第10話 吸血鬼

「わわっ、猫がしゃべった?」

 アデラが驚いた声をあげる。


 次の瞬間、ラウルが跳躍した。十数メートルの距離を瞬時に詰め、右手を黒猫に叩きつける。人狼ワーウルフの筋力と鋭い爪は、それだけで強力な武器だ。


 黒猫はその一撃で破裂したように見えたが、効いていなかった。いったん消えて、机を挟んだ部屋の反対側に現れる。


 ラウルが再び黒猫に肉薄し、爪でなぎ払う。黒猫はまたも霧散して、しばらくしてから花台の上に現れた。

「こいつ、ただの猫じゃない?」


 黒猫は花台の上でゆうゆうと背伸びをした。


 ケネスが言った。

「気をつけてください。そいつは、おそらく吸血鬼です」


 メリッサがいぶかしむ。

「吸血鬼? 屋敷には結界を張っているのに。どうやって入ったの?」


 アデラがそれに答えた。

「ご、ごめんなさい。猫がバルコニーで入りたそうにしていたから。わたしが窓を開けちゃって……」

「バカなの? 吸血鬼は招かれない屋敷には入れないのよ。窓さえ開けなければ、入ってこれないのに!」


 黒猫が今度ははっきりとしゃべった。

「ふふふ。その気になれば、こんな屋敷くらい、いくらでも入れるよ」

 アデラが目を見張る。

「本当にしゃべってる!」


 メリッサが黒猫をつかもうとしたが、黒猫は煙のようで、その手が通り抜けた。

「いまは夜だ。きみたち人狼の力では、ぼくは捕まえられないよ」


 ケネスが指摘する。

「猫の姿で屋敷に入って、夜を待って吸血鬼の力を発現したな」

 窓の外は日が暮れている。

 黒猫の言う通り、夜の支配者である吸血鬼の時間だ。


 アデラは吸血鬼の恐ろしさを、改めて感じる。

(人狼が全然かなわない。触れることもできないなんて)


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 ラウルが黒猫に問いただす。

「さっき、アデラについて語っていたな。おまえは伯爵のところから来たのか?」

「ご明察」


「アデラと伯爵とは、関わりがなかったんじゃないのか」

「いいや、ぼくたちはずっと前からアデラを見ていたよ。本人は気づいていなかっただろうけどね」


「じゃあ、なぜ今頃になって姿を現したんだ?」

「ふふふ。人狼の王は、あれこれやかましいね」


 黒猫が花台から降りる。

 身体がスラリと伸びて大きくなり、瞬く間に人間の姿に変わった。


 アデラは驚きのあまり、言葉も出ない。


 若い男だ。

 細身の身体を黒い燕尾服テールコートに包んでいる。


「はじめまして。吸血鬼のアルルカンと申します。あぁ、真名ではないので、どうぞお気軽にお呼びください」


道化師アルルカンとは、仮名にしても、ふざけた名前だな。わざわざ何の用だ?」

 敵意をにじませるラウルに、ケネスがささやく。

「あの男、伯爵の側近の眷属けんぞくです」


 アルルカンは金色の巻毛の下に目が覚めるような美貌をたたえていた。愛想のよい笑みを浮かべて、ラウルとアデラを交互に眺める。


「用件は、ちょっとしたご挨拶とお誘いだよ」

「いままで隠れていたくせに。アデラが人狼の屋敷に訪れたから、慌てて出てきたのか?」

「ふふふ。それもあるかもね。アデラを人狼に横取りされたくないからね。でも、それだけじゃないよ」


 アルルカンは、胸ポケットから封筒を出した。

「アデラ、これは、きみ宛てに預かったものだ。伯爵からの招待状が入っている」

「わ、わたし宛て?」


 アデラはおそるおそる手を伸ばし、封筒を手に取る。

 そこには確かに「アデラ・アーデリアン」という宛名が書かれ、赤色の封蝋で閉じられていた。


 ラウルがアデラの手もとを見ながらたずねる。

「おい、これは何の招待状だ?」

「十日後の夜、パーティーを開くんだ。伯爵はアデラにも来てもらいたいそうだよ」


 アデラがたずねる。

「わ、わたしが、パーティーって。いったい何の?」

倫敦ロンドン中の吸血鬼が集まるんだ。人間との休戦協定が破棄されたことを記念してね。まぁ、それはたいしたことじゃないけど。伯爵の家族が顔をそろえる。きみにも参加する意味はあるだろう?」


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


「わたしの、家族?」

 アデラはアルルカンの言葉を繰り返す。


(お母さんが死んで、わたしは天涯孤独の身になった。家族なんていない。そう思っていたのに)


 アデラは息苦しくなり、胸のあたりをおさえた。突然、家族と言われても、困惑しかない。


(お母さんが絶対に会うなと言っていた、お父さん。ノスフェラトゥ伯爵。それに、わたしのほかにも娘がいるって、本当なのかな。会いたくないというと、うそになるけど……)


「あぁ、そうそう。伯爵からの伝言だよ。よろしければ、パーティーには人狼のみなさんもどうぞ、と」


「おまえら吸血鬼は、いったい何がねらいなんだ?」


「ふふふ。ねらいなんてないさ。せっかくのパーティーじゃないか。どうせすぐに人間との争いが始まるんだから。倫敦ロンドンが平和なうちに、せいぜい楽しもうよ」

 アルルカンは、そう言って笑った。


 ぼんやりと考えこむアデラを見て、ラウルが言う。

「アデラ、そもそも勝手な話だ。ずっと放っておいたくせに、急に呼びつけることも。それから休戦協定の破棄も。それが連中のやり方なんだ。吸血鬼は、自分たちが世界の中心にいると思っていやがる」


 アルルカンはラウルに述べる。

「辛辣だね。確かにわれわれは傲慢になっているのかもしれない。だが、吸血鬼はあらゆる生命の頂点に立つ種族だ。きみの言うように、世界の中心にいるのだから、こればかりは仕方がない」


「ふん。休戦協定を破棄して痛い目を見るのは、おまえら吸血鬼だぞ。せいぜいお山の大将を気取っていろ」


 ラウルのそんな台詞を、アルルカンは微笑みながら聞くと言った。

「ふふふ。ひどい言われようだね。それでも、アデラ。きみの居場所はこっちなんだよ。きみだって吸血鬼なんだから」


 アルルカンは窓を開けると、再び黒猫になって悠々と立ち去る。

 アデラはその後ろ姿を、黙って見送るしかなかった。

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