4-1 秦野先生の正体


また3年が経過した。


ミクルの里では新しく生まれた子供達、他の集落から移ってきた者などで百六十人まで増えていた。

あたしおれの“逆ナン”騒ぎの後、温泉は一棟増設し、男湯と女湯に分けた。それまでは交代制だった。

ハタとはもちろんうまくいってる。

でもまだ子供ができないのはちょっと残念。あたしおれが鬼人だからかな。

アムネさんは少女達の棟に移って貰った。一棟独占って訳にはいかないし、あたしおれ達と同居は論外。


醤油の醸造が成功したのは嬉しい。早速、お刺身を食べたよ!。うんまーーー!

とにかく料理の幅がぐっと広まった。蒸留装置も何とか完成。純アルコールはまだだけど、消毒には使える程度の度数にはなった。器に注いで火をかざすとぼっと青い炎があがる。試しに飲んだらすごくむせちゃった。

他に新しい産物としては紙。これも随分試行錯誤した。

一番苦労したのは紙漉き用の網かな。例によってアルタラが何度も試作を繰り返した。

行程がかなり長いので男三人を割り当てている。

木を伐採して適当な長さに切り、ゆであげた後皮をむき、乾燥させる。乾燥した皮を一日水にさらした後内皮を剥ぎ取り、木灰の上澄み液で煮る。これをまた一日水にさらす。内皮の汚れなどを取った後、四角い棒で徹底的に叩く。充分ほぐれたところで粘性の高い液と共に水に溶かしてよく混ぜる。これを漉いて重ねていき、板で挟んで重しをかける。一日経ったら板に貼り付けて乾かす。きれいな平面の板はまだ出来てない。出来上がった紙は少しでこぼこだけど、記録用には十分実用になる。

インクの代わりに竈に付いた煤を水に溶かし、少し樹脂を混ぜた物が滲まないでちょうど良かった。

ペンは竹を裂いて先を細く削り、先端に切り込みを入れた物で耐久性は劣るけど、まあまあ使える。

これにはハタが一番喜んだ。

これまで記録用には木片を使っていたけど、たくさんは使えなかったからね。かさばるし。

紙にはもうひとつ目的があった。

俺が死んでしまうまでに俺の世界の情報を出来るだけ記録しておくことだ。さすがにアニメや画像は無理だけど、文字情報だけでもこちらで再現したい。図は視覚がHUDみたいに透けて見えるので透き写しの要領で記録できる。この世界の情報はある程度集まったので探索は必要最小限にして記録に集中することにした。

ハタと一緒の時間も取れるしね。うふ。


この頃には衣服もカラフルになってきた。単純な格子模様や筋模様だけでなく糸を部分的に先染めして模様を出すとか、出来る人が育ってきた。機織はたおりは時間のかかる作業なので、まだ全員には行き当たらないけど交代に着て楽しんでいる。糸も細くて柔らかい繊維になる植物をみつけたので専用の畑を作った。


後、夏対策。とにかく暑くて蒸す日がある。夜は着衣を脱いですっぽんぽんで寝るけど、それでも暑い。ましてや昼はそういう訳にいかない。

屋根に水を流して気化熱で、と思ったがすぐに痛むのでだめ。エアコンは絶対無理なので頭を絞る。

冬の間に氷室を作って雪や氷を貯めておくことで妥協した。大きな穴を掘り、藁や枯れ葉、枯れ草などをたっぷり敷く。そこへ雪や氷を乗せまたたっぷり藁、枯れ葉、枯れ草を乗せ、土を被せる。これで夏まで保たせる。雪や氷は山脈に積もったのが最上だったので、冬は人海戦術で切り出した。

最初は夏一ヶ月も保たなかったけど、二年目は十分な量を確保できた。

猛暑の時にこういう冷たい物を口に含むだけで随分涼を取れる。もちろん、里の皆でだよ。

まあ最終的に、昼間暑いときは藻塩作り以外の仕事は休み、里中で海に繰り出すことにしたんだけど。

・・・って、何で皆素っ裸?

「ミクル様もいらっしゃいよ!」口々に手を振って・・胸も振れてるよ!

