第6話

 瀧の遺体が発見された翌日から、戸塚と川島を含めた熊本県警の捜査員たちが、現場周辺でハルリンドウが自生している場所をしらみつぶしに捜索した。阿蘇は広大だが、条件は絞り込まれている。

 花弁の細胞の壊れ具合から、靴と地面が接した回数がごく少ないことが分かった。つまり、長く歩く必要のない、車が近くまで侵入できる場所に限られる。

 更に、瀧の自宅周辺にハルリンドウは咲いていない。自宅近くで消息を絶った瀧が、遺体発見現場まで直接向かってはおらず、一旦ハルリンドウの咲くどこかに足を下ろしたことを示している。身を隠す、あるいは監禁するのに都合がいい建物があるはずだと見当を付けていた。

 条件に合う場所から採取したハルリンドウのDNA検査の結果を待ちながら、また別のハルリンドウを探す。その気の遠くなる捜査を始めて五日後、瀧の足跡から採取されたハルリンドウのDNAと一致したサンプルがあったという知らせが入った。

 だが、その結果を見た戸塚は溜息を吐いた。

「このままじゃ証拠として使えない」

 二日前にそのサンプルを採取したのは、戸塚自身だった。

「所有者に今からでも許可を得れば問題ないでしょう?」

 川島の提案に、戸塚は嘆きを散らしながら首を横に振った。

「ここのリンドウと一致したんだから、瀧は一旦この場所に向かったってことよ? 所有者が事件と関係のある人物って考える方が自然。その相手に協力要請しても無駄」

 確かにその通りだと、川島はうなだれた。

 そこは、放置されてやや荒廃した牧場だった。震災で敷地の一部には地滑りの跡が見られ、牛舎と物置小屋も一部が倒壊しており、家畜の姿もない。リンドウを採取したのは、隣接する道路から僅か三十センチだけとはいえ、牧場敷地内に入った場所だった。

 戸塚が令状なしで個人が所有する敷地内で採取したハルリンドウは、証拠として使えない。だが、瀧が拉致されたにしろ、自ら身を隠したにしろ、失踪した後にその牧場に居たことに間違いはない。戸塚は熊本県警に牧場付近での捜査を依頼し、得た情報を持ち帰ると決めた。


「熊本県警に手柄を全部渡すこともなかったんじゃないですか?」

 熊本を発って博多駅でのぞみに乗り換え、走り出した車内で川島が開口一番溢した言葉に、戸塚は車窓へ視線を移しただけだった。返事が返ってくる気配のない戸塚に川島は頭を掻いて、足元に置いてあったビニール袋に手を伸ばした。

「それ、夕食に買ったんじゃないの?」

 博多駅の売店で買った弁当を開け始めた川島を見て、戸塚は呆れて言った。熊本駅に向かう途中でラーメンを食べてきたばかりだ。

「まさか。まだ三時ですよ? そんなに早く買わないでしょう、普通」

「『まさか』って言われてもなあ。川島君の普通なんて知らないし」

 普段と変わらない川島に嘆息しつつ、戸塚は捜査の行方を憂慮していた。

丹田慈巳たんだしげみか」

 リンドウを採取した牧場のオーナーは、厚生労働大臣政務官の丹田だった。その丹田が事件とどうつながっているのか、比嘉が東京で調べているはずだ。

「大丈夫かな」

 悩む戸塚に、半分にカットされた明太子をひと口で頬張った川島が、口の中ではじける明太子の香りを楽しんだ後に「それは」と口にしたかと思えば、続きを話す前にもうひと切れを頬張った。

「それは、警部に考えてもらえばいいですよ。そのための警部なんですから。あ、飲みます?」

 自動ドアが開いた先で頭を深く下げている社内販売員を指さして川島が訊ねると、戸塚は川島の予想に反して頷いた。

「え? 飲むんですか? コーヒーのつもりで訊いたんじゃないですよ?」

「何よ、自分から訊いておいて。ビールでしょ? 一本だけね。帰るまでにその程度のアルコールを分解する時間はあるでしょ」

 川島は戸塚からの返答に無邪気な笑顔を見せ、販売員に手を挙げた。

「ビール飲んじゃうついでに言っても良いですか?」

 缶を開けるのと同時に、川島は自らの口も開いた。

「ビール飲んでるから、オフタイムの雑談ってわけ?」

 自分の意図を汲んでくれた戸塚に感謝し、川島は言いにくさを炭酸と共に胸の奥へと押し込めた。

「リンドウを、あ、花の方のです。リンドウを採取した場所なんですけど、県道上ってことにはできないですかね? それなら証拠としては少しだけ弱くなっても、牧場の捜索令状は取れるでしょう? そうすれば、あの小屋の中も調べられますし」

