あれから、これから

 キミは、わたしの人生を大きく変えてくれた。

 ――わたしの人生を大きく、変えてしまった。

 わたしをひとりにして、どこか遠くへ行ってしまったのだから。


『あの人は容姿、頭脳、体型が平均以下のモテない人だった。学生時代を港町で育ち、地元で就職。実家に住み続け、家族との時間を大切にし、上司や後輩からも慕われ、わたしにまつわることを常に覚えてくれてる人だった』


 わたしは、その日も見覚えのある九階の部屋に居た。

 普段どおりスマートスピーカーに声をかける。

 四月三日。最高気温21度、最低気温12度。

 一日を通してほぼ同じ天気だという。

 ニュースをBGMに、本日の支度を始める。

 朝方は冷える。

 が、これ見よがしにハンガーにかかったスーツが、仮初の原動力を与えてくれる。

 そう、今日から新しい社会人生活が始まるのだ。


『よく覚えてない。気づいたら病院じゃなくて、自宅での朝が始まってたから。あの人の死なんて、まるでなかったように面接を受けて、社会復帰して、日々をこなしたの。当然でしょ、わたしが二十三歳で新卒なワケないじゃない。自らを詐称したのは、やり直したかったからだと思う』


 誰も疑わない、九重ここのえ愛梨あいりという存在。

 周りは頓馬とんまばかりで退屈である。

 どうであれ、社会人として立ち回るなんて造作もないことだった。


『新歓はホントつまんなかった。緊張した新卒たちと一緒の席で、意味のないコミュニケーションを取って、上司におべっか使って、ちょっと女性らしさを見せてやると、バカなオッサンが汚い歯を見せて喜んでいた。みたいなのが、いっぱい居たわよ?』


 新歓が終わると、妙にエネルギッシュな色黒男が、二次会に行く者を募り始めた。

 興味は微塵もなかったが、ここで社交性を見せるのも大事な仕事である。

 色黒男は店を決めあぐねていた。まるで要領が悪い。

 そんな中、ひとりの現社員がレンタルスペースを勧めた。

 結果、安上がりに済ませられるタワマンの一室に十一人が集結した。

 二次会に来たのは新卒七人、現社員四人。

 それぞれ、コンビニで買った酒やつまみを持ち合い、宴会の続きが始まる。


『わたしの隣に座ったのは、レンタルスペースを提案した現社員の男だった。ホントどこにでも居る冴えない男。なのに……わたしは、その人に目を奪われてしまった。きっと……いや、絶対にあの人に違いないって! 醸し出す雰囲気は、すべて一緒だもん! そう、軽石かるいし理久りくくんって言った! りく……?』


 実はそのレンタルスペース、以前あの人と来たことがある。

 一度で良いから、こういうロケーションでのだ。

 たくさんの人々を見下ろしながら、広い部屋での小さなエキサイト。

 当然、この場に居る誰にも言えないヒミツだけど――理久くんは違うよね。

 ねえ理久くん――いや、は、わたしの人だもんね?


『ううん、彼はわたしを忘れちゃってた。だから愛梨、って名乗ってあげた。ここに来るの久々ね、って言ったらまたハテナ。窓辺へ移動して観覧車キレイだねって言ってたら、ライトアップが消えちゃってふたりで笑った。去年の仕事納めは、きっと告白してくれるって、大晦日は一緒に乗ってくれるって願った』


 アプローチの甲斐あって、とはすぐに仲良くなれた。

 は奥手だから進展は遅かったけど、もどかしくて可愛い。

 どうせ遅かれ早かれ――結末は一緒なのにね。

 お付き合いは順調だった。


『順調な日々なのに、彼はわたしとの記憶を思い出さなかった。もう少し時間が必要だったみたい。だってーのに、思わぬ邪魔が入ったのよ。そう……あの後輩が、彼の命をまた奪いに来たの。あまつさえ、プライベートで楽しんでいる時に、急に声をかけてくるなんて……』


 いわゆる『陽キャ』と呼ばれるアイツは、良い人ぶって近づいてきた。

 とも仲が良いし。いったい、何者なのだろう。

 挙句、納会の日にまで邪魔してくる始末。

 もう、我慢の限界だった。

 もう、さっさと始末してしまおう。


『はぁ? アイツが誰だろうが関係ないんだよ! 邪魔だからブチのめした! えぇそうよ、アイツの姿が、あの人殺しと重なって、やり場のない感情が爆発した! じゃあもう、それって同一人物で良いじゃない!』


 スマホの起爆スイッチを押した瞬間、わたしはアクメに達していた。

 意味のない暗号を必死に解いて、彼を助けた気になっていたアイツは倒れた。

 綺麗に人体が崩れ、綺麗に人垣が割れた。


『わたしが望んだのは、彼との時間を……約束を取り戻すことだった。けれど……そうかもね。言うとおり、記憶がなかったのはわたしのほうなのかも』


 そうして障害を乗り越え、キミは無事に約束を守ってくれた。

 けれど、嬉しいはずの大晦日はあまり楽しくなかった。

 なにが原因なのか、よくわからなかった。


『だから、どうやって病棟を抜け出したかなんて覚えてないってば。監視カメラの映像でも見れば? 余罪って……別に、なにかしたわけじゃないし。えぇ、わたしの家族はみんな死んだわよ? さあ、どうやって死んだのかなぁ? そっちで根掘り葉掘り調べればわかるんじゃない? だって、あなたたち……人のプライベートを侵害するのが大好きな職業なんだから。あははははっ!』


 正直なところ、今もよくわかっていない。

 彼と居た時間が、あまり楽しくなかった理由が。

 けれど、わたしにはゆっくり考える時間がある。

 あと何年か定かではない、途方もない時間があるのだ。


『ついでに、あの人を殺した犯人も捕まえなさいよ? じゃなきゃ今度は、わたしが捕まえちゃうぞぉ?』


 わたしが、さらに痩せ細るまでか。

 黒いショートが肩甲骨より下になる頃か、あるいは腰を過ぎる時か。

 一年の計のごとく、わたしは正しい思考を磨き、そして今を耐え忍ぶのだ。

 外に出る瞬間を願いながら、何度も何度も。


                                   了

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大晦日の記憶探し 常陸乃ひかる @consan123

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