9.親友
しばらく学院を休む事になった。
もちろん王妃教育も休むわけだけど、国王陛下と王妃様には父からお話をしてくれているらしい。
学内でわたしの悪評が流れている事、それの原因がレジエス殿下にあるという事。証拠として提出したのは記録の魔道具で、それにはユリアーナ様を始めとする周囲の方々がわたしを悪し様に言う様子と、それを咎めないどころか煽るようなレジエス殿下の姿がしっかり映っていたらしい。
『家格が釣り合い、優秀な令嬢は他にもいる。
レジエス殿下の本心がこの通りならば、この婚約は不幸な結末にしかならないでしょう』
そう伝えた父に対して、国王陛下は難色を示したそうだ。学生時代の気の迷いだとか、父を説得しようとしたそうだけど、そんな陛下を説得して下さったのは王妃様だったという。
『元々この婚約はレジエスが望んだもの。エルミラには受け入れて貰った立場なのです。エルミラにも思う所は多々あったはずなのに、あの子はそれを表に出す事はなくレジエスと仲睦まじくあろうとしてくれました。それなのにレジエスはエルミラの信頼を失うような行為をした。このまま婚約を継続しても、誰も幸せにはなれません。……この会話からすると、レジエスはエルミラとの婚約を継続しるつもりがないと、そう思われても仕方ありません。レジエスが望んでいるのだもの、婚約を解消しても問題ないのではないかしら』
父の話してくれた王妃様の言葉に、目の奥が熱くなった。
王妃教育の進んでいるわたしを、そのまま婚約者としておく事だって出来るのに。王妃様はわたしの気持ちを慮ってくれたのだ。
『婚約解消としてくれているだけ、リバデイル公爵家は譲歩してくれているのですよ』
王妃様の言葉で、国王陛下も最終的には納得してくれたそうだ。
そのまま婚約解消の手続きに入る事になったのだけど、すんなりとそれが終わってくれるわけではないらしい。
政略ではないとはいえ、この婚約を元に結ばれていた契約も少なくない。それらをどうするか話し合う時間も必要だし、今回の件での慰謝料の話もあるという。
それから……わたしの次の婚約についても。
そんなわけで、手続きが進むまでの間はお休みをする事になったのだ。
今までだってお休みがなかったわけじゃないけれど、こんなにも晴れやかな気持ちで休めるなんて、いつぶりだろう。
***
「うまくまとまって良かったわね」
「ミレイユのおかげよ。本当にありがとう」
わたしは紅茶のカップをソーサーに戻しながら、隣に座るミレイユへと微笑みかけた。
ここはリバデイル公爵家の、わたしの部屋。学院をお休みしたミレイユは、お見舞いと称して遊びに来てくれたのだ。
「私がした事は、ディートリヒ兄様にちょっとお話しただけよ」
「でもそれって通信魔道具を使ってのことでしょう? あの魔道具は魔力も沢山使うからあなたの体に負担がかかったのではないかと思って」
「問題ないわ。私の魔力量はあなたも知っているでしょう」
悪戯っぽく片目を閉じて見せるミレイユの姿に、笑みが漏れた。いつもは凛とした美しさがあるのに、こうした仕草はとても可愛らしい。
「婚約解消の手続きが終わったら、すぐにグアル=ディオラに行くの?」
「そのつもり。こちらに残って、何か横槍が入っても面倒だから。こちらでの卒業単位は全て取ってあるけれど、帝国でも学院に通うつもりなの」
「私もその時に合わせて一緒に帰ろうかしら。エルミラと一緒の学院生活って楽しいから」
「いいの? でもあなたがいてくれるなら、正直なところすごく心強いわ」
「そうでしょう」
くすくすと笑いながら、ミレイユがクッキーを口に運んだ。鳥の形を模したクッキーにはイチゴのジャムが混ぜ込まれているからほんのりとピンク色に染まっている。
わたしもクッキーを一枚食べてみると、イチゴの香りが鼻を擽った。思っていたよりも甘くなくて、少し酸味を感じる程だ。さくさくとした食感がよくて、食べやすい。
「学院の様子はどう?」
「それがね、レジエス殿下が何だか苛立っているのよ」
「苛立っている……?」
いつも温和に微笑むレジエス殿下の苛立つ姿が想像出来なくて、首を傾げてしまう。
そういえば殿下からお見舞いに来たいとお手紙が届いていたけれど、それは父に渡してしまった。体調が優れないとお断りして下さっているはずだ。
「エルミラがいなくて気が休まる、なんてユリアーナ様が言ったら怒っていたわよ」
「ええ……?」
「今まではユリアーナ様がどんなに悪口を言っても、ただ困ったように笑っているだけだったのにね。あなたがいなくて寂しいんじゃないかしら。それか……何かに勘付いているか」
ミレイユの言葉に、顔をしかめてしまった。しわの寄った眉間を指先で揉み解しながら口を開くけれど、漏れるのは溜息ばかりだ。
「婚約解消は手続きが全て終わってから、レジエス殿下に告げられる予定なんだけど。もしかしたら耳に入ってしまったのかしら」
「それだったらもっと大慌てしているはずよ。勘付いたのは……あなたの気持ちが離れている事だったりして」
「離れるも何も……」
「そうよねぇ。自分が何をしたか理解していないのよ」
わたしは紅茶のカップに手を伸ばし、まだ湯気の立つそれを口に運んだ。お砂糖を入れていないから少し苦い。でも、イチゴのクッキーにはよく合っている。
「まぁ次に会う時は、婚約解消した後よ。そんなに気にする事もないわ」
「そうね。グアル=ディオラに向かう準備をしなくちゃいけないし」
「グアル=ディオラでは王城で暮らすと聞いたけど……」
「ええ。ディートリヒ様がお部屋を用意してくれるそうなの」
「結婚まで、エルミラはわたしの屋敷に来たらいいのに」
もう一口紅茶を飲もうとした手が、途中で止まった。
予想外のお誘いにミレイユの方へ顔を向けると、水色の瞳が楽しそうに煌めいていた。
「あなた達の恋がやっと叶って、傍に居たい気持ちも充分に分かるけどね。うちでグアル=ディオラの事を学んでもいいんじゃない? ……なんて、あなたと一緒に居たいだけだって、バレてしまうかしら」
「そう言ってくれて嬉しいわ。王城にお世話になるか、レンダール公爵家にお世話になるか、それはディートリヒ様に相談しなくてはいけないけれど……あなたのお家に迷惑が掛からないかしら」
「迷惑なんてとんでもないわ。うちはあなたの後ろ盾になるって、母様達も息巻いているもの」
「本当に有難いわ」
ディートリヒ様が望んでくれているとはいえ、わたしは婚約を解消した令嬢になる。
グアル=ディオラの社交界で受け入れられるかは、きっと難しいところだろう。努力を怠るつもりはないけれど、味方になってくれる人達がいるというのは、心強いものだ。
わたしはミレイユの肩に頭を預けて寄り添った。ミレイユはわたしの手を取って、ぎゅっと優しく握ってくれる。ほっそりとした、温かな手だった。
「安心してグアル=ディオラに来てね。あなたが幸せになるのが嬉しいの」
「ありがとう、ミレイユ」
親友の言葉に、視界が滲む。誤魔化そうとゆっくりと息を吐くと、同じような呼吸が隣から聞こえて来た。見上げた先、ミレイユの瞳も潤んでいて、わたし達は顔を見合わせて笑ってしまった。
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