5-1 覇者への備え


更に五年が経過した。


“狩る者達”の侵入はその後三回あったが最初と同じ結果に終わった。

ここ三年侵入はなく、少なくとも山側の“狩る者達”は壊滅したんじゃないかと思う。

山向こうからの引き揚げと降伏した“狩る者達”のため、シムリ地方は変わらざるを得なかった。急激に増加した人口を養うため、ミクルの里の農法は神殿主導で各集落に伝えられた。

当初、神殿の備蓄で辛うじて支えられていた食料などは、従来の農法では三年で底を突いたと思う。

実際、三年目には神殿の備蓄は空になりかけた。でも、翌年、集落はほとんど全部が自給、今では収穫時、神殿に返納できるまでになっている。

トカラ神殿の新集落ができるまで道具が不足して混乱があった。でも、新集落が動き出すと刃先が鉄製のくわすきが大量に出回り、千把扱せんばこきがほとんど全集落に行き渡った。トカラ神殿のシンビラーは実に有能で、アルタラと協力して手工業ながらこうした工具の量産体勢を整えたんだ。

ちなみに、巫女シラは神トカラを籠絡ろうらく(?)して、温泉を噴き出させた。おかげでトカラ神殿に行ったときはたっぷり温泉に浸れた。下水も整って環境は様変わりしてる。

でもアルタラを引きつけるにはまだまだだけどね。

ニーヴァ神殿は元“狩る者達”全てを傭兵として雇うのが困難だったため、一定地域を家畜飼育訓練所に割り当てた。シムリの東端、川が少なく広い範囲で集落がない領域だ。そこは起伏が激しく耕作には手がかかるので手つかずになってる。獲物自体は豊富でしばらくは保つと思う。その間に家畜飼育を習得してくれれば良い。出来なきゃ死ぬよ。

最初に侵入してきた一団はミクルの里近くの訓練場で飼育を習得し、徐々に家畜を殖やして今では自給目前までたどり着いている。ここからは他の訓練所への指導に出向く者も現れた。


あたしおれはもう探索に出ることはなく、ハタの傍らで俺の世界の情報を記録し続けた。もう七十冊になる。

実用的な情報だけではなくフィクションも写した。子供達向けの童話やイソップの寓話、ラノベ等。

小説はこちらの世界と背景が異なり、理解が難しいので対象は限られたけど。

この本は読み書きが達者で字が綺麗なリヨとカズラに写本をさせ、専用の棟を設けて里の皆には閲覧自由にした。リヨとカズラは最初に移住してきた少女(もう大人だけど)のうちの二人。

あの十人は本当に逸材揃いだわ。

ミクルの里の人口は二百五十人に達したけどここ二年ほどは移住を制限してる。

最初に移住してきた少年少女達も配偶者を迎え、子供も次々に生まれている。あたしだけまだだけど。

それでもあたしおれはやっと少女っぽい面影が消え、誰からも一人前の女性として見られるようになった。

やはり鬼人の成長は人族よりゆっくりしているらしい。


ミクルの里に限っては極めて順調に推移している。

ムーとすきの導入、千把扱せんばこき、籾摺もみすりり器の使用で農作業に当てる人数はこの地方の半分以下。種籾たねもみの選別で収量も増え続けてる。余裕の出た人員を藻塩、砂糖、醤油、蒸留酒、紙、油の製造に振り分け、家畜の飼育にも当てた。製造は他の集落で作れない物に絞っているため交換条件はとても良い。

海産物は水棲人が受け持ってくれてる。魚や貝、海藻などの干物も交換条件が良い。水棲人達は温泉と山の幸で満足してくれている。

教育は人員の余裕がないと難しいけど現状のミクルの里では全然問題ない。最近では水棲人も希望者には教え始めた。他の集落からの希望者も引き続き受け入れている。

里の八才以上の識字率は百%を維持している。実はこれが意欲と生産性を高める秘訣なんだ。


他の集落でも収量増加と労力の余裕は糸や道具、酒などの生産量を増やし、生活の豊かさを支えている。

あたしおれたちは麻の貫頭衣はやめ、全員木綿の着物を着るようになった。冬は重ね着して寒さを凌ぐ。これも綿糸を生産している集落から潤沢に糸の取引が出来るようになったおかげ。品質も上がった。

