おーみそか ②
夜の帳は下りきった。
今夜は普段以上に町がギラギラと輝き、皆の目も冴え渡っている。
『治安の悪い港町』というワンフレーズが横行したのは、もう何年前か。今では道が舗装され、街灯が増え、時代の流れによって犯罪率が減ってきている。
――もちろん、犯罪に巻きこまれる者も居るが。
理久はショッピングモールで新たな服を購入すると、その店で服を取り換え、くたびれたスーツをコインロッカーにしまった。次に、隣接する百円ショップでキャップと伊達メガネを購入し、どちらも装備した状態で暇を潰した。
二十三時四十分。年越しが近づいても、不思議と心は落ち着いていた。今夜は風が強く、ジャケットを翻しながら港湾へ向かうと、道の途中から多数の『物好き』を確認できた。
「どんだけ居るんだよ、大晦日だってのに……」
理久は若者の間を縫いながら観覧車乗場の前へ行くと、
【特別チケットをお持ちの方はこちら】
と書かれた看板を持つ案内係――その周りに、小規模の列ができていた。
「特別チケットをご利用のお客様は、五分前に搭乗となりまーす! 一周に十分ほど掛かり、それを二周いたしまーす! チケットをお持ちの方は、こちらにお並びくださーい!」
理久は案内係の言葉を横目に目当ての人物を探した。これが本当に、恋人同士の待ち合わせだったらどれだけ幸せだろうか。
二度と会いたくない女を探すだけでも憂鬱で、また骨が折れるというのに、それから奴の野望を止めるなんて無茶にもほどがある。
「ふう……っ」
一息――吐ききる前に、背中に硬い物が押しつけられ、「動くな」と耳元にくぐもった声が触れた。心臓を飛び上がらせながら、理久は首と目線を動かして後方を確認すると、コートのフードを被り、黒いマスクをした女が、スマートフォンの角を背中に押し当てていた。
「わたしの背後を取るつもりだったぁ? 残念でした」
聞き覚えのある、見覚えのある、嗅ぎ覚えのある――すべては、この数日間で理久を苦しめた要因だった。
「九重? なんの真似だ……」
「愚問。出し抜こうとしてたんでしょ?」
「なにを言って……」
「わたしね、初めからキミと同じゴンドラに乗るつもりだったのよ? だって、ずっと……ずーっと前から約束してたじゃない! 結果、やっと来てくれた!」
ふたりの行動は傍から見れば異様だった。が、周りのカップルたちは、自分たちの世界に没頭しており、誰も気にしている様子はなかった。
有難いやら、恨めしいやら。
――端から他人に助けなど求めるつもりはないが。
「わたしたちの記憶を辿るゲームも、ついに終着点だねえ」
九重は、この期に及んでふたりの思い出を引き合いに出そうとしている。頭がぼうっとして、返答が遅れた。ほどなく案内係が、拡声器越しになにかを叫んだかと思うと、観覧車への列が動き出した。ふたりはそのまま、雑踏に取りこまれるように混ざり合い、同じゴンドラへと収納されてしまった。
流れ作業のごとく扉のロックがかけられ、理久と九重は向かい合う。
「お前、こんな危険な遊びしかできないのか?」
「ゲームとか、よくわからんもん」
観覧車が昇り始めると、九重はフードを脱ぎ、マスクを外した。数日前まで好きだった女の顔が薄暗いゴンドラに浮かび上がる様は、ホラーに通ずるものがある。
「爆弾作る奴が、ルールを覚えられないとは思えないんだが」
「あははっ! だって社会のルールも覚えれんもん!」
九重の喜怒哀楽――果たしてどれが素の姿で、どれが演技なのだろうか。一瞬でも考えると、彼女の感情の坩堝に引きこまれそうだった。
「俺の爆散シーンの特等席が、初めからそこだったとは。で? 一緒に吹き飛ぶか、警察にしょっ引かれるか、どっちを選ぶんだ?」
「えーえぇぇ? この距離じゃ、その頭が吹き飛ぶだけよ? わたしに届いたとしても軽傷で済むし。それにキミ、死ぬのが怖くて仕方ないクセに」
この女、異常者ぶっているが意外と冷静な思考である。
