第一章 琥珀の瞳を持つ少年③


     三


 西の大塔の最上階にあるルスランの私室では、召喚式のしよう合わせが行われていた。

「ルスランさま、召喚式の日には駄目ですよ。おとなしくなさって、儀式を無事にお済ませにならないと」

 老いた従僕のタスマンが苦笑を浮かべつつ、ルスランに儀礼用の軍服を着せていた。

じい、そんなにいつもふざけているわけではないよ。召喚式の大切さも分かっているし」

「でも、つい先ほどまで市場にいらしたのでは? 王宮に戻った『王の影』が申しておりましたよ。じゆうたん商人とけんをなさったとか。それで閲兵式に遅刻しかけたのですね」

「喧嘩ではない、ニセモノを摘発しただけだ。まったく『王の影』たちは、何かとすぐ父上に告げ口して……」

「それが彼らの任務です。あまねく国内を探り、上に立つ者たちの行状を王に報告する役目を負っているのですから。それに、閲兵式に遅刻などなさってはなりません」

「確かに。一番先に参上すべき僕が最後に来たのだから、父上がお怒りになるのも無理はない」

 軍服は、表地に東方のリーン帝国からもたらされた最高級の白い絹を用い、金糸や銀糸のせいしゆうが施されている。ぴかぴかに磨かれた墨色のちようを合わせ、首からはダイヤモンド紅玉ルビーが連なる首飾り。腰には王太子のあかしである宝剣、そのつかにはまった大きなエメラルドが窓から差し込む陽光に映える。

 だが、その美々しいで立ち以上に人目をくのは、額に浮かぶ銀色の紋章だろう。シュロの葉と星形が組み合わさった紋様は、まさしく「従神者」の証であった。

 服を着せられるままになっていたルスランは、ぎゅっと眉を寄せた。

「帯がきつい」

「我慢なさいませ、王子。腹に力を入れねば、召喚された神獣を乗りこなすことができません。まんいち神獣から振り落とされでもすれば、末代までの恥になりますぞ」

「俺がそんなへまをやらかすとでも?」

「『俺』ではなく『私』、せめて『僕』とおっしゃいませ。『へまをやらかす』も駄目です。お忍び歩きも困りますが、下々の話し方まで真似をされてはもっと困りますぞ」

 ルスランは「うん」と素直な調子で答え、また視線を上げる。正面に掲げられているのは、亡き母であるアルマ王妃のてのひらほどの大きさのミニアチユール

 それは精巧な筆致で描かれた傑作で、自分と同じく麦わら色の髪にはくいろひとみを持った美しい女性が、微笑を浮かべてこちらを見ている。朝に晩に眺めてきたが、今日はいつも以上に、母が自分に語りかけて来るかのようだった。

 前王妃のアルマは一介の貿易商の娘だったが、「ドルジュ・カジャールの薔薇ばら」とうたわれたように、ぼうと優しさを兼ね備えた女性として評判が高かった。それを、ハジャール・マジャール王が街で見初めてきさきに迎えたのである。しかしもともと病弱で、玉のような王子を産み落としてからはしばしば病床にすようになり、ルスランが五歳のときに世を去った。

 ただ、アルマ妃は愛息に遺品を残していってくれた。それは、王子の居室に飾られている上質な工芸品や美術品で、妃の洗練された鑑識眼で収集されたものだった。ぞうがん細工も美しい書見台、はるか東方から運ばれた陶磁器、獅子が織り出された目の詰まった絨毯……。ルスランもまた母に似て美しいものを愛し、亡き母をしのぶよすがにもしていた。

「ご覧なさいませ、母上さまも王子のご成長をおよろこびでいらっしゃいましょう。早くに身まかられたので、さぞかしお心残りであったろうと。ご崩御の際、『我が子の成人のあかつきには良き神獣に恵まれ、立派な王になって欲しい』と言い残されたのですから」

