8.エスティアの油断

(なんでこんなに落ち着くんだろう……)


 エリックにお姫様抱っこされベッドに下ろされたエスティアは、布団に入って来たエリックに抱きしめられながら思った。

 生まれて来てからずっとひとりで寝て来たエスティアにとって、誰かと一緒の布団に入るということ自体記憶にない。ただ、



(このままずっとこの腕の中にいたい……)


 何度も優しく頭を撫でてくれるエリック。

 真っ暗な蔵に閉じ込められ、闇に怯えていた日々。逃げ出し、追手の追跡に息を殺して暗闇に潜んでいた夜。そんな闇への恐怖がエリックといると嘘みたいに消えてなくなる。



「エスティア……」



「ん、んん……」


 頭を撫でられエリックの唇が重ねられる。



(エリック様……)


 目を閉じたエスティアから涙がこぼれる。

 幸せ。幸せ過ぎて涙が流れることなんてこれまで知らなかった。口づけを終えたエリックがエスティアの涙を見て囁く。



「ごめん、また泣かせちゃったみたいだね……」


「違うんです、これは……」


 そう答えながら不思議と体が震えてしまうエスティア。エリックがぎゅっと抱きしめて言う。



「ゆっくりお休み、エスティア」


「はい……」


 心も体も完全にリラックスしたエスティア。

 生まれて初めてであろうその感覚に、いつしか眠りについていった。






(あれ、もう朝だ……)


 エスティアはカーテンの間から注ぐ柔らかい日差しに気付いて目を覚ます。いつしか眠ってしまったようだ。記憶にない程熟睡したのか全身すっきりしている。そして気付いた。



「ん? んん……!!!!???」



「おはよう、エスティア」


 横になっていたエスティアのすぐ隣。エリックが同じく横になって笑顔でじっとこちらを見つめている。



「エ、エリック様ぁ!? どうして!!?? ああっ!!!!」


 思い出す昨晩のこと。

 怖くてエリックの部屋に来て一緒のベッドに入ったこと。急に思い出したエスティアの顔が真っ赤に染まる。



「ごめんね。寝顔が可愛くてずっと見てた」



(寝、寝顔をぉ、ずっと見て板ですってぇえええ!!!!)


 慌てて顔に手をやるエスティア。普段から薄化粧だが、今はほぼすっぴんに近い状態。いやそれよりもヨダレとか目ヤニとかついていないか必死に顔をこする。エリックが立ち上がって言う。



「コーヒーでも飲むかい?」


「え? あ、はい。私、淹れますから!」


「いいよ、エスティアは疲れているようだし僕が……」



「私に淹れさせてください!」


 珍しく強く主張するエスティアに、エリックが笑顔で言う。


「分かった。じゃあ、さんに淹れて貰おうかな」


「は、はい……」



 エスティアは『新妻』という言葉にどきどきしながらエリックの為にコーヒーを淹れる。エリックが言う。



「今日はここで仕事だ。お昼は一緒に食べようか」


「はい、エリック様!」


 エスティアも笑顔でそれに答えた。






「皆さん、驚いていましたね」


「ああ、そうだな」


 食後、屋敷の庭を散歩しながらエスティアがエリックに言う。朝食の際、家族全員に父フォガレフから結婚の許可を貰ったと告げた。

 頭はキレるが、どこかつかみどころのない父親。それを口説き落とし結婚を認めさせたことに皆は驚いた。



「でも、何か微妙な空気だったような気がするな……」


 はっきりと心から喜んでくれたのはアン。それ以外の者は驚きはしたがむっとしたまま黙り込む者、しょんぼりして何かつぶやきながら食べる者など微妙な空気に包まれた。エスティアが首を振って言う。