「いやいやいや・・みんな、その格好なに?」相当焦るあたしおれ

「え?お風呂に入るとき全部脱ぐじゃないですかー」こらこら、何で男湯と女湯を分けてんだ。解れよ。

それともあたしおれ考えすぎだった?またまた俺の世界の常識で考えちゃった?そう言えば藻塩作りの女の子達、素っ裸で走ってたな。子供だからと思ってたけど。

とか、思っているうち、水棲人達がなだれ込んできた。

「わーい、みんな遊んでるの?まぜて、まぜて!」あっという間にうやむや。

完全にヌーディストビーチ状態になってしまった。

あたしおれももみくちゃになっているうちに全部脱がされちゃった。赤信号、皆で渡れば怖くない。いつの間にか裸できゃっきゃ言って遊んでるあたし。俺、めっちゃ楽しい。あ、いつものショータ、飛んでこない。


えー。こほん。

山向こうの集落は結局シムリの森で受け入れることになった。

傭兵を百人程送り、ルシュ神殿の守りと移動する集落の人たちの護衛にする。

山向こうのルシュ神殿からシムリの森受け入れが伝えられると最初はパラパラと、その後は雪崩を打つって感じで移住が進んできた。もちろん、盗賊風の輩は排除だよ。

ヌーを増やしておいたので、山向こうの集落の人たちの物資も最大限こちらに持ち込めた。

ルシュ神殿の皆さんは健気に最後まで頑張って踏みとどまっていた。

でも、ほんの二ヶ月前くらい、とうとう“狩る者達”の攻撃を受けた。

何とかしのいだけどこれをきっかけに山向こうのルシュ神殿は撤退を決めた。

残った集落はかなりあるけど、もう運を天に任せるしか無い。

え?神ルシュって天じゃないの?何とかしてよ。

「万能の神など人の勝手な独りよがりよ。我は恵みと安寧を与えてきた。それ以上を望むというのは法外ではないか。お前の世界で言う――そうさな、おんぶに抱っこというものであろ?山向こうに残った者どもは己の意思なり判断で選んだ事さ。責は自分で負うものだよ」

う・・・ごもっともです。


ミクルの里の農法はゆっくりだが徐々に広まってきた。

新しい農法と種籾たねもみを取り入れた集落では収穫が大幅にアップしたので備蓄が豊富にある。

そんなにうまく行くかって?神ルシュは天候を制御する。水利、日照は俺の世界のコンピューター制御の栽培技術の比じゃない。しかもミクルの里の農法に最適化されてる。つーか、神ルシュにそう頼んだ。

現世利益は伊達じゃ無いんだよ。

山向こうから来た人たちは飢饉や急な避難のため物資や食料が十分じゃないから、そうした豊かな集落や神殿から余剰物資を貸し与えることにした。ただ与えるだけならそれに依存してしまう。もっと欲しいと不平が募る。でも、貸し与えるとすると借りた分は返さなくちゃならないという緊張感が生まれる。

条件はミクルの里の農法を取り入れること。従来の農法ではいつ借りを返せるか分からないからね。

あたしおれ達からも人手を出して新しい農法の指導を行うことになった。

シムリ地方の森は広大で、無数の河川が木々を縫って山脈から海へと流れ込んでいる。

そんな河川の中から上流や下流に集落の無い川縁りを選んで開墾し、ほりを巡らす。

条件が許せば海に近い方が良い。海産物なども利用できるからね。

移住開始から三年で三十を超す新しい集落ができた。今のところ一集落で五百人くらい詰め込んでいるけど先々半分くらいは新集落を開墾して移住する予定。耕作地の広さから、二百人から三百人くらいが適正規模なんだ。狩りや採収、まきの入手も集落の規模が大きすぎると環境破壊に繋がるからね。今は緊急事態というわけで不足する物資は神殿を通して貸し出してる。

