応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 85年頃に見たコメディ映画『Gung Ho』を思い出しました。

    作者からの返信

    ホント、コメディの材料になりますね。でも、責められた駐在員がかわいそうでした。

  • 事故を起こした後のとんちんかんで冗談みたいなやり取り。アメリカではよくあることですよね。信号待ちをしていたらいきなり追突されて、かっとなって車を降りたら、後ろの車のオッサンもゆっくり降りてきて「Take it easy, lady. No problem. Right?」バンパーがちょっと凹んだくらいで大騒ぎする国じゃないんだと納得した出来事でした。

    作者からの返信

    運転が向いている向いていないに関わらず、誰もが運転しないとどこへも行けないところでは、ある意味で事故が多くあるのは当然のことなのでしょうね。

  • 通訳にしても旅行ガイドにしても、本来の業務以外に、想像もしていなかったような仕事が舞い込むんですね。アメリカ的な思考と論理を十分に理解していても、日本特有の人情の機微を知っているから、一生懸命日本人の希望に沿おうとする真奈の頑張りが、目に浮かびます。

    作者からの返信

    異なった2つの文化に挟まれていた時代は大変でしたが、決して後悔はしていません。サバイバルしたからには、色々と経験できて人生が豊かになったと思っています。それで、そういったいくつかの思い出を皆さんとシェアーしたくなって書いたのがこれらの小説でした。

  • 第12話 スパイの仕事?への応援コメント

    こういうことって日本の男性にはよくありそうで、笑ってしまいました。

    作者からの返信

    軽く冗談で飛ばせる文化はヘルシーな証拠なのでしょうね。

  • 第11話 日本人通訳不足 への応援コメント

    どの業界にも専門用語があって、通訳はその言葉と内容を覚えるだけでも大変ですね。真奈、がんばれ!!!

    作者からの返信

    カーメーカーによっても用語が違ってくることもあるので、「今日の通訳はあのカーメーカーだから、あそこの用語にしなくては」と使い分けなければなりませんでした。号口とか号試など少しは覚えていますが、一夜漬けが多かったので引退した後は綺麗さっぱり全部忘れてしまいました。

  • なんだか笑い話みたいな展開になってきて、この先がすごく楽しみです。

    作者からの返信

    あの件は今でも信じられまへんわー。

  • いい方に風向きが変わってよかったですね。

    作者からの返信

    今考えると、タイミング的にとてもラッキーだったなと思います。

  • 楽しく読ませていただきました。
    ありがとうございます。

    ジャパンバッシング時のお話は本当怖かったです。

    アメリカ人のドライな考え方や日本との文化の違いを聞くと、
    とてもそこでは生きていけないなぁと感じました。

    生きてるだけで、そこかしこに「闘い」があるんですね。

    日本人が「平和ボケ」だと言われるわけだぁ!

    とても面白かったです。
    ありがとうございました!

    作者からの返信

    最後まで読んでいただけたようで感謝感激です。「生きてるだけで、そこかしこに『闘い』がある」と、そこまで深く感じ取られるとはすごい洞察力ですね。日本の「平和ボケ」が懐かしいです。お時間があれば、他の2点も読んでみてくださいね。


  • 編集済

    完結おめでとうございます!
    終わってしまうのが残念なような気もしますが……。

    真奈さんの勇敢さには、ただただ凄いなぁと尊敬&感心するばかりです。

    自分にもっと度胸と向学心があったら、こんな刺激的な通訳者としての生活を送っていたのかなぁと時折想像しながら読んでいました。

    貴重な体験をおすそ分けして頂き、ありがとうございました!


    ↓ 作者からの返信の返信です。

    出版社に提出済みなのですね! 出版されたら購入したいと思います!
    こういったお話、フォレスト出版とか得意そうですよね。

    まだ他の2作品は読み終わってないので、読み進めたいと思います。
    ただ、図書館から『ぬえの碑』(ぬえの漢字が出ない……、めっちゃ厚い本)を借りてきてしまい、返却期限までに読まなければならないため、ちょっと後になってしまいますが……。

    今のところ、ダブっているところはないと思いました。

    これからも体調に気を付けて、ほどほどに頑張ってください!

    作者からの返信

    この小説と「僕たちの先生はダンシングクィーン」は両方共完結しましたが、「太平洋を渡った父の日記」の方はまだ書いていますので、宜しければそちらも読んでみてくださいね。

    元々はこの3つの内容を一緒にして「Baachanの人生」というタイトルで出版社に提出したら、長過ぎるから3つに分けましょうと言われたのです。ですから、同じ人間の話なのですが、まるで違う3人であるかのように書き換えたのです。

    もしかして、ダブっているところなどありましたか?

