小話 幻羊の朱鳥

 そういやあ、最近レイクに会ってないな。

 あいつも嫁さん逝っちまって暇なんじゃないのか。


 ……ああ、そうだ、あいつは今、地上に居ないんだった。


 そんな風に、ふと思い出したのは、同族の、昔の呑み友達。

 遠い先祖を同じくする、よく似た名前の、私と同じ、いやもっと明るい赤毛の好漢。

 名前の前半が同じで、家庭内での略称がこれまた同じだったもんだから、お互い下半分の名前で呼ぼうか、などと提案したら、奴の名のほうがそうするにはちっと短くて。

 奴が調べ上げてきた、遡って遥か昔の共通の先祖、我々の名前の元になったらしい、ハルマン・レイクという男の名のほうから取って、レイクと呼ぶことにしたわけだが。



 奴の名はハルムレク、私の名はハルムヘレシュ。名を秘する集落の出ではあるが、流石にその習慣が放棄されて五年ばかり経てば、名を明かす事自体に抵抗はなくなった。

 どういった運命の元でか、集落まるごと、西方、今でいう中央平野諸国からこの東の地にやってきて、もうすっかり今では東の民のように過ごしている。

 何せ、どういう因果か、連邦国家として再編された東方連邦の初代元老院議長なんてものまでやったからな。

 いやまあ、元をただせば、今は幻羊の村と名乗っている、私の出身集落というのは、元々東から西に移転した民の末裔だというから、先祖まで遡れば、東の民には違いないのだがね。


 ああ、東に来た当時、話し言葉こそさして違わなかったが、文字が違うと教えられた時は、中々の衝撃だったな。

 しかも、東の民は子供の頃からほぼ皆読み書き計算を義務として習うと聞いて、更に驚いたものだ。

 まあ、西の文字に比べれば、随分と覚えやすかったので助かったが。

 今では東西を繋ぐ中央大街道のお陰で、陸路は随分交流も盛んになったものだから、東の文字のほうが馴染み深いものになってしまって、あの面倒な文字はもう読めないという者が、西にも相当数居るそうだ。私は西の本も無論まだ読めるがね。


 かつて集落の大東行を導き、私に文字が違うことを教え、気が付いたら居なくなっていた長老の養い子は、今はどうしているのやら。

 レイクの奴とやけに仲が良くて、ちょいちょい奴とは連絡を取ったり、会ったりしていたようなのだが。


 まあ、今の私には下手に近づかん方が良いだろうなあ。何せ、引退して十年以上は経つのに、いまだに半期に一回は刺客が来やがる。

 現役時代には、結構な重傷を負うこともあったが、毎度生きて戻ってやったら、いつの間にか幻羊の不死鳥とか言われるようになっていた。

 実際自分でも不思議なくらい、いつの間にか傷が治っているからなあ。何が起こっているのやら。

 時々、死にそうな目に合っている夢現に、誰かの声を聞いていたような気もするのだが、看護の者も警護の者も、そのような声は知らぬと言うし。


 しかし、若い頃に付けられ、後に鳥の名だと聞かされた綽名もそうだが、なんでこう、毎回私の綽名は鳥絡みなんだ?


 意図せずして飛び込んだ政治の世界は、案外と性に合ったようで、中々に楽しかったが、この短慮な刺客共ばかりは、どうにも宜しくないな。どいつの差し金なんだか。

 いや、だいたい知ってるがね。そんなことも知らずに議長なんてやってられるわけがない。


 レイクの奴にも結構物騒な輩が纏わりついていたりするが、あいつは普通に武人としても優秀だからなあ、私と違って。

 ただでさえ優秀な武官候補でもあったのに、何やら無茶な鍛錬を繰り返していたし。



 先祖返りという概念は知っていたが、自分がそれだなどとは、レイクに指摘されるまで、考えもしなかった。

 確かにまあ、なんか部下がどいつもこいつも老けるのがやけに早いな、とは思っていたんだが。

 部下が老けやすいんじゃなく、自分が極度に老けにくいだけだったというね。不覚だったな。


 齢九十を数えたところで、視力がおぼつかん、という言い訳で職を辞して、その後は只管物見遊山の旅に明け暮れた。

 書物だけでは知れない現地を、どうしても、知りたくなったのだ。

 若い頃、それこそ大東行の頃は、半日歩くのもやっとの体力のなさだったが、流石に反省したので、多少の旅はできるよう、最低限の鍛錬はしている。それに加えて先祖返りの、妙に頑丈で、老化の遅い身体。

 それがなければ、流石に九十も越えてから旅なぞ、無理だったろうな。


 海も何度か行った。あれはいいものだ。船は、宜しくなかったが。


 そんなこんなしてたら、すっかり百を超えてしまった。

 そうだ、旅の途中で、長老の養い子によく似た子供を見たことがあるな。金髪の、どこかで見た覚えのあるような、綺麗な長身の男と、楽しそうに屋台を巡っていたのを、遠目に見ただけだが。

 随分とよく似ていたが、流石に本人ではあるまい。あの子はこの間葬式を出した羊追いの長老と同じ世代だ。年が合わん。


 東での郷里で、幻羊の増加に多大なる貢献をした、その羊追いの長老の葬式に出たら、大叔父、まだ生きてたのかよ!って、私より老けて見えるようになった甥の子に言われた訳だがな。その数年前にお前の親父の葬式にも出たろうがよ。

 しかも、最近は新聞なんてものもあるんだし、私の議長勇退の記事くらい読んだんじゃないのかね?

