九十九話『はじめてのさつじん』

 迫る矢は紫炎の爆発によって逸らされ、放たれた弾幕の中をナガレはアリスを抱えて切り抜ける。


「クソ、数が多い。吽、アリスを連れて逃げろ」


 呆然とするアリスを背に乗せて駆けだす巨犬。

 怪異はともかく、対人においてナガレは異端審問官にも劣らない実力者。が、目の前の相手は、アリスを守りながら戦える相手ではないと直感した。特に、防御手段に乏しい彼にとって、面攻撃が得意な紫爆ジーバオは天敵。


「アンタたち、さっさと追いかけなさい」


「通すと……ッ!」


 マフィア達に斬りかかろうとするナガレの行く手を阻むように連続する爆発。濡れていた刀身が一瞬で乾き、顔を刺すような熱が襲う。直撃すれば体はバラバラ、骨も残さず燃え尽きる。爆発そのものを躱しても、飛散する瓦礫の全てを避けることは出来ない。頬が浅く切れて、血がにじむ。


「良かったのか? お前、前衛の後ろから攻撃するタイプだろ。オレとナイフ一本で斬り合えるとでも?」


「正解! アタシはあんまり近接でのどつき合いは得意じゃないの。でも、アンタの剣が届くより先に、息の根を止めてあげる」


 地面をにらむナガレ。さっきの爆発は、紫爆ジーバオの投げた爆弾ではなく、地面から直接炎が吹きあがった。


(ここは既にヤツのテリトリー。隙を見せれば一瞬で狩られる)


 瓦礫の下に仕掛けられた無数の爆弾。本体にばかり集中していては意識外からの一撃で一発アウト。が、時間をかけて戦う程に紫炎によって戦場は狭まっていく。


(機動力はこちらに分がある。無視してアリスを追うか? いや、コイツに背中を見せるのは無謀)


 巨犬の背中に乗り、戦場を駆けるナガレ。立て続けに起こる爆発を避けながら、弓を構える。どの部位でも良い、彼の矢は一撃必殺。刺さらず、掠るだけでもこの勝負はナガレの勝ち。だが、


(何回爆発する気だ。コイツの魔素エーテル量はどうなってやがる!)


 終わらない爆発、生まれない隙。魔術である以上、魔素エーテルというリソースは必要不可欠で、爆発のように大雑把な範囲攻撃は燃費が悪い。つまり、消耗すれば爆発が少なくなるはずだ。が、ナガレの予想は裏切られる。爆発は留まるところを知らない。


「そんなに魔素エーテルを使って、息切れは大丈夫か?」


魔素エーテル? 何のこと? お生憎様ね! アタシはアンタたち魔術師のお仲間じゃないのよ!」


 挑発したつもりが、予想外の答えに困惑するナガレ。


(魔術じゃない? ハッタリ……いや、神の血を引くものは『権能』が使えるんだったな。それか?)


 予想は半分正解。紫爆ジーバオの言葉はハッタリなどではない。けれど、それは神の力たる『権能』ではなく、人の力である『異能』によるモノ。どちらにせよ、ナガレにとっては初めて戦う相手。


(こっちは有限、向こうは無限。不利だ……待て。なら、なんであの女は爆弾なんて使ってる?)


 細かい瓦礫の散弾を浴びながら思考を回す。今までの時間稼ぎ戦法が効果が薄い以上、別の作戦を考えるしかない。


(思うままに爆発を起こせる能力じゃないはず、恐らくは何らかの媒介物が必要なのか? だが、それが分かっても状況は……)


 目の前で起こる爆発を巨犬を操って回避、巻き上がった大きな瓦礫を足場に空中へと飛び出す。

 投げつけられる爆弾に合わせて、矢が放たれ、爆弾を射抜いた勢いそのままに紫爆ジーバオに迫る。


(当たる)


