍の姫は食事は摂らないそうだが、母君のほうは結構よく食べるほう、であるらしい。
招かれた少女も年齢の割に健啖家だ。シャキヤールは何故か澄まし汁の蛤を山盛りにしている。
「シャキヤさん、その山盛りはなに……?」
おそるおそる、貝の山を睨みつけているシャキヤールに訊ねる少女。
「嫌なのよ蛤。碌でもないことを思い出して。味は旨いから食うけど、なんかこう、だいなし感を出したくなっちゃうのよねえ」
不思議な返事だな、と思ったものの、表情からして、それ以上突っ込んだ質問はしなかった賢明な少女である。
今宵はひなまつり、白酒進上、女の子たちよ、すこやかであれ。
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