パラレル ― 異世界の鬼っ娘と繋がった俺

G.G

1-1 翔太とミクル


俺、望月翔太は今、病院のベッドに横たわっている。

末期の癌。

痛み止めで頭は朦朧もうろうとしているが、意識はある。

見舞客は元部下ばかりだな、とぼんやり考える。退職して半年なのに良く来てくれる。まあ、散々飲み食いさせたからな。会社の経費でだけど。そのせいか、俺は上役からは覚えがめでたくない。社長も専務も入院した日に一回来ただけ。その辺、確信犯だったから悔いは無い。

そもそも出世なんか全然眼中になかった俺だが、なぜか課長なんかになってしまった。接待費の枠だけ大幅に増えたからそれだけは役得だったけど。仕事は部下に丸投げ。ま、尻拭いくらいはしたんだけどね。重役出勤、定時退社。退社後の接待だけが仕事っちゃ仕事だった。

良いこともあるんだよ。部下は気兼ねなく定時退社できたから。


俺の一生って何だったかなぁ。

今度の手術でも完治は難しく、恐らく半年も保たないだろう、と告知されてから何度も考えた。


俺が生まれたのは地方の農家で、まあまあ豊かだった。

まだ過疎化は進んでなくて、子供の頃は近所の悪ガキ達と山や田んぼを駆けずり回ってた。小学校に上がった頃、二番目の兄貴が剣道を習いだして練習台にされたのが一番の悩みの種だった。小学生相手に容赦が無い。傷だらけの毎日だった。

中学校に上がる頃、三番目の姉が合気道を始めた。これでまた悩みの種が増えた。姉まで俺を練習台にしやがったのだ。兄貴に輪をかけて容赦が無かった。

それ以外にも悩みの種はあった。

年二回、農繁期というものがある。一家総出で田植え、稲刈りを手伝うのだ。末っ子で中学生の俺にとって地獄の思いだった。それは高校生になっても変わらない。

二番目の兄貴は俺が高校生の時、警察官になった。剣道の腕が買われたらしい。一つ目の悩みの種は無くなったが、姉は高校を出ても家の手伝いに残り、悩みの種は相変わらずだった。特に姉が失恋して半年ほどは本当にひどかった。受け身を受けきれず、左腕骨折。

大目玉食らった姉は少し大人しくなったが、ほんとに「少し」だったぞ。


とにかく、何としてもこの生活から逃れたかった。

勉強はまぁ、そこそこできた。小学校、中学校は特に勉強しなくても上位五番目くらいには入ってた。

高校はどこか都会の方に行きたかったけど、親が許してくれなかった。

よし!大学は東京かどこかへ行くぞ!

高校に入ってからは俺としては珍しく真剣に勉強した。親は大学に行かせるつもりは無かったようだが、国立を条件に許可が出た。授業料とか、全然違うものな。高校三年の頃には学年トップを取るまでになって、教師も熱心に親を説得してくれた。

大学は理系を選んだ。特にやりたい事は無かったが、卒業後、研究室みたいな所に入れれば楽そう。そんな軽い気持ちだった。専攻は生物学にした。機械や電気なんかには興味なかったけど、田舎の山や動植物には慣れ親しんでたので、何となく親近感があった。


そして念願の大学へ。地獄の毎日から解放されて初めて穏やかな生活を手に入れたんだ。アルバイトと仲間との馬鹿騒ぎ。元々、勉学が目的じゃ無かったので、授業はそこそこ。卒業時は平凡な成績だった。


就職は中堅商社の研究所だった。

俺はのんびり仕事をし・・・のんびりしすぎて研究所を追い出され、営業に回された。

営業のノルマは結構きつかったが、毎回ほぼすれすれで達成、無難に勤め上げる。大学で遊びまくったせいか、接待では結構受けが良く、何年かすると接待だけでノルマ達成。達成時点で手を抜きまくる。まあ、上に受けが良いわけが無い。

係長までは試験に受かるとなれるので、入社五年目で係長になった。手当がつくからね。

おっと、その前に、大学時代付き合ってた彼女と結婚した。大恋愛、って訳じゃ無いが何となくかな?結構仲良く、むふふな関係だと思っていたが、子供が出来て急変した。彼女が子供以外、目に入らなくなってしまったのだ。俺が毎日接待で夜遅くなってたのが悪いと今は思う。


そうこうしているうちに決定的な出来事が起きた。

例によってノルマ達成後、手抜きモードに入ったら課長が腹に据えかねたらしい。飲み会の席で俺に突っかかってきたのだ。つい、ほんとについだよ、合気道で投げ飛ばしてしまった・・・。俺の姉はどこまで祟るんだ?

