第一章 琥珀の瞳を持つ少年⑦


     六


 王命の衝撃に、大テラスに集った宮廷の人々や神獣は、彫像のように微動だにしなかった。ただ一人、ルスランだけが口もとを手で押さえ、激しく身を震わせている。

 ──王子でなくなる? 国を追放される?

 誇りと名誉に満ちた召喚式から一転、地獄の底に突き落とされた気がした。

「ち、父上……」

 ルスランは二歩、三歩とよろめき進むとりようひざをついた。息子の動きを冷徹なまなしで追っていたハジャール・マジャールだが、一瞬その瞳を揺らめかせた。

「息子よ、悪く思うな。これはカルジャスタン王国のおきてだ、余にも覆すことはできぬ。竜を召喚した従神者は、たとえ王族であっても神獣もろとも追放されるのだ」

 とりつくしまもないが、それまでわななくだけだったルスランは立ち上がった。

「お、お言葉ですが父上!」

 その強い調子の声に、ルスランを知る宮廷人たちはかたをのんだ。今まで父に従順だったルスランが抗議するなど、初めてだったからだ。

「このアルダーヴァルは確かに瑠璃竜ではありますが、本当に災厄をもたらす存在かどうかは分かりません。いくら過去に例があったとはいっても、それは偶然なのでは?」

 だが、父王は苦虫を嚙みつぶしたような表情で答えない。

「兄上、これは将来の王位に関わる問題ですが、いささか性急に過ぎませんか?」

 ジャハン・ナーウェも穏やかな口調で取りなしたが、兄王の耳には届かぬ様子である。

 一方、ジャルデスティーニが長いあごひげをでながら、ルスランに対して目をぎょろつかせてみせた。

「ルスラン王子、往生際が悪いですぞ。瑠璃竜が災いをもたらす存在であることは厳然たる事実、そしてあなたと神紋を同じくするその瑠璃竜は……」

「こらこら。俺を置き去りにして、勝手に盛り上がっているみたいだがよ」

 ルスランの傍らのアルダーヴァルが、物騒な笑みを浮かべた。

「お前たち、本当に昔の伝承とやらを根拠にして、俺とこのガキを追放するつもりなのか? 俺を追い出したら、お前ら絶対に後悔するぜ?」

 アルダーヴァルの低く、不吉さをにじませた声に、大テラスの空気が凍りつく。

「ふん、ほざけ瑠璃竜。そのやさぐれた態度にそんなもの言い、瑠璃竜であることを抜きにしても、王の神獣には相応ふさわしくない!」

 ジャルデスティーニとアルダーヴァルが火花を散らしている間、ルスランは助けを求めて宮廷の人たちを見回した。だが、ある者は硬い表情で、またある者は彼の苦境を愉快そうな目つきで眺めるだけで、自分の味方になってくれそうな者は、叔父おじのジャハン・ナーウェ以外に見当たらない。一瞬、ファイエル導師とも目が合ったが、導師は沈痛な面持ちで言葉を発しようともせず、師の沈黙がルスランには一層こたえた。

「ルスラン・アジール・カルジャーニーに、改めて命じる! アルダーヴァルを連れ、明日の夜明けには王都を出よ。二度とカルジャスタンに足を踏み入れてはならぬ」

 ハジャール・マジャールは再度命令を発すると、最後に何とも言えない表情で息子を見つめ、マントを翻して大テラスを後にした。


 ルスランはタスマン以外の者との接触を禁じられ、一晩じゅう居室に監禁されて過ごす羽目になった。晴れの軍服も脱がされ、王太子の宝剣も取り上げられ、寝台に横になってはみたものの、自分の運命の過酷さにおびえ、一睡もすることができなかった。

 聞けばアルダーヴァルは神獣舎で、やはりオルラルネたち神獣の監視下にあるという。

 ──どうしよう、追放だなんて。召喚されたばかりの神獣と一緒にどこに行けと?

