一年の計は元旦にあり

 事情聴取から解放された三箇日の中頃。理久りくは、母が作った正月料理を食べ、ようやく迎春を実感していた。家族からは心配とともに小言をもらったが、無事に帰宅したことへの喜びが、なにより大きい様子だった。

「――来た! りく兄、それロン!」

「えっ?」

立直リーチ、一発、一盃口イーペー、ドラ2――あっ、裏も2つ乗った!」

「親の跳満ハネマン……?」

「18,000円っ!」

「点だよ! お年玉の高額請求やめてくれ!」

 軽石かるいし家、居間。

 家族四人で囲む麻雀大会の一位が確定し、理久は一向聴イーシャンテンのまま一向に動きのなかった手牌を崩して、ひとり寂しくコタツから這い出た。

 自室へ向かい上着を羽織ると、窓越に灰色の空を見上げる。

「三箇日から雨か」

 しとしと、ぴちゃぴちゃ。先ほどやってきた御降おさがりが、港町の空気を重くしていた。


「――理久が振りこんでくれたお陰で、父さんが買い物行かなくて済んだよ」

「でも、理久が何事もなくてホント良かったわね。じゃ、グループチャットに買い物リスト置いといたから、ドベなんて気にせず元気に行ってらっしゃい!」

「そうそう、生きてるからこそ買い物も行けるんだよ? ついでに、あたしのアイスも買ってきてねー?」

 居間に戻ると、父、母、妹――皆がいつもの調子で新年を満喫し、

「人使い荒すぎ。大晦日は死にかけてたってのに……」

 理久も、いつもの調子でこき使われていた。

 なにが楽しくて、新年早々ほろ酔い気分を引き連れ、最寄もよりのスーパーまで傘を差さなくてはいけないのか。軽石家が、【三箇日は外出しない症候群】に陥るのは毎年のことだが、買い出しを賭けた麻雀大会で、まさか点数がマイナスハコテンになるとは――

「こっちは、りく兄ついに彼女できた! って家族みんなで喜んでたんだよ?」

「それがまさか、犯罪者だったなんてねえ……」

「お前は若いんだからゆっくり見つければ良いさ。魔法使いになる前にな!」

 父の語尾とともに、理久以外がゲラゲラと笑い声を重ねた。

 しかし、ここまでネタにしてもらえると、逆に救われた気分になる。帰る場所や、まともな会話があるだけの、ふざけた日常が今は――腹立たしくも嬉しかった。


 午前中のスーパーは従業員も客も少なく、買い物をしているその瞬間が馬鹿らしくなるほどだった。理久は五分もせずに買い物を終えると、エコバッグを傘の柄に引っかけ、帰路についた。

 まっすぐ戻れば十分もかからない距離である。

 それなのに理久が無意識に足を向けていたのは、霧雨の中、ぼんやりと浮かび上がる九階建の細長いマンションだった。ところどころ明かりは点いているが、あの最上階の部屋には今、誰も住んでいない。

「意外と高かったんだ」

 理久の行動意義は寂寥せきりょうでも、未練でも、ましてや憐憫れんびんでもなかった。そこにある『町の一部』をただ眺め、もう少しこのままで居たいと、耳に同化した雨に包まれながら見上げていたのだ。

 白い息を吐き出していると、意識がぼうっとしてきた。

「ん? えっ……?」

 目もぼやけてきた最中さなか、急に理久の心臓は体内をドラミングし始めた。九重が住んでいた九階の部屋に明かりが灯り、カーテンがひとりでに動いたからだ。やがてロジカルな言葉を発せないまま、否定を延々と巡らせた。

 あそこには誰も居ないはずだ! 大方、捜査員によって家宅捜索が行われているに違いない! なにも怖くないのだ! なにも――!

 不安から解放された現状を確認するつもりが、余計に胸が絞めつけられてしまい、逃げるようにして自宅へと歩を進めた。途中、エコバッグから慰めのエクレアを取り出すと、それを頬張りながら歩調を速める。


 だらしない体にまた一歩前進。

 黒い癖毛も去年から伸ばし放題で、非モテに拍車がかかる。

 このまま心身ともに怠惰で居れば、変な女が近寄ってくることもないはずだ。背筋に膠着こうちゃくする寒気を打ち消すために、理久は精製糖せいせいとうまみれの洋菓子を口に運んだ。

 何度も、何度も。

 一年の計のごとく彼は間違った方向へと思考を巡らせ、そして進んでゆくのだ。

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