二ヶ月後、俺にアフリカ行きの辞令が下りた。

内戦が始まってきな臭くなってた地域だ。俺の腕っ節が買われたって話だがほんとか?

そこで内戦が激しくなって撤退が決まるまでの三年を過ごした。最後の一年で三回ゲリラに襲われた。最初は死ぬかと思った。でも、慣れたのかな?最後には五、六人たたき伏せて仲間の危うい所を助ける事ができた。その後、撤退まで襲撃が無かったが、後で聞いた話では、俺たちの事務所に「ニンジャ」がいるという噂が立ったらしい。


日本に戻って平穏無事な・・と思っていたら、妻に恋人が出来てたのが発覚。すったもんだの末に離婚。子供は取られてしまった。ま、俺に子育ては無理だけど。慰謝料はこっちが欲しいくらいだったから、養育費は頑として出さなかった。子供も持ってったんだし、間男に面倒見て貰えよ。

と、一段落した所でまた問題。

商売敵がダンピング仕掛けてきて、売り上げ急低下。半年ほど攻防を繰り返したがらちがあかない。たまたま、キャバクラで商売敵の商売敵に巡り会った。お互い、意気投合して悪巧みをした。敵の敵は味方ってね。俺の商売敵は二正面作戦を強いられる事になった。一旦敵と見て戦を始めたら俺は容赦しない。商売敵はあっという間に赤字転落。株価は暴落。ついでにそこの株を空売りして一儲けというのはおまけ。敵は撤退、結果として売り上げは二倍以上になった。


で、何だか課長になってしまった。

部下丸投げはこの頃から始まった。そもそも俺は出世する気は無いし、部下は優秀で上昇志向が高い。御輿みこしに乗ってたら勝手に成績が上がる。悪い気はしないから部下には会社の経費で飲ませ食わせる。そんなこんなで何年かしたら、俺の下から部長が一人、課長が三人。

はいはい、おめでとう、どうぞ行っちゃって下さい。そしたら俺の課は出世コースと評判になったらしい。重役会での俺の評判は散々だったけど、腕の立つ部下が増えて何もしなくても業績アップ。

それから何年か気楽にやってたら、サボりまくってた健康診断で癌がみつかった。既に相当進行していて、一旦手術したが転移していて悪化。俺は覚悟を決めて退職、一応再手術を試みることになった。


「望月さん、これから麻酔かけます」

手術は二回目だから要領は分かってる。

麻酔がかかるとストンと意識がなくなり、気が付くと手術は終わってる。そんなもんだ。

おれは手術台に横たわってぼんやりと待ちながら考える。

特に趣味は無いし、なりたいものも無い。本気になったことも無い。

そんなもんだ。課長まで行けたのも俺の力じゃ無い。ただ運が良かっただけだ。

美味いもの食って美味い酒を飲み、楽しく騒げばまあまあ楽しい。

可もなく不可もなくこのまま死んでもそう悪くは無い。

うーん、でもなんか俺の人生って気の抜けたビールみたいじゃないか?

ちょっと不満が残るっちゃ残るな。

万が一、助かったらどうしよう?何をしよう?

今まで通りに生きていくのか?


意識が落ちる。


**********************


そこは薄暗い部屋。壁は粗く組み合わさった丸太で、天井は木の枝で組み上げられた船底型。束になった芦の細い線条が間から覗く。

床は土間。そこに大柄の男が倒れている。顔は血で覆われ、頭の下に血だまりを作っている。入り口から近づいてくる男は毛皮をまとい、兜のようなものを被っているが、逆光で顔は見えない。片手に血のしたたる剣を持ち、もう片方の手を伸ばしてくる。

恐怖で胸が張り裂けそうになる。口を覆った手に歯の震えが伝わる。

――ちょっと待て?これは夢か?

男の手が口元の小さな手を乱暴に掴む。可愛い悲鳴が漏れる。

――これは俺か?麻酔中に夢なんか見るか?・・・それに痛い!

