1-2 神ルシュと巫女アムネ
徐々に俺の意識が戻ってくる。
(・・ん?えらく長い夢を見ていたような・・)
痛み止めの意識の混濁感はなく、妙にすっきりした気分だ。
目を開けると視界に木の梁と板目の天井が入ってくる。
「?」
病院・・じゃない?手術済んだんだよな?
少し頭をよじると、長い髪を後ろに束ねたちょっとした美人が俺を覗き込んでいるのに気づいた。
「気が付いたか?」
ん?この人は確か夢に出てきた・・・
看護師さんじゃ無いのは確かだ。
「我の言葉が分かるか?返答せよ」
うわ・・上から目線で言う人。
「はぁ・・どちら様?」
女性は大きくうなづいて、
「ふむ。うまく繋がったようだな。
ちょっと待て!これは夢の続きか?
巫女アムネって夢で出てきたあの女性、ああ、こんな顔だっけ。
「え・・と、ここ病院・・じゃないみたいですけど、どこ?」
「そうさな、
「ええ?」ちょっと思考が追いつかない。
「まぁ、驚くのも無理は無い。何から説明しようかの・・ うむ、まず自分の体で気が付いた事は無いか?」
「体?」(手術後の痛みとかは無いな・・ん?)
着ているものがパジャマでも病院着でもない。どっちかというと、ちょっとごわっとした柔道着みたいな感触。襟の合わせも柔道着っぽい。襟の間から谷間が少し見える。
谷間?
思わず両手で胸を押さえる。ぷにゃっとした感覚。胸にはちゃんと手の感触も感じるし・・って、え?
股間も触ってみた。無い・・・!。
頭に手をやると、額の上の尖ったものに触る。髪はふさふさと長い。
薬の副作用で毛はほとんど抜けてしまってるはずが・・
女性は手鏡を取って俺を写してみせる。手鏡は銅鏡だな。少し鮮明度が落ちる。だが、手鏡の中には少女の顔がくっきり。まあまあ美少女と言える。可愛い系かな。
額の上部に二つの突起が突き出ているのを除けば!
頭を動かしてみる。手で触る。鏡の向こうが同じ動作をする。
「えーっ?」
結論。これ、俺じゃ無いんじゃね?そういえば声も甲高い。
「
あの夢の中でミクルは魂の依り代とかにされると言ってた。
これがミクル?すると俺は?
「
あの夢の中で言ってた神ルシュの選んだ魂って、俺?
俺はまだ夢を見てるのか?それにしてはあまりにもリアルすぎる。
「何でそんな事・・」
「この世界は長い間停滞しておってな、新しい刺激が必要なのだよ。この千年を超える昔も今と変わらん。むしろ衰退しておると言って良い。衰退してこの地が滅ぶれば
「ちょっと待って・・何で俺?」
「人生経験が豊かでそれなりの知性が必要でな。ただし、あまり野心的ではこの世界を歪めかねん。
「本人の意思は無視ですか」
「なに、良いこともあるぞ。
「え・・俺はこの世界に移ったんじゃ?」
「魂を繋いだと言ったであろ?こちらと
「あ・・」
「主はミクルの生きた人生を辿ってきたであろ?知識や経験も重なっておるから、娘の知識を自然に使っておるのだよ。」
あの夢がそうなのか?ミクルの人生そのものを体験したというのか?
