最終話:服ろわぬ者(五)

 明かりを求めても、薪の一つとて見つからない。小屋の支柱に触れたものの、愛おしく撫でるのが松尾のせいぜい。

 金太郎を背負い、茨木童子のあとを追うには光が足らなかった。


 それでも行く。決めて、十数歩も進んだろうか。針で突いたような光が見える。

 外へ出られるのはありがたい。なるべく早く、金太郎を安静にしてやらねばならない。

 うらはら、この洞窟を出たくないとも感じていた。けれども松尾は、後ろ髪を引き千切る思いで足を動かした。


 もうすぐ外というところで、岩壁を濡らす水が足元にせせらぎを作った。それは山肌を遠く下っていくらしい。

 辿れば人里へ着くだろう。どれだけ見回しても深い森が囲うばかりで、茨木童子を追うのは当面諦めた。


 ただの一歩、洞窟を出た途端のこと。誰かに呼ばれた気がして、松尾は振り返った。すると歩いてきた暗闇の奥、激しい地響きが向こうからこちらへ。

 すぐに立っているのも危うくなり、膝を突いて後退った。限りなく確信に近い予感に従い、しかと眼を見開いたまま。


 闇が閉じていく。岩穴が崩れ、酒呑童子の居城は何者も踏み入れぬ地面の底へ消えた。




 ──それから十年。


 金太郎が養生をした村に立ち寄り、松尾は再びこの地を訪れた。


「思いきるのに随分とかかったもんだ」

「そう言うな金太郎」


 あの時と似た山伏の出で立ちは、今は扮装でなく。

 崩れた直後でさえ、一つまばたきをしただけで出口の場所が曖昧になった。その上に下草がかぶさり、見分けはつかない。


 ただ、小さなせせらぎは残っている。湧き出る元へ、持参した大とっくりを傾けた。盃浦社さかずきうらのやしろと、松尾の設けた廟の名が入った。


「私はあの時、ここへ残りたいと思ったんだ」

「へえ? そうしなかったのは、おらのせいか」

「いや、悪いが違う。ささを一人にするのが、かわいそうだった」


 せせらぎが、どぶろくに濁る。あの兄妹を思い出す色だ。


「悪かない。おらぁ、武士よりこっちのほうが楽しいからな」


 金太郎は鉞を手に、辺りの藪を切り払った。「ここにも社を作るか」などと。


「これ以上、文殊丸に借りを増やしたくない」

「そうか? どうせもう、金の使い途に困ってるくらいだと思うけどな」

「それでもだ」


 何年か前、この辺り一帯は源頼光の領地となった。それを最後、「頼光らいこうさん」の名が世に響くことはない。


「もし建てるなら、私が自分の手で」

「茨木童子の名前を呼んでから、だろ。どれほど意味があるのか知らんけど」

「私にも分からん。でも外道丸が砂になったのは、きっと私が呼んだからだ」


 いまだ、世の至るところに鬼の気配が消えることはない。大鬼が出たと聞いては、二人して退治に向かう日々。

 いつ果てるとも知れぬ生き方が、松尾もやぶさかでない。


「昔の女を砂にするために追いかける、か」

「女とか、そういうのじゃない」

「へっ。おらは知ってるけどな」


 けど、なんなのか。金太郎はそれ以上を口にしない。


 さらにまた何年も、何十年もが過ぎるうち。盃浦社は松尾神社まつおじんじゃと呼ばれるようになった。

 その境内の奥深く、二つの碑が寄り添うように置かれる。土地の者に読めぬ文字で銘を刻まれ。

 そこには年に一度、二人の山伏がかかさず通い。常にはおとと名乗る尼が、いつも丹念に磨き上げた。



──異説 酒呑童子『鬼は幻、人は…』 完結──

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異説 酒呑童子『鬼は幻、人は…』 須能 雪羽 @yuki_t

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