3.手紙

 わたしが転移で帰ってくるのは、今に始まった事ではない。

 もう慣れてしまっている執事や侍女達は、何事もなかったかのように出迎えてくれた。


 彼らに帰宅の挨拶をしてから、わたしは自室へと飛び込んだ。後ろで侍女長が小言を言っているけれど、聞こえない振りをした。だって、待ちきれなかったから。


 制服から着替える時間も惜しくて、そのままソファーに座ったわたしはテーブル上のペーパーナイフを使って封筒を開けた。

 ふわりと漂うのは薔薇の香り。


 折り畳まれた便箋を開いて、わたしは夢中でその手紙を読んだ。

 一気に読んだ後は、また最初からゆっくりと読み直す。美しい文字を指でなぞる。


 これは──わたしの幼馴染である、ディートリヒ・グアル=ディオラ王太子殿下からの手紙だった。

 特別な事が書いてあるわけではない。楽しかった出来事など近況報告が多く、読んでいるだけで頬が緩む。そして最後はわたしを気遣う言葉で終わっていた。


 何度も繰り返し読んだ手紙を胸に抱いて、わたしは深い息をつく。

 胸の奥が苦しくなって、目の奥が熱くなる。それを誤魔化すように瞬きを繰り返すけれど、涙が一筋頬を伝った。


 わたしと彼の立場上、大っぴらに手紙のやりとりをするのも難しい。内容は当たり障りのない事ばかりだけど、妙な勘繰りをされるわけにもいかないのだ。


 だから、グアル=ディオラから留学してきたミレイユが、手助けをしてくれている。

 実家であるレンダール公爵家からの郵便や差し入れの中に、ディートリヒ様からの手紙も混ぜてくれているのだ。わたしからの手紙も同じように、ミレイユが自分の書いた手紙と一緒にレンダール公爵家に送ってくれている。


 レンダール公爵夫人がディートリヒ様の叔母上だから、これだけの力添えをしてくれているというのもあるだろう。

 わたしにとってはとても有難い事だった。


「……ディートリヒ様も元気そうで良かった。久し振りに顔が見たいけれど……難しいわね」


 幼い頃は何度も一緒に遊んだわたし達。

 公爵令嬢であるわたし、エルミラ。この国の第一王子であるレジエス殿下。隣国グアル=ディオラの王太子であるディートリヒ様。

 わたし達が交流を持つようになったのは、それぞれの母が友人同士だったという事、全員が同じ年だったというのがある。


 あの頃に何度もあった交流の時間を経て、わたしはレジエス殿下の婚約者となったのだ。相性も悪くなく、家格的にも王子の後ろ盾として問題ないと判断されたのだろう。


 わたしが婚約者となってから、わたし達の付き合い方は大きく変わった。

 ディートリヒ様はこの国に遊びに来るという事がなくなった。外交で来る事はあっても来賓としての立場を崩さない。それはわたしも同じだった。もう幼馴染としての立ち位置には居られないと分かっていたからだ。


 仕方のない事だと分かっていた。理解はしていた。でも……心が落ち着く事なんてなかった。

 寂しくて、恋しくて堪らなかった。婚約の話を聞いた時には。レジエス殿下の事を恨めしく思った。


 だけどわたしはこの国の貴族だ。この国の為に、民の為に、この身を賭す使命がある。

 この婚約を受け入れるしかない。自分でそう決めてからはレジエス殿下に対する逆恨みの気持ちも消えていった。元は幼馴染だ。きっと仲良くやっていけると、そう思っていた。


 ディートリヒ様からの手紙に浮かれる自分を落ち着かせる為、まずは着替えようと立ち上がる。姿見に映ったわたしの桃色の瞳は、こどものように煌めいていた。


 ***


 着替えて、お茶を用意して貰って、わたしはまたソファーに座っていた。

 テーブルの上にはディートリヒ様からの手紙がある。


 紅茶のカップに手を伸ばして一口飲んだ。薔薇のジャムが落としてあるから、ほんのり甘くて花の香りがする。この薔薇ジャムはミレイユから貰ったものだ。わたしが薔薇を好む事をミレイユも知ってくれているらしい。


 カップをソーサーに戻し、青色の封筒に目を向ける。

 お返事には何を書こうか……。最近のわたしの事を書けばいいのだけど……学院での事は書きたくない。皆に遠巻きに──というより、嫌われていると書くのは憚られる。

 きっとディートリヒ様はミレイユから聞いて知っていると思うけれど。でも自分でそれを認めるというのは恥ずかしさの方が勝るのだ。


 学院の事を考えたからか、今日のユリアーナ様との件を思い出してしまった。


 ああやって絡まれるのは初めてではない。

 ユリアーナ様が一番苦言を呈してくるけれど、他の人達だって同じように思っているのは知っている。


 わたしはレジエス殿下に相応しくないと、そう思っている人が多いのだ。

 どうしてこんなにも悪評がたつのか、調べた事もあるけれど、はっきりとした出所が掴めない。という事は公爵家以上……王族が絡んでいるとしか思えない。


 それはきっと、レジエス殿下なのだろう。

 わたしの前では優しい人だけど、たぶんわたしに不満があるのだ。それを零しているうちに、大きく広まってしまったのだろうと思う。


 それでも婚約を継続していくつもりなら、レジエス殿下が否定をして下さればいいのに。

 わたしが学院を休みがちなのは妃教育の為である事。学習はほとんどが終わっているから、出席しなくても問題ないという事を。

 我儘を言ったつもりはないけれど、わたしが我儘だと思うのならその都度指摘してくれたらいいのにと思う。そうすれば改める事だって出来るのだから。


「……レジエス殿下は何を思っているのかしら」


 婚約者の悪評が気にならないのか。それとも本当は婚約を解消したいのか。

 その真意を問う事も出来ないから、もやもやとした気持ちの悪さだけが胸に広がっていく。


 ついてしまった溜息は花香と共に消えていった。


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