「
「いや、俺は十分混乱してますって。そう言えば、俺の本体に戻るにはどうすれば?」
「意識すれば良い。こちらに戻る場合も娘を意識すれば良い。両方意識すれば両方の感覚が同時に味わえる。
ただ、同時に両方動かすのは難しいかのう」
やってみるか。
目をつむって自分を思い浮かべる。
――――
目を開けると、病室のベッドに寝ている自分に気づいた。
頭を動かしたのに看護師が気づいて声をかけてきた。
「お目覚めですね?気分はどうですか?」
気分?いや、よろしくない。痛みは感じないが、頭はぼやけて体中に不愉快な感覚がつきまとう。
あっちの体の方がよほど良い。
「うん・・しばらくそっとしておいてくれないか」
「良いですよ。ゆっくりお休みなさい」
これでしばらく何も構われないだろう。診察とかは勝手にやれば良い。
目をつむって娘の顔を思い浮かべる。
――――
目を開けると木の梁に板目の天井。巫女がじっと俺を見ている。
何だかこっちの方が現実っぽい。
「戻っておるな。何か聞きたい事はあるか?」
「えー、にわかには信じ難いんですが、早い話、俺に何をしろと?」
「
巫女・乗り移った神ルシュは俺の頭に手を添える。
ん?何かさわっとした感覚が体を通り抜けた。
「水と風を司る力だよ。水と風の有りたい様を思念せよ」
俺は試して見ることにした。部屋の隅にある壺に手をかざして蒸気が立ち上る様子をイメージする。
と、霧のような物が壺の口から立ち上った。
まじか。こんなに簡単に?
「ほほ、飲み込みが早いの。見込み通りだよ」
「ねえ、ルシュさん、って呼んで良いのかな?ちょっと疑問に思ったんだけど、俺はあっちじゃもうすぐ爺さんになる。だが、こっちのミクルって若いでしょ?俺が先に死んだらどうなるんですかね?」
「魂は繋がっておるでの、
「すると、向こうの俺が死ねば、ミクルが死ぬまでこっちの世界で過ごすって事?」
「さよう。言っておくが鬼人の寿命は長いぞ。人の倍は生きる」
俺の腹は決まった。
とにかく、この世界の現実感は本物だ。我思う故に我ありだ。
ミクルの記憶から、この世界の文明は日本で言えば縄文か弥生時代相当に思える。衣食住とも、とても快適とは言いがたい。何より食い物がまずい。酒はミクルが飲んでないので何とも言えないが、美味くは無いと確信できる。
俺の世界から物は持って来れない。知識だけでこの世界の物を活用して快適な生活が送れるようにしなければならない。タイムリミットは向こうの俺が死ぬまで。向こうの俺が生きていれば知識は調べてこっちで応用できる。だが、死ねば頼りない記憶だけで何とかしなければならない。
そう言えば、癌を取り除くとか神様が言ってたな。
まだしばらく生きてられるのだろうか?
「分かった。ちょっと考える時間をくれ」
「うむ、この世界のことはミクルの記憶を辿るが良い。巫女アムネに問うも良かろう。では
巫女の表情が変わり、軽く目をとじてから開く。さっきより柔らかい感じだ。
あ、行ったんだ、神様。
「ミクル?・・ではありませんね?」
「俺は望月翔太。神様が言うには、この娘、ああ、ミクルと繋がってるらしいです」
「私は巫女アムネ。神ルシュより全て言いつかっております。何なりとお申し付け下さい」
「お世話になります。で、俺はここに住むんですか?」
「ご案内します」
さっきの部屋はどうやら神事を執り行う場所だったらしい。
回廊を渡って別の建物に入った。戸口が並んで居る所を見ると神官達の居室らしい。
床には真ん中にむしろのような敷物が敷いてあり、寝床の反対側には小物を置く棚が何段かしつらえてある。棚には壺や篭、それに何に使うか分からない小物がが並んでいる。
窓は木板で、棒で外に向かって下を突き出すように支えてある。窓から濠とその向こうの森が見えた。
ミクルの記憶から、これは破格の好待遇だと分かった。
通常、竪穴式住居で寝わらに横たわる。これが標準。奴隷は干し草を自分で集めなくてはならない。
しばらく窓際に座って外を眺めていると、少女が容器と笹のような葉に盛った食べ物を板に乗せて持って来た。容器には野菜のごった煮みたいな物がぐつぐつ煮立っている。中に焼き石が入ってるらしい。葉に乗っているのは焼いた肉と木の実の団子。
う――ん、肉はまあ食えるが何かソースが欲しい。塩気が全然無いんだ。
醤油を何とかしなくちゃな。
野菜のごった煮の方は海水で煮ただけのようで、出汁も何も取ってない。しかもえぐい。ずばり、不味い。葉物は筋っぽくて固く、残してしまった。
ここの食文化は不毛だな。
食べ終わってしばらく寝床に寝っ転がっていた。
と。俺の中で何か別の意識が目覚める。すぐにそれがミクルと分かった。
その意識は突然、パニック状態になり、手足をバタバタさせ、悲鳴を上げた。
ちょっとヤバい。俺も必死になって手足を押さえようと意識した。
(ミクル!ミクル!落ち着いて!体の力を抜いて!)
