5 赤ん坊、常識を知る

 一度天井を見上げてから、兄はこちらを見直した。

「ああ、クロアオソウのことだが、昨日、アヒムやリヌスと話してきた。やつらには、一昨日おとといの光は屋敷の誰かのお節介と話してある。その上で加護のことを話して、リヌスの加護が『光』だから、改めて実験をすることにした。あいつ、大喜びで昨日から小屋にもって『光』を試している」

「ん」

「これでうまくいったら、俺たち三人の実験結果ということで村全体に広めて、この冬の食料に役立てることにする。もともと種まきから収穫までひと月かからない便利な野菜だから、何度か収穫までいける期待が持てる。収穫後の日持ちがしないのが欠点なんだが、冬の食糧不足事情だと関係ないからな」

「ん。いい、おもう」

「それにしてもほんと、『光』加護がこんなことに役立つなんて誰も思わないからな、俺もあの二人も驚くばっかりだ。リヌスなんか、役立たずの『光』のめいばんかいとばかり、今日も朝から大張り切りだ」

「やくたたじゅ?」

「ああ、お前は知らなかったか」

「カゴ……おしえて」

「そうか、そこからか」

 何しろこちとら、ベティーナの独り言みたいな話から知識を得ただけ。

 あとは自分で勝手に『光』の使い方を工夫している、というだけなのだ。


 兄の説明も、基本はベティーナの話と同じだった。

 この世の人間は誰もが生まれつき、『火』『水』『風』『光』の四種類のうち一つの加護を授かる。

 一歳を過ぎて、教会で適性を見てもらってから使えるようになる。

 それぞれの強さや量みたいな目安も、ベティーナが話していた通りらしい。

『水』なら、一日コップ半分程度。他も似たようなもの。

 個人ごとの差は、それこそ誤差程度にしか認識されていない。

 身体や精神をきたえて強さを高められるのではないかという都市伝説はあり、チャレンジする者は跡を絶たないが、効果のほどは確かめられていない。

 一度に使いすぎると動けなくなる寸前まで疲れるのは、まちがいないところだ。

 ……という、などなど。

 それにしても、さっき出た『役立たず』という表現が気にかかるのだが。

 問うと、兄は軽く顔をしかめた。

「気を悪くするなよ? みんなの感覚だと、四種類のうち『光』は一段下、という受け止めなんだ」

「そう、らの?」

 聞いてみると。

『火』や『水』は、当然生活に役立つ。特に『火』は炊事場などでの点火役として欠かせない。

『風』もいらないものを吹き飛ばしたり、虫や小動物を追い払ったりに重宝する。

 一方で『光』は、暗いところを照らす役にしか立たない。

 それだけでも便利じゃないか、と言うなかれ。

 この世界、特に農民の生活は、シンプルなのだ。

 朝は日が出たら起きる、夜は日が落ちたら寝る、それだけ。

 暗いところ、というものができる場面がほとんどない。

 もしそういう場面になったとき『あったら便利だね』という程度の受け止めだという。

 なるほど、とふしょうぶしょうながら、うなずいてしまう。

「それに加えて、なんだけどな。たぶん騎士の常識みたいなのが、一般民衆にも影響しているんじゃないかと思う」

「え」

 騎士たちが武芸を身に付け、誇る際。

 一般には『風』をうまく使う者が最も評価されるらしい。

 弓矢の威力や精度を高められることはもちろん、剣でもうまく使えば強さや鋭さ、いわゆる剣筋の確かさ、などにかすことができる。

 これらをしっかり極めた剣技は、名人芸とばかり高い評価を得る、らしい。

『火』や『水』も、戦闘の中では重宝される。

『火』を吹きかけて相手の動きを妨げる。うまくすれば火傷やけどなど、損傷を与えられる場合もある。

『水』を浴びせて相手の動きを妨げる。相手の動きを読んで効果的にらすことに秀でれば、試合巧者と評価される。

 ただしこれらは、確かに戦術としてはアリだが、純粋な剣技だけに比べるとややれんを持つ感じに捉えられる。

 聞いて、思わず僕は内心ツッコミを入れてしまった。

──それって、ただ『風』が目で見にくいっていうだけの違いじゃね?

 これらに比べて。

 確かに戦闘で『光』も使うことはできる。

 要するに、剣で切り結ぶ最中での『目くらまし』として。

 これが、騎士にとっては『火』や『水』以上に外連味、はっきり言えば『し』のような受け止めになるらしいのだ。

──『光』が物理的効果を与えない、からか?

