12/29 ②

 タワーマンション。1505室内。

 玄関の正面にリビングダイニングがあり、ガラス張りの先にバルコニーが見える。

 窓に近づくと、港町のランドマーク的な存在がゆっくりと回転していた。ちらほらと人の影も見えるので、そんな時間になったのだと実感する。また、眼下には水族館、大きな港湾こうわんが一望でき、その先には途切れようのない蒼が続いている。

「ほら、ここから観覧車よく見えるの。やっぱウチよりも眺めが良いわぁ」

「そんな話をしにきたんじゃない。ゲームはまだ続いてるんだろ?」

「積極的なトコもあるんだね、嬉しい」

 縦に長いテーブルには、一本ばかりのペットボトル飲料。九重はキャップを外し、ぐいっと一口二口やると、それを手渡してきた。おそらく無言の圧力だろう、『飲め』という単純で、無垢な。


 強制的な間接キスのあと、九重がにやりと口元の形を変え、

「じゃあ……あすの問題ここで出しちゃうねぇ。『わたしたちがプライベートで初めて行ったお店で、出会った知人』を探してもらおっかな」

 ふたつ目のお題を口にした。

「またそんなお題か。お言葉だけど、過去にこだわりすぎじゃないか。俺に固執してる理由だって、まったく明快じゃないし」

「キミに質問の権利なんてないの。ゲームをクリアすれば、すべてわかるわよ」

「本当に好きな相手だったら、爆弾で脅さない」

「こうしないと、し。それにまだ起爆スイッチ押してないのよ?」

「どうせ最後に押すんだろう」

「そう思うなら、なんでゲームに付き合うの? 諦めれば良くない?」

 押し問答の時は随分とトーンが低い。逆に言えば、理久に対して好意を表す時だけ、コケティッシュな口調でからかってくるのだ。


「ま、そんなくだらない話題は良いよぉ。それより昨夜、ちゃんと帰ったぁ? もしかしてネカフェで一晩? だったらウチに泊まってけば良かったのに」

「家に帰らず、風呂も入ってない男のどこが良いんだ? 俺みたいなうだつの上がらないサラリーマンより、よほどイイ奴が居るだろ」

 あまりにも九重が厄介だったため、無意識に他人へ押しつけようとしていた。同時に、それが自傷行為だと気づいて悲しくなった。

「イケメン? 有能? 金持ち? わたしはねえ、そんな薄っぺらい奴らに魅力を感じないのぉ。人間の魅力は、汚くも醜いところにあるんだから」

 同時に九重から、遠回しに貶され――いや、滅茶苦茶な悪口を言われて、さらに悲しさが増した。

「割と歪んだ性癖だな」

「ありがとぉ。ねえ見て、ここからの景色。覚えてるかなあ? 覚えてないよね」

「はあ……俺だって全部忘れるわけじゃない。あの時ここで、十人くらいの男女が酒を飲んでた。テーブルにつく者、バルコニーに出る者――そんな中、観覧車はライトアップされ、俺は『地元なのに、アレに乗ったことがない』って口にした」

「そう。わたしが、『誰と乗る約束をしたの?』って聞いたら、はぐらかした」

「そんなこと言われても……覚えてないんだよ」

「思い出すわよ」

「なぜわかる」

「約束は、何年経っても約束だからよ」

 無意味な会話が止まり、数分の沈黙が流れた。

 ただ、昼前の港町を眺めるだけの無意味な時間。

 犯罪者と一般人の、ただただ意味のない時間だ。


 なぜか、理久は心地良かった。

 理久は今、社会の波をゆらゆらと浮遊するタイムボムだ。そういった普通の人間とは異なる役割ロールを与えられ、名誉に似た責任を覚えているのかもしれない。

 どうせこの先もモテず、なんの功績も残せず、一生独り身で死んでゆくロクでもない人生だ。家族以外の誰にも相手にされず、その仲の良い家族もどこかへ離れてゆくのだ。昨晩のすっぽかしを機に、自分の感情がもはや沖合にあるように思えていた。

 だから――

「キミはぁ、この町で平穏に生きていたかっただけ。極小なリワードに対して、多大なプレジャーを感じたいだけだったの」

 そう。どこにでも居る、一人物として。

 九重の発声の端々は、心身にネットリとまとわりつき、時間が経つと身動きができないほどに硬化する樹液のようだった。

「……さて、俺みたいな無能会社員はさっさと次の答えを探すわ。時間の余裕もできたし、少しでも死なない可能性を探さないと」

「んふふ、死なせないわよ? あそうだ、コレ渡さないと。あとで読んでね」

 話が途切れ、九重が一封の水玉封筒を差し出してきた。読みたくもなければ、受け取りたくもなかったが――

「気をつけてねぇ」

「あ、あぁ……」

「警察署に行ってもドカン! 110番してもドカン! 勝手に外そうとしてもドカン! 遠くに逃げてもドカン! 時間切れも、全部ドカーぁン! あっはははっ! 絶対に思い出してね! もう、したくないでしょ!」

 背後では、自らの発言が笑いのツボに入ったように、ひとりケラケラと転げ回る影が蠢いていた。それに呼応するようにレンタルスペースのキッチン、リビング、ベッドルームで、小規模な爆発が次々に起こり始めた。

 頭はもうおかしくなっている。

 あちらも、こちらも。

 理久は逃げるように、煙が上がる部屋を脱出した。


 しかし今思うと、中居はなぜ繁華街に居たのだろうか。店が開いている時間でもなかったし、声を掛けてきたのだって向こうからである。

「聞きたくても連絡が取れないな……」

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