最終話 幸福な者だから出来ること⑥
「もう、泣かないでくださいよ」
ユリアが少し眉を下げて言った。
そう言われると、更に涙がこぼれそうになる。
「師匠は、今まで通りのことをやっていってください。
安心してください。師匠が何かやらかしても、道半ばで旅を終えてしまっても、私が必ず後を追いかけます」
エルフですから、寿命は余裕ですよ。
ユリアの言葉に、私は泣きながら笑った。
「……まあ、癪ですが、後はアルトゥール様にお任せします」
パッと、ユリアが両手を広げた。
それと同時に、ハアハア、と、息切れしている声が聞こえた。
「よ、ようやく見つけた……」
後ろを振り向くと、そこには正装したアルトゥールくんがいた。
「あ、アルトゥールくん!? なんで!? 君、今授与式なんじゃ」
「だから君を探してたんじゃないか!」
そう言って、アルトゥールくんは私の手を掴む。
「あ、ユリア。君も来るかい?」
「いえ、遠慮します。馬に蹴られたくないので」
ユリアの言葉に、くしゃ、と少年のようにアルトゥールくんは笑った。
「僕も、馬の水を飲まされない前にするよ」
そう言って、アルトゥールくんは私の手を引っ張ろうとして、少し考えて、私を抱き抱えた。
それは敵から逃げる時にする抱え方ではなく、すぽっと腕の中に収まる、いわばお姫様抱っこと呼ばれるものだった。
「アルトゥールくん!? 何これ!?」
「何って……こっちの方が早いし、僕の方が歩幅大きいし」
「いや、なんで私連れ去られてるのかな!?」
確か今日は、年越し祭りの行事の一つとして、アルトゥールくんの公爵の授与式と、王弟であることが発表される日だったはず。
そう言うと、「その後パーティーがあることは知っているだろ?」とアルトゥールくんが言う。
「そこで、舞踏会やるから」
こないだ踊れなかっただろ、とアルトゥールくんが言う。
「……私、今ドレス持ってないんだけど」
「いいよ、踊ればいいから」
「それは私に対してどうなの!?」
私が恥ずかしいじゃん! と、言いつつ、アルトゥールくんがなぜそんなにこだわっているのかわかる気がした。
ドレスだなんだと考えて後回しにしたら、またいつ踊れるかわからない。
モクム市役所前の広場は、人でごった返ししていて、アルトゥールくんは一度足を止める。
アルトゥールくんの上気した頬を見る。
取り繕った顔じゃなくて、このワクワクするような顔が見たくて、彼の隣にいたいと思った。大義名分なんて建前で、そんな衝動的な欲だけが私を突き動かした。
幼かった私は、それがどんなことを引き起こすのか、本当の意味ではわかっていなかった。
私がやる事は、何時だってヒト任せだ。魔力も武力も権力もない私は、誰かに託さなければ動くことができない。
それでも出来ることをと、善意でやったことが、沢山のヒトを傷つける道具と成り果てた。
科学は何時だって、失敗一つで恐ろしい凶器にも兵器にもなりうる。それはメンシュ国だけの話ではない。急激に発達する科学の進歩に、ヒトの心が追いついていないのだ。
正しい知識があれば差別がなくなる――この世界は、そんな単純な風には出来ていない。
ダイチくんがやったように、その正しさを振りかざして、新たな差別が生まれるのだろう。それは当然、私にも言えることだ。
だけど、
私が死ぬ前に、ユリアが安心できる世の中を作りたい。
教室の子が、麻薬に犯されず、健康で過ごせる世の中を作りたい。
友人のフェナさんが、殺されない世の中を作りたい。
戦争しない世界が欲しい。誰も犠牲にならないで暮らせる世界が欲しい。
そのために誰かを犠牲にして、取り返しのつかない罪に苦しむとしても、諦めたくない。
旅を終えた後に、沢山の人と出会って、そんな欲が沢山でた。
本当に、何をすればいいのか、全然考えていない。これじゃ、王様を説得させるために下水技術を持ってきた十歳の私の方が、よっぽど具体的に考えている。
辛いことなんてほとんど知らない。誰の悲しみにも寄り添うことは出来ない。
それなのに、そんな私に何が出来るのかと、誰も言わなかった。
「……どうして皆、私に力を貸してくれたのかな」
声にするつもりはなかったのに、出ていた。
「君が、幸福を知っているからだよ」
アルトゥールくんの言葉に、私は顔を上げる。
アルトゥールくんは私をゆっくり下ろして、微笑んだ。
「君は、自分は大したことないって思ってるのだろうけど――皆が何か理屈をつけて、無関係な人を切り捨てていく中、君だけはそうじゃない方法があるって言いのけた。
君が平和に幸福があると言ってくれたから、本当は諦めたくなかったヒトたちを動かしたんだ。僕を含めて」
どうか、胸を張ってくれ、とアルトゥールくんが言う。
「これが、君が皆に見せたい光景なんだろう?」
アルトゥールくんの言葉とともに、金管楽器の音楽が響く。
身体を歌うような重量感の音楽に、感情が高揚していく。
その音楽に浮かれるように、広場にいたヒトたちも心なしにリズムを刻み始めていた。
そこには、魔族も、人間も関係ない。
「……うん」
ここに、幼い頃から知っている光景がある。
私はこれが、現実であることを知っている。
だけど、他のヒトたちが、それを夢物語だというのなら、
それを少しでも、変えていけるのなら。
ちっぽけでも、私はこの世界に参加している。
私が出来ることが、必ずある。
「じゃあ、行こうか」
アルトゥールくんが手を差し出す。
私は、その手を取る。
アルトゥールくんは私の歩幅を合わせるように、隣を歩いた。
私の旅の終着点が、どこになるのか、まだ検討もついていない。私はまだまだ、多くのヒトに出会うのだろう。
だけど、どんなヒトと出会っても、この輝きの隣にいて、この輝きのそばで終わりたい。
その時、このヒトはどんな光景を目に焼きつけるのだろう。
「アルトゥールくん。この街は、どう?」
私が尋ねると、花がほころんで開いたように、アルトゥールくんが言った。
「すごく、楽しい街だね」
今はその言葉だけで、十分。
【完】
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
まだまだ書き足りていないモノがあるので、今後は短編の形で出すと思います。よかったらお付き合いいただけたら幸いです。
拙いながら、この物語を読んでくださり、本当にありがとうございました。
元聖女のファーメンテーション【完】 肥前ロンズ @misora2222
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