小話 セハールの朱鷺

 世界の全てが靄に覆われた日から一夜明けた朝。

 急報は、国境を監視していた斥候達の長から齎された。


「エルロムス側の防壁が一夜にして崩れ去り、跡形もございません。その先には一面、ただ一面の荒野が拡がるのみにございます」


 急報を受けたのはセハール連合の戴く当代の王、ランガルベック・セハール。

 起き抜けといっていい時間のはずだが、既に衣装は整えられ、何時でも会見に臨める、そのような姿をしている。


 彼は今年四十歳となったばかりの、壮年の王であるが、既にその金髪や髭は半分以上が白く変わっている。

 日々勢力を増し、近年では南部や東部の小国にまで手を伸ばし始めたエルロムスに手を焼いてきた、その積み重ねのせいであろうか。


 如何せん、彼等との戦はだいたいが防戦一方だ。

 何せ奴らは、エルロムスの兵は、死なない。……壊れはするが。


 それが、消え失せたという。


「調査は?」

 短い問い。


「斥候を二部隊出しておりますが、此処までの所、全く何もない、草一本生えぬ荒野が広がるばかりであるとしか」

 夜明けに発覚した異変とほぼ同時に、本来なら死地であるはずのエルロムスに二部隊を送り込んだ男は平然と答える。


 思えば、この男との付き合いも長い。この辺りではあまり見ない赤毛の長身。

 故郷は死を偽って捨て去ったという。真の名は知らぬ。ただ、イビスと呼ばれているその男。

 見るからにまだ歳若い彼は、斥候の長、という役職ではあるが、現王にとっては、実質軍師ともいえる立場の、表に出ることはない重鎮の一人だ。

 ただ、彼は出会った当初から、妙に老成したところがあった。そして、その時より今まで、これといって姿に変化がない。

 髭を生やさぬのは、仕事の内容故ではあろうが。


「そうか、なれば、最早何も見つかるまい」

 理由のない確信を持って、王は告げる。否、これは、この男の報告を信じるが故の、確信だ。


「如何にも。恐らく、最早、彼の地には何一つ、そう、遺跡すらございますまい。彼の『月』は、浄化の力を持っております故」

 こちらは、何らかの確信を持ってそう告げるイビス。


「浄化、であるか」

 興味を惹かれたように訊ねる王。


「然程強くはありませぬが、確かに彼の月が放つは浄化の光。まあ、実際に彼の地に手を下したものは、その月を創りし御方でありましょうが……」

 不思議な事を断言する斥候の長、イビス。

 斥候の長といいつつ、彼は知っていることの全てを王に話している訳ではない。

 そのくらいは王も知っている。そして、黙認している。彼は、嘘を言うことだけは、なかったからだ。


 そして、なんとなれば、王もまた、彼と同じ勢力から、似た命を受けてきた一族である故に。


「余の代で、大事が、永世の命が解かれるのであれば、それはそれで目出度きことよ。そなたも、永らく苦労を掛けた」

「いえいえ、まだまだでございますよ。この連合という、今の時代から見れば不自然な政体も、時代に合わせて変え、あるいは戻してゆかねばなりますまい。

 ……そう、東の果ての集落は、見つからなかったのでございましょう?」


 イビスが薄く笑いを浮かべながらそう答える。何やら、愉しそうではある。


「うむ。痕跡も見つかっておらぬと報告を受けた。かつて高名であった医師の子やら、氷壁傭兵団の生き残りがおるやら、噂ばかりが賑やかな集落であったようだが」

 半年ばかり前に届いた最終報告書を思い出しながら王は当時の所感を述べる。

 あるものを見つけるのは簡単だが、ないものをないと確信するのには時間がかかる。当初命を出してから三年かかったのは、致し方あるまい。


「なれば、そうですね、あと数年もすれば東の森を越えて使者が現れるでしょう。大西方はいざ知らず、この中央平原は変わることになりましょう。

 争うしか能のない輩は結構な数、エルロムスめが食い尽くし、残党はそこまでの勢力は最早得にくい。

 今のセハールはその状態では大きすぎます。連合をより緩やかにし、いずれ各国を再び独立させるか、新たな連合国家を築くか。

 ああ、高等学校……大学問院は残して頂きたいですな。うちの愚弟が喜びましょうから」


「ほう、そなた弟がいたのか。ああ、いや、昔聞いたな?」

 この男が自分に関わる話を漏らすとは、珍しい。王は思ったが、そうだ、初顔合わせの時に一度だけ、聞いているな。と思い出した。


「おや、覚えておいででしたか。ああ、傭兵団の生き残りは本当ですよ。歳の割に田舎住まいに似合わぬ屈強な男振りでございました。

 しかし、愚弟がこちらに居れば手伝わせたものを、勿体ないことをしました」

 見てきたかのように話すイビス。いや、実際に見たことが、あるのだろう。

 この男は、見ていないものを見たように話すことは、しない。


「そなたがそう申すなら、愚弟と呼びつつ、優秀なものだったのだな。

 ……それにしても、国の再編であるか。まあ、一朝一夕に終わるものではなし、我が名に悪名が付かぬ程度に、穏便に立ち回ろうさ」

 その結果、我が名が埋もれ消えゆくほうがむしろありがたいかな、と王は笑う。


「如何にも。ただ、一つ問題がございまして」

 改まった様子でイビスが切りだす。飄々としたところのあるこの男の、珍しい、実直で真面目な顔。


「む?なんだ、申してみよ。さしあたり政体に影響のない部分であれば、解決できるように致すが」

 ここまで自分を陰から支え続けた男に、王は鷹揚に頷く。


「いえ、こればかりは私事でございます故に、王のお力を以てしても、無理な話でして。


 ……エルロムスは無事滅びました故に、そこに紐づけられておった我が命運も、尽きたのでございます。

 僅かにご縁がありました、ある神の御寛恕により、辛うじてここまでは至りましたが……それもそろそろ、時間切れ。

 王よ、ランガルよ、陛下に仕えしこの数年は、大層楽しいものでございました。

 嘗ての神命により動きし我らでありますが、私、個人としての私の最大限の感謝と忠誠は、貴方ひとりの為に。

 ……では、これにて、御免仕る。お目汚し、ご無礼、ご、容赦、を……」


 言葉を重ねる男の姿が、輪郭が、ぼやけ、崩れていく。

 くしゃり、と、着ていた衣装が床に崩れ落ち、それもまた砕けて霞のように消えゆき。


「……汝の誠、受け取ったり」


 ただ一人その場に残されるも、動ずることなくそう呟いた王の眼に、一粒だけの、涙。



 ―・―・―・―・―・―


 セハール連合という国が、かつてあった。

 今は、国際学術機関である、セハール大学問院にのみ、その名を遺す。


 王は常に金の髪を持つものであったという伝承は、残っている。

 ひとならぬものを使って情報を得ていた、などという伝承も、残っている。

 だが、その側近に如何なるものが居たか、という話は、残っていない。

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