朝吹

 

 あの首にカッターナイフを突き刺してみたい。


 犯罪再現ドラマがテレビで流れている。通り魔と化して平日の公園に現れ、次々と子どもたちを刺殺した男の半生を、当時の報道映像と俳優を使って二時間枠で辿るものだ。

 俺は淹れたての珈琲を片手に、キッチンからテレビの前に歩いて行った。死刑判決に対して上告した五十代の犯人は事件から五年目にあたる昨年、若年性心筋梗塞で獄死している。

 珈琲を口にし、指導内容が赤字で印字された教員用の教科書をぱらぱらとめくりながら、俺はテレビを流し見ていた。

 ドラマは犯人の生い立ちからはじまり、ちょうど高校時代にさしかかった。凶悪犯人のなかに潜む反社会的衝動の萌芽がちらつくあたりだ。級友の後ろ姿を凝視していた犯人役の若手俳優は凶行に及ぶ代わりに、制服のポケットから取り出したカッターナイフで黙々と机に傷を入れていく。その行為がどこに繋がっていくのか、視聴者は知っている。

 演じている俳優は二十代半ばだが制服姿に違和感がない。やがてこの男は出刃包丁を片手に、午後の公園に現れるのだ。

 軽蔑をこめて一瞥すると、俺は再現ドラマの中の犯人に興味を失くした。


 

 葬式に菊が付きものなのは、遺体の保存方法がなかった時代、菊の花を棺に詰めることで腐臭をごまかしていたその名残りだ。さらに時代が下ると土葬した土饅頭の上に、樒を立てていた。毒性が強いので墓を掘り返そうとする獣が避けていくためだ。

 樒(しきみ)とは、『悪しき実』の呼び方が変化したものなのだ。


 

 訪れた伯父の家の庭では菊が盛りだった。園芸が趣味だった祖父が死んだ後、まめに手入れをする者がいなくなって花壇からはみ出し、濃緑の葉が伸び放題になっている。近づくと繁みからは濃厚な香りがした。

「子どもの頃は夜中に庭をみると、大勢の幽霊が闇の中に立っているように見えたものだったな」

 妻と死別した後、この家で独居している伯父がそんなことを云いながら錆びついた園芸用の鋏で白菊を切り、古新聞紙に包んで持たせてくれた。

「学校のほうはどうだ。生徒さんは」

「ちゃんとやってますよ」

 俺は公立中学校の数学教師だ。今年の受け持ちは一年生。修学旅行もないし、受験学年でもない分、気がらくだ。

「まだ子どもなので、一年生の間は生活指導がメインですね」

「仕事もいいが、再婚も考えろよ。お前も子どもが欲しいだろう」

 叔父のお節介は挨拶のようなものだ。俺は礼を云って、菊の包みと共に伯父の家を辞した。


 

 花は別段、菊でなくてもいいのだが、日持ちがするので今でも墓参に選ばれる。庭の幽霊を移し替えてやるつもりで墓所に向かった。

 墓は伯父の家から近い。曇天模様の空からぽつりと弱い雨が落ちてきた。傘をさすほどではない。

「澄子。久しぶりだな」

 妻が死んだのは、結婚して二年目だった。

 昨夜、風呂からあがると、つけっぱなしのテレビでは例の犯罪再現ドラマが佳境に差し掛かっているところだった。

 最近の子役は演技がうまい。

 公園に現れた犯人を見て、ぽかんとしている。

 背中、腹、首。深い刺し傷。さらには公園の近くにいて、逃げ惑う子どもを咄嗟に犯人から庇った大人二人が被害にあった。うち一人は、幼稚園の先生。最近は母親役をやるようになった三十代の女優が犠牲者役を演じている。

 刃物を振り回して路上に出てきた画面の中の男は、事件の概要どおり、その場で近くの町工場の工員に取り押さえられていた。


 寺から借りた掃除道具で墓石を洗い、草むしりをする。木蓮の影が落ちる奥まった区画。水鉢を掃除しながら俺は仏石に向かって囁いた。化けて出てくるつもりなら今が丁度いいぞ、澄子。

 墓を磨く。艶を帯びた黒い石に映る俺の顔は笑っている。

 俺はいつでもいい。

 お前に逢いたいよ、澄子。

 通り魔の起こした真冬の犯行。最近になってまた注目を集めているのは犯人が獄死して一年が経ったからだ。犠牲となった幼稚園の先生は、勤務先の幼稚園から帰宅する途中だった。

 色画用紙でつくった柊の葉や星で室を飾り、ブーツを模したフェルトの袋に菓子を詰めたものを用意して、園のクリスマス会の為に頑張っていた被害者の横顔は、女優が熱演したこともあって同情に値した。

「幼稚園の先生だから咄嗟に子どもを庇ったんでしょうね」

 番組ゲストが鎮痛な表情で感想を漏らす。

 犠牲者が勤務していた園の前をゆっくりと通る霊柩車。顔にモザイク加工をされた園児が一列に並び、わんわん泣きながら出棺を見送る当時の映像。


 

