December 30th ②
電話を切って十分ほど。中居がカフェに来店し、正面の席に座った。普段どおり細身のスタイルで、私服のジャケットもオシャレに着こなしている。彼は慣れた様子でシュガーフリーのコーヒーを注文するなり、ここまでの経緯を語ってくれた。
「実は納会の日、彼女から電話がかかってきたんす。『ふたりきりで会いたい』って。二十三時近かったかな……オレはふたつ返事で家に向かったあと、まあ、その一緒のベッドで一晩を過ごしまして」
「え、え? 恋人じゃないのにセックスしたの? てか、同じ会社の社員同士なのにしても良いの? え、会話とかどうするの? なに話すの……」
「か、軽石さん、中学生じゃないんですから……」
理久ときたら、キスされただけで戸惑っていたというのに――
恥ずかしくて後輩と目を合わせられない。
「で、翌日の朝になって、彼女が不吉なことを言うんです。『早く彼を見つけないと、今年中に死んじゃうよぉ』って」
「彼って俺……か。どうにか生きてるけどね」
「どういうことです? 彼女に聞いても教えてくれなかったし、最終的に『繁華街をウロウロしてるから、見つけてあげて』とだけ言い残して、どっか消えちゃうし」
「あぁ、それであの時……俺とバッタリ出会ったのか。アイツなりの慈悲なのか、ゲームを面白くするための計らいなのか」
「ゲーム……? あ、それから朝起きたらこんなものが首に巻かれてて」
中居が説明の途中、自分のマフラーをずらして見せてくれたのは――
「お、お前……それっ――!」
くしくも、理久とおそろいのチョーカーだった。奴の笑みが死神のごとく彼の背後に見えるようで、ぞっとした。
記憶力の悪い理久の脳裏に、中居の昨日の仕草が蘇る。理久がマフラーを巻き直した際の、ミラーリング。あれは無意識ではなく、意識的な――
「このチョーカー、オレの趣味じゃないんすよねえ。でも彼女には、今年中は外すなって言われるし……なんなんですか?」
それは、
「落ち着いて聞いてほしい。まず、そのチョーカーは外さないで。あと、今すぐこの件から身を引いてほしい。このままだと、中居くんまで酷い目に遭わされる」
「そうしたいんですけど。実はある暗号を渡されて、それを解いてみせろって。解けないと彼が死んじゃうって、また脅されて」
「マジかよ」
「それに……解けたら特別なリワードをくれるって、エサをチラつかせて」
どこまでも卑劣な女だ。男心を弄び、なにも知らない中居までもを、時計仕掛けの処刑台に乗せているのだから。
「……なんて言うか、オレも好きなんすよ、あの
「俺はもう過去形だよ。それより暗号って、まさか12月30回?」
「はい、そのまさかです。ってことは軽石さんも」
ふたりの苦笑が重なると、中居が小さいショルダーポーチから、例の便箋を取り出した。
「おそらくアナグラムだと睨んで、なんとか並べ替えてみました。それで正誤を確かめようと、教えられた番号にかけたら、軽石さんが電話に出たんです」
要するに、中居は奴の駒にされているということだ。なにも知らされないまま、気づいたら底なし沼に足を取られ、膝の下まで埋まった状態か。
「てか、解けたの? あの、12月30回」
「わかんないっすけど、一応コレ」
と、自信なさげに中居。便箋には何度も入れ替えたであろう羅列がひしめき合い、その中に大きな赤丸で囲われた一文があった。
【re im detect he s bm30】
「ふたたび検出する? 彼はbm30である? 最後のBM30って……なんだ」
文法はどうあれ、どうにか単語をつなげてみたという中居。仮に間違っていたとしても、もうそれが正解で良い気がした。
「あ、それ写真撮って良い?」
理久は念のためデータに収めておこうと、一言訊ねると、
「良いっすよ」
と便箋を手に取って、中居が暗号を向けてくれた。
シャッター音――彼の手や上着が写ってしまったが、問題はないだろう。そうして理久はデジカメに収めたあと、暗号の意味がわからずに頭を悩ませた。
「検索でヒットしたのは、ロシアのロケット砲でした。正確には【BM-30 スメルチ】って書いてありますね」
「ロシアの……ロケット? 住める地? まさかアイツ、最後にロケットでどこかを爆破する気じゃないだろうな……」
「爆破って物騒すぎますよ。それと、スメルチっていうのは――」
中居が言いかけると、見計らったように着信音が鳴った。どうやら彼の端末が着信を吐き出していたようで、すぐにその対応に移った。
「もしもし? え、愛梨ちゃん? ん、電波悪いな……」