今はそんなこんなで手一杯だけど、余裕が出来たら神殿の新設も計画している。

人口急増でトカラ神殿もてんてこ舞いとか。しばらくは新しい器具の製作とか無理みたい。

これもそのうち集落を新設して製鉄設備や工房を増やす予定らしい。

あたしおれ達の里ももう少し人が増えたら外部からの受け入れを抑えなくちゃいけない。

温泉はともかく、生活環境があたし達並みに改善されるようになれば里への移住希望も減るだろうしね。


こうしたことはこの世界として千年来の急激な変化なのは間違いない。

変化はあたしおれのせいじゃないけど、ミクルの里は変化に伴う痛みを大幅に減らしたんじゃないかと思うよ。

神ルシュの意図に合ってるかどうかは分からないけどクレームは無い。神トカラにも焼かれてない。


―――


俺の世界のプロジェクトは一部有志の熱心な働きで軌道に乗ってきた。

まあ、あたし、熱心な有志に入ってないけどね。

昨年、商業運用を開始した。

開始に当たり、原始村って名称はあまりイケてないというので、皆で侃々諤々かんかんがくがく議論した。

なかなか決まらない。

「望月さん、創設者として希望ないですか?」一人に振られた。

あー、あたし、創設者ね。まあそう言えばそうか。

「んー・・・ミクルの里・・・・」つい、口にしてしまった。

「へえ、オジサンらしくない可愛い名前」女性ボランティアから一言。ほっとけ。

「何か意味があるんですか?」村の職員に突っ込まれた。

「いや、特に。思いついただけ」ここは流す。

「響きは悪くないんじゃない?」

「何となくそれっぽいね」

「見に来るでミクルとかさ」

あれ?何だか好評っぽい。

議論はそっち方向で流れ、最終的に“ミクル村”に決まった。


さてそのミクル村。

周りをほりで囲んだ敷地に五棟の竪穴住居を設置して、そのうち一棟は事務所代わりになっている。

後の棟は居住用で、まあ、キャンプ場のコテージって感じ。

住居の中央には炉を切ってあるが、外に茅葺かやぶきの屋根を設け、そこにかまどを用意して調理してもらう。ミクルの里では複数の棟で共同で使う調理場があるが、ミクル村では一棟毎に設けている。

調理器具や調味料は建物の中に用意してある。もちろん、石器や土器だ。調味料は壺に入っている。室内の片側に棚を儲け、そこに並べてある。編んだ籠は物入れに使って貰う。

水は井戸から汲んで貰う。もちろんポンプじゃない。縄でくくった壺を投げ込んで引き上げるんだ。

トイレは共同で、これだけは衛生上水洗にしてある。下水はパイプで外の処理場へ流す。

周囲のほりは広めに掘ってあり、鮎や鯉を放してある。これは自由に釣ってもらって構わない。ほりに渡した三本の丸木橋が村の入り口で、敷地に入ると電気は使えない。原始生活を実感して貰うためだ。

風呂はどうしようか迷ったが、本来は水浴びがせいぜいなので敷地内には設けない。

ほりの外の受付を兼ねた建物に浴場とロッカールームを用意した。携帯の充電などはここでできる。受付では貫頭衣を貸し出していて、奥にある着替え用の小部屋を利用して貰う。貫頭衣は麻のオリジナルだとチクチクして現代人にはきつい。粗い綿生地にしてある。この建物はルシュの神殿風の造りだけど櫓は無い。雰囲気だけはあるな。

堀の外は一画が畑で、季節毎に芋、イチゴ、野菜などを栽培してて自由に利用できる。

その外側の里山も自由に出入りできる。木の実や山菜を採るのは自由。ただし、まきや炭は事務所の棟で購入して貰う。でないと里山の樹木が保たない。森の再生を考えたまきの採取には十分な配慮が必要なんだ。

肉はさすがに狩って貰うわけにはいかないので受付の建物で販売している。

希望があれば血抜きしただけで羽や毛はそのままの鶏やウサギも用意できる。

さあ、石器でうまくさばけるかな?


開設前はボランティアの人たちに利用して貰った。トイレや浴場、貫頭衣については彼らの意見を反映している。また、彼らの意見で夏は営業しないことにした。エアコンが無いのでとにかく暑い。冷蔵庫は使えないので食品は腐りやすく、食中毒の危険もある。熱中症も問題だ。