綿を栽培してる集落でも綿の生産量が上がったので、綿入りの布団を使えるようになった。これは里から人を出して品種改良や栽培方法の改善を計った結果なんだ。

もちろん、まだまだ問題はあるよ。

集落が広い範囲で点在するため、交易に手間と時間がかかること。

道路がないため車などを作っても意味が無い。仮に道路を引くとしたら森林の間を膨大な手間をかけて開墾する必要がある。と言って集落の間隔を狭めると森の機能が損なわれ、豊かな森の恵みを受けられなくなってしまう。

あたしおれ達の世界では飛躍的にではなく少しずつ向上するのが一番良いみたいだ。

おそらく神ルシュや神トカラが示唆している事でもあると思う。

交易の改善にはムーの活用という手段を選んだ。

巨体のムーは俺の世界の小型トラック並みの荷物を背負える。森の中ではこれが一番なんだ。

マクセンが使ってたけどどの集落でも使えるんだから。あれからあたしおれたちは山脈の向こうの平原から延べ数百頭のムーを物々交換してきた。これで交易ももっと楽に活発になる。

とは言え、この世界で無理に貨幣経済まで導入する必要はないよね。代替えの塩もあるし。


全てが良い方向に向かってると思いたいんだけど、不安要因はニーヴァ神殿。

あそこは絶対何か隠している。

と言っておろそかにできる相手じゃない。

バースコントロール、奴隷の封印、病気の治癒などこの地方では欠かせない存在だ。

森の獲物達の増減にも関わっているらしい。山向こうの獲物の減少は奥地の森林大火災が原因になっていて、さすがの神ニーヴァも手こずってると見える。生物を作り出せる訳じゃないからね。

それでもシムリの森で家畜飼育訓練中の“狩る者達”が狩りをしていても獲物が枯渇しないのは神ニーヴァのおかげらしい。神ルシュの天候コントロールで森が豊かというのもあるけど。


異変の兆しは意外にもカガンから伝えられた。

あれからもカガンは半年に一度、ミクルの里を訪れては飲食と温泉を満喫していた。名目は家畜化の進捗確認とか言ってたけど、ただ飯にありつこうという魂胆見え見え。まあ、良いけどね。

それが二年前からぱったり来なくなった。

ニーヴァ神殿を通して連絡を取ろうとしたがダメだった。理由を聞いたけど例によって要領を得ない。

それだけの理由でまた奥地へ行くのも面倒だし、俺の世界の記録を中断したくなかった。


ある日、外が騒がしいので覗いてみたらカガンがふらふら歩いてくるのが見えた。

「よう」

口調は相変わらずだけど、その姿はズタボロ。あちこち血だらけ傷だらけ。

「どうしたのですか、その格好!」あたしおれより早く、側に居たアムネさんが叫んだ。

そのまま飛び出し、カガンの腕を掴んで治療棟へ引きずっていく。

おろ?なんか意外。手を握られておろおろしてたの、誰だっけ。

あたしおれがハタの着物を抱えて治療棟に行くと、上半身を脱がせて湯冷ましで傷を洗っていた。

「アムネちゃん、どうなってるの?」カガンがあたしおれに耳打ちしたけど知らないわよ。

治療棟には非常時に備えて常に新しい煮沸済みの湯冷ましを用意してある。この棟は竪穴ではなく、水が流せるように岩とモルタルの水平床。煮沸消毒済みの布、傷口に塗る蜜蝋クリーム、薬草なども常備。

農事や狩猟では結構負傷する者が多いので、いつでも直ぐ手当できるようにしているわけ。

「それより説明してよ。どうしてこんなになっちゃうわけ?カガンのくせに」

「鬼人二人相手にすりゃ、俺だってこうなるさ」

「鬼人!二人?」驚天動地ってこういう事!

