12月28日 ②

 ――あやふやな間。

 どちらかが口を開きかけると、その瞬間をぶった切るように、理久りくのスマートフォンが着信音を吐き出し、『現実』を与えた。

「チッ……」

 九重ここのえの不服は舌打ちに表れ、理久の内ポケットが――左、右とまさぐられ、端末を奪われた。画面には【軽石 愛奈】の固有名詞。

「はぁ、誰これ? あいな? ん……? あ、あぁ――!」

 わかりやすくの名前に反応したであろう九重だったが、百面相のごとく今度は表情を明るくし、画面の緑色をタップすると、

「もしもーし。はい、わたしは軽石さんの後輩で九重って言いまーす。うん、ちょっと酔いが回っちゃったみたいで、介抱してあげてるんですけど。え? いえいえ、大丈夫ですよん。ちゃんとタクシーで送っていくんで……はぁい、では」

 あたかも本性さながらに得意の余所行よそゆきを演じ、電話の向こう――妹を言いくるめている様子だった。

「今の妹ちゃんでしょ? やばっ、わたしと似てる名前! う、運命かなぁ! 愛奈ちゃん可愛い? 否、絶対カワイイ。あぁ、逢ってみたいなー!」

 返答すら面倒臭かった。

 こんな犯罪者まがい、家族の誰にも会わせられない。

「どうして酷いこと言うの? 家族になるのに」

 他者とはまるで異なるベクトルで未来図を自己完結している九重に、理久は室温とは異なる寒気を覚えた。どこまでも強引で、一方的で、前向きで――こいつには、相手に拒否されるというがないのだろうか。


「ではでは。時間もアレだし、そろそろ記憶力の訓練に参りましょ?」

 計った一拍に合わせ、九重がふたたびトーンを下げる。本性を現した時ばかりは、緊張がピークに達する。

「問題。入社後、わたしがキミと初めて会話したのはいつでしょう?」

 そうして、九重は新入社員歓迎会での出来事をほじくり返してきた。今更、あの時の感情を取り戻せとでも言うのだろうか。監禁未遂を起こしておいて。

「歓迎会はわかってんの。何月何日って意味よ?」

 いちいち、過去を確かめたがる女である。理久は長息を被せた。

 歓迎会は、入社式があった週の金曜日に行われるのが例である。即座にスマートフォンのカレンダーを数ヶ月分戻し、理久は四月七日を導き出した。

「せーかい。では、場所はどこだったでしょう? 場所を正確に答えて」

 九重は波状攻撃を続けてくる。

 それは馬鹿げた質問だった。この一年で、いったい何度の飲み会に参加したと思っているのだ。結婚記念日を祝った店でもあるまいし、いちいち覚えている奴が居るものか。仮に幹事だったとしても、そんな記憶はきっと忘却の彼方である。

「ち、違う! ふたりが仲良くなった場なんだから、記念日じゃん!」

 そう思っていたのだが、『記念日』というワードをたくみにリユースされると、罪悪の境界が曖昧になってしまった。

 溜息。

 記憶力に頼るよりも、地図アプリのタイムラインを遡れば、いつ、どこに、何時何分まで滞在していたかなんて、容易にわかる時代だ。理久はふたたび画面に目を落とした――

「こらーぁ!」

 刹那に飛んできたのは強めの足蹴だった。出し抜けの打撃と、想像以上に体重が掛かっていたため、理久の上半身がベッドからはみ出し、咄嗟に床についた右手からスマートフォンが滑り落ちてしまった。

「なんでズルする? やんないで? そんなの……悲しくなる……」

 姿勢を整え瞬きするともう理久の端末は、目を潤ませて鼻をすする九重の右手に収まっていた。涙のこぼしどころが意味不明で、理久も泣きたくなった。

「だ、大丈夫よ。キミには時間ある……三日間、ちゃんと与えてあげる。、ふたりで最高の三日間にしよ? 場所がわかったら、そこで自撮りしてきてね」

 ふたたび椅子を蹴り飛ばした九重は、荒っぽくチェストを漁り、型落ちしたデジタルカメラを差し出してきた。同時に等価交換のごとく、「スマホは没収」と、自分のポケットに収めてしまう。

