第7話

「あなたから事件のことを話すなんて珍しいこともあるのね」

「ちょっと力を借りたくてね」

 比嘉は妻の麻美あさみを目の前にしてかしこまった顔をしている。彼女は元新聞記者だ。麻美は権力に対抗する力を求められているのだと悟った。

「相手は誰?」

 飲み込みの良い麻美に満足げに頷くと、比嘉は躊躇せず一人の男の名を出した。

「丹田慈巳。厚労省政務官の丹田」

「え? 一課の捜査でしょ?」

 頷いた比嘉に麻美は「信じられない」と溢した。

 麻美が驚くのも無理はなかった。丹田はクリーンなイメージで、若者たちの文化にも精通している。SNSの力をいち早く自分のものにし、特にネット上での人気は非常に高い。派閥内でもナンバーツーの丹田は、総裁選に出るには時期尚早だと本人からも度々口にされているが、間違いなく首相になる日が来ると予測されている実力者だ。

 その丹田が、刑事事件の捜査対象になっている。

「どの事件なの?」

「浜松町で、IT企業の社長が殺されたろ? あれ」

 このところ起こった事件でも、最も残酷な事件を告げられて、麻美は腰掛けていた食卓の椅子の背もたれに体重を預けて天井を見上げた。

「あのデスクに、警察の発表前にそれを紙面にする気概があるかなぁ」

 かつての上司の姿を脳裏に浮かべた麻美は、記事にした先の心配をした。

「紙面に載らなくてもいい。いや、記事として提出されなくたっていいんだ。もっと言えば、取材できなくても構わない」

「じゃあ、何を手伝ってほしいの?」

「アポを取るように動いてもらえば充分かな。『遠隔操作による医療行為が実験段階だと聞いた』とでも、丹田と面識のある記者の口から言ってくれれば。すぐにでも手配だけはしておいてくれないかな。タイミングはまた指示を出すから」

 言い終えた比嘉は目の前のロックグラスに手を伸ばし、喉をスコッチで湿らせた。それが仕事の話は終わりだという合図であると見た麻美は少し頬を膨らませた。

「それだけ?」

「それだけ」

「それだけじゃ、事件にどう関係しているのか分からないじゃないの」

「まだ捜査中。詳しくは話せませーん」

 いたずらっ子のような笑みを見せて、比嘉はロックグラスを手にソファーへと移動し、テレビのスイッチを入れた。

「まったく。ギブアンドテイクって言葉知らないんだから」

 嘆息しながらも、麻美は元同僚へテキストを送った。


 四月二十一日、日曜日。丹田の牧場に家宅捜索令状が出された十二時三十分、比嘉は麻美の携帯に、「一時を過ぎたらアポを取れ」と連絡を入れた。その丹田本人は福井市内で講演の最中で、二課の刑事が張っている。その講演の終了予定時刻が午後一時だ。

「原管理官からの指示はないはずですけど、上手くいきますかね」

 比嘉と川島は、他に捜査員六人を引き連れて、中野にある柚野の自宅マンション前に張り込んでいる。

「二課が動いているのは原も承知している。その上で自分の身を差し出しているんだ。原が今は留置所の中で動けないとしても、必ず対策は取ってある。松本美知留との繋がりは白状したが、柚野の『ゆ』の字も口にしていない。使うなら柚野しかいないはずだ。秘密を知られる人間は少ない方が良い」

 柚野は瀧の遺体発見の五日前、阿蘇市内でレンタカーを借りていた。車内に瀧の痕跡は残っていなかったが、牧場から瀧の遺体発見現場へ向かった場合の距離と、走行距離が一致している。

 更に、小平が松本に襲われる寸前、IP電話回線から小平に電話をかけたのは瀧ではなく原だったことが判明している。

 送検するに足りると言うには程遠い証拠だ。だが、それでも逮捕状は取れた。一時になるのを待って、柚野の身柄を拘束する予定だ。そして、逮捕後に丹田から、あるいは丹田の関係者から柚野へ連絡があれば、それが新たな証拠になる。

