3 赤ん坊、栽培小屋を見る(1)

 一通りの座学と運動の指導を終えて、先生は帰っていった。

 久しぶりに勉強の場に参加して少し興奮したらしく、ベティーナは昼食をとる兄のそばでいろいろ話しかけていた。

 ついでに僕の昼食も、隣のキッチンにいたに済ませてもらう。

 昼食後、兄はいつもの日課で外回りだと、外出していく。

 いつもなら昼寝をしていることが多い時間だけれど、僕はベティーナをうながして今し方の勉強部屋もとい『武道部屋』に連れていってもらった。

 さっきのまま机に広げられた基礎文字表の板に手を伸ばすと、勉強ごっこの続きでベティーナはまたその読みを教えてくれた。

 復習にはなるけど、ほぼちゃんと覚えることができている。

 もう一つやりたいことをどうやって実現するか、頭の隅で考えていると、

「ベティーナ、ちょっと頼める?」

 向かいのキッチンの方から、ウェスタが声をかけてきた。

 はあい、と応えて、ベティーナは僕が座る場所の安全を確かめた。

「ちょっとここでお待ちいただけますか。あまり動かないでくださいね」

「うー」

 ご機嫌に返事すると、安心したようだ。


 子守りが出ていくのを確かめて、行動に移る。

 さっきまで先生が座っていた席の後ろが小さな本棚になっていて、木の板を束ねた本のようなものが数冊あるのが気になっていたのだ。

 基礎文字を覚えられたことだし、どの程度読めるものか、確かめたい。

 開いた本は、手書きの植物図鑑らしきものだった。

 しばらくの間、ベティーナが戻ってくるまでに、いくつか情報を得ることができた。

「あれ、ルート様、どこですか?」

「うー」

「え、あれ、今度は読書ごっこですか?」

「うー」

「この本は、まだルート様には無理ですよ。それに、汚したら怒られちゃいます。ないないしましょうね」

 まだ心残りだが、無理を言うことはできない。

 そのまま抱き上げられて、僕は昼寝のために部屋に連れ戻された。



 夜。

 また僕は、無事部屋からしに成功した。

 暗い廊下。しかし、何ものかの気配。

 そちらへ向けて、ひたすら直進する。

「こら、寄るなって言うのに」

 かけられた声は、無視。

 そのあしに、力一杯しがみつく。

 あまり気の入らない振り払いにもあらがって、絶対放さじとしがみつく。

 これ見よがしのためいきの後、僕は、よいしょと抱き上げられた。

 僕の部屋へ向かう。

 と見るや、「ふえ、ふえ……」とむずかり声。

 もう一度、大きな溜息。諦めの歩調は、二つ離れた自室へ向かう。

 大きなベッドに抱え込まれ。

 安心の匂いに包まれて、僕は熟睡に沈んでいった。


 朝、起こしに来たベティーナと兄の間に、前日と同様の会話が再現された。

「こいつに言い聞かせろ。昼間少しは相手してやるから、いに来るのはやめろと」

「そんな具体的な言い聞かせ、わたしだってできませんよお」

「マジかよ、くそ」

 その日も、僕は兄の勉強の場に参加させてもらった。

 まあとりあえず、基礎文字表で勉強ごっこにきょうじている様子を見せると、みんなが安心するのだ。

 兄の勉強、やはり計算は初級。

 地理の勉強として、また深刻な相談がされる。

 兄も先生も午後からそれぞれ農地や森を見て回ったが、やはり打開策は見えない、と報告し合っている。

 勉強を終えて昼食後、約束を守って兄は、二刻ほど勉強ごっこにつき合ってくれた。

 その後で、また外出していく。

 窓からのぞくと、屋敷の裏手に向かう兄の姿が見えて、少し気になった。

 その日は、ささやかな勝利をみしめて、僕は夜の冒険をやめにした。


   ◇◇◇


 そのまた次の日も、同じような過ごし方になった。

 勉強を終えて昼食の後、僕とごっこ遊び。

 その後で、兄はまた外出。

 前の日と同じ方向へその姿が消えるのを確かめて、僕は急いで部屋に戻るようにベティーナを促した。

 部屋に入ると、「うーうー」と窓を指さし、開いてもらう。

 全面木製の窓は、開かないと外が見えないのだ。

「寒くないですかあ」

 首をかしげながら、それでもベティーナは従ってくれた。

 開いた外は、裏庭に向かっている。ほとんど裏の森に飲まれそうな位置に、ごく小さな小屋が建っていた。

 タイミングよく、そこへ向かう人の姿が二階から見下ろせた。

「あれ? あれウォルフ様じゃないですか」

「うーうー」

 兄が小屋の中に入るのを確かめて、僕はベティーナの腕をぱふぱふたたいた。

「え、え? お兄様のところ行きたいんですかあ? でも、外……」

 ひとしきり考え込んで、「まあ庭ならいいか」とベティーナはうなずいた。

 季節はかなり冬に近づいているところなので、念のためにと厚い上着を着せられる。

 さらに抱いたベティーナが上からマントのようなものをって、裏口から連れ出してくれた。

 空には厚い雲がかかっていて、まだ午後早い時間なのに暗くなってきている。

 森近くでさらにかげの暗がりにおおわれかけた小屋に、ベティーナは小走りに寄っていった。


 入口を覗いた、その拍子に中から出てきた少年とはちわせになって、

「きゃ」

「わ、何だ、お前──って、ベティーナじゃねえか」

 僕には初対面になると思われる少年は、ベティーナと知り合いだったようだ。

「アヒム? あんたここで何してんの?」

「ウォルフ様の手伝いだけど? お前こそ何だよ」

「何だ、どうした?」

「って、リヌスも?」

 続いて出てきた同年代の少年にも、ベティーナは丸くした目を向けた。

 似通った年格好なので幼なじみとかいうことになるのだろう、と判断して僕が三人を見比べていると、小屋の奥から兄が入口へ寄ってきた。

「何だ、ベティーナか。どうした?」

「ルート様がウォルフ様の行った先を気にしてらっしゃるようなので。それにしても、みんなでここで何してるんですか?」

 覗いた小屋の内部は薄暗い中に床板もなく、一面耕された土が露出していて、ところどころに青い植物が顔を出している。つまり、小屋の中が畑になっている格好らしい。

「畑、ですよね、どう見ても」

「ああ、畑だ」

「何だってわざわざ、小屋の中に畑を作っているんですか?」

「まあ……実験というか、だな」

 何か作物栽培の実験を、農家の息子二人の協力を得て行っている、ということらしい。

 ベティーナが中に招かれて扉が閉じられると、僕にも少し事情が察せられた。

 頭からかぶせられた格好のマントが、わずらわしいほどに感じられてきたのだ。

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