第一章 琥珀の瞳を持つ少年②

     二


「ルスラン王子」、すなわちハジャール・マジャール王の第一王子が着替えを済ませ、息せききって王宮の大テラスに駆けつけると、ちょうど閲兵式が始まるところだった。

 大テラスの壇上では、四十歳ほどの男が辺りをへいげいしている。彼はがっちりしたたいに黒衣と黒マントをまとい、赤茶色の髪にいかめしい顔、人をくようなへきがんと太いまゆを持つ壮年の美丈夫である。その額には、ザクロの実をかたどった神紋が浮き出ている。

 王の背後には神獣たち──王の白銀竜オルラルネ、ならびに王弟ジャハン・ナーウェの巨鳥タウリスなどが控える。さらに王の御前には、身分や官の位階に合わせ、王族や武官たちがかしこまって起立していた。

 武官たちの先頭に立つ、王弟かつ王族筆頭のジャハン・ナーウェが腰から剣を抜いた。彼は兄王と同じ赤茶色の髪と碧眼を持ち、体格や顔つきも良く似ていた。

「ミスレル神よ、光明の善神よ。我らカルジャスタンと偉大なる王を守り給え!」

「守り給え! カルジャスタンに栄光を!」

 武官たちはジャハン・ナーウェに呼応し、彼らが一斉に抜き放った剣はいずれも陽光を鋭く照らし返した。

 ルスランは目立たぬように臣下たちの後ろを通り、オルラルネの陰に隠れるように立ったが、振り向いた父王と目が合ってしまい、思わず首をすくめた。父は一瞬だがあごひげを震わせ、たかのように鋭い目つきで息子をにらむと、再び前方へ視線を戻した。

 ──よりによって、閲兵式に遅刻しかけてしまった。後で父上から𠮟られるだろうな。

 閲兵式が終わると、王は息子を連れて大広間に入った。奥の壇上には玉座が据えられ、二頭のが向かい合わせに立つ国章の壁掛けが背後にかかる。玉座の父王の前でこうべを垂れ、伏し目となっても、父の視線が痛いほど自分に注がれているのが感じ取れた。

 ルスランは左胸に右手を当て、床にかたひざをつき頭を下げる。

「父上、閲兵式へ刻限迫っての参上、深くおびいたします。今後はこのようなことがないよう、自覚をもってつとめます」

 息子の謝罪に対し、ハジャール・マジャール王は両の口角を下げる。

「ルスラン、いよいよ三日後は神獣の召喚式と立太子礼だ。だが、それに至るまでの一日、一日をおろそかにしてはならん。そなたの神紋の出現が遅れたことで、宮中では噂する者もいる。立太子後も廃太子の危機がついて回るし、そなたの代わりもいるのだ」

 父王は、暗にルスランとは腹違いの第二王子カイラーンを挙げてみせた。ルスランの肩口がわずかにこわる。

 従神者の血を色濃く引く者であれば、歳十五を数える頃には「神紋」が額に出現するのだが、ルスランの額には十五の誕生日から半年が過ぎても、なかなか神紋が現れなかった。歴代のカルジャスタン王はみな従神者であり、言い換えれば従神者であることが王となるひつの条件なのだ。したがって、第一王子になかなか神紋が現れないことは重大事で、本人はもとより周囲もやきもきするところだったのである。

 そのうち、ルスランの後継者としての資格を疑問視する噂が宮廷のそこかしこでささやかれるようになった。十六歳の誕生日も迫る頃にようやく額に神紋が現れ、以後は噂も下火になったが、彼の素質への疑念は、おきのように宮廷でくすぶり続けている。

「学問と武術の修得、これらに怠りはないか?」

「はい。古代語や歴史の学習、神獣学の受講、剣術や乗馬の鍛錬などをしております」

「そうか、文武両道を目指せよ。もう行くがよい、タスマンがそなたを待っている」

 父王はいかめしい表情を崩さず、振り払うような手つきで息子に退出を促した。

 大広間を出たルスランがため息をつきながら回廊を歩いていると、遠くから臣下の一団が声高に話しながらやってくるのが見えたので、彼らと顔を合わさぬよう横の通路に入ってやり過ごすことにした。臣下たちは彼に気づかず、足音を立てて行き過ぎる。

「やれやれ、ルスラン王子に神紋が現れたといっても、ちと遅すぎではないか?」

「ただでさえ母親を早く亡くして後ろ盾もないのに、本人が頼りないのでは……」

「王もルスラン王子に期待しているようには見えんしのぅ」

 通路の柱の陰で彼らの会話を聞いていたルスランは、身を固くした。

「その点、第二王子のカイラーンさまは継妃スズダリさまのお子で、スズダリさまご自身も西方のサマル地方の姫君、つまり立派な後ろ盾がある。つくとしたらルスランさまよりもカイラーンさまの方が良い。宰相さまはいかがお考えで?」

 男たちの先頭を行く「宰相」と呼ばれた初老の男、ジャルデスティーニは振り返って太い眉を上げた。

「ふん。おおかたそなたたちはスズダリ妃に取り入って、サマル地方の富のおこぼれにあずかりたいのだろう?」

 図星を指されたのか、取り巻きの何人かはきまり悪そうな顔をした。

「まあ良い。聞かれたから答えるが、私の見たところ、ルスラン王子には王としての器量が足りぬ。迎える神獣がよほど優れていれば、また別だが」

 冷徹な宰相のもの言いに、ルスランは唇をかみしめた。黒い衣にそうしんを包み、ぎょろりとした眼とつち色の顔色が特徴的なジャルデスティーニは、能吏という評判ではあるが、何が気に入らないのか、以前から彼は自分に冷たい態度を取ってきたと感じていた。

 ルスランは、よっぽど彼らの前に飛び出して反論してやろうと考えたが、我慢して両のてのひらを握りこむ。

 ──ああ、いつもこうだ。

 いくら勉学に励んでも、剣術のけいをしても、宮中の人々のどことなく冷たい目、自分をもてあます態度がついて回る。

 ──母上を亡くして後ろ盾がないだの、神紋の出現が遅かっただの、僕に対する父上の態度が冷たいだの。でも、神獣を迎えて王太子になれば、状況も変わるだろうか。

 ルスランは男たちを見送ると、西の大塔の方角に向かい、おおまたで歩き出した。

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