おーみそか ①
十二月三十一日。
帰るところも居座るところもなく、人の居ない場所を彷徨い、北風も防げない高架下のコンクリートにたどり着くと、そこでじっとしていた。
理久は歩く気力を失いながらも、中居が最期に言いかけた言葉を、使い慣れない端末で検索した。
「スメルチはロシア語で、『竜巻』を意味する……。爆破された衝撃で、突風を起こすのか。だったらここで良い……誰も居ない高架下で、虚しく爆破されれば……」
目を瞑って数分。
家族や中居の顔が、何度も浮かんでは九重の笑顔に上書きされる。悪魔の言葉は、脳裏に浮かんだまま消えようとしない。むしろ九重の発言が磁石のように、こちらの思考にくっついてくるようだった。
目を開ける。
なにかの気配を感じて横に視線を向けると、リヤカーを引いたホームレスの男がヨロヨロと現れ、理久から何メートルか離れた位置に座った。ほどなく男の側には野良ネコが寄ってきて、両者が戯れ始めた。
駄目だ。ここに居たら、必死に生きようとしている者たちを巻きこんでしまう。理久は立ち上がり、立ち眩みが引いてゆくのを待っていると、
「兄さん、死にそうな顔してるな。大丈夫か?」
理久の心情を見透かすように、ホームレスの男が鋭い視線を向けてきた。
「はい、もうすぐ死ぬんです。歪んだ愛情によって」
理久もそれに応えるように、体をフラフラさせながらも凛とした目線を返した。
「ほうか。歪んだ愛情によって、生かされてるヤツも居るってのにな」
とホームレスは、使い古したビニール袋の中から煮干しの小袋取り出し、封を開けると中身を手に乗せて、野良ネコに食べさせてやった。その頭を何度も撫でながら。
「でもさ、やっぱ近くに居たいもんだ。愛する者の……最期の時くらいは」
そのふたりは、友達なのだろうか。何年来の付き合いなのだろうか。
そのふたりは、自ら望んでここに居るのだろうか。
そのふたりは――今もずっと生きたいと思っているのだろうか。
「そのとおりだと思います。失礼します」
理久は上手い返しが思いつかず、齢の圧に呑まれた。
ほどなく、九重の声に心が呑まれる。
『竜巻のように吹き荒れてねえ。わたしはそれを、また観ててあげるから』
中居を爆殺した時、九重は安置から観察していたのだ。外へ連れ出したのは、その瞬間がより鮮明に見えるから。爆破のトリガーは、理久が写真を――彼を画角に収めてしまったからだ。
「今回は、俺が観覧車で爆破されるところを見るつもりか。っざけんなよ……」
観覧車での思い出なんて、なにひとつない。九重はなにか勘違いしているのではないだろうか? あるいは、人違いとか記憶違いとか――どれにせよ傍迷惑な話だと、泣きそうな声で文句を漏らした。
「っや、待てよ。逆に言えば……アイツは俺の爆散を楽しみにしてるはず。なら、その場所を先に突き止めればチャンスが……」
理久は気持ちを切り替え、地図アプリを開いた。
観覧車があるのは、港湾ゆえに開けている場所である。付近の高い建造物は、六十メートルほどのポートビルディングくらいで、そこには展望台が用意され、大晦日は特別解放されているようだ。
「アイツは他人が居ない場所を選ぶ」
とはいえ、九重の性格からして恋人で賑わう場所なんて選ぶわけがない。であれば、例のレンタルスペースが有力か。理久はすぐにマンション名をサーチしたが、
「あ、そうだ……あの女、レンタルスペース爆破しやがったんだ」
爆破事件の記事がトップに表示された。また、先ほど中居が被害に遭った事件の記事も同じように、上位に表示されている。警察は、ふたつの事件の関連性が高いとして捜査しているという。
「レンタルできないとなるとアイツの家? いや……」
九重の家からでは、観覧車までだいぶ距離がある。それでは理久の爆殺も、民衆の慌てふためく姿も楽しめないではないか。もっと犯罪者の気持ちになり、自分ならどこを選ぶかを考えなくてはいけない。
「中居がやられた場所は、周りがオフィスばかりだった。どこから見てたんだ……」
九重はあの時、理久にも中居にも的確に指示を出し、あたかも近くに居るような口振りだった。『最期の瞬間こそ近くに居たい』が真理だとすれば――
「そうか、アイツは本当に近くに居たのか。野次馬の中から、俺たちのことを見てたんだ。ってことは今夜も、現場に最も近い場所で……」
観覧車での珍事を間近で見るのに、最も近い場所。
考えうる場所は、もうひとつしかなかった。
「同じ観覧車? そして自分には危害が及ばない場所……? 隣のゴンドラか」
簡単な話である。九重は、『ふたりの特別なチケット』と言った。その時点で、理久の分だけ用意しているわけがないのだ。
「今度こそアイツを止める」
決意新たに、理久は改めてスマートフォンに目を落とし、開きっぱなしだった記事を読み始めた。
「ん? えっ、これって……」
そうして、記事の内容に目を奪われ――次第に膝から力が抜けてゆき、歩くのをやめてしまった。遠い空を眺め、ただ嘆息を吐きながら。
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