「そんなことないですよ! 皆さん、きっと驚いていただけです!!」


「そうだな」


「そうです!」


 ふたりは手を繋ぎ心地よい風が流れる庭を歩く。



「エリック様、ひとつお聞きしてもよろしいですか?」


「いいよ、何でも」


 エスティアが少し間を置いて尋ねる。



「エリック様は三男ですよね? どうして長男のセルバート様や二男のアリエル様ではなく、領主の跡継ぎはエリック様なのですか?」


 黙って聞いていたエリック。小さく頷いて答える。



「セルバート兄さんは病気なんだ」


「病気?」


「ああ、一見分からないが、以前より随分痩せてしまっている。いつ病気が悪化するのか分からないので跡は継げない。アリエル兄さんはあの通り全く仕事をしない人で……」


「だからエリック様なんですね」


「そんなところだ」



 エスティアが下を向いて言う。


「これからは私も視察に同行してもいいですか?」


「ああ、もちろん。エスティア・ラズレーズンとして」


「はい……、嬉しいです」


 エスティアは頭をエリックにもたれ掛け答える。





「最近ずっとあの女が一緒だな」


 そんなふたりの様子を遠く離れた丘の上から望遠鏡で見ていた男が言う。黒装束の仲間が答える。


「ああ、そうだな。何者なんだ、あの女?」


 同じく望遠鏡で見ながら言う。



「分からないが、同業者……、同じ匂いがする」


暗殺者アサシン? あんな奴いたか?」


「分からねえ。どちらにしろ、あの女が近くにいる以上迂闊に手は出せない。かなりの手練れだ」


 男達は以前渓谷に行った際、遠くから見ていて逆にエスティアに見つめ返されたことを思い出す。



「だったら少し策を練ろう」


「策?」


「ああ、明日、確かエリック・ラズレーズンは午前中出かける予定だな」


「そうだけど」


「俺にいい考えがある」


 暗殺者は不気味な笑みを浮かべ仲良く歩くふたりを見つめた。






 翌朝、仕事で街に出掛けるエリックを見送ったエスティアが朝風呂に入っていると、急にドアがノックされた。


 コンコン……



「だ、誰ですか!?」


 驚くエスティア。ここに来て風呂場に誰か尋ねてきたことは一度もない。



「ごめん、僕だ」


「エリック様……??」


 それは意外にも先程街へ出かけたエリック。どうして戻って来たのだろうとエスティアが考える。



「ちょっと大なことを伝え忘れていてさ。午後、街に来て欲しいんだ」


「街ですか?」


「ああ、住所はここに書いて置くから。じゃあ僕は行くよ」


「あ、はい。いってらっしゃいませ」


 エスティアは真っ赤になった顔の半分を湯船に付けながらエリックに答える。ドアを開けられたらどうしよう。ほんの少しの期待と不安にどきどきしながらふぅと息を吐く。



「街に誘われちゃったな。楽しみ!」


 エスティアは再び湯船に顔を沈める。

 恥ずかしさで動揺したエスティア。普段だったら間違いなく見抜けるはずのの声まね。生まれて初めてであろうそのミスが大切な場面で出してしまった。





「大丈夫か?」


 屋敷を出て森に入った黒装束に仲間が尋ねる。



「ああ、問題ない。意外と呆気なく信じ込んでたよ。あの女、もしかして大したことないのか?」


「まあいい。それより早くこの手紙をエリック・ラズレーズンに渡すぞ」


「了解」


 黒装束が森の中を走り出す。






「では、エリック様。また後でお迎えに参ります」


「ああ、ご苦労」


 屋敷からそう遠くない街にやって来たエリック。仕事の為に訪れた場所で、護衛の従者達とは一度ここで別れる。彼らが立ち去った後、街の役場に入ったエリックの足元に石ころが転がされた。



「ん、何だろう……」


 その石には縄で紙が巻き付けられている。石を拾い紙を広げたエリックは、そこに書かれた文字を読んで呆然とした。




【お前の女を攫った。返して欲しければひとりで森へ来い】



(エスティア……)


 エリック自身、冷静に考えればまず色々と確認してから動くべきなのだろうが、エスティア同様『愛する人』の名前を出され一瞬で動揺してしまう。エリックは愛用のサーベルを腰につけると白い愛馬に颯爽と跨る。



(待ってろ、エスティア!! 僕が助けに行く!!!!)


 エリックは馬を走らせ森へと駆けて行った。






「さて、じゃあちょっと出掛けて来るわね。アン」


「はい、お気を付けて。エスティア様」


 執事のセバスタンが手配してくれた馬車でエリックに誘われた街へと出発するエスティア。街での買い物だろうか。それともおしゃれなレストランで食事だろうか。エリックと一緒の時間にワクワクしながら出掛けたエスティアは、それが仕掛けられた罠だとは露にも思わなかった。



(今、お会いに行きます。エリック様)


『天才少女』と呼ばれた元暗殺者のエスティア。

 その彼女の唯一の弱点が、エリックが絡むとその能力が上手く発揮できなくなることであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る