  • 日米の架け橋になりたいと、英語を勉強したり、留学したりする若者の話を良く耳にしますが、その中で本当にその様な目標を叶えられた日本人はごくわずかだと思います。真奈さんは、なりたいとも思っていなかったのに、本当の架け橋になられた経験者だと思います。ご活躍、お疲れ様でした。

    作者からの返信

    ずいぶん多くの人に助けられたからこそ最後まで成就することができたのだと思っております。良いように言って下さってありがとうございます。

  • 最近真奈さんの作品の更新通知が来なくて、更新に気が付きませんでした!
    なんででしょうね?

    @fumiya57さんの白紙は博士号ってことですかね?

    あと、本文中の最新→細心ではないでしょうか?

    PCの変換機能だと、誤変換見逃しててしまうことありますよね~。
    自分も良くやりますw


    作者からの返信

    更新通知は何故来なかったのでしょうかねー。気が付いて下さって嬉しいです。マベさんに宜しく。😀

    いやー、細心が最新となっていたことに全然気付いていませんでした。本当に変換機能って嫌ですねー。

    fumiya57さんのも博士のことですかね。

  • 今の米国移民の多くはそんなことも気にかけていないと思います。国籍さえ取れれば、後は、好きに生きて行ける米国社会で、本当の米国人の意味なんて頭に浮かんでいないでしょう。2世はこの問題に突き当たるでしょうが。

    作者からの返信

    日本人は、いい意味でも悪い意味でも超真面目なんでしょうね。

  • 私は呼ばれたことはないのですが、院生時代の研究室の先輩が何度か呼ばれたが、白紙を持っていると知ると、弁護士(両側の)が嫌がって、落とされたと言ってました。

    作者からの返信

    ごめんなさい。白紙を持っていると知るととは何のことをおっしゃっているのでしょうか?よく意味が分かりません。

  • 第64話 日本代表?への応援コメント

    トイレに行った後も手を洗わなかったり、、、

    作者からの返信

    ははは、それもあり得ますね。

  • 私の妻は南部生まれだったので、バプテストとして育ちましたが、私と結婚した後に改宗派して、Presbyterian(プレズビテリアン、長老派)になりました。長老派は、南北戦争で二つに分かれてしまい、奴隷制度を認める分派と認めない分派に分かれました。もちろん、妻が所属するのは、アンチ奴隷制度の宗派でした。その宗派の教会は、とてもリベラルで、女性が牧師になるとこも可能で、ゲイでもウエルカムでした。他にも変わったクリスチャンたちが集まっていて、その中に、Buddhist Christianだという人たちが何人かいました。ちょっと話を聞いてみると、イエスの教えを信じるが、座禅を組んで黙祷することに力を入れているとか言ってました。

    作者からの返信

    かなり共通なことがあり、お会いすることができたら、きっと話が尽きないでしょうね。ノースカロライナに来られる際には是非ご連絡ください。


  • 編集済

    日本の企業に就職し、部署(特に工場)に配属されると、先ずは、大きなバインダーに集められた過去に起こった全てのミスを読まされ、頭に叩き込まれるところがあると聞きます。複数の卒業生から聞きました。

    作者からの返信

    過去トラバインダーですね。ただ未来に期待したり、祈ったりするだけではあまり変わらず、過去から学んでそれを生かす行動を実施することで輝かしい未来が生まれるというものなのでしょう。行動あるのみですね。

  • 逆に、日本で、妻と字幕のアメリカ映画を見ていて、アメリカンジョークが出てくる時に、声を出して笑っていると、意味のわかっていない日本人の客たちに白い目で見られていました。特に、真剣な場面で、皆が静かになっているのに、ハリウッド映画にはジョークが出るではないですか?その場面で、ジョークはうまく訳されておらず、字幕では笑いが入っているとは知らされていないことが多かったです。

    作者からの返信

    そうですね。私が日本ででアメリカンジョークの入った映画を観て笑った時は、私より1テンポ遅れて笑って合わせてくれていましたよ。

  • 酷いですね、そのディレクター!
    人の善さに漬け込む人は、どこにでもいるのですね……。

    作者からの返信

    自分の都合に良い解釈を付けて平気な顔でいられる人ってたまにいるものなのですね。本当にショックでした。

  • 勘違い一家のうちの息子は、パールハーバーの話を勘違いして、幼稚園の頃、パールハーバーシリアルというものの広告をデザインしてしまいました。そこには、Help Japan Bomb Pearl Harborとでかでかと描かれていたので、焦ってしまいました。大学の隣にある小学校だったので、問題にはなりませんでした。

    作者からの返信

    OMG! 😳

  • 第二次世界対戦中に、収容所に入れられた日系人の間でも、ロッキー山脈よりも東側に移住するなら、戦争が終わる前に収容所を出られたので、イリノイへ来たという日系家族に出会いました。収容所から出たくてたまらず、待ってらてなかったと言ってました。デトロイト平均移住された方達の多くもそうだったのでしょうか?