「脇坂も準備ができたようだな」

 別動隊の脇坂と戸塚も、比嘉からの連絡を待って行動を起こすことになっている。その脇坂からのメールを確認して、比嘉は大きくひとつ息を吐いた。

「本当に向こうにも証拠があるんでしょうか?」

 川島が比嘉に訊いた「向こう」とは、脇坂たちが向かっている場所だ。

「あるはずだ。勘でしかないが、可能性は高い。だが」

 比嘉の表情が曇る。川島は比嘉が何を思っているのか想像できて、視線を比嘉から外し、柚野の部屋の方へと向けた。

「だが、事件に関わっていないでほしいとも思う」

 個人的な感傷や同情は捜査の邪魔だという刑事も多い。だが、比嘉はそういう考えで動いていない。人間らしい感情を持ってこそ、犯罪の本質が見えてくる。そう信じていた。

「ところで、瀧の遺体遺棄方法は、あの話の内容で間違いないか? 現場を見てきたのはお前たちだ。あの方法が見当違いなら、柚野は白を切るぞ」

 柚野の遺体遺棄に、物的証拠は何もない。それを悟られれば、全てが水の泡だ。

「現場の状況と、本人のわざとらしい供述からして間違いないです。柚野が瀧の靴を履き、遺体を背負って現場まで歩いた。そして、密閉状態で保存していた瀧の遺体を吊るした。動物に食われやすいように細工して。きっと間違いないです」

 川島はそう力強く言ったが、比嘉の顔を見て訂正した。

「きっと、じゃダメですよね。必ず上手くやってみせます」

「いや、今回ばかりは賭けだ。だが、必ず落とすというその自信だけは持っていろ。相手に隙を見せるな」

 比嘉は川島にそう言いながら、自分にも強く言い聞かせていた。


 逃亡を警戒して多くの捜査員を配置している柚野のアパートとは違い、脇坂と戸塚は荒川を臨む住宅地に車を停め、二人で待機していた。時計の針は一時を回ったばかりだ。

「何度経験しても、待つだけっていうのは落ち着きません」

 戸塚が数秒おきに時計を見ているのに対し、脇坂はじっと玄関を見ている。

「別に落ち着かなくても良いんじゃないか? 緊張感だけ持っていれば」

「脇坂さんはどうして落ち着いてられるんですか?」

「横に落ち着かない奴がいるからだろうなぁ。戸塚だって、川島が横に居たら落ち着いているんじゃないか?」

 戸塚はその状況を思い浮かべて苦笑した。

「そうですね。私がしっかりしないとって気を張るわけでもなく、自然とそうなっちゃいます」

「だろう? 人間っていうのは、置かれた環境でどうとでも変われるさ。原管理官にしても、娘の事故がなければ」

 メールの着信を知らせた携帯電話に、脇坂が言葉を切った。

「講演が終わった。そろそろあっちは動くぞ」

 表情を引き締めた脇坂に、戸塚が頷いた。


 講演終了の知らせを受けた比嘉は、「よし」と気合を入れて柚野のアパートに足を向けた。

 柚野が住むアパートは二階建てで十二部屋と横に長い。柚野の部屋は二階の二〇三号室。階段が両端にあって、その両方の階段下にそれぞれ二人、柚野の部屋のベランダ側に二人の捜査員を配置し、比嘉と川島が柚野の部屋の前に立った。

 川島が深呼吸してドアチャイムに指を置き、更にもう一度深呼吸して指を押し込んだ。古いタイプの機械式チャイムは、ドアの裏側で鳴るチャイムの振動を川島の指に伝えた。

「はーい」

 ドアを通してくぐもった音になった柚野の声が二人の耳に届く。

「柚野さん、警視庁の者ですが」

 比嘉がそう口にして、間を開けることなく解錠する音がした。

「なんでしょうか?」

 比嘉の予想通り、柚野は落ち着いていた。瀧の遺体発見時に聴取を受けたばかりだ。そのことだと思っているに違いない。その表情が、逮捕状を突き付けられてどう変わるのか。

「瀧修の死体遺棄及び損壊の容疑で逮捕状が出ている」

 比嘉の言葉に合わせ、川島が逮捕状を広げた。二人は柚野に逃げる隙を与えぬよう玄関に立ちふさがっていながらも、心中では「逃げろ」と願っていた。もちろん逃がすわけではないが、逃げようとすることで、罪を認めたことになる。

 だが、逮捕状を見た柚野は笑みさえ浮かべていた。

「死体損壊って。俺は触ってもないですよ。熊本県警の刑事さんにも話しましたけど、損壊したって言うんなら、それはカラスで、俺はそのカラスを追い払ったんだから、褒められることはあっても逮捕されるようなことはしてないですよ」

 柚野は自信家だ。加えて背後には大物政治家も控えている。逮捕されてもすぐに釈放されると踏んでいるのだろう。本人の財力では依頼できない、経験豊富な弁護士も付けるあてがあるに違いない。この場で勝負を付けなければ、時間の経過と反比例して勝算は低くなる。

「柚野さん、あなたは現場に足跡を多く残してしまったことを先に詫びていますね。それはどうしてです?」

 比嘉の質問にも、柚野は表情を変えない。

「現場保存って大切なんでしょう? そのくらい、今時誰でも知っていますよ。その上で歩き回ってしまったんで、謝罪したんですよ。それの何がおかしいんですか」

「疑問を持たれる前に先入観を植え付けたように見えます。瀧の遺体は損傷が激しく、我々刑事でも見ていて気持ちの良いものじゃない。それなのに、一般人の、瀧と面識もないあなたが遺体付近に多くの足跡を残している。通報した五日前。瀧の遺体をあの場所に遺棄した際に付いた足跡を誤魔化すためにわざと足跡を多く残した。違いますか?」

 鋭い視線と共にゆっくりと口にされた比嘉の推理に、僅かながら柚野の表情に動揺が見られた。その柚野に弁明の機会を与えることなく、川島が背広の内ポケットから新たな紙を出して広げた。

「証拠品として携帯電話を押収します」

「携帯?」

 柚野は再び落ち着きを取り戻したのか、再び笑みを浮かべてズボンのポケットに手を伸ばした。

「いや、そのままで。このポケットにあるんですね? 両手は見える所に。私が取ります」

 川島が柚野の動きを制してズボンのポケットから携帯電話を取り出す間も、柚野は平然としていた。データは既に消去してあると安心しているのか、あるいはもう一台あるのか。どちらにしても押収に大人しく応じさせた時点で、比嘉が一手先行することに成功した。

「弁護士に連絡してもらえます?」

「ええ、もちろん。どなたか希望される弁護士さんが?」

「浅野弁護士事務所の浅野さん。電話番号までは覚えてない」

「この携帯にも入っていないのかな?」

 川島が手にしている柚野のスマートフォンを掲げて訊くと、柚野は「入っていない」と答えた。

 更に比嘉が一歩先に進んだ。電話番号を調べるという時間的余裕ができたのだ。丹田が動きだす前に柚野逮捕の知らせが弁護士から丹田に伝われば、丹田から柚野へ指示が来る可能性がなくなる。

「ところで、身内の恥をさらすようだが、原が自首したのは知ってるか?」

 その質問も予測していたのか、柚野は躊躇うことなく口を開いて否定した。

「知りませんね。俺に訊くってことは、刑事さんの身内の原って、俺が昔世話になった原さんでしょう?」

 さすがに柚野は警察慣れしていた。隠しても無駄なこと、嘘を吐いても無駄なことは正直に話す。原と柚野に面識があることは少し調べれば分かることだと、柚野自身把握している。

「そうだ。そうか、知らないか。厚生労働大臣政務官の丹田慈巳という名前に聞き覚えは?」

「いいえ。政治には詳しくないんで。総理大臣ぐらいの名前しか知りませんよ」

 平然とそう言った柚野だったが、次のひと言には息を飲んだ。

「その丹田が阿蘇に所有する牧場にも家宅捜索令状が出されてね。今頃捜索の最中だよ。君の痕跡が出なければいいが、どうかな」

 ここまでのんびりと話す比嘉に、柚野は違和感を抱き始めていた。逮捕状を突き付けて、既に十分が経過している。それなのに、目の前の刑事二人は未だに手錠を取り出す気配すらない。

「いつまで立ち話してるんですか?」

 狙いが見えないが、そこに明らかな意図があると気付いた柚野は、苛立ち始めた。

「珍しいな。早く手錠を掛けてもらいたそうに見える」

 そう悠然と答えながら、比嘉も心の中では「早く動け」と祈り続けていた。


 福井市田原の公会堂。講演を終え、支持者からの握手の求めに応じていた丹田の耳元に、秘書が言葉を呟いた。

「失礼、ちょっと急な連絡が入ったようです」

 顔に張り付いた笑顔を支持者たちに向け、丹田は控室へと足早に移動した。

 控室に入って秘書に向けた顔は、先ほど浮かべていた笑顔と、目の角度も口角の角度も見事なまで線対称に反転していた。

「どこの新聞社だ! いったい何を掴んでいる!」

 恫喝された秘書は、自身の失態ではないと知りながら、萎縮しきっていた。

「申し訳ございません。とにかく先生にお会いして直接お話が訊きたいと。大東だいとう新聞の掛川かけがわという記者が」

「大東の掛川?」

 大手の全国紙で、長く政治部の記者として活躍している記者の名を耳にし、丹田の背中に冷や汗が流れた。相手が悪い。ゴシップに飛びつくような記者でもなければ、金で動くような記者でもない。

「電話を! 私の電話を寄こせ」

 丹田が秘書に向かって手を伸ばした。その手の上に、秘書が携帯電話を手渡し、丹田の行動を見守っている。

「何をしている? 席を外さんか!」

「はい! 申し訳ございません」

 秘書が慌てて控室を出ると、丹田は汗ばむ指先で電話を掛けた。


「警部、来ました」

 川島の手の中にある柚野のスマートフォンが、十一桁の数字を表示して震えている。名前は登録していないようだ。

「はい、柚野」

 川島はそう言って電話をスピーカーで受けると同時に、通話を録音状態にした。

 柚野は唇を噛みしめて項垂れている。何を電話の相手に伝えても無駄だと観念した様子だ。

「私だ、丹田だ」

 その声を聞いた柚野は、その場に膝をついて崩れた。同時に比嘉が福井で丹田をマークしている二課の捜査員にメールを送信した。電話からは、丹田の声が流れ続けている。

「ブンヤが嗅ぎ付けた。全部処分しろ。取れたデータも全部だ。原に送ったデータも含めて全部」

 それを聞いた川島が、ようやく手錠を取り出して、容疑内容と現在時刻を告げながら柚野の手首に嵌めた。スピーカーで通話状態になったままの丹田にも、その声は届いているはずだ。比嘉が丹田に向けて口を開いた。

「警視庁捜査一課の比嘉です。丹田さん、そちらにも警視庁の捜査員を配置しています。あなたにもこれから手錠をしてもらうことになります。支援者の前を、どういう表情で通るのか。直に見られないのが残念です」

「比嘉、と言ったな。その名前、憶えておく」

「判で押したような悪役のセリフですね。私の名を脳裏に刻んでおくことで、自身の犯した罪を忘れないのであれば、喜んで憶えて頂きますよ」

 電話の向こうで二課の捜査員の声が聞こえると、川島はスマートフォンの電源を切り、証拠品保存用のビニール袋の中に仕舞った。

「『取れたデータ』というヤツもできれば出してくれないか? 拒否しても、令状を取って探し出すだけだ。不必要に部屋を荒らされたくはないだろう?」

 柚野は比嘉の言葉に素直に従い、パソコンを差し出した。

「頼まれて、仕方なくやったんだ」

 パトカーに乗った柚野が小さく呟いた。

「頼まれて? 脅されたわけじゃないのか。どっちからだ? 丹田か、原か」

「原、原美咲」


 決して少なくはない資金と時間を費やして開発していた医療機器。その完成を一番待ち望んでいたのは、それを利用する美咲に他ならない。希望ごと簡単にゴミ箱へと押し込みはしないはずだ。

 比嘉が最初に美咲と会ったとき、彼女は父である原とは距離を置いているようなそぶりを見せた。だがそれは、原の指示でそう振舞っていたのではないか。美咲も原と共に、国東の実験を見ていたのではないか。

 原のパソコンからは、実験に関するデータは見つかっていなかった。本人が話していたウェブカメラで実験を見ていたという痕跡もない。その両方が、美咲が所有する端末に残されている可能性は高い。

 比嘉は当初、任意での提出を求めるつもりだった。だが、柚野の証言で状況が変わり、美咲に関しても逮捕状が請求された。

 柚野の逮捕から二時間後、押収した美咲のパソコンからは、パワードスーツの設計図のほか、実験のデータも発見された。


「人を一番狂わせるのは、権力でもお金でもなくて、愛情だったってワケね」

 麻美がバーベキューコンロから香ばしく焼けた椎茸を皿に取り、缶ビールを手に立っている比嘉に手渡した。

 原弦司、松本美知留、丹田慈巳、柚野秀久、瀧修、小平恵三、それに原美咲。死亡している二人を含めた七人全ての送検が済んだ日の夜、比嘉班の面々は、麻美を加えた五人で比嘉の自宅で事件を振り返っていた。

「金や権力だって充分に人を狂わせるさ。だが、そうだな。いつでも愛情と憎悪は隣り合わせだ」

 椎茸が乗った皿を受け取った比嘉が溜息交じりに溢した。

 事件の発端は、原が言った通り美咲の脚だ。彼女が自由に歩けるよう、歩行をサポートする外骨格フレームの製作を、美咲の通院先の病院で知り合ったケイブンの国東に依頼していた。

 国東は、機械部分の製作をリンドーエンジニアリングの瀧に任せたが、瀧は開発費用に莫大な金額を提示した。そこで、原は丹田に頼み込み、瀧と国東が試作を進めていた介護ロボットの開発に、特別な便宜を図ると約束させた。その代償に原がどういう条件を飲んだのかはまだ調べを進めている最中だ。

 だが、丹田の事件への関りを隠すために、全ての罪を被った程だ。比嘉はやはり娘の美咲に関することだろうと考えていた。

 そしてテストの日、丹田と共に牧場からテストの様子を見ていた瀧は、自分の製品が暴走したことで国東が死んだと思い込み、その隠蔽のためにまず国東の右足を切断した。その時に国東は一旦意識を取り戻したが、生きていると気付くには遅すぎた。丹田からの制止にも応えず、全てのパーツを国東の身体から剥ぎ取った後も、しばらく瀧は呆然としていた。そこに、小平がケイブンのオフィスに姿を現した。

 瀧はケイブンのオフィスに電話を掛け、小平に事故があったと話すと、小平は口外しない代わりにと自ら金を要求し、シートと介護ロボットを処分した。

 だが瀧は、やはり自首して全て話すと、丹田に伝えた。丹田がそれを許すはずもなく、衝動的に瀧の首を絞めて殺害した。

 この時点で既に原は、万が一の場合は自分が罪を被ると決めていた。丹田が逮捕されてしまえば、パワードスーツの開発を引き継ぐ人間を用意することもままならない。

 ひとまず原は、丹田に密閉した遺体を牧場内の大型冷蔵庫に隠すよう指示した。そして、丹田のアリバイが明確な時期に、瀧に成りすまして小平を電話で呼び出し、襲わせた松本にも瀧の名を話させた。

「子を思う親の気持ちってのは、つくづく厄介なもんですね」

 脇坂の嘆きに、他の四人も同意した。

「柚野は、美咲に利用されているって分かってたんでしょうね。それでも彼女の役に立とうと必死だった。それも愛情の歪んだ形ですよ」

 川島のその意見に、戸塚が不満たっぷりに異を唱えた。

「あの男に愛情なんてあるわけない。あっさり美咲に頼まれたって話すような男だよ? 庇うのが正しいとは言わないけど、自分が一番かわいいんだって、あの手の男は」

「小平にしろ、柚野にしろ、戸塚さんって、若い男に対して厳しいですよね」

 反論された川島はそう言って膨れている。

「若い男って言ったって、二人とも犯罪者じゃない。犯罪者に対して厳しいのは当たり前でしょ?」

「そうか、そうか。そういえば、熊本県警の野津元君のことは、随分お気に入りみたいでしたもんね」

 その一言に戸塚は、川島の手にしている皿に乗った肉を取って自分の口に運んだ。

「あっ、最後の特上ロース! ひどいじゃないですか!」

 比嘉と脇坂はその二人のやり取りを見て苦笑している。

「警部、そろそろ中でやりましょうか」

 脇坂がグラスを傾けるジェスチャーをして比嘉を室内へ誘った。

「ああ、そうしよう。麻美、お前も眺めてないで」

 にこやかに戸塚と川島を眺めていた麻美も、名残惜しそうにリビングへと上がった。

「ねえ、あの二人って昔の私たちみたいね」

「お前、何言ってんの?」

 小声で麻美にそう言った後に比嘉が脇坂の方へ視線を向けると、脇坂は「ん、どうかしました?」とわざとらしくとぼけていた。


 了

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