5.エスティアに忍び寄る魔の手??

 激流から岸に上がったふたり。服が乾くのを待って屋敷に戻ることした。



(あ、私の馬がいなくなってる……)


 急いで来たのできちんと繋げなかったエスティアの馬。どうやら逃げてしまったようだ。

 対照的に主を待っていたエリックの白馬は、体を撫でられ甘えた声を出す。エリックがその背に乗り、馬上からエスティアに手を差し出す。


「さ、エスティア」


「はい、エリック様」


 それに笑顔で応え手を掴むエスティア。だが、乗ろうとした彼のにほとんどスペースがないことに気付く。



「もう落とさないから安心して」


 エリックはそう笑顔で言ってから掴んだエスティアの手をグイッと引き上げる。



「えっ……、きゃあ!」


 エスティアは気が付けばエリックの前に、しかもで座っている。初めての乗り方。不安定で今にも落ちそうだ。



「さあ、帰ろうか。エスティア」


「あ、あの、この姿勢では危なくて……」


 エリックが乾いた銀色の髪を風に靡かせて答える。



「ああ、だから僕にしっかりしがみついておいで。いくよ!」


 エリックの掛け声と同時に馬がゆっくり歩き出す。



(エ、エリック様……)


 エスティアは馬から落ちないようにしっかりとエリックに抱き着く。エリックは左手で手綱を、右手でエスティアの背中を支えて馬を操る。

 風に吹かれてエスティアの金色の髪がエリックの鼻をくすぐる。



「こうしているととても君を感じられる。こういう乗り方も悪くないね」


「あ、はい……」


 とても恥ずかしい乗り方。誰かに自分のすべてを預けてしまっている。無防備。今奇襲されたら間違いなく応戦できないだろう。



(でもいい。だって嬉しいもん……)


 エスティアは折れた白いキキョウの花を大事に手に持ち、その身をエリックに預ける。




「エスティア」


「はい……」


 エリックが前を向きながら真剣な顔で言う。



「今度の休日、僕の父に会って欲しい」



「え?」


 エスティアがエリックを見上げる。


「正式に君を僕の婚約者として父に紹介したい。父が許可してくれれば僕らはもう夫婦になったも同然だ」



「……」


 エスティアはエリックに包まれながら考える。


(怖い、元暗殺者だった私がこんなに幸せになっていいの……?)


 いつ追手がやって来るか分からない。エリックやみんなを巻き込むかもしれない。黙り込むエスティアの頭をエリックがグイと自分の方へ引寄せて言う。



「君の家のことは任せるよ。挨拶が必要ならばいつでも赴くし、きちんと話もする」


「あ、その、家は絶縁されているので大丈夫ですけど……」


 エリックがエスティアの頭を撫でながら言う。



「だったらあとは君次第だね」


 エスティアが下を向いて答える。



「私のどこが……、私なんかでよろしいのでしょ……、んんっ!!」



 そう答えたエスティアの顎を引寄せエリックがを重ねる。



「君がいい。君のすべてが欲しい。僕と結婚して欲しい」



「……ずるいです。エリック様」


 ふたりきりの馬上。寄せ合う肩。甘くささやくイケメンの求婚。キス。

 想いを寄せる相手ではあるが、この状況で断ることのできる女性なんていないだろう。



「はい、よろしくお願い致します……」



 元暗殺者とかもうどうでもいい。

 自分の幸せは自分で掴みに行く。暗殺者だろうが何だろが、ふたりの邪魔をするなら片っ端から薙ぎ倒してやる。



「本当か!? 本当にいいのか!!??」


 大きな声で喜ぶエリックに、エスティアが頬を赤くして小さく頷く。



「やったーーーーっ!!! わ、わわっ!?」


 両手を上げて喜ぶエリックがバランスを崩す。再び落馬しそうになるエリック。



「エリック様!!」


 そんな彼を、今度はエスティアがしっかりとその体を支えた。



「もう私をひとりにしないでくださいね」


「エ、エスティア!!」


 エリックはそんな可愛い彼女を思いきり抱き締める。想いを通わせたふたり。籍こそまだ入れてはいないが事実上、嫁入り幸せライフが始まっている。






「じゃあ、行ってくる」


 翌朝、真っ白な愛馬に乗り供の従者と一緒に出掛けるエリックをエスティアが見送る。


「お気を付けて、エリック様……」


 王都にいる領主の父に代わり、後継ぎであるエリックがその代行の仕事を行う。領内の視察やトラブルの解決。災害への対応や特産品の開発などその仕事は多岐にわたる。



(お供の方の強さは相当なもの。それでも心配です……)


 ボティーガードも兼ねた屈強な従者。更に昼間の視察なので暗殺の危険度は下がるが、やはりエスティアの心配は尽きない。同行したいが正式に妻でなければ彼に迷惑を掛けてしまう。



