第一章 琥珀の瞳を持つ少年①

     一


 アラバス山脈の南、タミナ盆地の大砂漠に位置するカルジャスタン王国は、光と善の神ミスレルの血を引くと称する王家によって支配されている。その王都ドルジュ・カジャールは豊かな水に恵まれたオアシス都市で、東西交易路の要衝にも数えられていた。

 王都は城壁で囲まれ、四方にはそれぞれ門が配されている。その西門近くのバザールでは、ちょうど大騒動が持ち上がっているところだった。

「なんでえ、この野郎! 俺の売っているじゆうたんがルルカ族のものではなく、偽物だとほざきやがったな!」

 絨毯商人の店が集まっている一角。山と積まれた絨毯を前に怒声を飛ばしているのは巨体の商人。彼が憤りを向けているのは、一人の少年。頭には紺色のターバンを深めに巻き、ほっそりとした体格に長い手足を持つ。麦わら色の柔らかな髪の下にははくひとみきらめき、整った顔立ちのなかにも、頰に浮いたそばかすがあいきようを添える。歳は十五、六といったところであろう。右手に絨毯から取ったらしい繊維を握っている。

 少年は、ふっと唇の両端を上げた。

「その絨毯はドラクマ銀貨五十枚の価値もない。ルルカ族の絨毯はもっと目が密で、毛足も揃っている。それに向きを変えればぬめりを帯びた光沢があるが、それは……」

「この絨毯とてめえに何の関係がある!」

「関係あるさ。お客をだまして売りつけたとあれば、『世界の半分の品々が集まるドルジュ・カジャール』の名に傷がつく……」

「うるせえ! お前のご高説なんぞ要らねえんだ!」

 顔を真っ赤にした商人が殴りかかってきたが、少年はひょいとかわし、身軽に商品の陳列台の上に飛び乗ると、品物を傷つけないように台から台へと軽やかに移動する。見守る人々からはやんやのかつさいである。ついで、ましらのごとくまんまくの柱をよじ登ると、そこから都を囲む、自分の背丈の四倍ほどの高さがある城壁にとりついた。

「降りてこい!」

 青筋を立て、こぶしを振り回して怒鳴る巨漢に、少年は舌を出して見せた。

「嫌だね」

 そして、城壁の上を駆け出すと、あっという間に皆の前から姿を消す。虚をかれて見上げたままの悪徳商人に、他の商人たちが近づき追い立てにかかった。

「ふう……」

 少年はしばらく城壁の上を走り、振り向いて追手が来ないことを確認して腰を下ろした。両脚をぶらぶらさせながら都の外を眺め渡す。

 雲一つないそうきゆうの下、遠くには陽炎かげろうに燃え立つようなアラバス山脈がそびえ、乾燥した大地に点在する緑が見える。近くに目を転じれば、城壁の外に畑が広がっており、果樹や穀物が栽培されていた。

「外の世界、か」

 少年はつぶやいた。

 ──あと三日で全ての運命が決まるんだ。自分に神獣が召喚されたら、それに乗って世界中を見て回りたいな。

 彼は後頭部に手をやると頭に巻いていたターバンを外し、額に触れた。そこには南方に生えるシュロの葉と星形をかたどった銀色の紋様が浮き出ていた。少年はうれしげに、何度も指でそれをでていたが、ふと手を止めた。

 ──でも、国を出て旅をしたいなんて、父上がお許しになるだろうか。

 彼の琥珀の瞳に憂いと陰りが落ちるとともに、小さなため息が口かられた。

 そこへ、城壁の下から声がかかる。見下ろすと、先ほどの市場の人たちが自分を探しに来てくれたらしかった。そのうちの一人で色鮮やかなかすりを着た若い女性が、わんに入れられた茶と葡萄ぶどうを盛った盆を差し出している。

「先ほどは、あいつの鼻をへし折ってくれてありがとう! 以前から、あいつの扱う商品は偽物が交ぜられているんじゃないかと疑っていたんです。お茶はいかがですか、これから私たちも休憩するところですが」