「手を貸せ、このガキ、チビのくせに凄い力だ」

「子供でも鬼人だけあるってか」

二人がかりで後ろ手に縛られる。手首にぎりっと縄目を感じる。

突き飛ばされるように表に連れ出されると、辺りに血だらけの体が散乱しているのが目に入る。

「本当に井戸に毒を入れたのか?こいつら強すぎる。半分はやられたぜ」

「ああ、間違いない。毒が効いてなきゃ反対に俺たち全滅してたさ」

「生き残ってる大人はみんなとどめを刺せ。子供は捕まえろ」

それはすぐに涙でぼやける。

恐ろしさと悲しさで声も出ない。

――なんてこった・・これは悪夢か・・

頭に鈍痛を感じると、意識が薄れる。


気が付いたとき、まず、木の格子が目に入る。頭が混濁して様子がよく分からない。縛られて横向きに転がされているのに気が付いたのはしばらくしてから。

「食えよ。おまえ、三日も食ってねえぞ」

目の前に黒い団子状のものが突き出される。顔を上げるともじゃもじゃ頭の少年と覚しき無表情の顔が目に入る。突然、猛烈な空腹感に襲われ、夢中で団子状のものに食らいつく。

まずい・・けど、食べたい・・

――これは何だ?嫌にリアルな感触。悪夢の続きか?

「俺はハタ。お前の名前は?」

「ミクル」するっと口から出る。

「お前、鬼人族だな。暴れるなよ。封印されてるから無駄だけどな」

「封印?」

「これだよ」

ハタが前頭に手を伸ばすとシャリンと音がして妙な違和感を覚える。

「お前が下手に騒ぐと俺が罰を食らう。お前はもっとひどいことになるけどよ。

何も分からないようだから、俺の言うことを聞いておけ。生きていたけりゃな」

どういう意味か考えようとしても、頭に霞がかかったようでうまく纏まらない。

「手、ほどいて・・」

「そりゃダメだ。主人が良いと言うまでそのまま我慢しろ。餌は俺が食わせてやる」

そのまま何日かが過ぎる。何日かは分からない。日の射さない格子の中。

言葉通り、ハタは水と食べ物をくれる。

他にも何人か居るようだが、やはり拘束されているのだろうか。

近寄ったり話しかけて来るものは居ない。

不思議な霞がかかったような気だるい感覚のまま日を過ごす。

――ああ・・痛み止めの感覚に似てるな。やっぱり夢か?

――それにしても感覚が生々しすぎる・・


突然、格子が動く。何人かの男達が入ってきて引き出される。

そこは大勢の人の前にひときわ高く組み上げられた台の上。

「さて、まずはこの奴隷。この体格、すぐにお役にたちます。競りは塩袋50から!」

台の上に並ばされた虜囚の中から一人が前に立つ。

群衆から声が立つ。競りの価格らしい。

「60!」「70!」

自分の番らしく、前に引き出される。

「さて、これは珍しい鬼人の子供。もちろん封印は済ませてありますぜ!