確かに理久は、今でも死にたくないと願い、九重の前で土下座して足を――いや、靴を舐めてでも助けてもらいたいと思っている。完全に九重の掌の上で踊らされ、生殺与奪を握られている中では、ブラフなんて一抹の虚勢に過ぎないようだ。
「……死ぬのが怖くない奴なんて居ないだろ」
「わたしも怖いわよ? てか、キミが言いたいのはそんな言葉じゃないでしょ? 言って良いよ? 結婚しよう――って言うんでしょ? やっと聞けるわぁ……」
「しないよ」
「はぁ? なんで?」
「お前が犯罪者だから」
「はっ? できるし、結婚! ホラ、これが証拠の写真! 見て!」
ゆるりとしながらも一切の隙がなかった九重が、急に警戒心を強めると、スマートフォンを取り出して、両手で操作を始めた。突き出すように見せてくれたのは一枚の画像で、男女が仲睦ましそうに抱き合っていた。
ひとりは九重で、もうひとりは――
「それ誰?」
理久には到底、覚えのない人物だったのだ。
「誰って……え、これはキミよ! キミよね? ほら、見た目とか! えっと雰囲気とか……あ、あと性別が同じ! せ、性格だって同じだし!」
端末の中から、九重と満面の笑みを見せている男。
会ったこともない人をどうこう言うのは気が引けるが、普通の醤油顔で、鼻が低くて、体型も中肉中背で、どこにでも居る日本人だった。
理久にはまるで似ていないが、まるで理久のような雰囲気で――
「わたし、ずっと待ってるのに……プロポーズ」
しおれた態度の九重。上目遣いの九重。話が噛み合わない九重。
この女が元恋人の話をしているのは、明々白々としていた。なにかしらの理由で恋人と別れ、そのあとも約束を信じ続けているのだろう。問題は、どうしてそこまで自信満々に嘘をつけるのか。また、理久が巻きこまれている理由である。
「なあ――」
「ま、待って! ねえ……ホラ、その時の日記だってあるし! お義母さんと、お義父さんが、わたしにくれたの! ちゃんと……見てよ! ちゃんと思い出して!」
なおも話が見えなくなってゆく。
日記をくれたとは――? 尋ねるよりも早く、九重がカバンから取り出したのは、角が丸まり、あちこちが色褪せた長方形だった。いったい何年前の日記帳だろう。九重が開いて見せてくれたページには『12月27日』と表記されていた。
『ついにするぞ! 愛梨さんに告白する!
籍は1月1日に入れるつもりだけど、あす28日にプロポーズするんだ。
良い区切りだし、仕事納めの告白も社会人っぽくてアリかな、なんて。
今さらだけど、僕みたいな男に付き合ってくれて本当に感謝してる。
もっとイケメンや高級取りも居るのになぁ…。
なんて言ったら、また愛梨さんに、
キミは後ろ向きだなあ!
って、怒られちゃうかな(笑)
告白したあとは、ベタだけど…大晦日の観覧車に誘うぞ。
チケットも取れたし、きっと大丈夫…!』
理久は読み終えたあとも無言でうつむき続け、
「あのさあ……」
しばらくして顔を上げ、ぼうっとする視線で九重の顔を見据えた。
「――待って!」
彼女の拒否は明確だった。おそらくは、現実への拒否。
「九重愛梨さん? よく聞いてほしい。俺の名前は軽石理久。その人は……やっぱり俺じゃないよね? たぶんそれは、俺とは非なる『元恋人』だと思うよ」
彼女は、硬直の末にゆっくりと目を逸らしていった。
「え? あ、そっ……そうなの? あぁ、そ……そっか、そうかも……? だってあの人、もう……死んじゃったんだもん。え、あなた誰?」
九重の素っ頓狂で――また大真面目な言葉が放たれた瞬間、一発目の花火が、新年の棲んだ夜空を、やかましくも壮大にぶち壊した。眩しすぎる火花が拡散しながら、日付が変わったことを知らせ、外からは花火以上に
「お、おい……マジかよ……」
新年の愚民たちを余所に、理久は背筋が凍るのを感じた。声帯が震えきっているのが、自分でもわかるくらいに。こんな密室で、凶悪犯が自分の勘違いに気づいたなんてパターン――控えめに言って、最悪だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます