第三章 力と運命

第9話 母の遺言

 ラウルとアデラ、メリッサ、ケネスの四人がテーブルを囲んだ。ラウルは執事のスティーヴンにも同席するよう声をかけたが、スティーヴンは丁重に辞退し、配膳とメイドへの目配りに回った。


 まもなくテーブルに食事が並ぶ。


 グリンピースの温菜、羊肉をマッシュポテトで包んだパイ、ニシンの酢漬け。それから、薔薇色に焼きあげられた見事なローストビーフ。


 アデラには吸血衝動や孤児院のことなど考えることがいろいあったが、いまは目の前の皿に心を奪われている。


「なんて素晴らしいご馳走!」

「アデラ、うちのシェフは腕利きなんだ。遠慮しないで、たくさん食べてくれ」

「うん」


 アデラは満面の笑顔を浮かべて食べ始める。ラウルの気配りもあって、心配したほど緊張は感じない。


「美味しい!」

 口に運ぶたびに歓声をあげるアデラを囲んで、食事はなごやかに進んだ。


 ふと、ラウルは、アデラがナイフとフォークを完璧に使いこなしていることに気づく。隣に座っているメリッサも、アデラの美しい食べかたと、身についたテーブルマナーに感心した様子だった。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 少しお腹が落ち着いたところで、ラウルがたずねた。


「アデラ、生まれは倫敦ロンドンなのか?」

「違う。大英帝国の外だよ。ずっと東の方」


 その言葉を引き取って、ケネスが言う。

「アーデリアン、というのは珍しい苗字ですね。確かルーマニアの方の貴族に、その名があったと思います」

「うん。お母さんは、トランシルヴァニアの貴族だったって聞いてる」


 メリッサが驚く。

「アデラは貴族の出身だったの? それがどうしてイーストエンドの孤児院なんかにいるの?」


 アデラは「話すと長いんだけど」と前置きをしてから説明した。

「お母さんがお父さんと離婚して、小さかったわたしを連れて逃げたの。でも故郷に帰れなくて。知り合いが居たイーストエンドの教会に親子で身を寄せたの。二年前にお母さんが亡くなった後、そのまま教会の孤児院で働くようになったんだ」


「そうなんだ。アデラもいろいろ苦労したのね」


 ラウルがなおもたずねる。

「アデラ、おまえは父が吸血鬼で、母が人間なんだよな」

「うん、そうだよ」

「アデラの父は、いったい何者なんだ?」


 アデラは考えこむ。

「うーん……」

 ラウルがあわてて付け加えた。

「もちろん、言いたくなければ、構わないんだが。ここにいるのは、おれの信頼できる身内だけだ。口外はしない」


 アデラは話す。

「か、隠しているわけじゃないよ。うまく説明できなくて。わたし、お父さんのことは顔も覚えていないから。でも、ラウルなら名前を聞いたことがあるかもしれない」

「ほう?」

「お母さんが言うには、ノスフェラトゥ伯爵だって」


 アデラの言葉に、沈黙が降りた。

 戦慄、と言い換えてもいい。


 ラウルは天井を仰ぎ、メリッサは口もとをおさえた。


「あれ、ラウルもみんなも、どうしたの?」


 メリッサが言う。

「アデラ、それ、適当なこと言ってないよね?」

「う、うん。どうして?」


 ラウルが口を開いた。

「よりによって真祖しんそ、それも『古き血』か。いいか、アデラ。おまえがいま口にした名前は、吸血鬼の中でも、大物中の大物。最重要人物のひとりだ」


 真祖、というのは、生まれながらの吸血鬼を指す。


 ラウルはケネスに「どう思う?」とたずねた。


 ケネスは鼻眼鏡をかけ直すと、淡々と述べた。

「ダンピールは力の強い吸血鬼からしか生まれません。下位の吸血鬼からは生まれませんから。アデラ殿の父が真祖というのは、あり得る話だと思います」


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「ノスフェラトゥ伯爵って、そんなに有名だったんだ」

 アデラがそう言うと、メリッサが鋭く指摘した。

「アデラ、その名を出さないで! 真祖の名はおいそれと口にしてはいけない。その名を聞いただけで、なんだか魔力を奪われそうな気がする」

「ご、ごめんなさい!」


 ラウルが静かに言う。

「アデラ。おまえは吸血鬼について、誰かに教えてもらわなかったのか」

「わたしの知識はぜんぶ、お母さんの受け売りだから。お母さん以外から吸血鬼の話を聞いたことがないんだ」


「伯爵とはこれまで関わりがなかったのか? そうはいっても親子なんだろう?」

「お母さんは亡くなる前に言っていた。お父さんの所には行っちゃだめだって。お父さんとは関わらず、ただの人間として生きてほしい、って。それが遺言だったから」


「なるほどな。だから、アデラは吸血鬼のことをほとんど知らないし、ダンピールの能力も使えなかったのか」

「うん。だからラウルが言うようには、わたしは魅了チャームも使えないと思う」


「お兄さま、魅了がどうのこうのって、何?」

「いや、何でもない」

 メリッサの追求に、ラウルがあわてて首を振る。


「とにかく。ダンピールが貧民街でぶらぶらしていて良いわけがないんだ」

「そ、そうなのかな」

「そりゃそうでしょ。管理局だって黙っちゃいないわよ」


 ラウルがケネスにたずねた。

「伯爵の家族構成は、聞いたことがあるか?」

「確か、英国貴族の女性と結婚していて、娘がいるはずです。アデラ殿の話は聞いたことがなかったですね」


 ケネスの言葉に、今度はアデラが目を見開いた。

「お父さん、わたしの他に娘がいるんだ?」

「いまの話を踏まえると、アデラ殿の母君と離婚した後で、再婚したのでしょうね」


 メリッサが言う。

「でもさ、アデラの話が本当かどうか、まだわからないよね」

「メリッサちゃん、わたし、うそはついていないよ」

「アデラの言葉を疑っているわけじゃないわ。でも伯爵の娘だとは決まっていない。亡くなったお母さまの話だけじゃ、確かめようがないじゃない」


 そのとき、部屋の隅で声がした。


「アデラは、間違いなく伯爵の娘だよ」


 みんながあぜんとした。

 花台に、いつの間にか黒猫が座っていて、言葉を発したように聞こえた。


「あっ」

 アデラには見覚えがある。バルコニーにいた黒猫だ。

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