第一章 琥珀の瞳を持つ少年⑧


「『東の神殿』? アルマ妃さまの細密画と何か関係が?」

「この背景に描かれているのは東の神殿ですよね? 母は神へのけいけんさを示すため、あの神殿に多額の寄進をしていたと聞いています。僕も母の没後に何回か行ったことがあるので、古参の神官たちは僕を覚えてくれているかもしれません」

「東の神殿」とは、カルジャスタンの東方に位置する権威ある神殿で、王に服従する「西の神殿」とは対照的に、王権からは独立勢力のような地位を保っている。その権威の源泉はよく的中するという神託で、各オアシス都市から寄せられる信仰も厚い。

「要するに、東の神殿の助けを借りたいんだな。意外だが、いい考えかもしれん」

 うなずくジャハン・ナーウェに、ルスランもあんの表情を見せた。

「ご賛成ありがとうございます、叔父上。独立した神殿なので味方になってもらえるかは分かりませんが、もしご神託だけでもいただけるのなら、今後の指針になると思って」

「うむ。何といってもお前たちは従神者と神獣、神に関することは神に伺うのが一番だ。それに、東の神殿も王子の来訪を無下にはできないだろう。上手うまくいけば知恵を貸してくれて、兄上への取り成しもかなうかもしれない」

 そして、ジャハン・ナーウェはルスランを強く抱きしめてくれた。

「我が甥に、あらん限りの愛と神のご加護を!」

「ありがとうございます、叔父上にも神のご加護を」

 両目に涙を浮かべたカイラーンも進み出て、兄にぎゅっと抱きついた。

「兄上、兄上。きっと帰ってこられます。僕、ずっと待っていますから……」

「カイラーン……何とか帰ってくるよ。心配するな」

 ルスランはじんとして、弟を抱きしめ返した。

「さあ、義母ははうえに内緒で寝床を抜け出してきたんだろう? 早く帰れ」

 やや離れたところで見送っていたタスマンがとうとう泣き崩れてしまった様子を、ルスランは痛ましい思いで見守っていたが、彼の心情を思うとあまりにつらくて、駆け寄ることも声をかけることもできなかった。

 ──でも、とにかく行ってみよう、東の神殿へ。

 人間たちの別れのあいさつを退屈そうに眺めていたアルダーヴァルが、のっそりと近づいて来た。

「さあ、そろそろ行こうぜ。ぐずぐずしていると日が暮れちまう」

「分かっている」

 ルスランは悲しみと名残惜しさを振り払うように三人に手を振ってみせ、深呼吸してはるか前方を見据えると、アルダーヴァルとともに城門をくぐった。


     七


 ドルジュ・カジャールを出て、アラバス山脈を遠くに望みながらしばらく行くとオアシスの緑は少なくなり、行く手には広大な砂漠が広がっている。ところどころに生えているのは、イラクサとラクダ草。

 東の神殿があるイトナ山に向けて進むルスランは、心細くなってときどき都の方角を振り返る。

「ふう、ここまで来れば人間はいないな。人型は疲れるし面倒くさい、元の姿に戻るぜ」

 竜の姿に戻ったアルダーヴァルを、ルスランはまぶしげに見上げた。

「そうだ、お前の背にまだ乗せてもらってなかったな」

 本来、召喚式の後半では、従神者が初めて神獣に乗る儀式があるのだが、例の騒ぎで行われずじまいとなっていた。アルダーヴァルは、にやりとしてルスランを見下ろす。

「じゃあ、儀式の続きとして乗ってみるか? 俺が怖くないなら」

「怖いものか!」

 挑発されたルスランの琥珀色の瞳が燃え、素早くアルダーヴァルの背中によじ登る。

「我、ルスラン・アジール・カルジャーニーが初めて神獣アルダーヴァルに命ず、東の神殿に向かって飛べ!」

 従神者が、自分のものとなった神獣に向かって発する最初の命令。そして、「乗りこなす」という最初の試練。せっかく神獣が召喚されても、乗りこなすことができなければ墜落し、運が悪ければ従神者は死に至る。

 ルスランはアルダーヴァルのたてがみにつかまり、振り落とされぬよう必死だったが、瑠璃竜は宙返りをしたり揺さぶるように飛んだり、とにかく上空を縦横無尽に舞う。一方、ルスランといえば腹に力をこめて背中にしがみつくのが精一杯だ。

「はっ! 坊や、お目々を開けて外の世界を見てみろよ、いい眺めだ」

 ルスランがうっすら目を開けた瞬間、瑠璃竜はきりもみ状態で頭から急降下する。

 ──落ちる!

 地面すれすれで衝突は回避され、またアルダーヴァルは急上昇する。

「……止まれ!」

 その命令に、意外にも相手は素直に従った。だが──

「わあー!」

 当然ながら、竜が「止まれ」ば浮力を失い、落ちるのである。再び降下したアルダーヴァルは、地面近くで身をひるがえす。彼はある程度高くまで再上昇すると、翼をばさばさと言わせながら空中をゆるく旋回した。

「坊や、神獣に乗るなら命令は正確に出せよ。こっちはその通りにしてやるんだから」

「う、うるさい。くつばかりこねて……!」

 やっと反撃できるほどの余裕が持てたのか、ルスランが怒鳴り返す。

「ほう、そんな口をきいていいのか? それとも振り落とされてえのか? ここから地面は遠い、落ちたら粉々になっちまうぞ」

「…………」

 ルスランは黙り込んだ。アルダーヴァルのこうしようが辺りに響き渡る。

「まあ、思ったより根性はあるんだな。王子さま!」

 瑠璃竜は大きく宙で一回転すると、ひらりと地上に舞い降りて背中をひと揺すりした。ルスランは振り落とされ、ぶざまな姿勢で地面に転がる。

「何でこんな乱暴を、一体どういうつもりだ……」

 人型に戻ったアルダーヴァルは相手を見下ろし、「ふん」と鼻を鳴らした。

「お前の乗り方が下手クソ過ぎて、背中が痛くてたまらねえからだよ。これから先も乗りたければ有料だな。一日あたりドラクマ銀貨二十枚ってところか」

「銀貨二十枚?」

 ルスランは開いた口がふさがらなかった。一日あたり銀貨二十枚も支払っていたら、タスマンが持たせてくれた銀貨など三日も持たずに底をついてしまう。

「文句あるのか? 未熟者には当然の相場だが」

 アルダーヴァルは、遠く地平線の一点を指さした。

「まあ、支払いに不安があるなら、さっき上空から見えたあのオアシスの村で、ラクダなりロバなり、何か乗り物を調達するんだな。俺に支払うよりは安上がりだぜ」

「…………」

 背に乗せる、乗せないだけで彼とこれだけめるならば、召喚式の最後に位置付けられている、従神者と神獣が互いに永遠のきずなを誓うことなど、夢のまた夢だろう。

 ──僕を馬鹿にして! どうしてこの瑠璃竜は反抗的なんだ。

 ルスランのいらちは最高潮に達したが、これ以上侮られまいと虚勢を張った。

「ふ、ふん。飛び方の下手な駄竜より、人を乗せ慣れた家畜のほうがずっとましだね」

 そして、すなぼこりまみれのひざを払って立ち上がると、オアシスを目指して歩みを速めた。

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