 敵までの距離は僅か。ナガレが確信した瞬間に、紫爆ジーバオの体から紫炎が起こり、矢の軌道が曲がった。


「残念」


「なるほど。お前、体の一部を媒介に爆発を起こしてるのか」


「バレた?」


 先ほどの爆発は汗か角質を使って起こしたモノ。紫爆ジーバオがわざわざ爆弾に似せた容器を使うのは、爆発範囲の指定補助と……彼女の趣味である。


「どう? 自由で素敵な力でしょ? まさに芸術って感じ!」


「悪いが芸術は分からないし、この力が自由とか意味不明だ。カウンセリングを受けることをお勧めしよう」


「全く、ロマンの分からないガキね。アタシにとって爆発は、この力を振るうことは自己表現なのよっ!」


 宙を舞う四つの爆弾。噴き出した爆炎を回避、した先で待ち受ける火柱も回避。絶え間のない爆発がナガレを襲い、攻撃に転じる隙を与えない。


門影ここでも何人か居たよ、お前みたいなヤツ!」


「で!」


「オレが全員ボコしてやったけどな!」


「なら、アタシはそうはいかない! ただ、そんだけよ!」


 口撃の応酬は一進一退。使い魔を札に戻すと同時に、舞い上がった瓦礫の僅かな隙間を潜り抜けて矢文を放つ。


「どこ狙ってるワケ? 熱で頭がやられたかしら?!」


「ぬかせ、爆弾女!」


 三発同時に放った矢は、どれも爆発によって軌道を逸らされる。が、その隙に強化魔術を足に集中させ、爆炎の影から飛び込む。紫爆ジーバオの首筋へと迫る弓剣。


「しまっ……なんてね」


 頬を流れる涙が、空中に落ち、紫の炎となって炸裂する。咄嗟に全身を水の膜で覆ったナガレだが、熱は容赦なく貫通。爆発の衝撃で吹き飛ぶ。


「これでもダメか」


「涙は女の武器って言うでしょ? 演技派なの、アタシ」


「それ、物理的な意味じゃないと思うがな!」


 全身の火傷、動けなくはないが痛みがひどい。それでも、ナガレは苦し紛れの矢を放つ。


「また? アンタ、他に芸は無いワケ?」


 またしても爆風で逸らされる矢。つまらなさそうな視線を紫爆ジーバオはナガレへと向ける。


「出来ることは既にやりつくしたんでな」


 うつむいたナガレの表情は紫爆ジーバオからは見えない。だから、彼は遠慮なく口元を歪める。

 感じた殺気に身をよじる紫爆ジーバオ。だが、一瞬だけ遅い。背後から襲い掛かる巨犬、その口に加えられた矢が、彼女の腕に傷をつける。


「この犬畜生!」


 爆炎を起こすが、札に戻った巨犬は既にナガレの手の中。攻撃は当たらない。


「——っ!」


 そして、襲い来る嘔吐おうと感と眩暈めまいに、憎々し気にナガレを睨む。


「ガキ、何を」


「毒だよ。熱に強い調整だから、その分致死性は低いけどな」


 ナガレは立ち上がると弓剣を変形。刀身から毒液を垂れ流しながら迫る。


「お前、言ったな。他に芸は無いのかって。その言葉そっくりそのまま返してやるよ。爆発だけでワンパターンなんだよ」


 好き勝手に全身をこんがり焼いてくれた女に言いたいことはまだまだあるが、そんなことで時間を無駄にするべきではない。ナガレにとって最優先はこの女への意趣返しではなく、アリスを護衛することだ。


「苦しませるのは趣味じゃないし、お前はここで確実に殺しておいた方が良い。介錯かいしゃくしてやる」


「ガキが!」


 怒号と共に残っていた爆弾が一斉に起爆。伏せるナガレのすぐ上を紫の炎が焼いて、爆風が吹き荒れ、舞い上がった煙が耳鳴りと共に晴れた時には紫爆ジーバオの姿は消えていた。


「逃げたか……今はアリスを追う方が優先だな」


 巨犬を呼び出し門影アンダーゲートを駆け抜けるナガレ。アリスが捕らえられていないことを願いながら、火傷まみれの手で矢をつがえて。


▲▼▲


 きゅっと口を結んだまま、アリスは巨犬の背中に揺られていた。追手の追跡を振り切るように入り組んだ通りを走る。


(ナガレさんは……)


 後ろを振り返ると、天井に映る紫の光と鼓膜を揺らす爆発音が戦闘の激しさを物語っていた。

 あの場に残っても何もできないどころか足手まとい、そんなことアリスは分かっている。それでも、自分だけ逃げだすことに罪悪感は残る。

 彼女の気持ちを察してか、吽が力強く吠えて尻尾で背中をさすってくれた。


「お願いします。吽さん、私は生きないと……いけないんです」


 抱えた剣の持ち主を覚えていられるのは、もう自分だけなのだと言い聞かせて前を見る。指でなぞっても斬れることの無いナマクラだけが、今の彼女に残された唯一の繋がりだった。


(後ろは誰もいない。振り切れた?)


 安心したのもつかの間、物陰から現れるマフィアたち。吽はすぐさま転進、すぐ横の道へと入り込む。

 響く銃声。アリスのすぐ横で高い音がして、跳弾の火花が散る。出来ることはただ、巨犬にしがみつくことだけ。


「回り込まれているなんて」


 知らない道、自分が今どこにいるかさえ分からない。アリスは今、自分ではない誰かに運ばれて、この門影アンダーゲートの中を彷徨っていた。

 まだ彼女は自分がどうするべきか、どうしたいのかを知らない。故に、選択権も与えられていない。


「——っ! また!」


 行く手を阻むように現れるマフィア達。その度に別の道に飛び込むことの繰り返し、時間は失われていく一方だ。


「どうすれば……」


 悩むアリス。不意に吽が彼女を振り落とすと、背後に広がる壁に空いた穴へスカートをくわえて押し込んだ。


「え?」


 呆然とするアリスに、吽が「はやく行け」と言うように首を動かす。見れば壁の向こうには五人分の人影が迫ってくるのが見える。逃げ道はここしかなく、穴のサイズを考えると吽は通れない。