「爺、泣くな」

 そう言うルスランも、鼻の奥がつんとなった。

 ──母上、僕の召喚式を喜んでくださっているかな。

「母上がもしお元気でいらしたら、父上も僕に対して少しは態度が違ったのかも……」

 うつむくルスランに、タスマンは愛情深いまなしを向けた。

「きっと、王さまはアルマさまを愛されたあまり、うりふたつのあなたさまをご覧になるのがおつらいのでしょう」

「父上が? そんな理由で僕を避けていると?」

 釈然としない様子のルスランをよそに、着付けを終わらせたタスマンは数歩下がり、王子の衣裳映えに目を細めた。

「よくお似合いです、非の打ちどころもない。さあさあ、衣裳合わせの次はファイエル導師さまの講義が待っていますよ」

 ルスランはき立てられるように軍服を脱ぎ、今度は王子としての普段着に着替えた。儀礼用ほどの豪華さはないものの、城下で着ていた庶民の服とは異なり、一目で上質なものだと分かる。紺色の上着のすそにはザクロを模した紋様が刺繡され、朱色の帯も色鮮やかだ。彼は支度を終えると、小走りに自室を出て行った。


 王宮内の図書室では、三人が向かい合わせに座っていた。高齢でいささか曲がった背と白く長いまゆを持つファイエル導師、ルスラン、そして赤茶色の髪とあおい瞳を持つ十二歳ほどの少年──すなわちルスランの異母弟で第二王子のカイラーンである。

 石板と滑石を手にした王子二人が受けているのは、「従神者」と「神獣」について学ぶ特別な講義で、カルジャスタンの王族は神紋が発現する前から学習を始める。内容は、この世界および従神者と神獣の関わりから始まり、従神者の心構え、各種の儀式など多岐にわたる。まんいち自分に神紋が出現しなくても、従神者と神獣を深く理解しておくことこそ、王族としての務めと見なされていた。

 ルスランの学習は既に終わりの方まで進んでいたが、カイラーンへの講義が始まると、復習のため改めて一緒に出席するよう、父王から命令を受けたのだった。

 また、ファイエル導師は、ミスレル神をまつる「西の神殿」の神官で、かつて成人前の父王にも講義をした経験を持つ。

「……さて、王子がたよ。『創世記』にある通り、我らの大陸には『従神者』が生まれる。君主の家に生まれつく者が多いが、平民でも従神者となる者が現れる。従神者は召喚された神獣を駆って人々を支配するが、どの神獣に騎乗するかは生まれ落ちたときにすでに神の御手により定まっているという。すなわち、十五歳くらいには額の『神紋』が浮かび、召喚式を行う。すると、自分と同じ神紋を持つ神獣がこの世に出現する」

「導師、彼らはどんな世界から召喚されてくるのですか?」

 カイラーンの素朴な問いに、巻物を手にした導師は微笑んだ。

「我ら人間の行くことのできない世界から呼ばれてくると申します。竜、ほうおう有翼獅子グリフインなど……従神者にどの神獣が配されるかは、神のみぞ知る。そうして結び合わされた従神者と神獣は、生死を共にして生涯離れることはないのです」

 カイラーンは初めて耳にする話に興味津々の様子で、再聴講のルスランも召喚式を目前としていささか高揚した面持ちで、ファイエル導師の講義を聴いていた。

「……神獣に初めて乗る儀式を経て、最後は従神者と神獣が互いに誓いを立てる儀式。以上が召喚式の内容となる。さあ、この話の続きは神獣舎でいたしましょう」

 ファイエル導師は席を立ち、王子たちを促して王宮の一角に足を向けた。しばらく歩くと、厚い壁に小さな窓がいくつか開いている高い建物が見えた。王家の神獣が住まう「神獣舎」である。ルスランも今まで滅多に足を踏み入れたことはない。

 神獣は人型も取れるが獣の姿の方が楽なので、普段はこの建物で寝起きしているのだ。

「通常は講義の最後に訪れますが、ルスランさまの召喚式を控えた今のほうが良いかと」

 三人は神獣舎の入り口で、人の姿をした白銀竜オルラルネと行き合わせた。彼は気品のある青年の姿で、銀髪に薄青色の瞳を持ち、王と同じ神紋を額に光らせ、青色の長衣ローブをまとっている。

「導師に神のご加護がありますように。これから、わがきみとともにとうします」

「あなたにも神のご加護を、けいけんなオルラルネどの」

 オルラルネは、導師には一礼して自分からあいさつしたが、傍らの二人の王子にはちらりと視線をやっただけで言葉もかけず、悠然と歩み去った。父の神獣であり、かつ気位の高いオルラルネは、ルスランと顔を合わせてもいつもこのような調子で、距離を感じた。

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