 戸塚だけならまだしも、比嘉がその方法を許すとは思えなかったが、方法のひとつとして川島は提案した。

「どうしました?」

 川島がそう戸塚に訊いたのは、彼女が予想外の反応を見せたからだ。笑みを見せたかと思えば、喉を鳴らしてビールを飲んだ。

「もう警部経由で、熊本県警には令状請求するように伝えてある。川島君が今言った通りの方法でね」

「でも、もしバレでもしたら」

「マズいって? さっきから自分が言っといてなんなの。相手はそれ以上の不正をしてるんだから、手段を選んでる場合じゃない。川島君もそう思ったから口にしたんでしょ?」

「そうなんですけどね。よし、覚悟を決めましたよ」

 満足げに頷いた戸塚は、残ったビールを一気に空けると、目を閉じた。熊本に来てからまともに休めていなかった戸塚は、そのまま約五時間眠っていた。


 戸塚が寝息を立てていた頃、警視庁では、脇坂が繰り返し溜息を吐いていた。

「警部、どうしても国東殺害の証拠が足りないですね」

 比嘉は椅子の背もたれに体重を掛け、頭の後ろで腕を組んでいる。

「小平が最後に受けた通話内容のデータ復元にもまだ時間がかかる。阿蘇の牧場から何か出てくれればいいが。それらを待つだけじゃ芸がないな」

「警部はあの牧場に何があると睨んでるんです?」

 比嘉は机上に開いていた捜査資料を持ち上げ、脇坂に複数の画像が印刷されたページを見せた。

「これだ。リンドーエンジニアリングの社内にはない。瀧の自宅にも。それなりにスペースは必要だろうが、その小屋なら充分だろう」

 そのページには、光学モーションキャプチャの設備が印刷されている。

「それなら、瀧が失踪直後にその場所へ向かったのも理解できますが、まだ現物が残ってますかね? 丹田にしても、国東死亡当時の居場所が掴めていないんです。証拠の欠片をいくつ集めても『偶然だ』で済まされますよ」

「必ず残っているさ。だが、残された証拠は、あくまで瀧が国東を殺害して自殺したと見せかけるための証拠だ。あまり役には立たないだろうな」

「警部にしては随分あっさりと見切りを。何か策がある感じですね」

 そう言った脇坂に頷く比嘉の表情は、決して明るくはない。

「策を講じなければならないって時点で、正攻法じゃない。気は乗らないが、仕方ないさ。証拠がないなら、作ればいい。ヤツもそういう時代を生きてきたはずだ」

「確かに、彼自身よく口にしていましたが。捏造、するつもりですか?」

 証拠品の捏造自体は珍しいことではない。ゼロから作り上げることは稀だが、紛失したり、DNAサンプルとして使い切ったりした場合に、補充と称して裁判に提出するための証拠を用意することは多々ある。

「いいや、証拠を作るのは俺たちじゃない。向こうに作らせる」


 四月二十日午前十時。

「閉めた帳場を荒らしているそうじゃないですか」

 管理官の原が、捜査一課長の奥崎おくざきを前に苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「裏付けの追加程度だろう? 比嘉君が纏めているらしいが。文句があるなら、直接言ったらどうなんだ?」

「しかし」

「どうした。顔を合わせたくない理由でもあるのか?」

 奥崎の厳しい視線が原を射る。

「図星か」

 奥崎は原に背を向けて立ち上がり、窓に向かって口を開いた。

「口止めされているわけではないから話すが、先週君の娘さんのことを比嘉から訊かれた」

 数秒後に奥崎が振り返ると、原の視線は床に落ちていた。俯く原の表情は奥崎に見えなかったが、心が穏やかでないことは身体全体が語っていた。

「何があったか知らんが、こんな所で吐露するんじゃないぞ。自分の責任は自分で取れ」

 最後の選択肢を与えられたのだと、原は読み取っていた。だが、奥崎にそのつもりはない。引導を渡しただけだ。

「比嘉が何を調べているかは耳に入れてやろう。ケイブンオフィス内にある、あらゆる端末だ。国東が殺害される直前までの、全ての通信を調べている。比嘉の読みでは、ある製品のテスト段階にあったのだから、詳細にログが残されているはずだと。瀧以外の送信者の端末、パソコンだかスマホだか知らんが、そこに残されているログと一致すれば、瀧が他殺である可能性が出てくる。それともうひとつ。ケイブンが開発していたサービスはひとつとは限らないとも言っていたな。唯一現場で見つかった油圧システムの油が、油圧カッターのものだと思い込んだ自分を責めていたよ」

「そうですか。しかし、瀧以外の送信者と言っても、目星は付いているんでしょうか?」

 原が額に浮き出た汗を手の甲で拭うと、奥崎は原から視線を外し、再び窓の方へ身体ごと向け口を開いた。

「瀧が所有する端末から、製品を動かすためのソフトウェアを第三者に転送した記録が見つかった」

「その第三者というのは?」

 どういう思いで窓を見ているのか。原は奥崎の心中を図りながら、ゆっくりと訊いた。

「目星は付いているようだが。その件で今朝、二課に協力を要請した」

「二課」と聞いて、原は両手を握りしめた。

「比嘉に、会ってきます」

 原が絞り出した声を残して辞去すると、奥崎はデスクに向かいノートパソコンを操作した。モニター上に、さっきまでのやり取りが映し出される。その際の原の表情に、奥崎は嘆息した。

