第一章 琥珀の瞳を持つ少年⑨

 アルダーヴァルの言葉通り、オアシスのほとりには村が発達し、小さいながらも市場があった。幸い、今日は家畜の定期市が立っているようで、羊、山羊やぎ、馬、ラクダなどが市場の一角に集められ、人々が品定めに忙しい。

 アルダーヴァルを村はずれで待たせて、ルスランはラクダを見繕おうとした。だが、たとえじゆうたんや工芸品の目利きは出来ても、どのラクダを選ぶべきなのかは見当もつかず、値切り交渉もしたことがない。カルジャスタンの市場で見かけた光景を思い出し、実践してはみたものの──。

「カルジャスタンのドラクマ銀貨二十枚? 駄目だめ、それじゃ売れないよ」

 抜け目のない売り手にほんろうされて、なかなか値段が折り合わない。

「うっ……じゃあ、二十五枚で」

 ──こっちの足元を見られているような気がする。よそ者だしまだ若いからか?

 ルスランは疑念を覚えつつも、ついに折れてタスマンの革袋をじゃらつかせながら、銀貨を取り出した。

「えっと、一、二、三……二十四、二十五。これでいいかな?」

「お前さん、若いのに金を持っているんだな」

 銀貨を受け取る売り手の目が一瞬光ったことにルスランは気づかず、そそくさと礼を言うと買ったラクダのづなを取った。

 ──手持ちのお金だと一頭しか買えなかったけど、仕方がない。他にも買い物があるし、今後の宿代も取っておかなきゃ。あいつの乗り物は、まあ何とかなるだろう。だって、彼には翼があって飛べるんだから。

 ついで、彼はラクダ用のくらと塩の詰まった袋を買い、村はずれに足を向けた。

 ナツメヤシの木の元にいるアルダーヴァルの周囲が何やらにぎやかだが、それもそのはず、村の女性たちに囲まれ、茶やら果物やらを振舞われている。女性たちは、幼女から老女まで幅広い年齢層だ。目立つ容姿のアルダーヴァルは、異性をきつける魅力に満ちているらしい。彼自身は女性たちには関心がないようだが、受け取るものは受け取っている。さらに、村の男たちの一団が遠巻きにして、アルダーヴァルをにらみつけていた。

 ──ああもう、素性を隠さなくてはいけないのに、あんなに目立って。

「おう、坊や。乗り物は買えたのか」

 差し入れのイチジクの実をかじりながら、アルダーヴァルはラクダに目をやった。彼が話すだけで、取り囲んだ女性たちは「きゃあ」と歓声を上げる。

「ぼったくられていないだろうな? それに俺のラクダはどうした? お前だけが乗れて、俺は歩けってか」

 ルスランは有無を言わさずアルダーヴァルを人の輪から引っ張り出すと、彼のとがった耳に自分の口を近づけた。

「お前は自分で飛べるだろ? なぜわざわざラクダが必要なんだ?」

 アルダーヴァルは肩をすくめた。

「あのな、お前の親父さんが『素性を隠せ』と命じたのはなぜだと思う? ゴタゴタから身を守るためだろ? 従神者と神獣というのがばれたら色々面倒になるってんで。それに、俺たち神獣は人型を保つのは疲れるんだよ、でもゴタゴタよりマシだからな」

「ゴタゴタが嫌なら、お前こそ目立つな。村の男たちが変な目でお前を見ているぞ」

 アルダーヴァルは、まだこちらをうかがっている男たちをいちべつした。

「俺が女たちに『居てくれ』と頼んだわけじゃねえぞ。まあいいや、お前の進みたいほうに進んで、やりたいようにやんな」

「……そうさせてもらうさ、言われなくても」

 ルスランは言い返し、空を見上げた。そろそろ太陽も高みに差し掛かるところだった。


 二人は最も暑い時間帯をかんぼくの木陰でやり過ごし、日が傾くころに東の神殿を指して出発することにした。村人にたずねてみたところ、幸いなことに目的地はこの村からさほど遠くもなく、日没後の気温が急激に下がる前には、たどり着ける見込みである。

 西に真っ赤な太陽が没していくのを眺めながら、ルスランたちは神殿への道をたどる。それとともに、宵のみようじようが輝き始めた。

「あれ、明星の近くにあんな星があったかな? 動いているから、星じゃないか」

 ラクダの上で首を傾げるルスランに、人型のアルダーヴァルも空を仰いだ。

「神獣か、大型の鳥だな。きっとねぐらに帰るんだろ」

 広大な天に、ぽつんと浮かぶ鳥の影。それはいかにも、孤独で寂しげに見えた。

 ──向こうが僕たちを見つけたら、寂しい旅人たちだと思うんだろうな。

 日暮れとともに、今までの疲労がどっと押し寄せてきて、ルスランは無言となる。

 しばらくして、ラクダの前を黙々と歩いていたアルダーヴァルが、不意に立ち止まった。それに合わせてラクダも急に止まったので、暑さと疲れで半ば居眠りしていたルスランは、危うく振り落とされそうになった。

「な、何だ?」

 アルダーヴァルは相手の問いに答えず、来た方角を見据えている。

「やっぱりな。来やがった」

「来やがった? 何が?」

 振り向いたルスランには何も見えなかったが、やがて黒い点状のものが幾つも急接近してくるのが分かった。

「な、何だあれは?」

 耳をすましていたアルダーヴァルは、軽いため息をついた。

「複数の足音だ。全速力で走る、何頭かのラクダ……盗賊のご一行さまだ」

「なぜ盗賊だと分かる? 村の男たちが、お前が女性たちをたぶらかしたと誤解して襲ってきたのかもしれない」

「男としての名誉を守るためなら、その場で襲ってくるさ。ルスラン、お前まさか、銀貨の袋を村の連中に見せるなんて真似はしてねえよな?」

「あっ……」

 ルスランは自分のうかつさに青くなった。村人たちの一部が盗賊だったに違いない。

「まったく、世間知らずのお坊ちゃんだよ。世話が焼けるといったら」

 アルダーヴァルは舌打ちし、もんどり打って空中で竜に変身した。

「とりあえず、あばよ王子さま。何でも、いにしえの東方の賢者は『三十六計逃げるにしかず』ってのたまったらしいぜ。一生懸命その大事な『おラクダさま』で逃げな」

「お、おい! 乗せてくれないのか? このきようりゆう!」

 焦るルスランに、瑠璃竜のこうしようが追い打ちをかける。

「あはは、お前、大金をはたいてせっかく買ったおラクダさまをもう手放すのか? もつたいねえからそれで逃げ切ってみせな。ラクダを買ってもらえなかった哀れな俺は、自前の翼で逃げるぜ。お互い命があったら、東の神殿で落ち合おう。じゃあな、幸運を!」

 アルダーヴァルは見せつけるように旋回し、東をめがけて飛び去った。

 ──くそっ! 何が「幸運を」だ!

 後方からひゅっと頰をかすめて、矢が飛んでいく。

 ルスランは背後に迫る盗賊たちを気にしながら、懸命にラクダを操り駆け続けた。

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