一番の問題は虫。ハエや蚊が我慢の限界を超える。蚊取り線香程度じゃ追いつかない。

向こうの世界では屋根に使っている葦のような茎に防虫効果があるらしい。後は慣れかな。

そんなわけで、設備のメンテナンスは夏に集中して行うことになった。

昨年の稼働率は八十%くらいで滑り出しとしては好調と言える。ボランティアの人たちにも少ないが報酬を払えるようになった。

今年は予約が一ヶ月くらい先まで埋まっている。皆は拡張を検討しているようだ。

元はあたしの試作と実験のため始めたんだが、最近はそれ程必要でもなくなってきている。

あたしはそっち方面には興味ないので手の引き時かもしれない。


そう思っていたら意外な展開になった。

テレビを見ながら朝飯を食べていると、見慣れた顔が映ってる。

「あれ?秦野先生じゃないの?」兄嫁が気づいて言った。

ニュースをバラエティっぽく紹介する番組。

『原始集落を再現!あなたも体験できるミクル村』

そんなタイトルが映ってる。おいおい。聞いてないよ。

一通り映像紹介は終わって解説に移った所らしい。

「さてご覧頂いたミクル村ですが、秦野先生、これはどんな時代を再現したものでしょうか」

「縄文時代から弥生時代にかけての変遷期と見て良いでしょう。土器は縄文期の特徴も見受けられますが、研磨石器は弥生期に見られるものですね。」

そう言いながらスタジオに置かれた壺と石器を指し示す。持ってったの?それ。

「こういう形態の壺は穀物を保存したと考えられてます。以前遺跡から発見された同様の壺には穀物の殻が付着していました。こちらの石器は棒の先に取り付けるようになっていて、土を掘り起こすのに適した形になってます。これから農耕を行っていたと考えられるわけですね。一方、こちらは矢じりです。つまり、ミクル村は半農半猟の生活を再現してるんですね」

「住み心地はどうなんでしょう?」

「私も何度か寝泊まりしましたが、意外に快適でしたよ。キャンプのテントより余程良いですね」

「秦野先生もこの村の立ち上げに参加されたということですが」

「何か役に立つことがあればと思ったんですが、用無しでした。とても良く出来ていましたから」

「これを思い立ったきっかけは何でしょう?」

「発案者は私じゃないですから。本人は趣味で始めたような事を言ってましたけど、そんなレベルじゃなかったですね。私が参加したときはミクル村の原型は出来てたんです。」

「その方はお一人で始められたんですか?」

「そうなんです。信じられないでしょう?詳しいことは本人に当たって下さいね」

わ!あたしに振りやがった。

この一言がきっかけだと思う。

マスコミからの取材申し込みでひっきりなしに電話がかかってくる。

村興しの好例だと思われたらしく、あちこちの町村から相談の依頼が来る。

学校や趣味の団体から石器や土器の作り方を講習してくれとか、竪穴住宅の作り方を教えてくれとか言ってくる。

あたしはこっちでは静かに暮らしたいんだよ。向こうの世界でこちらの知識を記録するのに忙しい。


当の秦野先生は飲みに来たときも知らん顔してる。

「ひどいよ、先生」当然、あたしは抗議する。

「何が」とぼけちゃって。

「テレビですよ、俺に話し振ったでしょ。おかげでうるさくって」

「望月クンがまともに働くきっかけになればと思ってね」

「大きなお世話ですって。これでもちゃんと暮らせる収入はあるんです。就職なんかしませんよ」

「ミクルの里」秦野先生、ぽつっと言った。

「は?」

「それが就職しない理由?」先生、マジ顔。

あたしは言葉に詰まった。何を言い出す?

「山向こうのシムリの森。ミクルの里はそこにある」

何でそんな事知ってる?しかもこの言葉は向こうの世界!

もしかしたら・・・

「ねえ、望月クン、キミ、誰と繋がってる?」


突然、あたしの頭の中で警鐘が鳴った。先生も俺と同じで繋がっている。間違いない。

しかも『山向こうのシムリの森』と言った。

“狩る者達”と繋がってるのか!


「何でそんな事聞くんです?」俺は日本語で聞き返した。

「うーん、手強いな。明かさない気だ」

もし秦野先生が敵と繋がってるとすれば、うかつな情報は漏らせない。

秦野先生も同じだろう。

そのままお互い黙って腹の読み合いになった。

兄貴夫婦はちょっと剣呑な俺達を感じ取ってか黙って酒を汲む。

その日はもう会話無しで終わった。


俺はしばらく意識をこっちの世界に留めておくことにした。

意識不明状態で秦野先生に侵入されると何をされるか分からない。

視覚と聴覚だけ共有してミクルの行動を見守る事にする。


―――

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