    作者からの返信

    そういうことがあったのですね。それでも、収容所を出た後も大変だったようです。

  • KINKI KIDS、日本では知らない人がいないくらい有名なんで、面白いですね!
    @fumiya57さんのコメントの、Sexy Houseも笑ってしまいました☻

    作者からの返信

    アメリカにいる私でさえ聞いたことがあったので、すぐ納得できて助かりました。笑

  • 似た様な話で、私のエッセイにもあるのですが、うちの妻は、積水ハウスをSexy Houseだと思っていました。

    そして、私たちの住んでいた福岡を英語で書くと、アメリカ人は皆、F-wordの都市と思ってしまう様です。

    作者からの返信

    セクシーハウスには大笑いしてしまいました。日本語を毎週オンラインで教えているのですが、「ふ」をスペルするときにはFとUを素早く言うようにしています。笑

  • 凄いですね!
    手の込ん込んだ犯罪を、色々な人の機転で乗り切るなんて!

    書籍化したら、一章以上のエピソードですね!!

    作者からの返信

    今考えれば、亡き父の天使にでも守られていたとしか思えません。

  • デトロイトのビッグ3が落ちぶれたのは、自信過剰すぎたからと私は確信していますが、もう一つは、労働者(組合)とマネージメントの対立もあると思います。歴史的に米国の労働組合と経営者側は人が死ぬほどの対立をして来ましたから、協力して窮地を脱出というような概念がなかったのだと思います。車の品質など関係なしに、作れば売れていた時代(車を毎年買い替える人も多かった)が自信過剰に繋がり、日本車の品質と燃費の良さに負けた。日本の車産業の成長を監視していれば、追いつき追い越そうとしているのはわかったはずです。しかし、組合との交渉とかにばかり気を払って、あんな小さなくるを米国人が買う訳がないと思っていた経営者側。そして訪れた経営難。会社の経営が厳しくなっても、組合側は自分達の身を守るのに必死ででした。

    私の妻の従兄はフリントのビュイックの工場で働いていました(AUWのメンバー)。GMの落ちぶれは、経営者側だけでなく、組合にも責任はあったと言っていました。私がデトロイトへ行ったのは、就職の面接のためでしたが、採用には繋がりませんでした。車の運転は怖かったです。

    作者からの返信

    おっしゃる通りですね。UAWとJAWの通訳をしたこともありますが、その時、UAWの人は日本の経営者側と組合側の仲が良く、いつも協力していると聞いて驚いていました。

  • デトロイト近辺の車のスピードは異常だと思いました。

    作者からの返信

    ということは、デトロイトに行かれたこともあったのですね。

  • ポリス、腹立ちますね!
    ほんと、後のもっとスピード違反した車を追いかければいいのに!

    作者からの返信

    きっとやる気がないのでしょう。

  • それは色々と怖い、大変な体験でしたね……。
    何というか、こんな簡単な言葉で表すのが申し訳ないですが。

    せめて失明は免れたようで、よかったです。

    車の運転、怖いですよね! 雪がない平地でも怖いです。

    作者からの返信

    実は、網膜出血が止まらなくなって、いずれは失明するとドクターに言われていたのです。

    このことは、「僕たちの先生はダンシングクィーン!」の17話「奇跡が起きた!」を読んでいただけると嬉しいです。

  • もらい事故多いんですね😥
    怪我されたことが無さそうで何よりです🍀

    作者からの返信

    ああいうのを「もらい事故」って言うんですね。日本語の勉強になりました。

    怪我はなかったので病院に行ったりはしませんでしたが、ムチウチ症みたいに毎回頭がガクッと揺れていたので、しばらく経ってから網膜剥離が起きそうになりました。

  • 略語、何でもかんでも頭文字をとるだけじゃ上手くいかないんですね!

    でも略語が多いので、英語を使う人同士でも誤認し合ったりしないんですかね?

    作者からの返信

    あきさん、
    いつも私のストーリーを読んでくださって有難うございます!

    略語は本当によく使われます。だから、米人たちは皆いつの間にか覚えてしまうみたいです。特に今は知らなくてもすぐインターネットで調べられるから便利ですね。

  • 通訳さん色々な経験をでき、色々な人生を味わえそうですね。

    自分も一瞬通訳を目指したことがあるのですが、英語でも日本語でも『聞いて話す』ことが苦手過ぎてダメでした。

    なので、真奈・りささんのお話いつも楽しく読ませて頂いております。

    これからも、体調に気を付けて、余裕がある時で良いのでお話読ませて頂ければと思います。

    作者からの返信

    ご自身も通訳を目指されたことがあるのですね。日本にある通訳学校はとてもしっかりとしていますよ。アメリカで色々な経験をさせていただいたことは事実です。
    「太平洋を渡った父の日記」と「僕たちの先生はダンシングクィーン!」も読んでいただければ嬉しいです。

  • いつも楽しく読ませて頂いています。

    通訳さんは日々勉強が必要なんですねぇ。
    プロフェッショナルですね!