子供でも大人二人がかりで手こずった相手。これから育てば力は未知数。

絶対お買い得の塩袋30!」

声が上がる。最後に商人マクセンが60で競り落とす。

ハタも同じ商人に買われた。


僅かに空が白み始めると旅の一日が始まる。

たき火に水の入った壺を差し込み、湯を沸かし、木の実の団子を投げ入れる。

前の夜に獲物が捕れていれば焼き肉、無ければ干し肉を火にかざす。

調味していない食べ物は決して美味くはないが、空腹は満たされる。

食事が終わるとヌーと呼ばれる大きな動物の背に山のように荷物を載せる。

十人程の奴隷がそれぞれの荷物を担ぐ。剣と槍を持った十人ほどは荷物を持たない。

剣は鉄製だが、槍の穂先は磨いた石のように見える。体に竹を繋いだ胴巻きを着け、肩にも竹で編んだ肩当てを下げている。足には藁で編んだ膝まである靴を履く。

奴隷には履き物は無く、木の皮を足に巻き、粗い縄で縛る。

着るものはゴワゴワした布に開いた穴に頭を通し、縄で腰や胸を縛る。

途中、何度か休憩を入れながら日が傾くまで隊列は進む。道らしい道は無い。

行程は森だったり、荒れ地だったりぬかるむ湿地帯だったりする。

夕方、野宿の場所を決めるとたき火を用意するもの、水やたき火用の枝を集めるものに別れて散る。

剣と槍を持った者は獲物を求めて森へ入る。

やがてたき火から美味そうな匂いが立ち上り、空腹で目が廻りそうな口内に唾がたまる。

食べ終わるとたき火の明かりの下でハタが読み書きと算法を教えてくれる。

これは最初の日にマクセンから言い渡された事。ハタには教養があるらしい。

やがて睡魔が襲ってきて一日が終わる。


こんな毎日が続くうち、集落が見えてくる。

数人がキャラバンを出迎え、マクセンとやり取りが始まる。

ハタは一番読み書き算法ができるので、マクセンの傍らで木片に取引内容を記録する。

取引がまとまると、奴隷達がハタの指示に従ってヌーから荷物を下ろし、また集落から引き渡された荷物をヌーに積み込む。

――物々交換か。貨幣は一般的じゃないんだな


ゆっくりと日々が流れていく。

汗ばむような強い日差しはいつしか涼しく頬を撫でるようになり、森森が紅葉に色づく。

やがて寒風に白い物が混じるようになり、木の皮に包まれた足指が霜焼けで赤く腫れる。

明け方、冷たくなって目が覚めない者も出てくる。冬は過酷。

それでも寒さは和らぎ、雪の間から花が顔を出し、一面を覆うようになる。

そしてまた汗ばむ季節が来る。

季節が巡るうち、大きな大人の後に付いていくのが必死だったのが、いつの間にか同じ目線で余裕を持って肩を並べるようになる。もうハタから学ぶ事はなくなり、時々マクセンの傍らに立つまでになった。

旅には危険が付きまとう。

何度も盗賊や森の野獣に襲われるが、あるとき。

向かってきた盗賊を背中の荷物で振り払う。すると、その盗賊が吹き飛んだ。

「さすがに鬼娘だな。とんでもねえ馬鹿力だ」

その夜、焚き火を囲んで談笑中に護衛隊の一人が感心して言う。

「戦力は一人でも多い方がいいな。その娘っこに剣を教えるか?」

「逆らうようになったら不味いんじゃ・・」

「大丈夫、こいつ封印されてるから逆らえないよ」

その日から毎夜、ハタの授業の代わりに剣の練習をすることになった。盗賊や野獣の襲撃には護衛と一緒に肩を並べて戦う。いつの間にか、肉の優先順位は護衛達と同じになり、新しい編み靴も与えられた。

――夢にしても長いな。何年経ったのかな・・・


旅は色々な知識を与えてくれる。

商人の旅は大陸オーグの辺境、シムリと呼ばれる地域。巨大な山脈から海に向かって広がる大地には山からの湧き水を源流に数知れない川が流れる。大半はびっしりと大地を埋める森林。

人々は森を切り開き、平地に種を蒔いて穀物を育てる。森は十分に広く、人々は少ない。十数軒から数十軒で集落を作り、森の野獣や盗賊の来襲から身を守るためほりで囲む。

森には木の実や果物が豊富で飢える事は無い。ただ危険な野獣は居るので用心は欠かせない。

集落により様々な工作物が作られる。ある集落はきれいに磨いた石器が得意だったりある集落は麻布、別の集落は木工品だったりする。

南には海があり、体にうろこの生えた水棲人が住む。手足の指には水かきの膜がある。水中では鰓で呼吸し、脇の下の切れ目から水を出す。陸上では肺で呼吸し言葉も話す。主に魚介を採取し、干物にしたものや乾燥昆布が交換物になる。彼らが必要とするのは漁に必要な網や銛と衣服に使う布。


マクセンのような商人達はこうした集落を順に訪れ、必要な物を交換していく。

交換にふさわしい物が無いときは塩が用いられる。塩はこの世界では貴重品だ。山脈の中腹に岩塩の洞窟があり、その周辺の集落が岩塩の採取を行っている。

鉄を製造している集落は特殊だ。山脈のふもと近くに砂鉄の鉱床があり、砂鉄を抽出、精錬する設備を持っている。精錬のための炭も山の木材を利用して作る。炭自体も他で需要があるため、ふもと一帯は炭焼きを行う集落が集まっている。

この地帯で特徴的なのは火と土を司る神トカラを祭る神殿があることだ。神殿を中心に、この地方では珍しく大きな集落がいくつもある。トカラ神殿はシムリには一つしか無い。


水と風を司るルシュ神殿と生と死を司るニーヴァ神殿はシムリ地方では複数散在している。概ねどの集落からも二日~四日の距離にある。

神殿と言っても三層の木造のやぐらを中心に回廊で繋がった板張りの部屋が取り囲む。正面の広場を除いた部分が居住のための集落や倉庫で、三方を取り囲む。集落と広場は環濠かんごうで囲まれていて、広場方向には大きな橋がかかっている。いずれも規模は違うが造りは同じだ。


長い旅はそんなルシュ神殿の一つで終わった。


マクセンが神官と奉納と取引の打ち合わせを始めた時、一人の巫女が近づいてくる。

巫女や神官の装束は貫頭衣と異なり、袖のある前合わせの上着にを腰に巻いている。上着は上等の布らしく純白で、巫女の裳は鮮やかな鮮紅色、神官のは濃い群青で、一目でそれと分かる。いずれも綺麗な刺繍が入ったローブを肩に掛けている。