「──という、まあいろいろ言いたいことはあるかもしれないけど、そういう常識になっているわけだな」

「……はあ」

 確かに、分からないでもない。

 純粋な剣技をとおとだかい騎士という人種が、こういう評価をすることも。

 尊敬される騎士の価値基準が、一般民衆にも影響することも。

「だからつまり今回の件は、少なくとも農民の中では『光』の価値を変える大きなきっかけになるかもしれないわけだ」

「なりゅ、ほろ」

 その希望を抱いて、悲観論者のリヌスも持論を一転させたということのようだ。

 そう聞くと、クロアオソウ栽培を軌道に乗せることに加えて、『光』民の応援としても、リヌスには頑張ってもらいたい、という気が募ってくる。

 まあ何より重要なのは領民の食糧事情改善なわけで、まだまだ問題が山積しているはずだ。

 その点を論じるためにも、まず僕には情報が必要なわけで。

 焦らず、一歩ずつ。

 まずこの国全体に関することから、説明を受けることにした。

「何も知らないって言ったよな、お前。この国の国名も?」

「しらない」

「……そこからか」

 相手が生後六ヶ月だということ、再認識してもらいたいものだ、と思う。

 ひそかながらこれ見よがしにためいきをついて、兄は講義を始めてくれた。


 この国の名は、グートハイル王国。

 元首たる現国王は、シュヴァルツコップ三世。当年三十七歳。

 国土は東西に長い大陸の中央付近にあり、南は海に面している。

 国の中央部に王都と王領が集中し、その他は爵領となっている。

 爵位は高位から順に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。

 すでに知っているように、我が家の名は、ベルシュマン男爵。爵位の中では最下位だ。予想してたけど。

 ただ、数ある男爵の中には領地を持たず王宮などでつかえるだけの者もいるので、それよりは上位ということになるのか。

 なお厳密な意味で貴族と呼ばれる階級はこれらの爵位を持つものだが、貴族の子弟出身で騎士団員や貴族の使用人などの職にいている者も多い。ヘンリックやベッセル先生がこれに当たる。

 ベルシュマン男爵領は、国土の中ではただ一つ北に突出した、北西の端。

 北と西はずっと先が隣国ということになるが、その間に大規模な山脈がつらぬいていて、ほぼ人間の通行は不可能。国境から攻められるなどの心配もないが、交易などの利点もない。

 南東は大きな森を挟んでディミタル男爵領と接している。

 南は大きな湖の間を縫ってロルツィング侯爵領をた後、王都に通じている。

 領としては、かなり小さい。正方形が少し丸みを帯びたような形で、南北、東西、それぞれ人が歩いて二刻(一時間)ほどの距離だ。

 人口は二百人あまり。

 主産業は農業。わずかに、林業や猟師と兼業。

 主要農産物、白小麦、黒小麦、クロアオソウ、ゴロイモ。


 これくらいが、公式な情報。

 あとは、言わばぶっちゃけ話、ということになる。

 ベルシュマン男爵領、人口二百人あまり、主産業は農業。

 ぶっちゃけ、税の上がりだけで運営できるはずもない。

 くり返しになるが──主要農産物、白小麦、黒小麦、クロアオソウ、ゴロイモ。

 このうちまともに他で売り物になるのは、白小麦のみ。これだけを作り続けることができればまだいいのだが、連作ができないので毎年農地の三分の一ほどで栽培し、残りを他の作物に当て、年ごとに回しているらしい。

 収穫の現実と関係なく農地面積で国税が課せられているので、毎年の白小麦全量を税としてぎりぎりという現状。

 ふつう、爵領での領主の役割は、領民から徴収した税を国に上げる分と自分の取り分に分けることだが。うちの場合は結果的に、収穫した白小麦をそのまますべて国庫に納める、ということになっている。この過程で、領主の取り分ゼロ。

 残ったほぼ売り物にならない作物から領税として納めてもらうが、領民の食糧事情を考えてのこととなるので、ほとんど慰め程度の量としかなっていない。

 では男爵家の生活費などはどうなっているかというと、男爵本人が王宮で就いている仕事の、言わばサラリーがすべてだ。

──貴族家だと思っていた家の実体がサラリーマン家庭だったという、この衝撃!

 兄もその辺くわしくないようだが、王宮ではナントカ公爵たる宰相の下で、事務担当のようなことをしている模様。

 人後に落ちない愛妻家の父としては好きで領地を離れたくはないのだが、背に腹は代えられない。

 泣く泣く、月に一度帰ってこられるかどうかの単身赴任に甘んじている現状だという。



   ~試し読みはここまでとなります。続きは書籍版でお楽しみください!~

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【書籍試し読み増量版】赤ん坊の異世界ハイハイ奮闘録1/そえだ信 MFブックス @mfbooks

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