「多分、ミクルと同じだな。さらわれて奴隷にされてたんだろ。服従の呪がかかってた」

「どうして今になって?」

「分からねえ。二年前、ニーヴァ神殿が襲われた。その時何とか逃げ出してあちこち隠れていたんだが、とうとうあいつらに見つかっちまった。何とか振り切ったがこのざまさ」

「ニーヴァ神殿が襲われた?“狩る者達”に?」

「それがよ、おかしいんだ。襲って来たのは神官と巫女だぜ。鬼人二人はそいつらと一緒だった。奴らは元いた神官と巫女を殺して居座ったらしい。」

「うそ・・そんなこと出来るの?」

「だからシムリに来たとき、ニーヴァ神殿は避けたんだ。どうもうさんくせえからな」

「鬼人二人はその神殿に居るの?」

「ああ。だが、行くなんて言い出すなよ。あっちはマジやべえ」

「行かないわよ。それより他に知ってること教えて」

「それじゃ何か食わせてくれ。まともに食ってねえんだ。あ、酒もな」

こいつめ。相変わらず図々しい。


食事の支度が出来ると、マクセンとハタも呼んだ。あれ、アムネさん、ちゃっかり参加してるよ。

ショータの意識もこっちに移して貰う。

「山向こうの争いは落ち着いたの?」

「ああ。結局、家畜を飼えない奴らは全滅したみたいだな。飢え死にしたか、家畜を襲って返り討ちに遭ったか、野獣に食われたか。どっかの奴隷になったか。今のところ、大きな争いはねえ」

「すると、“狩る者達”の襲来は無くなったと考えて良い?」マクセンが確かめる。

「うーん、そんなに単純にいくかなあ。“覇者”って奴の動きが気になるんだよ」

「“覇者”?」

「俺は逃げたとき、あちこちの部族にかくまって貰ったんだ。俺は家畜に詳しいんで、引き換えさ。そこに“覇者”の使者ってのが来たんだ。用件は早い話、“覇者”に従えって事さ。使者を追い返すとえらい数で襲って来た。最初のとこはあっという間に全滅だよ。俺は辛うじて逃げ出した。次の所も似たようなもんだ。最後の所は要求を飲んで俺をチクりやがった。で、このざまさ」

「“覇者”の狙いは何でしょうね」ハタが誰にともなく聞いた。

あたしおれは俺の記憶から何となく見当がついた。このやり方はこの世界の物じゃない。

これは秦野先生に繋がった誰かだ。それが“覇者”。“覇者”の下に部族統一をしようとしている。

ここには支配者というこの世界にはない概念が透けて見える。

「とても危険ね。他に気づいたことはない?」あたしおれははカガンに話を促す。

「奴らの戦い方なんだがな。数だけじゃねえ。不思議な武器を使う。部族によっては負けっぱなしじゃねえ。

結構攻め込んだ事もあるんだ。すると奴ら妙な矢を射てきて、それが破裂して凄い光と煙を出すんだよ。その後は怪我人だらけ。総崩れさ」

破裂?光?煙?まさか火薬?この世界に火薬を持ちこんだっての?

「神トカラの加勢がある?」アムネさんがつぶやく。

「それはないでしょ。他に心当たりはある。弱点もあるけど、条件次第ね」

多分黒色火薬だろうけど、水に弱い。鉄砲じゃないのが救いだわ。そこまでのテクはここには無いけど。

俺だったらそんな物この世界に持ってこない。絶対無用の長物だ。

「おい!分かった顔してるけど、あれマジで怖えーぞ」カガンが勢い込んで言う。

「それがあの武器の最大の狙いなの。殺傷力はそれほど無いはずよ」

「神使ミクル様は何かご存じなので?」マクセンが聞く。

「心当たりって言ったでしょ?確実じゃない。それより“覇者”がシムリを狙うかどうかだわ」

沈黙が続く。

皆分かってるんだ。

“覇者”は来る。遠からず。

今度はただ事では済まない、とあたしおれは直感した。

恐らく山際の防衛線は破られるだろう。森に退いての遊撃戦は避けられない。

しかし森で火薬を使われると森林火災の恐れがある。それだけは防がなくちゃいけない。

「ねえ、アムネさん、森が火事になったとき、雨で火を消せるかしら」

「余程の大火事でない限り消せますよ。でも川があふれたり多少の被害は出るでしょうね」

「無傷とはいかないか」腹をくくるしかない。

でもミクルの里だけは何としても守ってみせる。


とりあえずはカガンの情報を巫女アムネを通じてルシュ神殿に伝えた。

それから数日、ルシュ神殿からの反応を待つ。遅い。何だか変だ。

巫女アムネに問い合わせして貰う。

「ニーヴァ神殿に会合を呼びかけたんですが返事が来ないそうです」

ニーヴァ神殿か。やはりこいつが問題だ。

あたしおれは出向くことにした。カガンの怪我はまだ治っていないけど普通に動くには差し支えないというので一緒に行くことにする。アムネさんは例によって付いてくる。出かけるのは本当に久しぶりなので結構嬉しそう。