「待って、一緒に!」


「ワン!」


 縋るアリスに発破をかけるように響く吽の一声。

 吽は犬だ。犬に人間の事情など分からない。だが、自分の果たすべき責務へ力を尽くすことは人間に劣らない。


「貴方も、貴方も、私に行けというんですか!」


 路地の奥へと消えていくアリスを見送って、忠犬は敵と向き合う。


「また、また私は!」


 涙が頬を零れる。沢山の身代わりで生かされる自分という存在に耐えきれなくなりそうで、無力を呪う叫びが胸のそこから溢れ出した。

 何度も裾を踏んでは転び、手を擦りむいた。鈍い痛みがして、それでもアリスは走り続ける。そして、


「ここは……」


 たどり着いたのは見覚えのある場所だった。赤黒い染みの上に横たわる女性の死体。一度は通った道、ここまでくれば帰り道は分かる。

 死体を乗り越えようとしたアリス。二度もこんなことをしてしまうのは申し訳なくて、時間も惜しいはずなのに気が付けば手を合わせていた。


「帰らないと、いけないんです。だから、ごめんなさい」


 涙と共に死体を乗り越えて、アリスは進もうとして……止まった。


(私、本当にこれで帰れるの?)


 このまま先に進むのが一番、遊郭まで帰りつける確率が高いように見える。


(まだ、マフィアは残っている)


 吽が戦っているのは五人。あと五人は今もアリスを探している。これまで逃げられたのは吽の機動力があったから。それを失った今、もし出会ってしまえば逃げ切るのは難しい。


(このまま逃げても……)


 追手が五人のままとも限らない。最下層を脱出しても遊郭までは下層、中層を超えなければならず、敵の数が増える可能性が高い。つまり、この道を進んでも、アリスは詰んでいる。


(どうすればいいの、何か方法は……)


 ふと、死体の横に転がる拳銃が目に入る。もう、アリスに残された道は二つしかなかった。

 震える手で拳銃を拾い、破裂しそうなほど早鐘を打つ心臓の鼓動に圧されるように来た道を戻る。


「引き金を引く」


 裏社会のコピー品でも劣悪な銃だった。セーフティなど付いていない。だから、これは引き金を引けば弾が出る。裏を返せば、セーフティを外すという人を殺す覚悟を事前にさせてくれる代物ではない。


「はぁはぁ……はぁっ!」


 ブルブルと震える手。銃はずっしりと重たい。

 壁の向こうには二人分の死体が転がり、吽が残りのマフィア達と戦っていた。


(しっかり狙って……っ!)


 狙いをつけようとすれば、鮮明に相手の顔を認識する。今から撃とうとしている存在が紛れもない一人の人間なのだと実感させられて。


(指に力が)


 当たると思った瞬間に力が抜ける。アリスは建前でも心の底でも、人殺しなんてしたい訳ないのだから。


(撃つ、撃つ、私が撃たなきゃ!)


 目の前で吽が蹴り飛ばされ、壁に叩きつけられる。動きが鈍った隙に向けられた銃口。この後に起こることなど誰にでも分かる。


(私が、殺す!)


 手の震えが嘘のように収まった。あれだけうるさかった心臓の鼓動も消えて、指先には力がこもる。


 乾いた音。


 放たれる八発の弾丸が、マフィアの命を奪った。ひどくあっさりと。

 扱いの難しい拳銃を初めて扱い、離れた場所にいる三人を殺すなんて芸当、奇跡に等しい。ここまで嬉しくない奇跡も珍しいだろうが。


「私が、殺して……しまった……う」


 穴から這い出し、着地しようとして失敗した衝撃で、押さえていた嘔吐感を解放。胃の中にあった全てを吐き出すアリス。

 悪い夢でも見ているような気分で、立ち上がっても足元がおぼつかない。が、これは紛れもない現実、手に残る感触が消えてくれない。自分のやってしまったことを忘れさせてくれない。


 人を殺す。それは紛れもないアリスの決断。


「——ッ!」


 気が付けば自分の胸に銃口を当てて、何度もトリガーを引いている自分がいた。響くのは「カチッ、カチッ」という音。幸運にも敵を殺すために撃った八発で弾切れ。


「疲れた」


 無力感で全身の力が抜けて、罪の意識で押しつぶされそうな重圧がかかる。そのまま倒れこむアリスを吽は受け止めた。


「あ、え……私は、なんてことをっ!」


 小さな少女の嗚咽おえつに吽は何も答えない。痛む体を引きずって、遊郭への帰路を急ぐ。

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『灰』の異端審問官《Ashputtel Inquisitor》 舞竹シュウ @Syu_Maitake02

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