第一章 琥珀の瞳を持つ少年⑤


 王宮に隣接するジャハン・ナーウェの邸はハジャール・マジャール王から下賜されたもので、華麗な建物と広大な庭を持ち、兄王の弟に対する信頼の厚さを物語ってもいた。

「兄上! ルスラン兄上!」

 従者を連れてルスランが邸の門をくぐると、召使がせわしなく往来する中庭を突っ切って、カイラーンが駆けてきた。その後から、がっちりした体格の男が姿を現す。

「カイラーン、叔父上」

 ルスランはにっこり微笑む。

「叔父上に、認証の署名を頂きに上がりました」

「ああ、二日後にはお前もついに召喚式と立太子礼か。良かったな」

 うれしそうなジャハン・ナーウェとは対照的に、カイラーンが不満げに頰を膨らませる。

「せっかく僕が来たのに、叔父上はこれから狩りに出かけるんですって。兄上」

「狩り? この間は、サマル地方に出かけられて虎を仕留めたばかりですよね」

「うむ。サマルにばかり行っていたので、今回は反対の東方まで足を延ばそうかと」

 ルスランの心配そうな顔つきに、叔父は苦笑した。

「なに、召喚式までには帰るから心配するな。現地で一泊するだけだよ。だが、お前たちを置いていくおびに、取っておきのものを見せようか? 『禁断の庭』を」

「禁断の庭?」

「お前たちを今まで入れたことがないくらい危険な庭、という意味さ」

 ジャハン・ナーウェはおいたちを連れ、中庭から門一つを隔てた広大な庭に足を踏み入れた。ルスランはもとより、この邸に入り浸り気味のカイラーンにとっても、初めての場所だった。

「ここが禁断の庭?」

 二人の王子は、揃って歓声を上げた。庭に設置された頑丈なさくおりのなかで、虎やひようなど数多くの猛獣や珍獣が飼われている。

「すごいや、世界中の獣がみんないる!」

「いや、それは違うぞカイラーン。たとえば、ここにいない猛獣もいる。何だと思う?」

 はしゃぐカイラーンは周囲をぐるりと見回し、首を傾ける。

「えっと……何だろう。あ、ライオン!」

「そうだ、ご名答」

「どうしていないのですか? 叔父上。狩ったことくらいはあるでしょう?」

「いや、獅子だけは私も狩ることができない。獅子は王者の象徴ゆえ、王にしか狩ることを許されていないのだよ。つまり、そなたたちの父上だけが持つ特権だ」

「でも狩りたいのでは? 僕、叔父上のために父上にお願いしてあげます!」

「ははは、じゃあカイラーンに兄王へのおねだりを頼もうか」

 ジャハン・ナーウェは、空を向いて朗らかに笑った。叔父は面差しこそ父に似ていたが、より快活で親しみやすい雰囲気を持ち、ルスランも昔から好感を持っていた。

 ──父上も、叔父上みたいにもう少し話しやすかったら、いいのにな。

 三人が中庭に戻ると、狩りの荷を持った随行者たちが集合していた。ちょうど召使がチーターを馬に載せているところで、馬上のチーターはぽかんとした顔つきをして、いっぽう馬は迷惑そうに鼻を鳴らす。その珍奇な光景に、カイラーンは目を丸くした。

「チーターのこんなかつこうは初めてだったか? チーターは脚が速く狩りに役立つが、すぐに疲れてしまうので、狩場まで馬に載せて行くんだよ」

「面白いですねえ、叔父上。今度、兄上や僕も狩りに連れて行ってください」

「ああ、必ず。ほら、チーターに近づいてごらん。大丈夫だよ、温和で人にれやすいから」

「いいんですか?」

 ジャハン・ナーウェは自分の召使に言いつけてカイラーンを連れて行かせると、残ったルスランを一階の自分の書斎に通し、机の前に座った。彼は差し出された羊皮紙に署名を終えたあと、スズダリの署名をじっと見てから、顔を上げた。

