第8話 大団円

 本郷は、次第に、隣人の記憶が薄れていくのを感じていた。

「一体、どんな感じの人だったんだろう?」

 という思いと、

「その人がどんなことを言っていたのか?」

 あるいは、

「いつどこで話をしたのか?」

 という詳しいこと、それぞれは、普通まったく違った感覚であるはずなのに、どちらも少しずつ忘れていくようになり、次第に、

「まるで最初からいなかったのではないか?」

 という感覚すら持つのだった。

 それと同時期に出てきた。奥の部屋の人が言い出した。

「黒電話に対しての苦情」

 というか、問題提起は、管理人側からすれば、

「我々に言われても、調査はしてみるが、土足で他人の家に入り込むことができないので、自分たちは関係ないといわれると、それ以上調べることはできない」

 ということになるだろう。

 どんなに嫌疑があったとしても、証拠のようなものがあっても、問い詰めることはできても、文句を言ったり、

「出て行ってくれ」

 などということはできない。

 それは警察が捜査をしても同じことであろう。

 一つの隣人トラブルとして、

「訴訟も辞さない」

 ということで、裁判沙汰になって、住民側が勝訴ということになれば、強制執行もできるだろうが、なかなかそこまでする人もいないだろう。

 このマンションは、分譲マンションではなく、賃貸マンション、転勤がつきものの人たちが、

「いつ転勤といわれてもいいように、賃貸マンションを借りているのだから、ここでわざわざトラブルを抱え込んでもしょうがない」

 と思っていることだろう。

 もし、明日転勤と言われれば、1カ月以内に引っ越すことになるのだから、訴訟などもっての他で、そんなことをしても、途中でほっぽり出すことになると思うと、何もできないといってもいいだろう。

 しかし、何もしないというのも、癪に障るので、せめて、文句や苦情くらいは言わせてもらうというのが、心情ではないだろうか。

 皆が皆、そんな感じで考えているとすれば、結果、

「お互い様」

 ということで、それぞれの徳視力が働いて、文句をいうこともないに違いない。

 それが、

「賃貸マンション内での、暗黙のルールのようなものなのかも知れない」

 といえるだろう。

 そういえば、隣人が残していったという、

「自己犠牲の時代小説」

 というのを読んでみた。

 その小説を書いた作家は、それほど有名な作家ではなく、実は他にも作品は本として出していたようだが、売れているのは、その作品だけだという。

 その作品は、ある出版社が主催した、

「時代小説新人賞」

 というコンクールで大賞を受賞した作品だという。

 それまでは、時代小説というと、勧善懲悪だったり、庶民の中でヒーローが生まれるというようなものが多かったのに、その作品は、庶民の

「自己犠牲」

 のようなものを描いた、一種の、

「掟破り」

 ともいえる作品だったのだ。

 それが話題となり、賛否両論ある中で、大賞を受賞した。

 だが、その作家は、そこまでがピークだったのだろう。受賞作がセンセーショナルなものだっただけに、さらなる作品を出版社に求められても、無理だというものだった。

 作家自身が、世間からの期待を身に染みて分かっていたので、それにこたえることは難しいと考えたのだろう。

 実際に、新作を考えたとしても、それ以上の作品を考えるだけの力はなかったのだ。

 これは、この作家だけに言えることではなく、ほとんどの作家に言えることで、

「受賞作で、出し切ってしまった」

 と自分で感じる人は、それ以上の伸びしろはないというものだろう。

 それだけに、

「たくさんの作家がデビューするが、生き残ることができる人はほとんどいない」

 ということであろう。

 ミステリー作家などであれば、

「トラベルミステリー」

 あるいは、

「○○探偵」

 と言われるような、いわゆる、

「安楽椅子探偵」

 の代表的な探偵を登場させるなどして、

「このジャンルであれば、この作家」

 というような形が出来上がっていないと、生き残ることはできないだろう。

 一つの柱さえ作ってしまえば、後は、少々似た内容の作品でも、バリエーションでしのぐことができる。

 とはいっても、そのバリエーションが難しいわけで、一歩間違えると、

「二番煎じ」

 と言われ、読者に飽きられてしまうことも考えられる。

 それを避けるためにこそ、自分の作風に一本筋の入った、

「大黒柱」

 のようなものがあるなしで、まったく変わってくるというのが、小説であったり、マンガの世界の作風と言えるだろう。

 特にマンガの連載ともなれば、主人公はずっと同じで、主人公がいろいろな人と関わったり、仲間を増やして、敵と戦い、そして成長していくという、サクセスストーリーのようなものがウケるのだ。

 そういう意味で、小説の世界でも、一時期、

「異世界ファンタジー系の小説」

 というものが、やたらとウケる時代があった。

「○○系」

 と言って、出版社の名前を使った言い回しもあるくらい、出版社の中には、異世界ファンタジーを前面に押し出して売り出すところもあったくらいだ。

 ただ、このような文庫の会社は今までにもあった。

「SF専門文庫」

「海外小説専門文庫」

 あるいは、

「アダルト小説専門文庫」

 などである。

 ただ、なかなか専門ということにすれば、

「ブームに乗れば、一気に売れるが、ブームが去れば、そこからは氷河期だ」

 ということで、なかなか難しいところであろうが、

「ブームというのは、数年に一回はやってくるものだ」

 というのも事実であり、それに乗っかるかのように、続けてきた文庫もあった。

 ただ、時代小説や、歴史小説などは、爆発的なヒットはないが、固定的なファンは一定数いて、文庫化していけば、地道に売れるという、

「安定型の文庫」

 というものもある。

 それだけに、斬新な作品を発表すれば、それ以上を求められるのは、他のジャンルよりも強い印象があり、アイデアがないのであれば、その一冊のヒットだけで、身を引くというのが、ある意味正解ではないだろうか?