    作者からの返信

    あー、嬉しい!読者さんから反応がない時には、もうやめてしまおうかななどと思うこともあるのですが、コメントをいただくとまた書く気が盛り上がってきます。有難うございます!

  • 凄いプロ意識ですね!
    通訳って大変なんですねぇ。

    作者からの返信

    真奈こと、私はのんびり屋で反応がスローな方なので、あの瞬間よりもずっと後になってから危険性にドキッとした感じでした。笑

  • 第17話 通訳は辛いよ!への応援コメント

    私も、一度、ある日本の自動車工場の現地社長と州知事の通訳に駆り出されたことがあります。まあ、この会話は、温和なものでしたが。

    作者からの返信

    温和な会話もありますが、やはりいつまでも印象深く残っているのは緊張感のあった会話ですね。

  • とんでもないいたずら電話でしたね。ファーストクラスのスチュワーデスの持ち位置からスピーカーで案内の放送をさせてもらえれば、日本人客が出てくる前に逃げられたかもしれませんね。

    ところで、米国では、昔から学校に爆弾を仕掛けたと脅迫電話が良く入るので、逆に、生徒達は本気で対応しない様です。学校に行きたくない、試験を受けたくないという理由で、生徒が911に電話してくるのが最も多いはずです。

    作者からの返信

    そうですね。何故機内へ入るような危険な方法しか考えなかったのでしょうね。

    そうなんです。娘が高校で働いていた時は心配でした。7歳の孫息子が、もし、自分の学校で銃を撃つ人が入ってきたら、自分は弾を受けてでもクラスメートを助けると発言したのにも驚きました。

  • はじめまして。今日拝読しました。これからも楽しみにしています。

    作者からの返信

    こちらも@marudonさんのご感想を楽しみにしています。

  • 大変でしたね。

    私の知り合いは、小さなミカン農家の次男で、実家は二人で受け継ぐには小さ過ぎと、長男から援助を受けて、米国の大学で芸術家になる事を決意しました。私の通っていたイリノイの大学で修士を終え、ニューヨークへ移り住みました。そこで、芸術家としては全く売れなかったのですが、バブルの時期で、日本からのツアーのガイドは猫の手を借りたいほどの繁盛期だったそうで、彼と奥さんで、小さなスタジオが買えるお金を貯めたそうでした。奥さんは、寿司屋で働いていて、そこで、グリーンカード取得の手助けをして貰って、二人で永住権を取りました。スタジオを購入しても、彼の作品は売れず、奥さんに尻尾を叩かれながら、バスツアーのガイドをやっていました。

    作者からの返信

    fumiya57さま、近況ノートにも書きましたが、私は4月にステージ3の乳癌になっていることが分かって癌と闘いながら小説を書いている最中だけに、いただいたコメントは大変な励みとなりました。そうなんです。ここノースカロライナのアッシュビルにはアーティスト街もあるぐらいアーティストが集まる所なのですが、ほとんどの人がアーティスト以外の仕事で生計を立てています。真奈の描く絵は墨絵のテクニックを取り入れると同時にアメリカ的にカラフルなので、自分で勝手にフュージョンアートと呼んでいます。日本の人には墨絵の影響がすぐ理解してもらえるのですが、アメリカ人の中には難しい場合もあります。もうすぐお金の心配のない夢のような世界がやってくると聞いています。ですから、お知り合いの方にもあと少しの踏ん張りだとお伝えください。

  • 私もデトロイト=自動車、五大湖、など地理の教科書に載っている事以外知りませんでした。ファッションの勉強していた女の子が自動車関連の仕事の通訳に!人生は面白いですね。続きが読みたいです。

    作者からの返信

    勇気付けられました。頑張って1冊の本にして出版したいと思っています。

  • 続きも詠みたい!

    作者からの返信

    身に余るお言葉に涙が出そうなぐらい嬉しいです。小説を書き続けていこうという気持ちが強まりました。心より感謝しております!

  •  国際結婚をするために、単身、反日感情渦巻く1970年代のアメリカ デトロイトに渡った真奈。その勇気と行動力に、まず驚かされますが、その後、彼女が、異国の地で、どのように、生きていったか、とても、興味があります。
     真奈の冒険の続きが知りたいです。第2話も、期待しています。

    作者からの返信

    abichanさまからの応援のお言葉は小説を書き続ける新たなエネルギーとなります。心より感謝致します。