「比嘉の睨んだ通りだったってわけか」

 全てを確認し終えた奥崎は、そのデータを消去した。


 原が比嘉の前へと姿を現したのは、その三十分後だった。

「あれは、事故だったんだ」

 可能性はゼロではないと比嘉は考えていた。原に残された良心が、自ら罪を告白するという道を選ばせる可能性だ。

 比嘉たちは、今日この時まで真相に近づけずにいた。状況からある程度の真実が見えてきてはいたものの、送検するだけの材料はなかった。犯人を慌てさせ、残された証拠までの道案内をさせる。奇手と呼ぶほどのものではない。経験豊富な原なら、比嘉の狙いは読めたはずだ。

 だが、原は真相を自らの口で話し始めた。

「美咲に会ったんだろう?」

「はい」

「私は、あの子に脚を取り戻してほしかった」

 比嘉はその訴えにも同情しなかった。何を聞かされても、言い訳にしか聞こえない。

 比嘉の瞳の奥に怒りが見えた原は、唇を噛みしめた。

「すまん。何を言っても言い訳にしかならんな」

「分かっていらっしゃるなら、真実だけを話してください」

 厳しい比嘉の言葉に、原は一度大きく深呼吸した。

「あの日、国東は自分の身体でパワードスーツの最終テストをしていた。私はその様子をネットワークカメラ越しに自宅で見ていた。だが、テストの途中でパワードスーツのコントロールが効かなくなり、暴走した」

 暴走したパワードスーツに国東は抵抗したが、動作を停止することもままならず、転倒した。その際にデスクで頭部を強打し、呼びかけにも応えなくなった。

 国東が意識を失った後もパワードスーツは動き続け、オフィスを荒らした。

「暴走の原因がソフト面かハード面か分からないが、瀧は自分が開発したパワードスーツの事故で、人が死んだと知られるわけにはいかないと考えた」

 比嘉はその説明を黙って聞いていた。真実を話しているのか見極めようと原の表情と目の動きを注視するが、あらかじめ用意されていたであろう言葉の連続に、原の顔は人形のように生命感を持たない平坦なものになっていた。

「パワードスーツのテストが終わったら、次は国東が自分のために作っていた遠隔操作の介護ロボットをテストする予定だった。そのロボットの操作を瀧がすることになっていてね」

 やがてパワードスーツがバッテリー切れで動作を停止すると、瀧は介護ロボットを使って、パワードスーツを外そうとした。だが、国東の身体に食い込んだパワードスーツは、遠隔操作のロボットでは外せなかった。そこで、瀧は国東の四肢を切断し、パワードスーツを強引に剥ぎ取った。

「あの時は、国東が既に死んでいたと思い込んでいた」

「それで、瀧の証拠隠滅に手を貸したわけですね。そのロボットでオフィスに敷いていたマットも取り去ったんですか?」

 比嘉のその言葉には、原は首を横に振った。

「いや、あのマットは介護ロボットへ電力と制御信号を送る仕組みになっているんだ。だから、あのロボットはマットの上でしか動作しない。私が自分で回収しに行ったよ」

 嘘を見破ることに長けた人間が、嘘を吐くのがうまいとは限らない。最後の言葉は、比嘉の目に嘘であると映っていた。

「国東の殺害現場に犯人の痕跡が残っていなかった理由は分かりました。小平については?」

 一度話し始めた原に、以降発言を躊躇する様子は見られなかった。

「私の娘に会ったのなら、松本と私の関係にも気付いているのだろう?」

「ええ。松本美知留は、管理官の指示で動いたんですね?」

 原の娘がミニバイクで転倒したとき、松本は警察の到着後すぐに姿を消していた。不審に思った原は、後日所轄の自邏隊じらたいに松本を職質させ、薬物検査を行った。結果、メタンフェタミンの反応が出たが、原はそれをもみ消した。娘の脚を奪った復讐に、死ぬまで自分の駒として抱え込むために。

「その通りだ」

「なぜです? なぜ小平まで殺す必要があったんですか?」

 比嘉はその答えが想像できていた。原の筋書きでは、返ってくる答えはひとつしかない。

「小平は真実に気付いていた。それをネタに私を強請ゆすってきたんだよ」

 予想通りの答えだ。想像通りだが、明らかに真実ではない。小平が原を強請っていたのならば、最期に戸塚へ告げた名は、瀧ではなく、原であるべきだ。

 この場で真実を追求するべきか。比嘉は数秒思案したが、最後まで原の筋書きを聞くことにした。

「そうでしたか。では、瀧は? 本当に彼は自殺だったんですか?」

 この質問に関しても、瀧は自殺だったと答えるはずだと比嘉は確信していた。熊本県警の本郷から、捜査状況について原から電話で訊かれ、「他殺の可能性は認められない」と返答したと、つい先ほど連絡があったばかりだ。

「瀧は善良な部類に入る一般人だ。自分のやったことに耐え切れなくなったのだろう。全て私の責任だ」

 原が溢した最後の言葉に、比嘉は彼が何のために告白しているのかを確信した。庇っている。誰か他の人間のために、原は全ての罪を被ろうとしているのだ。

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