2.瞳に映るもの
バルレート王立学院。
十五歳から十八歳までの貴族子女が通う学院で、特例が認められない限りは皆が通う事になっている。
もちろんわたしも通っているのだけど……残念な事に友人と呼べるのは一人だけ。わたしは同級生だけではなく下級生からも遠巻きにされている。
公爵令嬢、それからレジエス殿下の婚約者という立場ともなれば、わたしも派閥の長として令嬢方を率いる必要があるのだろうけれど……仲良くなろうとしても避けられてしまっているからどうしようもない。
いま、この学院内で最も発言力がある令嬢はユリアーナ・ノルドマン侯爵令嬢だ。
慕われているのか、いつも数人の令嬢と一緒に過ごしているのをよく見かける。下級生や同級生からも羨望の眼差しを向けられている彼女は明るくて、自信に満ちた美しい人だった。
そのユリアーナ様からも、わたしは──嫌われている。
「エルミラ様、また今日も遅刻ですの? 未来の王妃ともあろう方が情けなくはないのですか」
妃教育の為に午前中はお休みをしていたわたしが、午後の授業だけでも受けようと教室に向かう途中の事だった。
廊下を歩いていたらユリアーナ様達に、裏庭へと呼ばれてしまったのだ。
裏庭には噴水があるけれど、冬の始まりが近い今は、もう水が止められている。赤い落ち葉が溜まっているばかりだった。
「聞けばいつもレジエス様にご迷惑をお掛けしているようじゃありませんか。遅刻はする、我儘を言ってレジエス様を困らせる……あなたには誇りというものがありませんの?」
ユリアーナ様の瞳には明確な敵意が宿っている。その後ろに控える友人方も嘲るような視線を向けてきていた。
一応、わたしの方が家格は上なのだけど……彼女達の中で、わたしは攻撃をしても良い人という風になっているらしい。
言いたい事がないわけではないけれど、わたしはただ微笑む以外の事はしなかった。
少し困ったように笑って見せれば、ユリアーナ様の唇が満足げに弧を描く。
わたしの事を見下して、悦に入っているのだ。明るいオレンジ色の瞳にはわたしを蔑む色が映る。それから──優越感。
わたしは人の瞳から感情を読み取る事が出来る。物心ついた時には見えるようになっていて、魔法とは違うちょっとした特技のようなものだ。
普段から見えるわけではなく、その人の感情が強くなればそれが目に現れる。でも目の前のユリアーナ様は、瞳から感情を読み取らなくても分かる程に、わたしの事を見下していた。
「自分の意見も言えないだなんて情けない。レジエス殿下の妃には相応しくないのではないかしら」
「殿下のお側にはユリアーナ様が相応しいですわ!」
「そうよ、お人形のようなあなたよりもね」
「あら、お人形の方が可愛げがあるんじゃないかしら」
ユリアーナ様の言葉に呼応するように、友人方も嘲笑しながらそんな言葉を口にする。
それでもわたしは黙っていた。何を言っても無駄だと、分かっているから。
ちゃんと誤解を解くべきだというのは分かっている。
わたしは遅刻ではなく午前中は妃教育でお休みを取っていただけだし、我儘だって言っていない。レジエス殿下に迷惑をかけるような事もしていない、と。
でもそれを言ったって、彼女達は信じない。信じて貰えるだけの人望がないというのは、少し悲しい事だけど。
悪意をぶつけて満足したのか、ユリアーナ様達は去っていった。
その姿が完全に見えなくなった時、裏庭にやってきた人は──レジエス殿下だった。
「エルミラ!」
「……レジエス殿下」
走ってきたのか、息を切らせている。いつも側に控えている従者の姿もない。
「ユリアーナ嬢に呼ばれていったと聞いて……。大丈夫だったかい?」
レジエス殿下が心配そうに表情を曇らせる。陽光を受けた色濃い金の髪が眩くて、わたしは少し目を細めた。
「大丈夫です。何もありません」
「エルミラ……無理をしているだろう」
レジエス殿下はわたしの背に両手を回し、そっと抱き締めてきた。優しく背を撫でながら、慰める言葉を口にしてくれる。
「君が頑張っている事は、僕が一番よく知っているよ。僕は、僕だけは……君の味方だ」
「……ありがとうございます」
神妙な面持ちでそう囁けば、レジエス殿下はにっこりと笑ってくれる。
でも、その緑の瞳には愉悦の光が輝いていた。
──レジエス殿下、どこで見ていたのですか?
