第11話 ノブレス・オブリージュ

 田舎道を大型の箱馬車ブルーアムが走っていた。

 まだ朝の早い時間帯だが、陽射しは強い。一足先に盛夏になったかのようだ。


 馬車の座席には、獣人の姿をしたラウル、アデラ、それにメイドのアンが乗っていた。御者は、この前イーストエンドからアデラを運んできたウォルトだ。


 ウォルトがラウルらに声をかける。

「この先は揺れますので、気をつけてください」

 ウォルトは普段は屋敷の下僕フットマンで、ラウルやメリッサの護衛や御者も務めている。馬車の扱いは手慣れたものだ。


 馬車はあと二台が追随しており、人狼ワーウルフと人間の使用人も含めた十数人が移動していた。


 行き先は、倫敦ロンドン郊外にあるラウルの領地だ。


 吸血鬼のアルルカンが屋敷に侵入してから、三日が経っている。あの日以来、アデラは考え込む時間が増えた。


 自分のこと、両親のこと、吸血鬼のこと、人狼のこと。様々な事柄が頭に浮かぶが、気持ちの整理はつかない。


「アデラ、気晴らしに外へ出よう」

 ラウルがそう誘い、領地に連れ出したのだった。


 座席ではすっかりアデラに打ち解けたアンが、窓から見える景色に解説を加えている。

「アデラさま。いま見えているのは全て小麦畑です。黄金色の穂が実る季節は、とても美しいんですよ」

「すごいねぇ。アン、この青い穂も、とってもきれいだよ」


 これから向かう領地はアンの出身地でもある。実家に帰れるため、アンはご機嫌だ。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 領地に到着する。

 アンの実家は大きな農家だった。馬車が到着すると、アンの父母がラウルとアデラを歓待してくれた。


「空気がきれい。なんて清々すがすがしいんだろう」


 アデラは最初は出かける気分ではなかった。それでも石炭の煙で曇った倫敦とは違って、やはり気持ちがいい。


 アデラは牛の乳搾りを見せてもらう。

「牛って、こんなに大きいんだね」

 アデラは物心ついてからは、ずっと都心で過ごしていたので、見るもの全てが珍しい。いつの間にか子供のようにはしゃいでいた。


 ラウルが言う。

「おれは、牛や羊のような家畜は苦手なんだ」

「え、どうして?」

 人狼だから、むしろ動物とは馴染みが深い気がしていたので、意外だった。


「動物には正体がわかるんだろうな。おれが近づくと、狼が来たと思うらしい」

 確かに、ラウルが乳牛に近づくと、牛が驚いて興奮してしまった。


「アデラさま、乳搾りをやってみますか」

 アンに言われ、アデラはためらう。

(わたしも魔物だから、怖がらせちゃうかな。そうなったら、ちょっと悲しいな)