「ルスラン。俺にとってはお前もカイラーンも大事な甥っ子だ。だが、王位につくべきなのは、あくまでお前だと思っている」

 叔父はルスランを見つめる濃い青の眼に、懸念の色を宿していた。

「立太子の後も用心するがいい。あにうえのお気持ちはともかく、臣下たちはお前に必ずしも好意的な者ばかりではない。知ってもいようが、ジャルデスティーニが以前からお前を快く思っていないのは明白だし、それからスズダリには気をつけろ。あいつは日がな一日薬草をいじっているが、毒を作る『魔女』だという噂もある」

 ジャハン・ナーウェの忠告はルスランの心と表情を暗くした。叔父は甥を勇気づけるように、その背を軽くたたいた。


     五


 そして、ついに召喚式の日がきた。

 間もなく日が暮れようとする時刻、侍従や侍女たちを従え、白い軍服姿のルスランは胸を高鳴らせながら、式場の大テラスに現れた。

 すでにここには、黒いマントに身を包んだハジャール・マジャール王やスズダリ妃、カイラーン王子をはじめ、王弟ジャハン・ナーウェや宰相ジャルデスティーニ、ファイエル導師や廷臣たち、オルラルネなど十頭ばかりの神獣たちが揃っていた。

 大テラスの中央には石造りの祭壇が据えられており、その前には、ミスレル神に仕える「西の神殿」の大神官が他の神官たちを従え、右手にアクアマリンをはめ込んだ銀のつえを持って陣取る。彼はまず王と王妃に深々と一礼し、歩み寄るルスランにうなずいてみせた。

 ルスランは祭壇に王太子の証であるエメラルドの宝剣を置き、そのつかせつぷんして再び腰に挿す。ついで後ずさり、床に彫り込まれた魔方陣の中央にひざまずく。それと同時に、大神官が祭壇にともされた聖なる火に向かい、のりを唱えて背後の神官たちも唱和する。

「……大いなる翼を持つ我らの神よ、全ての世界の創造主よ。カルジャスタン王国の第一王子ルスラン・アジール・カルジャーニー、このいとも高貴なる血を継ぐ従神者に、ふさわしき神獣を召喚させたまえ!」

 ──どんな神獣と運命をともにするのだろう?

 ルスランはかたひざをついたまま、息をのんで天上を見つめていた。夕陽が地平線に落ち切るまさにその瞬間に祝詞が終わり、テラスには松明たいまつが時折はぜる音が響くほかは、誰も動かず誰も言葉を発しない。ぴりぴりした沈黙が周囲を覆う。

 ──あ。

 彼の眼が見開かれた。大テラスのはるか上で黒雲がにわかに湧き上がり、四方からつむじ風が起こったのだ。ついで雷鳴がとどろき渡り、テラスの四隅に太いせんこうが落ちた。

「わあっ……!」

 神獣の召喚につきものとはいえ、その場の人々は空間に生じた強いゆがみに耐えがたく、めいめい頭を覆い、体を伏せる者さえいる。ただ、ハジャール・マジャール王だけが微動だにせず、上空をにらみつけていた。傍らのスズダリ妃は息子の頭を右手で抱え、左手で夫の腰にすがっている。

 激しい雷が黒雲をつんざき、一瞬のちにはこの世ならぬ雄たけびが黒雲の中央から上がり、何か大きな生き物が姿を現す。

「逃げろ……!」

 それは祭壇めがけて真っ逆さまに降下してくる。ルスランはとっさに祭壇の前から退避し、大神官や神官たちも蜘蛛くもの子を散らすように逃げた。

 すさまじい音を立てて、それは祭壇にめり込んだ。祭壇が割れて崩れ落ちる。その生き物は炎と煙を発し、やがて持ち上がった頭には、銀色に輝く一本の角と赤く燃える二つのひとみが見えた。全身は、青紫色に反射するうろこに覆われている。

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