わたしが罵られるのを見ていたのに、その場に割り入る事はしないのですね。──
その思いを心に秘めながら、わたしはゆっくりと体を離した。
レジエス殿下も腕を下ろしてくれて、今度は頭を撫でられる。
「顔色が悪いな。……今日はもう帰った方がいい」
「そう、ですか? 言われたら、少し体調が優れないかもしれません」
「先生には僕から伝えておくよ。馬車が来るまで一緒にいようか?」
「いえ、レジエス殿下のお時間を頂くわけにはいきません。わたしなら大丈夫ですから、どうぞ教室にお戻りになって下さいませ」
「分かった。無理はしないでね」
レジエス殿下は満足そうに頷くと、校舎の方へと向かっていく。従者がすっと現れて、レジエス様の後ろに控えた。
わたしは小さく溜息をつくと、噴水近くのベンチに腰を下ろした。
見上げた空は薄曇り。もうすぐ雪が降るのだろう。
「お疲れ様」
掛けられた声に振り返る。
黒い髪を緩く巻いた美女が微笑みながらわたしの隣に腰を下ろした。
「いつから見ていたの?」
「ユリアーナ嬢達が意地悪そうに笑うところから」
「それって最初からっていう事ね?」
大袈裟に肩を竦める様子に、わたしは思わず笑ってしまった。
彼女はミレイユ・レンダール。隣国──グアル=ディオラ王国の公爵令嬢で、この学院には留学生として通っている。
ミレイユは他の人達のように、わたしの悪評を信じたりしない。自分の目で見たからと、わたしの友人になってくれた人だ。彼女の瞳にわたしに対する悪意が映った事はなかった。
「あなたも大変ね。グアル=ディオラに亡命でもする?」
「家族に迷惑がかかってしまうもの。難しい話だわ」
迷惑さえ掛からなければ、すぐにでもグアル=ディオラに行ってしまいたい。
でも全てを投げ出す勇気もなく、ただ耐える以外に出来る事はなかった。
「この状況を招いてしまったのはわたしの責任だもの。社交界でうまく関係を作れなかったわたしが悪いのよ」
「確かに自己主張は弱いけれど、あなたの魅力に気付かないなんて……この国の人達はどうかしてるわ。あなたは大人しいけれど、真面目で優しい人だもの。それにとっても美しいしね」
ミレイユはわたしの髪を指に絡めて解く事を繰り返す。
色の薄い金髪はふわふわと波打っていて、うまく纏まってくれないのがわたしの悩みでもある。でもミレイユはそんな髪を可愛らしいと褒めてくれるのだ。
「それはあなたがわたしの友人だから、そう評価してくれるだけよ。どうにか改善しなければと思ってはいるんだけど……」
「本当に真面目ね。そんなあなたにいいものがあるわよ」
ミレイユの言葉に鼓動が跳ねた。期待に笑みが浮かんでしまう。
そんなわたしの様子にくすくすと笑ったミレイユは、制服のポケットに手を入れると一通の手紙を取り出した。ポケットよりも大きい封筒だけど、彼女は優秀な魔法使いだから、このくらいはお手の物だ。
「お手紙よ」
「ありがとう!」
両手で受け取った封筒には宛名がない。けれどそれがわたし宛の手紙というのは間違いない。差出人の名前もないけれど、これが誰からの手紙なのかわたしは分かっている。
「今日はもう帰るんでしょう? 馬車を呼ぶ時間も惜しいだろうし、送ってあげるわ」
「何から何までありがとう。近い内に屋敷に来て頂戴。あなたの好きなケーキをご馳走するわ」
「ふふ、期待してる」
立ち上がったわたしの足元に向かって、ミレイユが指を振る。それだけでわたしの足元には転移の魔法陣が描かれた。
「じゃあまた明日ね」
「ええ、また明日。ミレイユ、本当にありがとう」
にっこり笑ったミレイユが悪戯に片目を閉じて見せる。それを合図としたように光が弾けて──わたしは、屋敷のホールの中に立っていた。
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