まずはルシュ神殿に寄る。祭司長とアガムキノに状況を確かめたい。

「使いを何度もやったのですが返事を貰えんのですよ」祭司長が首を傾げる。

「アガムキノはニーヴァ神殿の様子に変な所、感じなかった?」

「うーん。俺が最近行った限りでは普段と変わりは無いように思ったんだが。ただ、大分前から巫女と顔を合わせてないな。神官とは依頼を受けるとき会ってる。ま、それが普通なんだがな」

「トカラ神殿は参加してくれるのかしら、祭司長」

「巫女を一人よこすと言ってます。ただ、こういう会合はニーヴァ神殿で行う習慣なので・・」

「ニーヴァ神殿を確かめてからだけど、最悪ルシュ神殿で会合する場合も考えておいた方が良いわね。アガムキノ、傭兵隊の隊長だけ集める事ってできる?」

「うーん、全員は無理だが主立った奴らは呼べると思う」

「良いわ。解った。とりあえずはニーヴァ神殿に行ってみる。巫女に会えれば何か解るかも」


アガムキノの言うとおりニーヴァ神殿に入っても特に変わった所は見られなかった。

いつも通りの賑わいだ。人々はあたしおれ達三人を見ると皆一様に驚き、好奇の視線を送ってくる。

まあ、そうよね。鬼人が二人。しかも一人は巫女装束、もう一人はニーヴァ神官服。さらにルシュ神殿の巫女が付いている。いかにもただ事ではなさそうだ。

神殿の奥に通されると神官が一人控えていた。顔がこわばっている。

「巫女のお姿が見当たらないようですが?」アムネさんが聞く。

「当殿の事情で手が足りません。失礼の段はご容赦いただきたく、ご用の旨は私が賜ります」

「ルシュ神殿から会合開催のお願いがあった筈ですが、お返事を頂いておりません」

「その件につきましては私の差配ではありませんので何とも申しかねます」

「ではそちらの差配の方とお目通りお願いします」アムネさん、たたみかける。

「いや、それは、当殿の事情で致しかねまする。どうかご容赦を」

神官は脂汗を流している。こいつ、貧乏くじ引かされたな。

「山向こうのニーヴァ神殿で聞きたい事があるんだが」カガンが口を挟む。

「それについては何も知らされておりませんで」どうしてもうやむやに終わらせたいらしい。

あたしおれはちょっと作戦を考えついた。二人を制して

「まあ、それは良いわ。ひとつ依頼があるの。前にも何度も来て貰ったけど、封印の儀に巫女を一人よこして欲しいの。こういう時だから報酬は弾むわよ。砂糖、藻塩、蒸留酒、油。もうムーに積んである」

「さ、砂糖?藻塩?・・」神官の顎ががくんと下がった。

「でも神使の依頼をないがしろにするとどうなると思う?」

あたしおれは風を操って二つの真空の渦を作り、神官の両袖にぶつける。鎌鼬かまいたちだ。

両袖はきれいに切れて宙に舞い上がる。神官は驚きと恐怖のあまり後じさりして後ろの壁にぶつかった。

「さあ、依頼を聞いてくれる?それともあなたのせいでこの神殿がズッタズタになっても良い?」

「おっ、おっ、お待ちを!」神官はへっぴり腰で部屋を飛び出した。

「おめえ、たいがいあくどいな」カガンがあきれ顔する。

「あら、お優しいですわよ。頭飛びませんでしたから」アムネさん、すまし顔。

程なく御簾みすが上がって巫女シンロイが顔を見せた。最初に里に来た頃の少女の顔がすっかり大人びている。

「ご無沙汰をしております。ミクル様、アムネ様、カガン様」胸で腕を交差させる挨拶をする。

「おー、いい女になったな、シンロイ」

「失礼でしょ」アムネさん、カガンの頭を引っぱたく。

「お久しぶり、シンロイ。また貴女に来て貰うわ」あたしおれは笑いながら手を上げる。

「はい。ミクル様のお言いつけには全て従うように言いつかっております。でないと何かおいたをなさるんでしょ?」シンロイ、ペロッと舌を出す。ふふ、解ってるじゃない。

「ははあ、貴女も何か言ったのね?あたし、何だと思われたんだろ?ま、良いわ。これからあたし達と一緒に里まで来てくれる?」

「はい、もちろんですとも。しばしお待ちを。支度をして参ります」

シンロイが御簾みすの向こうに消えた後、おーんせん、おーんせん、とか歌ってるの聞こえたな。

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