寝床の上で跳んだりはねたりしてるのを見てる人はどう思うかな。
しばらくして息が続かなくなったせいもあってか、やっとミクルは落ち着く。
うーん、異なる意識と感覚を共有するっていうのはもの凄く異様な感じだ。体をぴったり密着させている感じが近いかな。前も後ろも横も。若い女の子のミクルにとっては衝撃的な感覚だ。というか、そういう衝撃が自分のもののように響いてくる。
意識がくっついてる感覚はもう表現のしようが無い。相手の思考がまるで自分の思考のように重なる。考える言葉の間に別の考えの言葉が挟まる。そういう思いや言葉が頭の中で渦を巻く。
ミクルがパニックになる気持ちは分かる。俺も結構困惑した。
(ミクル、体は任せたよ)
そうミクルに伝えて俺は体の力を抜く。というか、そういうふうに意識する。
(ミクル、どうなっているかは分かるか?)
呼びかけると反応があった。もの凄く戸惑っている。
(ごめん、ショータ。分かってる)
長い間の奴隷生活から一転して思いもよらない境遇に投げ込まれたんだ。
仕方ないよね。俺はまあ、人生経験長い分、こうした事態の対処は早い。まあ図太いとも言うが。
(さてさて、これからどうするかな。神様には丸投げされちゃったし)
(あたし、どうしていいか分からない・・ショータに任せる)
(おいおい、丸投げは俺の得意技だぞ。あっさり返すなよ)
(ショータはどうして平気なの?あたしは怖い・・)
(なんくるないさー。まずは情報集めかな)
そこへ、巫女アムネが入ってくる。
「どうしました?大きな音がしましたけど」
「あ・・ああ・・あたしがびっくりしちゃって」体はミクルに任せているので、ミクルが答えた。
「ミクル?目を覚ましたんですね?」分かってますって感じでアムネさんが頷く。
(ショータ、代わって!)ミクルは完全に逃げ腰。必死に何も考えまいとする。
しょうがない、アムネさんとの話は俺が受け持つことにした。
「ミクルは混乱してるので俺が話をします」
「それが良いでしょうね。神ルシュからショータは世慣れた
おいおい、それっておかしな具合に伝わってるよ?神ルシュは俺を何だと思ってるんだ。
「・・それで明日、皆を集めてミクル様を神使として紹介したいと思ってます。構いませんか?」
「神使?何それ・・」
俺は狐か?狛犬か?カラスか?蛇か?
「神ルシュの意思を神に代わって行使する者です」
当たり前みたいに平然と宣う巫女さん。
「あ・・まあ、神様もそんな事言ってましたしね。こんなの授かりました」
俺は壺に近づき手をかざす。熱ってのは分子運動だ。壺の中で水分子が活発に動く様をイメージする。
すぐに壺に入っていた水が沸騰し、ごぼごぼ音を立てて盛大に湯気を立ち上らせる。
アムネさんは驚愕して目を見開き、あんぐりと口を開ける。
「神ルシュがいかに御身を信頼されているかこの身に刻みます」
うへ、こういうのって苦手だな。アムネさん真面目すぎる。
せっかく美人なんだからもう少し砕けた感じじゃないと手を出しにくい・・
あ、何となくミクルから
魂の接続ってプライバシー無いじゃん。お互い様だけど。
その後、神殿の事情を色々聞いてみた。
ここルシュ神殿は四方を
参拝客は神ルシュに雨乞いや豊作を祈願して供物を捧げる。応対するのはアムネさんのような巫女五人。
巫女は実際に神ルシュから力を任せられていて、雨を降らせたり、作物の育成に影響を与えたりできる。
更に巫女同士は離れた所でも思考で情報交換できるという。
巫女は神代行なので神殿では一番偉い。巫女アムネが偉そうなのはそういうことか。
「巫女は“強き者”でなくてはなりません。“強き者”はとても少なく、子供の頃に見つけて巫女見習いにするのです。私も子供の頃ここに連れてこられて見習いの修行をしたんですよ」
いや、アムネさん、強そうには見えないけど?
