第一章 琥珀の瞳を持つ少年④

 舎内は広々としていて、王家の神獣が六頭ほど住めるようになっていたが、神獣の住まいとあって牛馬の畜舎とは異なり、宮殿に引けを取らない豪華な内装だった。こしかべには白と青が基調となった美しいタイルが張られ、石の床には高価な絨毯が惜しげもなく敷かれていた。神獣の食用にはとびきり質の良い香草が用意され、その芳香が舎内に漂う。

「王子がた、ご覧なされよ」

 ファイエルが、東側の壁を指さす。天井に近い窓から差し込む光に、壁に刻まれた古代語と歴代の王および神獣をかたどった浮彫が、くっきりと見える。

「カルジャスタンの『王名表』でございます。ルスラン王子、一番左端の方は?」

「はい。我らが祖先にしてこのカルジャスタンを開いた初代王アフル・マジャール、そして神獣は『砂漠のせんこう』と称された白銀竜のランバスです」

 よどみのない答えに、ファイエルは満足そうにうなずく。

「兄上もいつか王さまになれば、ここの壁に刻まれるんですね? 神獣と一緒に」

「カイラーン、お前もいずれ神獣を迎えて、僕と一緒にこの神獣舎を使うんだ。二人で大空を飛ぶ日も来る」

 カイラーンの尊敬の眼差しにルスランは微笑みでこたえ、誇らしげに壁一面の王名表を眺め回した。

 ──そうだ。いずれ、僕も自分の神獣と一緒にこの王名表に刻まれるんだ。

「あれ? ここの王さまの文字と浮彫、ありませんよ?」

 カイラーンが指さす先には、明らかに文字と浮彫の一部が削り取られた跡があった。見回せば浮彫の欠落はそこだけでなく、全部で三か所ほどあった。

「導師さま、この削られた部分は何ですか?」

 ルスランの問いに、ファイエル導師の顔が曇った。

「……残念ながら、それは王と神獣に関し、大変不名誉なことが起こった事実を意味します。彼らは王名表からも記録からも抹殺され、人々の記憶から永遠に忘れ去られる運命です」

 ──王と神獣なのに、記録から消されて忘れ去られる? そんなことが本当に?

 ルスランはぞっとして、寒くもないのに胸の前で腕を組み合わせた。カイラーンも不安に思ったのか、兄のそでぐちをぎゅっとつかんだ。

「……詳しく教えてください、どんな王と神獣だったのですか?」

「ルスラン王子、国に災厄をもたらした神獣がいたのです。しかし、これ以上詳しくお教えすることはできません。それを口にすることすら、災いを呼ぶとされておりますゆえ。歴代の王、導師そして宰相のみがその秘密を知ることができるのです」

 深刻な話に二人とも青ざめた顔をしていたからだろう、導師は明るい声を出した。

「王子がたよ、そのようにご心配なさいますな。滅多なことでは起こりませんし、もう何百年も前の例でもあります。堕落した従神者と神獣はまれに存在しますが、お二人はそのようなことにならないでしょうから、どうかご安心を……」


     四


 翌日、朝の学習を終えたルスランは父王に命ぜられ、後宮に足を運んだ。召喚式ならびに立太子礼を二日後に控え、一連の儀式の最初として、王太子の資格を王族に認証してもらうためである。複数の有力な王族の同意を得ることで、王太子の地位を確実にし、ひいては将来の王位を安定に導く大切な手続きだった。

 後宮の建物はいくつもの中庭を介してつながれている。侍女たちは涼をとるため、机や椅子を中庭の泉水のそばまで持ち出し、繕いものやしゆういそしんでいる。

 ルスランは羊皮紙と筆記用具が載せられた盆をささげ持ち、薬草園の脇を通り過ぎ、白い石材で造られた八角形の建物の前に立った。後宮でもっとも美しいと称される場所である。彼は扉の前でこうべをたれ、招じ入れられるのを待った。

「スズダリ王妃さま。私、第一王子ルスランがご挨拶に参りました」

 格子窓からは明るい陽射しが差し込み、葡萄ぶどうやつる草の紋様を規則正しく配したじゆうたんを照らし出す。胡桃くるみ材にでん細工の調度品、止まり木のおう、宝座の天井から下がるダイヤモンド藍宝石サフアイアるし飾り。これら全てが、部屋の女主人の高い地位を示している。

 薬草園とこの八角形の建物の女主人、すなわちスズダリ王妃は宝座にゆったりと座していた。卵形の顔に灰色のひとみ、ほっそりしたたいの持ち主である。レースのふんだんに使われたヴェールを頭からかぶり、同じくレースの白い上着と長短合わせて三本の真珠の首飾りを身につけ、黒に金糸で刺繡された長いスカートをはいている。

 彼女の宝座の背後には棚がしつらえられ、出身地から採掘された赤や緑、青色といったさまざまな色の鉱石が飾られていた。

 スズダリ妃は何の表情も浮かべず、義理の息子の挨拶を受けた。

「あなたの召喚式が行われることとなり、義母ははとしても安心しています。これからも文武両道に精励し、神獣と一体となってこの国のため力を尽くすように」

 ルスランは「ありがたいお言葉」と答えて一礼し、盆を差し出した。

「もし私を王太子とお認めくださるのであれば、ご署名を賜りたく」

 スズダリは優雅な手つきであし製のペンを取ったが、自署の途中で動きを止めた。

「良き神獣を迎え、この国を治める自信はおありですか?」

 ルスランは思わず息を止めた。自分の見間違いか、いつも無表情で淡々としている義母が、一瞬笑みを見せたようだった。だが、それが純然な笑いなのか、もしくはあざけりが含まれてのことか、にわかに判別もできかねた。

「はあ」

 ルスランは、いささか歯切れの悪い返事をしてしまった。スズダリは視線を落とし、署名を完成させる。ぽつっと末尾にインクの小さな染みが出来て広がり、見守っていたルスランは胸騒ぎがしたが、継母は何も言わず羊皮紙を返してよこした。

 ──義母上はいつも、何をお考えなのかよく分からない。

 スズダリは息子カイラーンの世話のほかは、薬草園の手入れか、書物をひもくかの静かな生活を送っている。ルスランは彼女から冷遇された覚えもないが、さりとて可愛がられた記憶もない。何となく、形式的な親子関係が今日まで続いてきたのである。

 居心地の悪さを覚え、早々にいとまを告げようとしたルスランは、辺りを見回した。

「カイラーンはどこに? 義母ははうえとご一緒ではないのでしょうか?」

 スズダリの表情がわずかに硬くなった。

「あの子はまたジャハン・ナーウェのやしきに行っています、朝早くから」

 スズダリは、かねて王弟ジャハン・ナーウェとは折り合いが悪いという噂であった。

 それというのも、カルジャスタンが西方の有力なオアシス諸都市、すなわちサマル地方を支配下に置いたとき、手に入れたのはその豊かな猟場と鉱山資源だけではなかった。サマル首長の忠誠のあかしとして、その娘であるスズダリをハジャール・マジャール王の継妃として迎えたのである。

 現在のサマル地方は、ジャハン・ナーウェが王の代理として統治を任されているが、その支配のあり方を巡ってスズダリと摩擦を起こしているらしい。だが、息子のカイラーン自身は叔父おじによく懐いているので、スズダリも内心穏やかでないのだろう。

「他の認証者は、ジャハン・ナーウェなのでは?」

「はい。これから叔父上の邸に行きますので、カイラーンを連れ帰ってきましょう」

 ルスランは義母の意を察してそう約束し、退出すると後宮の門の外で深呼吸した。

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