中居は律義に席を立ち、「ちょっと失礼」と電波を探しに、店の外へと出ていった。理久が座る席からは、ガラス越しに誰かと話している様子が窺える。おおよそ、九重のふざけた電話なのだろう。
とにかく、このまま中居と一緒に暗号を解けば、目当ての人物――答えにたどり着けるのかもしれない。
理久は、少しばかり胸を撫で下ろした。
――刹那、鼓膜が破れるのではないかという爆音が響き、わずかな振動を感じた。
「なっ……!」
目に映ったのは白煙と、ヒビが入った店のガラス。また、そのガラス越しに立っていた中居の姿が、どこにもなくなっていた。次第にやまない悲鳴がスクランブルし、店頭および店内がパニックに包まれていった。
「ど、どうした? なにがあった……!」
予想と事実とが、脳内ですれ違っていた。そのふたつがリンクしないでほしいと、切に願っていたのだ。理久が混乱に乗じて外に出ると、一方向へと走り去る民衆の姿が目に飛びこんできた。中には泣き叫んだり、へたり込んだり、体を押さえていたりする者も見受けられた。
規模は定かではないが、今の爆音によって被害者が出ているのは確かだ。
では、皆はなにから逃げているのか? 人々が離れてゆく中、店の横のタイルに倒れていたのは、見覚えのある男だった。彼の――中居のジャケットは血に染まっていた。おそらく、最悪の事態である。
急いで中居に駆け寄った理久だったが、
「な……中居! なかっ――えっ……」
その惨状を見ていられず、目を逸らしてしまった。自分もそうなるのかと思った瞬間に、足の力が抜けてゆくのがわかった。
無気力にビルに寄りかかると同時に、理久のリュックから大音量の着信。画面には【フィアンセ】という文字と、九重の満面の笑みが表示された。
――どうやら理久を休めてはくれないようだ。
『おはよぉ……そこに居ると、あとあと面倒よ? 逃げたほうが良いよぉ? キミが疑われちゃう』
「こ、九重っ! お前、なんでだよ! 中居はお前のこと――!」
『これはねえ、働いてくれたアイツへのリワードよ? てか、マジで逃げな。そこで震えてると、サツにパクられるから』
九重の発言には、一切の罪悪が含まれていなかった。理久は、悔しさと情けなさに苛まれながら、民衆に紛れてその場を脱した。
『ようし、三十日分のお題はクリアね。おめでとぉ』
「はあ? なにを……」
『プライベートで初めて行った場所で、わたしたちを邪魔してきた知人は、中居くんでしたぁ。はーい、パチパチパチ――』
「邪魔……? あ、そうか……思い出した。今年の夏、お前と行ったレストランで、中居とたまたま出会って、奇遇ですね――って挨拶して……。はっ? おい待てよ、アイツがなにした? どういうことだよ!」
『だから、それが邪魔だって言ってんの! プライベートで話しかけてくるとか、配慮なさすぎ! しかもアイツ……昨晩、わたしに
「どこまで自分勝手なんだよ! だいたい昨晩はお前が誘って、合意の上で寝たんだろうが! なんでもかんでも、人のせいにすんな!」
『なんでアイツを庇うの? やっぱアイツのこと好きだったの? 童貞でわたしに手ぇ出す勇気すらなかったクセにぃ! あぁ、でもそういうトコが好きよぉ!』
「黙れ! お前なんかより何十倍も好きだったよ! なんで中居が……!」
――一拍。
『あっそ……じゃあ、もう良いわよ。はい、最後のお題――あなたの死に場所を撮ってきて? どこで死ぬかくらい決めさせてあげる。他人に迷惑かけたくないんでしょ? 記憶を辿る最後の旅路……わたしたちの思い出の場所!』
「んな場所ねえんだよ!」
『……ひとつしかないのに。じゃあ大ヒント、リュックの内ポケット調べてみ?』
耳の奥へと響いてくる声。言われるまま理久は、傀儡のように行動を取る。
「え? この紙切れ……?」
カバンから出てきたのは、日付入のチケットだった。
『ふたりの特別チケットよ! それがあれば、観覧車でカウントダウンと花火が楽しめるのぉ! キミとわたしの思い出の品よ!』
この港町では、新年を迎えるとともに花火が打ち上がり、港湾の夜空を派手に演出する。また、ランドマークの観覧車も大晦日だけは特別営業しており、予約した者だけが、その瞬間をゴンドラで楽しむことができるのだ。
――ずっと
『わたしの部屋に来た時点で、すべて仕込んでたの。でも……あなたも、竜巻のように吹き荒れてね。わたしはそれを、また観ててあげるから』
電話が切れる際の九重の一言は、深い溜息に塗れていた。
心から悲しそうに、名残惜しそうに。
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