 だが、父も臣下たちも、叔父でさえも、誰もその答えを教えてはくれない。

 飾り窓からは月光が差し込み、室内をぼんやり浮かび上がらせている。王子としての生活を彩っていた数々の品、たとえば枕元に置かれた銀の水差しや透明な瑠璃わん、いま自分がくるまっている暖かな寝具も、全て今宵限りとなってしまうのだ。

 夜明け前に起床したタスマンは、涙ながらにルスランの旅装を調え、着せてくれた。

「召喚式と立太子礼のごしよう、そしていずれは王の即位式のご衣裳をこの手でお着せ申し上げることこそ、じいの夢でございましたが……」

 シュロと星の神紋はターバンで隠した。「追放の身となっても従神者という素性を隠せ」と、父王に命じられたためである。ありふれた丈の長い上着に、革靴。身支度の仕上げとして、以前から使っていた長剣と短剣を帯に挿す。

「ルスランさま、しようではございますがこれを……」

 タスマンがルスランの手に握らせてくれたのは、小さな革袋。見かけに反し、手にずっしりとした重さが伝わる。中からは、金属が触れ合う音がした。

「タスマン、いけないよ。こんなに沢山のお金……お前が一生懸命貯めたものだろう?」

「いいえ、きっとお役に立つはず。ああ、せめて私もご一緒できたら……」

 そでぐちで涙をぬぐう老いた侍従を見ていたら、自分まで泣きたくなってしまった。情けない表情を見られたくないと顔を背けた拍子に、壁にかけられた細密画の母と目が合った。手を伸ばして壁から絵を外し、じっと見つめる。

 ──母上、ごめんなさい。僕は良き神獣を迎えられず、王太子にもなれませんでした。

 ルスランは絵を壁に戻そうとして手をとめ、再び目を凝らした。信心深かった母は、神殿らしき建物を背景に微笑みを浮かべている。

 ──あれ? この建物……そうか、もしかして。

 その瞬間、彼にはある考えがひらめいた。彼は細密画を旅用の荷袋にしまいこんだ。


 太陽が昇ろうとする頃、旅の荷物を肩から掛けたルスランは王城の裏門にいた。表門から出ていくのは許されないのだ。罪人としての扱いに彼は心が痛んだが、人型のアルダーヴァルを見て、「こいつのせいで」と思う一方、召喚されてすぐさま追放の身となってしまったこの瑠璃竜に、複雑な思いがわいてきた。

 旅人の見送りに来たのは、叔父のジャハン・ナーウェと異母弟のカイラーン、そして侍従タスマンの三人だけだった。それとは別に、遠くからオルラルネが見守っている。

 ──やっぱり来ないよな、父上は。

 ルスランのはくいろひとみが沈んだ色合いになる。オルラルネがここにいるのは、父が自分の代理として見送りに遣わしたためか、彼自身の意思なのか、それともアルダーヴァルが暴れたときの見張り役としてか。ルスランにはうかがい知ることができなかった。

 人型のアルダーヴァルは、やたらにあくびをしていて不機嫌そうだった。彼はルスランと同じく、深めにターバンを巻いて神紋を隠している。

「ふああ……やっと召喚されたと思いきや、とんだ貧乏くじだぜ。何が悲しくてお坊ちゃんと一緒に追放になんぞ」

「それはこっちの台詞せりふだ、アルダーヴァル。お前が瑠璃竜のせいで僕は……」

「ふん、瑠璃竜に生まれついたのは俺のせいじゃねえ。恨むなら、俺を創造してお前と運命を結び合わせた神に文句を言えよな」

「神を恨む? 文句を言う? 何てばちたりな瑠璃竜だ! ミスレルに不敬だろう」

 いきり立つルスランだったが、ふと我に返って声を落とした。

「……でもこんな神獣とでも、僕は離れられない。従神者と神獣は、あまり遠く離れては『生きてはいられない』んだから」

 従神者と神獣は、物理的に長時間離れていたり死別したりすると、残った方も衰弱して死に至ってしまうのだ。

 ジャハン・ナーウェはアルダーヴァルを一にらみし、おいの気を引き立てるように大きな声を出した。

「兄上はあのようにおつしやったが、帰れる手段も見つかるさ。ところで、行く当ては?」

 ルスランは荷袋から母の細密画を取り出し、叔父に見せた。

「いろいろ迷ったのですが、まず『東の神殿』に行ってみようと思います」

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