 羊追いの長老の葬式には、幻理国の使者としてレイクも来ていた。挨拶をして、お互い随分白髪が増えたなあ、などという話をして別れた。

 こめかみに最初に白髪が出たのも、未だに半分近く元の赤毛が残っているのも、妙に似ているままだったな。



 そのレイクの奴は、まさかの海戦に引っ張り出されて、今は遥か南の海の上だ。

 確かに武人としての名声も大いにあるが、海の上でも有効なんだろうかね?

 調べた限り、大西方の技術は東方連邦からは二枚も三枚も落ちる、大洋航海はギリギリなんとか、といった風情だから、そう簡単に負けはすまいが。東方連邦の海軍は私が生まれる前から、既に大洋の長期間航海が可能な艦隊だったというからね。



 ああ、だが、奴の帰りは待てそうにないな。

 あれだけ刺客定期便に晒されていながら、死ぬのは寿命でとか、あんなものを雇うのにムダ金掛けた馬鹿ども、ざまあみろだ。

 いや、社会の暗部に金が流れるのは宜しくないんだがね、本当は。


 不死鳥の綽名は、いつの間にか朱鳥、と変わっていた。不死鳥なんて呼んでるから死なないんじゃないかとか、験を担ごうとした輩がいたらしい。馬鹿じゃねえのか。いやまあ刺客なんて前時代的な手段を好む上に、何度失敗しても繰り返す時点で馬鹿だったわ。

 大体あれだ、朱、つったら、私じゃなくてレイクの色だろうがよ。


 かつてやらかした馬鹿どもは、だいたいが私より先に、主に寿命で墓の下に送り込まれたはずだが、ああいう連中のほうが後継ぎには事欠かないらしい。面白くないことだ。


 若い頃、それこそ勉学に明け暮れていた小僧の頃に、糞兄のとばっちりで酷い目に遭って以来、どうにも女にはいい印象を持てずに、結局髭を伸ばす気もないまま、爺になっちまった。

 ……近付いてくる女は多いんだが、わざわざ私なぞに近付いてくる時点で、碌なのじゃなかったしな……


 まあレイクを見るに、先祖返りの時点で、嫁がいたとしても子を成すのは難しいことだったようだし、同じことか。

 遺言書の準備は万端だし、あとは有能な家宰が何とかしてくれるだろう。

 といっても、身寄りらしい身よりは甥の子とその家族位だし、あいつらが私の財産を求めることはないだろうしなあ。

 そもそもからして、私の資産なんて、あらかた書物になっちまってるからな。国の図書館と博物館に適当に寄贈してしまえばあとはこの家くらいしか残らんだろうさ。



 む、足音。刺客にしては、素人くさいそれだが、家内の者ではないな。

 布団で死ぬのもつまらん、と、書斎の長椅子で、読み終わった娯楽小説を片手にだらけていたわけだが、流石にもう、立ち上がる力がないな。

 まあ入り口は見える場所だ、この最期の時に見るのは、誰に



 いやいやいや、嘘、だろう?

 何故、今、ここに、その、姿で。


 いや、ああ、そうではない、これは、ひとならぬ。

 何と言うことか、この期に及んで、理解する為の、時間が、足りぬ。ああ!



 ―・―・―・―・―・―


 東方連合と称していた東方諸国を、現在の東方連邦に纏め上げたのは、多くの人々の努力もあってこそだが、その中心となったのは真朱の紅龍と綽名された優秀な軍人にして政治家でもあった真朱家西幻里のハルムレクと、幻羊の朱鳥と称された、文学研究者にして政治家、初代元老院議長ハルムヘレシュの二名である。

 二人は共に彩こそ違うが人ならざるとまで言われた特徴的な赤毛と、その行動力、そして長命で歴史に大きく名を遺した。


 ハルムヘレシュは、その遺言により、幻羊の村に葬られている。

 その資産はほぼ全てが書物であり、遺言では分割して国や博物館に寄贈される予定であったが、彼の晩年暮らした屋敷をまるごと歴史資料館として残すことになったため、散逸を免れた。

 中には彼自身が筆写した、いつしか希少な物になっていた西方文字の資料も数多く残っており、後世の学者の研究に役立てられている。

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