◆ 終幕 ◆


 古い処刑場に風が吹いている。荒波のように草がそよぎ、灌木がねじれた影を岩肌に落としている。

 見渡す限りの荒れ野だ。草波のその先は海だ。

 馬に乗ったテセウスは海から吹く風に顔を上げ、馬鞍の高みから四方を眺め廻した。

 岩礁には血の痕が残っていた。傷を負っているのだ。

 強い風が吹きつける。草がなびく。飛び交っている銀色は朝露だ。夜明けの岸辺は水底のように空の下に沈黙している。

 何かが見えた。

 テセウスは馬の腹を軽く蹴り、草波のなかに馬を入れた。きらり。また、きらり。

 見当をつけた周囲をしばらく巡っていると、風に傾いた草の間にそれが見えてきた。

 馬を降りたテセウスは静かに近づいた。岩陰に男がいた。動かない。

 テセウスは安堵の息をついた。眠っているだけだ。生きている。テセウスの眼はさらに周囲を探った。遠くから見えていたあの光を探した。

 あの光は、この男の魂の色だったように想えてきた。

 光の正体はすぐに分かった。男はその手に短剣を持っていた。禁衛軍の紋章が入った名誉の剣。

 男が目覚めた。顔を伏せたまま、その唇がひらく。

 此処は、処刑場だったそうだ。

 疲れは隠せなかったが気品のあるしっかりした声音だった。何かを土中に埋めた男は泥だらけだった。男が負った傷は浅いようだ。朝露に濡れた足許が冷たい。

 緋色の軍套に身を埋めている男が何か云う前に、テセウスは男の腕を取った。

「皇女たちが俺たちを待っている」

 テセウスは口笛を吹き、馬を呼び寄せた。


 怪我人を馬鞍に乗せて、テセウスは馬の手綱を引いた。

「もう亡命する必要はなくなったが、せっかく此処まで来たのだ。ルツがこのまま船に乗って異国に行きたいそうだ。皇都も皇帝派が優勢のようだから少しくらいは待っていてくれるだろう。隊長、あんたも第三皇子と共に戻って来ればいい。海軍を率いて帝国に戻るんだ」

「陸軍の軍人として生まれて漁師になるのか」

「今度は海の上の軍人だ。ルツはお前を推挙すると云っている。その前に船で待っているフィベに愛を伝えろとさ」

 男の気持ちなど、とっくにユーディットは知ってる。

 疲れのせいか眠かった。アイネイアスは微睡みの中にいた。これが眠りならば、いつまでも夢の中にいたい気分だ。

 朝風の中、アイネイアスは奇妙な解放感を味わっていた。虚空に向かって投げ出されているようで頼りないものだが、空には夜明けを告げる星が輝いており、迷うことはない。

 青い花が揺れている。海だった。

 海風に髪をなびかせてルツが明るい笑い声を上げている。浜辺からルツが手を振った。波打ち際にはラズロとサムソンも待っていた。沖合の船から一艘の小舟が降ろされてこちらへやって来る。漕ぎ手の一人はダリだった。

「お前はどうするのだ、テセウス」

「あいつはまだ色恋とは縁がなさそうだからな」

「そんなことは訊いていない」

「異国に行くさ。護衛の役がまだ終わっていない。ラズロたちは城郭都市に残って、第三皇子が帰国する日に備えるそうだ」

 アイネイアスとテセウスは顔を上げた。

 昇る旭日がつくる真っ直ぐに伸びた光の道の彼方から、彼らを新天地に運ぶ舟影が見えてきた。




[君よ知るや・完]

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君よ知るや 朝吹 @asabuki

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