「神が依るというのはとても恐ろしい事なんです。普通の精神では耐えられません」
俺の考えを読み取ったのか説明してくれた。そう言えばミクルも“強き者”だったよな。魂を繋がれるって事も恐ろしい事なのか?そう言えばミクルはめっちゃパニクってたものな。
巫女以外には祭司長キノをトップに二十人程の神官と十名近くの巫女候補が居て、神殿を維持したり参拝客を
他に警護に雇われた傭兵達が五十人ほど。奴隷を十人ほど伴っている。
神殿の
その外周は外側の
この神殿は大陸オーグの辺境、シムリ地方中程にあって、近辺ではかなり大きな規模らしい。
「それで明日の事ですけど、任せます。その後、色々見て回って構いませんか?」
「良いですとも。では明日。こちらの衣装に着替えて下さいませ。小者をよこします故お任せを」
アムネさんが出て行くと、日が暮れるまで体の使い方を練習した。
何しろ、ミクルと同時に動かそうとすると手足がもつれるし、視線も定まらない。
同時に力を抜くとすっころんでしまう始末。
最終的に体の方はミクルに任せ、会話の時だけ状況に応じて入れ替わる事にした。
これで当分は切り抜けられるだろう。
練習を続けるうち、少しずつミクルの混乱が収まってきた。
元々が明るい性格なんだろう。転んだりぶつかったりするたび、おかしそうに笑い転げる。
思ったより早く状況に馴染んできたようだ。さすが“強き者”。
そのうち、食事が運ばれてくる。
ミクルは美味そうに食べているが、俺にはそんなに美味く感じられない。
そうそう、向こうの俺も何か食わなくっちゃな。飢え死にするわけにはいかない。
意識を元の世界の俺に向ける。
―――――
不快感と若干の意識混濁を感じる。同時にミクルの意識が重なってるのに気が付いた。
(あ、あたしもショータと同じにやってみたの)
(そうか、経験と知識は共有だったっけな)
(ん)
ベッドには食事が用意してあった。もうそんな時間か。
ちょっと冷めているが箸を手に取って口に運ぶ。
(うわ!すごくおいしい!)
(そう?ここの病院食ってあまり美味しいとは思わないけどな)
(えー?これより美味しい食べ物あるの?)
(あるよ。体調が良くなったら外に食べに行くか)
(ほんと?)突然足をぴょんとさせる。
(これこれ、こっちでは俺に体を任せるんだよ)
(ごめん)ペロッと舌を出すイメージが伝わる。
ミクルはすっかりこっちの食事が気に入ったらしい。残さず食べた。
ただ、体の不快感とぼやけ気味の意識は嫌だったので、ミクルの体に戻ることにする。
―――――
うーん、健康体って良いな。何よりミクルが若いって事もある。
そう言えば、ミクルっていくつだろう。
(分からない)
そうだな、小さい頃拉致されて奴隷暮らしだったんだな。鏡で見た感じは十代後半くらいの顔立ちだった。
日が落ちると辺りは真っ暗になる。室内で灯火を灯す習慣は無いようだ。窓から少し明かりが見える。何カ所かでかがり火を炊いているらしい。
いつの間にか眠りに落ちていた。
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