 理久は辛抱ならず、立ち上がり様に無言でそれを奪い返そうとした。

「ズルはダメだって……! 言った……でしょ! 絶対やるでしょ!」

 が、手足をばたつかせるような馬鹿力は想像以上に強く、そもそも九重自身との連絡手段がなくなるという思考には至っていないようだった。

「大丈夫、わたしたちは離れるなんて……あり得ないからあ!」

 コイツの力が異様に強いのか、理久の意識がまだ朦朧としていたのか。悶着の末に、理久は肩で息をしながらベッドに腰を下ろし、体を落ち着かせた。


 一呼吸。

 ――ずっと気になっていたが、首輪のようなチョーカーはなんなのだろうか。理久は、それの感触を首筋と指先で感じながら、九重に冷めた視線を送った。

「あっ、やっと気づいた? それはぁ、ルールのひとつ。外しちゃダメよ?」

 馬鹿も休み休み――言えないから『馬鹿』なのだろう。どうせ、この女の趣味でつけられたに決まっている。人のことを犬かなにかと勘違いしているのだ。

 今すぐ外して、九階の窓から投げ捨ててやろうか――

「あっ! ま、ま……待って! そのチョーカー外さないほうが良いから絶対! 付けたはイイけど、わたしも外し方……知らないし! ひとつわかるのは、無理やり外そうとするとドカン! 爆発するかもってコトくらい……この距離だと、わたしも吹き飛ぶからやめてね!」

 この女は、どこまでも世迷言を止めようとしない。理久が下手に出ているからこそ調子に乗っているのは明らかだった。さすがに脅しにもほどがあるし、悪意が過ぎるというものだ。

「待って、それはマジで! あ……そうだ、アレ見て! ゴミ捨て場!」

 と、急いで窓を開けながら九重。先ほどとは異なる焦りように、ゆったりとした口調が崩れ、トーンが地声に戻っていた。理久は訝しげに、言われるままマンションの下を覗きこんだ。

「行くよ? ポチっとしてみたりぃ」

 掛け声に合わせ、九重がスマートフォンをタップした瞬間だった。爆発音とともに微弱な振動が体に伝わってきたのだ。地上では、曜日を守らずに捨てられていた可燃ゴミが吹き飛び、フライング気味の篝火かがりびが始まってしまった。

「ふぅ……わかったぁ? ルールを守らない人は、あーゆー風に炎上するのよ?」

 九重の語るルールとは、不条理な『社会』に対してか、この数日で考えたであろう『ゲーム』に対してか。

 どちらにせよ、よくわかった。装着しているチョーカーがブラフではないこと。また九重は愉快犯でも、メンヘラでも、犯罪者まがいでもない、れっきとしたであることが。

 これで心置きなく通報――! できないのが辛いところだ。

「安心して? ちゃんと防水だから、お風呂入れるわよ。それでも不安ならウチのお風呂入りなよ。わたしがキミを隅々まで洗ったげるし」

 この部屋は二酸化炭素濃度が濃すぎる。

 理久は少しでも娑婆の空気が吸いたくて、ハンガーにかかった上着を羽織ると、無言で玄関に足を向けた。

「帰るの? まあ良いけど……ちゃんと場所を探して、自撮りして、データちょうだいね? 正解したら、次の問題を出すから」

 次の問題? 相変わらずなにを言っているのだろう、この女は。不穏な発言に理久は振り返り、目を丸くした。

「だから言ったじゃない。って。キミ、どこかゃうし。だから、あす、明後日、大晦日――一緒にゲームでつながりましょ? でも、お題を達成できずに年を越しちゃったら、ねっ?」

 理久は最後に一言、ふざけるなと罵声を浴びせた。


 ――勢いで九重宅を脱したものの、父や母、妹に被害が及ぶなんて絶対にあってはならない。こうして、身を打つ思いで真冬の街を彷徨っている間、あの女は家でぬくぬくと身を焦がしている。

 そう考えるだけで、爆弾男は純粋な悲哀を覚えた。

 これから、どこへ向かおう。

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