その巫女がじっと目を覗き込む。

「神ルシュがこの娘を所望です」巫女が打ち合わせ中の神官に振り向いて声をかける。後ろに束ねた髪が流れるようにたなびく。

マクセンと神官はびっくりしたような顔で目を合わせる。

「え・・これはただの奴隷でして・・」マクセンが手を振りながら答える。

「なら、適正な対価で引き取りましょう。奉納でも構いません」

「巫女アムネ、このような奴隷娘を何と・・・」神官が慌てて止めようとする。

「神ルシュの思し召しに逆らうか?神官ごときに神の何が分かる!」巫女が鋭く叱責する。

ひるんだ神官とマクセンの間でひそひそと相談が始まる。

「娘よ。心配は要らない。そうね、親しい者達に別れを言ってきなさい」優しく巫女がささやく。

やり取りを聞いていたハタや護衛達が集まってくる。

「あたしを置いてっちゃうの?」思わず心細そうな声が漏れる。

何年も一緒に苦楽を共にした仲間達。別れるなんて信じられない。

「俺たちは奴隷だからな。主人からこうしろと言われれば逆らえないよ」ハタが元気なく言う。

「何と言っても神殿だからな。旅のように危険は無いし仕事も楽だろうよ」護衛の一人が元気づけてくれる。

「ここにはこれからも来るし、何度でも会えるよ」別の一人が声をかける。

胸に何かが込み上げてきたと思うと涙が流れて止まらなくなった。気が付いたらハタの胸に顔を埋めて泣きじゃくっている。背中に廻ったハタの手が軽く叩いている。

取引の条件が決まったらしく、奴隷達が荷物を運び始める。その間も涙は止まらない。

荷物を運び終わるとマクセンが近寄って頭に手をやる。

「お前は気にいっていたから手放したくないが、神のご意志ではな」

ため息をつくと、肩を掴んで巫女へ押しやる。

「元気でな」マクセンが後ろ手を上げて立ち去っていく。


「こちらへ来なさい」巫女が後ろに付いてくるよう促す。

巫女は回廊への階段を上り、一室の御簾みすを引き上げて中へ入る。平らな白木の壁。天井も同じように平らな板で組まれている。床は半分板張りでその奥に土間があり、大きなかめがしつらえてある。一人の貫頭衣の少女がかめに熱した石を投げ込みながら湯加減を見ている。

「それを脱いで体を清めなさい」そう言って部屋を出て行く巫女。

少女に服を脱がされ裸になる。体は埃と垢でまだらに黒ずんでいる。

そう言えば最後に水浴びしたのはいつだったろう?少女は近くの瓶から何やら液をすくい取り、頭に塗ってくれ何度も指でこする。別のかめから壺で湯をすくい取り、頭にかける。ぬるぬるした液が洗い流され、さらさらした手触りになる。生まれて初めて感じる気持ち良さでうっとりする。

体も同じように藁束わらたばで擦りながら湯をかけていく。薄桜色の肌を伝って水滴がこぼれ落ちる。泥や土埃の無い素肌ってこんな色?ちょっとびっくり。

少女が布で肌に付いた水を拭き取ると、部屋の端にある棚から着物を取り出して着せる。これは貫頭衣ではなく、袖を通し、前で合わせて紐で縛る着物式。下半身は大きな模様の付いた布を巻き、やはり紐で縛る。

「似合ってますよ」少女は初めて口をきいてにっこり笑う。

その後、隣の部屋に案内され、待っていた巫女と向かい合う。

「ふふ、化けるものね、綺麗ですよ」巫女が意外という表情で微笑む。

「私は巫女アムネ。神ルシュの依り代。あなたの名は?」

「ミクル」

「よろしい、ミクル。あなたはこれから神ルシュに体を捧げる事になります」

「あたし、死ぬの?」また恐怖が込み上げる。

「いいえ。魂の依り代として生きるのです。私は神の依り代、似たようなものです。怖くはありませんよ」巫女はにっこり笑って言う。

「魂?」

「神ルシュの選んだ魂をあなたに憑依させます。あなたはその魂と共に生きるのです」

「・・よく分かりません。なんであたしが?奴隷だから?」

「あなたが “強き者” だからですよ。今は封じられているのでその強さを出せませんが」

巫女は傍らにある壺を取り上げ、額の角にかけてある鎖に中身を振りかける。

「しばらくあなたは眠ります。目が覚めたとき、封印は解かれ、“強き者” として神の選んだ魂と共にあるでしょう」

意識が少しずつ薄れていく。まぶたが下がり、やがて――


**********************

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