 だがアデラがおそるおそる近づいても、牛は暴れたりせず、無事に乳搾りができた。


「ラウル、わたし、牛に認められたみたい」

 アデラが誇らしげに言うと、ラウルが笑った。

「牛が観念していたんじゃないか」

「ひどい。わたしにはきっと懐いてくれたんだと思う」


 風が通るテラスにテーブルセットが用意される。ラウルとアデラが紅茶を飲んでいると、アンの母が陶製のボウルに入れた野菜を持ってきた。


 アデラが目を見張る。

「これは、何?」

「とれたてのキュウリですよ」

「初めて見た。これがキュウリなんだ!」

 アデラが歓声をあげた。


 倫敦ではキュウリは高級品で、庶民の食卓にのぼることはない。

 ラウルがキュウリを一本手に取る。

「貴族はサンドイッチにして食べるけど、キュウリはかぶりつくのが美味いんだ」

 ラウルはそう言って、そのまま頬張った。


「ラウル、生のまま食べても大丈夫なの?」

「ここの農地は、土も水もきれいだ。洗ってあるし、このまま食べられるよ」

 ラウルに勧められ、アデラもおそるおそる口にする。

「美味しい。甘くてみずみずしくい」

「ふふ。そうだろ」


 そこへ、アンの父がやってくる。集落の領民を数人、連れて来ていた。

「ラウルさま、ご休憩中に申し訳ありません。いつものように、ご相談があるのですが」

「よし。いまこの場で順番に聞こう」


 領民からの相談事は様々だった。

「羊がキツネに襲われたので、キツネ狩りをしてほしい」

「娘の嫁入り準備をしたいが、金を工面してもらえないだろうか」

 要望のひとつひとつをラウルは丁寧に聴き、使用人らに対応を指示した。


 魔物に関わる相談もあった。

「未確認の魔物が農地をうろついている」

「体調がすぐれないのは、魔物の呪いのせいではないか」

 といった内容だ。ラウルはもちろん、そのたびに必要な策を講じた。


 前にアンが言っていた。「ラウルによくしてもらっている」というのは、こうしたやり取りの積み重ねだろう。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


「領主の仕事って、大変なんだね」

 アデラは、領民らが立ち去った後で、率直な感想を漏らした。


 ラウルは、少し考えて言う。

「そうだな。簡単じゃない。何もしないわけにはいかないから。力には責任が伴う。おれはそう思う」


「責任?」

「そうだ。領主は偉いわけではない。でも領主には領民に何かをしてやる力がある。その力はちゃんと行使したい」

「うん」


「noblesse oblige」

「何て言ったの?」

「ノブレス・オブリージュ。力あるものは、より多くの責任を果たすべき、ってね。貴族に自覚を促す言葉だけど,おれは魔物も同じだと思う」


 ラウルは立ち上がって、牧草地をながめる。遠くに草をはむ牛や羊の群れが見える。


「魔物でも、人間でも、力があるものにはやるべきことがある。おれたち人狼はそうやって人間と共に生きてきた。いまの管理局は厳しく締め付けているだけだし、吸血鬼は自分本位で責任を果たしているとはいえない。おれは納得がいかない」


 アデラはラウルの顔をまぶしそうに見つめる。

「すごいね、ラウルは。わたしはそんなこと、考えたこともなかった」

「おれはアデラにも感心しているよ」


「わ、わたし。感心されることなんて、な、何もしてないよ」

「辛い境遇にも負けずに、まいにち子供たちのために働いてきたじゃないか。弱いものに手を差しのべる優しさもある。おれだってアデラに救われたんだ」


 アデラは立ち上がると、ラウルの隣に立った。ラウルが眺めている同じ景色を眺め、そして、話した。


「わたし、これまでは魔物から目をそむけて、見ないようにしてきた。魔物って、怖くて、忌むべきものだと思っていたから」

「そうだろうな」

「でも、ラウルを見ていると、そうじゃないんだってわかる。わたしは魔物であることを受け入れて、前に進みたい」


「アデラ、無理していないか?」

「うん、大丈夫。ラウルが言った言葉、ノブレス・オブリージュ。わたしにも、できるかな?」

「きっとできるさ」


 アデラは息を吸い込むと、言う。

「わたし、お父さんにも会ってみる。お母さんとの約束は破ることになるけど。そこから始めないとだめだって気がする。自分の力を知って、それから何ができるかを考えたい」


 ラウルは手を差し出した。

「伯爵のパーティー、おれも行くよ。アデラ、おまえの決断を支えよう」

「いいの、ラウル? 人狼にも迷惑をかけることになっちゃう」

「乗りかかった船だ。それに、これはもう他人事じゃない。この国に住むすべての魔物と人間に関わることだ」


 アデラは差し出された手をそっと握る。ラウルの手は大きく、あたたかかった。


【第1部完結】


 お読みいただき、ありがとうございました。物語はまだ序盤ですが、「世界を変える運命の恋」中編コンテストに応募するため、ひとまず第1部完結とします。いずれ長編として仕上げたいです。

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半吸血鬼少女は倫敦を駆ける やなか @yanaka221b

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