 少年は「ありがとう」とうなずき、額の紋様を隠して壁を伝い降りると、葡萄と茶を受け取った。茶は薄荷ミントとうみつを入れたさわやかな味わいで、葡萄はみずみずしく味も濃い。

 彼を取り囲むようにして、市場の人々は葡萄棚の下で車座になった。茶や菓子が回されていくうち、人がさらに集まってくる。

「それにしても、まだ若いのに目利きなうえに勇気もある。おまけに気品も……一体、どこの家の若さまで? お名前は?」

「いや、そんな……人に知らせるような名前でも家でもなくて」

 少年は照れた様子で、茶をすすった。葡萄棚を透かして、木漏れ日が心地よい。

「……おや、あの方のお出ましだ」

 かつぷくの良い中年の婦人が、葡萄棚の下から出て空を見上げる。

「どうしたんだい?」

 つられて、皆も出てきて蒼穹を仰ぐ。

「……おお」

「まあ」

 彼らが指さす方向には、何かがゆっくりと舞っていた。

 それは一頭の白銀竜。遠目からでもうろこは陽光に輝き、広げた翼の雄大さが分かる。

「……オルラルネ」

 琥珀色の瞳の少年が、ごく小さな声で呟く。

「王さまだ、王宮にお帰りになるところかな?」

「神獣にお乗りなの? 初めて見るけどれいだなあ」

 子どもたちがさんたんの声を上げると、その父親らしき男が葡萄のせんてい用のはさみを鳴らしつつ、得意げな顔をした。

「そりゃそうだ。あれは神獣オルラルネ、諸国からもうらやまれる神獣のなかの神獣さ。カルジャスタンはいつも、白銀竜に乗る王さまの代にもっとも栄えるんだ。王さまとオルラルネさまを目にすることができたなんて、さいさきがいいや。きっと明日は葡萄が高く売れるぞ」

 葡萄のかごを抱えた若者が、その後を引き取る。

「綺麗なだけじゃないぜ。五年前、バールスタンの連中が攻めてきたときなぞ、王さまとオルラルネさまが先頭に立って追っ払ってくださったけど、強かったのなんの」

 人々は白銀竜が遠く王宮の方角に消えるのを見送ると、「いいものを見た」という高揚した表情で、誰からともなく歌い出し、やがて踊りも始まった。


  ルスタン・ベーの葡萄売りの娘

  あの麗しい葡萄売りの娘

  白い頰に赤い唇 黒い瞳に黄金の額

  くるりくるりと踊るよ くすりくすりと笑うよ

  ルスタン・ベーの葡萄売りの娘

  王に見初められた美しい娘

  緑の服に黄色の帯 銀の冠に紫の石

  さらりさらりと話すよ しゃなりしゃなりと歩くよ


 少年も麦わら色の髪を揺らし、皆と手を取り合って歌いながら足を踏み鳴らした。

 やがて、街の東側にある神殿から、昼のとうの声が流れてきた。少年は動きを止めて耳をそばだてる。

「いけない、早く戻らないと」

 我に返った様子で踊りの輪から抜け、人々へのあいさつもそこそこに、雑踏に紛れて姿を消した。だが、彼は知らない。自分を見送る街の人たちが顔と顔を見かわし、微笑みを浮かべて語り合っていることを。

「ふふふ、私たちと同じような服を着て、上手にご身分をお隠しになっておられる」

 先ほどオルラルネを発見した恰幅の良い女性が、にやりとした。

ぐしも目の色も、前のおきさきさまによく似ておいでだ」

「額を隠されていたが──あそこに神紋が浮き出ているんだね、きっと」

「もうすぐ神獣の召喚式だそうだよ。あの方はきっと立派な神獣を迎えて、いずれ父上の跡を継がれて王さまにおなりになるんだ」

「おお、我らがミスレル神よ! どうかルスラン王子を守りたまえ」

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