 黄色い菊の花が廊下に落ちている。もう中学生だというのに、折り紙に手紙を書いて交換するのが女子の間で流行っているのだ。

「おーい。これ誰のだ。先生が中身を開いて読んでもいいのか」

「だめ。先生やめて」

 笑いながら、女子が俺の手から折り紙をひったくって行った。菊ではなくダリアだそうだ。凝った折り方もあるものだ。

 菊の香がする。

 液体の芳香剤でも倒したかのように、強く。

 霊感など皆無であるのに昔からこういったことにはよく遭遇する。先月も深夜の路上で三輪車に乗った幼児がぐるぐる回っているところに出くわしたばかりだ。信号わきには仏花と菓子が供えられていた。

 そして今朝は、早朝のひとけない公園のブランコのところに女がいた。明らかにこの世のものではない。

 乗ってはいけないブランコとして有名で、その公園は都市伝説と化しつつある。

 一度撤去されて、新型のカラフルなブランコが再設置されたが、やがてまた誰も乗らなくなった。

 近所に暮らす者はみんなそのブランコを避ける。

 知らない者や、別の町から遠征してきた子どもが乗ることもあるが、しばらくすると黙ってみな降りる。その顔は蒼褪め、ブランコから出来るだけ距離を取ろうとする。誰も乗っていないのにブランコが鎖の音を立てている。キィー、ガチャガチャ。

 小雨の降る夜明けの幽霊には気をつけなければならない。


 どこで聴いたことなのかまったく覚えていない。小雨の降る夜明けに出てくる幽霊は、幽霊の中でも良くないものなのだそうだ。

 幽霊は夜に出るものだ。白み始めた夜明けの光の中でも姿が消えない。ということは、それだけ強い怨念を持っている。

「怖っ」

 授業の余った時間に「先生、なにか怖い話をして下さい」と生徒に云われ、余興でこの話をしてやると、生徒たちの反応は上々だった。女生徒など想いっきり嫌な顔をして引いている。

「小雨の意味は、先生」

「さあ。先生も知らない」

 板書を消す。一気に消していくこの作業がわりと好きだ。白墨の粉が流れ星のように黒板から滑り落ちていき、細かい粒子が粉塵となって後を追う。黒地にわずかに残された白墨痕。星ならば、晨星しんせいだ。

 今日はこれからデートがある。「亡くなった奥さんのことばかりを引きずるな」と、一般企業に勤める友人が新しい女を紹介してくれたのだ。

「土砂降りの雨ではないのがかえって嫌な感じ」

「川の近くにはよく幽霊が出るんだって」

 生徒たちは、薄暗さと湿っぽい空気、匂いや気温、いろんな要素が揃った時に幽霊が実体化しやすいのだろうという結論を勝手につけていた。



 鴉が啼いている。その声で眼が覚めた。

 風邪をひき、土日を挟んで四日間寝付いた。体温計をみると熱は下がっていた。レトルト粥では不足なほどに空腹だ。シャツに腕を通して栄養補給食品のゼリーをすする。登校したら、まずは教職員に欠勤していたことの詫びを入れなければ。それから金曜日と月曜日の学習の進み具合の確認と、不在中に配布されたプリントの整理。

 受験学年ではないし、定期考査が終わったばかりで採点も済んでいたから、迷惑をかけたというほどではない。

 まだ暗い中、ブラインドを上げる。外はこまかい霧のような雨が降っている。

 小雨の降る夜明けの幽霊には気をつけなければならない。

「恨んでやる」

 学生時代の後輩と浮気していたのが澄子にばれた。遊びだったのだが、澄子は狂乱して死ぬ死ぬと騒ぎ出した。

 中学校の校庭にブランコがないのは倖いだ。もし澄子が選んだのが鉄棒だったら、毎回想い出さずにはいられなかっただろう。

 線香の匂いが室内に漂う。

「かわいそう」

 昨夜、食材を持って見舞いに訪れた恋人が澄子の遺影の前に線香を立てたから匂うのだ。真新しい線香の箱が、封を切られた状態でライターと共に隅にある。

 写真立ての中には笑顔の澄子の写真。

 澄子は公園のブランコの支柱にロープをかけて首吊り自殺をした。踏み台が見当たらないことが最後まで問題になっていたが、クリスティの『そして誰もいなくなった』じゃあるまいし、ブランコの座面を使うなりすれば出来ないことはないのだ。

「見ててやるからやってみろよ」

 真夜中の公園で俺がそう促したら、本当にやった。途中で澄子は後悔したのかもしれない。最後には俺が助けると信じていたのかもしれない。つま先が地面に届きそうで届かない。カーテンのように左右に分けておいた二つのブランコの間でもがき苦しむ女を眺めていた。焦茶色の鎖。振子運動をするブランコが鳴る。鎖で繋がれた牢屋の囚人が立てるような音だ。キー、ガチャガチャ。

 いまも。

 気のせいだよな。 

 湿気で湿った鏡を見ながらネクタイを締める。菊の香が強い。背後にライターを手にした澄子が立っていた。



[了]




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