 その時代小説は、どちらかというと安定を求めるような作品だった。作品自体には、それほど目新しいものはなく、珍しいという感じではないように次第に感じられた、

 ただ、時代小説というのが珍しい感じで、現代小説ならあり得る話をわざと、時代小説として描いていた。

 それに、時代小説は、基本的にフィクションである、どのように書こうが作者の勝手、時代考証さえ問題なければいいのだった。

 その話は、

「普通の人であれば、最初は感動があっても、次第に感動がなくなってくると、自然消滅してきそうな話だ」

 といってもいいだろう。

 しかし、本郷にとっては、

「こんなに印象深い小説はない。まるで俺のことを書いているようではないか?」

 と感じられた。

 というのも、神社で少年が死んだ時のことを、その時にいたまわりの人から聞かされた話に似ていたからだ。

 これは、本郷の胸の中だけに抑えてきたのだが、それというのも、あの時死んだ少年というのは、

「皆が境内の鳥居に石を載せる遊びをしていて、それが誤って近くにいた少年の頭に当たった。彼は一緒に遊んでいたわけではないが、そのままにしておけば、その遊び自体が危ないということになり、投げた人間を特定し、犯人としなければいけなくなる」

 ということだった。

 だから、しょうがなく、犯人を絞らないように、

「その死んだ子も遊びに加わっていて、誰が悪いというわけではなく、不可抗力だったのだ」

 ということにしたのだという。

 これは、死んだ人間を犠牲にするという意味で、死んだ少年から見れば、

「自己犠牲だ」

 といえるだろう。

 そして、

「やむを得ない事故だったのだ」

 ということであれば、死んだ子供の母親も、学校に文句もいえず、ただ、

「今度、あんな危ない遊びはしてはいけない」

 ということになるだけで、犯人追求を逃れることもできる。

 そもそも、事故だったことには変わりはない。だから、犯人を追い求めたとしても、そこに何ら

「救われる」

 ということもないだろう。

 それを思うと、

「死んだ人間に口はない」

 ということで悪者になってもらう。

 それが本郷の考えだった。

 それを自己犠牲だというのであれば、それは無理もないことだろうが、それだけではないのだ、

 生徒の責任はそれでいいのだろうが、生徒に責任を求めないのであれば、教師側に責任を転嫁するしかない。そうなると、その責任を負うべきは、担任の本郷しかいないだろう。

 本郷とすれば、

「理不尽だ」

 と思ったが、自分もいまさら他の人に言えない、

「責任の隠蔽」

 を行ったのだ。

「子供たちのため」

 ということであるが、結果として、自分に被害を受けないようにという考えからだった。

 被害というのは、

「面倒なことに巻き込まれて、せっかくの平穏な時間をかき回されるのが嫌だった」

 という、

「面倒なことからの回避」

 だったはずが、結局、因果応報というべきか、責任の転嫁が一周まわって、自分のところに戻ってきたのだった。

 それこそ、

「自己犠牲をしてしまった」

 ということで、言い訳もできず、結局学校が、

「トカゲの尻尾斬り」

 として自分を切ってしまったのだから、

「二段階における自分への自己犠牲だ」

 と考えていた。

 黒電話が鳴っていたこと、そして、隣人の知らないうちの引っ越し。さらには、そこに残されていた小説と、絵画。

「そういえば、死んだ生徒も、絵画が好きだといっていたっけ」

 ということを思い出した。

 風景画は、生徒が死んだ神社の絵に違いなかった。

 そして、後からもう一枚の絵が発見されたという。それは人物画だったのだが、それを本郷は見ることはなかった。

 その描かれている人物画は、少年のように思えた。

 もし、これを本郷が見れば、

「あの時に死んだ、自分の教え子だ」

 と気づいたことだろうが、もう本郷先生は、この部屋には当分戻ってくることはないだろう。

 先生は、急に記憶を失ってしまった。医者とすれば、

「一時的な記憶喪失だ」

 というが、それだけではないようだった。

 というのは、医者がいうには、

「精神的に何か一つ、ねじが狂っているとでもいえばいいのか、少し精神的に病んでしまったのだ」

 という。

 学校では、授業中、生徒が先生のいうことなど聞かず、好き勝手な授業風景。次第に本郷先生は、何も感じなくなって、スマホの中に、黒電話の着信音を持っていたという。

 うるさい授業だったが、急にいきなり黒電話の音が鳴ると、生徒は恐怖におののくように、その時は、何も言わなくなる。

 だが、それもその時だけのことで、次回の授業の時には何もなかったかのような、いつもの煩い授業風景になる。

 生徒が怖がっていたのは、先生の黒電話の音だけではなく、その音が鳴った同時に浮かべる先生の恐怖に満ちた顔であった。

 それが、死相を表しているかのようで、この世のものとは思えないと、皆思うようで、その顔が、前の学校で死んだ生徒の顔にソックリだということは、誰も知る由もないことであったのだ……。


                 (  完  )

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黒電話の恐怖 森本 晃次 @kakku

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