4.騒めく心

 数日後、わたしは王城のサロンでレジエス殿下とのお茶会に参加していた。


 テーブルに用意されているお菓子は、いま王都で流行っているリンゴのタルトだ。大振りにカットされたリンゴがキャラメリゼされて、艶々に輝いている。

 勧められたタルトを一口頂くと、さっくりとした軽やかな生地に甘いリンゴがよく合っていてとても美味しい。よく煮た色をしているのに、食感はしっかりと残っている。キャラメリゼがほろ苦くて、それも美味しい。人気だというのも頷ける味だった。


「美味しいです」

「良かった。エルミラは甘いものが好きだろう? 流行っていると聞いたから、取り寄せたんだ」

「ありがとうございます」


 紅茶を飲みながら微笑むレジエス様は、わたしの事を大事にしてくれているように思う。

 その眼差しも、声色も、わたしを想ってくれているように見えるのだ。


 でも、だからこそ……どうして、という気持ちが消えない。


 フォークを置いたわたしは、ゆっくりと息を吸い込んでから口を開いた。


「レジエス殿下、学院ではわたしの悪評が広がっています。殿下のお耳にも入っている事でしょう。その収拾もつけられないわたしは、殿下のお側に居ても良いのでしょうか」


 レジエス殿下はその形の良い眉を少し下げ、カップをソーサーに戻した。

 窓から陽光が差し込んで、レジエス様の金髪が色を濃くしたように見えた。先程までは雲で隠れていた太陽が顔を覗かせたようだ。

 壁際に控えていた侍女が音もなく窓辺へ移動して、薄いレースのカーテンを閉めた。


「口さがない者は放っておけばいいよ」


 レジエス殿下は否定をしなかった。

 わたしの悪評について理解をしていて、それを放っておけという。わたしが……ユリアーナ様のような人達に責められているのも知っているのに。


「君の優秀さは僕が分かっているから大丈夫。妃教育だって順調だと聞いているし、母上も褒めていたよ」

「ですが……」

「問題ないよ。君以外に僕の妃に相応しい令嬢はいないんだから、堂々としていたらいい。エルミラ、僕が君を望んでいるんだ。心配する事なんて何もないだろう」


 宥めるような言葉に、偽りはないように思う。

 それでも言葉に出来ないちぐはぐさに、不快感は消えてくれない。


 だけどこれ以上何を言っても無駄だろう。もうこの話は終わったのだ。

 漏れそうになる溜息を押し隠すように、わたしはカップを手にして口に運んだ。苦味のない、すっきりとした味わいの紅茶だった。


「それより……エルミラはミレイユ嬢と仲が良いよね?」

「ええ、仲良くして頂いています」

「ミレイユ嬢はディートリヒの従妹でしょう」

「そうですね」


 レジエス殿下がディートリヒ様の名前を口にするなんて珍しい。動揺を出さずに紅茶を飲めたのは妃教育の賜物かもしれない。

 殿下はわたしの様子を窺っている。だから平静を装って、どうかしたかと首を傾げた。


「ミレイユ嬢から、何か彼の話を聞いたりしてる?」

「いえ、何も。いつもお話下さるのは公爵領のことが多いです。王都での流行ものの話もしますが、ディートリヒ様のことは特には……」

「そう。……それならいいんだけど」

「何かありましたか?」


 音を立てずにカップをソーサーに戻しながら問いかけると、レジエス殿下はゆっくりと首を横に振った。


「いや……彼ももうすぐ十八歳になるだろう。十八歳までには婚約者を決めなくてはならないはずなのに、そんな話を聞かないから心配になってね」


 どくん、と心臓が跳ねた。

 それを表情や仕草に出すわけにはいかないと思いながら、わたしは頷いて見せた。


「そういえば、そんなしきたりも隣国にはありましたね。ミレイユは何も仰っていませんでしたが……」

「さすがに内々に話が進んでいるだろうね」

「そうですね」


 わたしは微笑を浮かべながら、またリンゴのタルトにフォークを伸ばした。

 いまの話題には、特別な反応をしていない振りをしながら。


 レジエス殿下も、それ以上ディートリヒ様の話を続ける気はないようだ。

 きっと……わたしとディートリヒ様が繋がっていないか、確認したかったのだと思う。


 ミレイユがディートリヒ様の事について、わたしに話さないというのは本当の事だ。

 どこで誰に聞かれているかも分からないから、口に出す事はしない。レジエス殿下の婚約者という立場にいるわたしの事を慮ってくれているのだ。


 タルトのリンゴを口に運んだ。

 先程までは美味しいと思っていたのに、今はなぜか味がしない。


 それから、レジエス殿下とどんなお喋りをしたのかは正直覚えていない。

 殿下も、控えていた侍女達もおかしな顔をしていなかったから、きっと問題なく受け答えは出来ていたのだろう。


 わたしの頭の中は、ディートリヒ様の婚約者の事でいっぱいだった。

 この冬が終わる頃、彼は十八歳になる。その時には彼の隣には誰かが立っているのだろう。


 それを思うだけで胸が苦しい。

 蓋をしたはずの恋心が、ここにいると泣き叫んでいるようだった。



 だめ。

 出てきてはいけないの。お願いだから眠りについて。


 わたしの、初恋。


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