「エスティア……」


 馬に乗っていたエリックが降りて来てエスティアを抱きしめる。



「夜には帰って来る。心配しなくていいから」


「はい……」


 そう言って頬に軽くキスをして再び馬に乗るエリック。軽く手を上げるとそのまま仕事へと向かって行った。執事のセバスタンとメイドのアンがその後姿に深々と頭を下げる。




「エスティア様、朝食にしましょうか」


「ええ」


 早朝の出発。まだ朝を食べていないエスティアにメイドのアンが頭を下げて言った。






(この中にエリック様暗殺を依頼した人がいる……)


 エスティアは食堂に置かれた大きなテーブルで朝食をとるラズレーズン家の面々を見ながら思った。差出人は分からない。だがこの家の中の誰かがエリック暗殺を目論んでいる。



(昨日の渓谷で感じた殺意。あのふたりは間違いなく暗殺者。もう魔の手が伸びてきている……)


 エスティアはテーブルに座る長男セルバート、二男アリエル、そして四男のマルクを見つめる。セルバートは何か仕事をしているようだが今日はお休み。アリエルは分からない。マルクはまだ学生である。

 視線に気づいた二男アリエルが手にしたフォークをくるくる回しながらエスティアに言う。



「え~、なに~? エスティアちゃん、僕のことずっと見ていて、まさか、惚れちゃった??」


 エスティアが首を振って答える。



「いえ、そんなことは決して……」



「アリエル、馬鹿なこと言っていないで早く食べろ」


 だらしない弟を見て長男のセルバートが不機嫌そうに言う。


「あいあい、そんなに怒るなよ~、セルにい~」


 チャラした言い方をするアリエルにセルバートが言う。



「それにいい加減仕事をしたらどうだ! 働いていないのはお前だけだぞ!!」



(わ、私も働いていない……)


 セルバートの言葉が胸に突き刺さるエスティア。アリエルが面倒臭そうに答える。



「あ~、ちゃんとやるから。今度ちゃんとやるよ」


 そう答えながらも全く心がない言葉。セルバートがため息をつきながら首を振る。そして黙って食べる四男のマルクに声をかける。



「マルク、学校の方はどうだい?」


 青い髪の大人しいマルク。ゆっくりと顔を上げてセルバートに答える。



「うん、問題ないよ。頑張ってやってるから」


 小さな声。兄達とは全く違う印象。アリエルが乱暴にスプーンを置いて言う。



「ふー、腹いっぱい。じゃあな」


 そう言って立ち上がって食堂を出て行く。




「ごちそうさまです……」


 エスティアも食事を終え席を立つ。



(誰も殺意がない。まあ、当然か……)


 あくまで誰かが依頼した暗殺。依頼主が常に殺意を滾らせているはずがない。



 カチャ……


 食堂のドアを閉め廊下を歩き出したエスティアが、後ろからの気配に気づき足を止める。



(誰っ!?)


 振り向いたエスティアにそのが近寄る。



 ドン!!!



(え?)


 壁際に移動したエスティアの顔の真横にその男の腕が勢いよく当てられる。



(か、壁ドン!?)


 昔本で読んだことのある胸キュンのシーン。その男、長男セルバートが真面目な顔で言う。



「エスティア、何か思い詰めていたようだが悩み事でもあるのか?」


 驚くエスティア。顔と顔の距離が近い。栗色の長髪のセルバートは、少しやせ型だがエリック同様のイケメン。真剣な眼差しにエスティアが小声で答える。



「い、いえ、大丈夫です。ありがとうございます……」


 予想以上に鋭い眼光。暗殺者とはまた違った迫力がある。セルバートが壁から手を離し、栗色の髪をかき上げながら答える。



「そうか、それなら良かった。君はエリックの大切なフィアンセ。困ったことがあればいつでも相談して欲しい」


 セルバートはそう言って軽く手を上げると背を向けて食堂へ戻って行った。



(な、なんだったの……、一体……??)


 もし仮に、エリックより先に出会ってあの勢いで求婚されたらどうなっていたか分からない。未だどきどきが止まらないエスティアが首を数回振って自室へと戻る。





「あ……」


 しかし自分の部屋に辿り着いたエスティアの目に、今度は二男のアリエルの姿が映る。ポケットに手を入れ壁にもたれ掛かっていたアリエルがエスティアに気付き近付いて来る。



「エスティアちゃ~ん、待ってたよ」


 やや身構えるエスティア。そんな彼女にアリエルはポケットに手を突っ込んだまま近付く。


「な、何でしょうか、アリエル様……」


 いつでも反撃ができる姿勢。自然と暗殺者としての体勢を取る。アリエルが顔を近づけて言う。



「あんな男やめてさー、俺にしなよ」



「え??」


 茶髪に耳ピアス。これまでに会ったことが無いようなタイプの人間。



「そ、それはどういうことでしょうか?」


 少し後ずさりしながらエスティアが答える。アリエルが間を詰めながら答える。



「えー、簡単なことだよ。エスティアちゃん、めっちゃ可愛いしさあ~、いい子だからさあ~、俺のものになりなよ」


 一体さっきから何が起こっているのか理解できないエスティア。ただそれがあまり良くないことだとは理解した。



「い、いいえ。私はエリック様の婚約者ですから……」


 壁際まで追い詰められたエスティアが首を振ってそれを断る。アリエルが耳元でささやくように言う。



「俺の女になりなよ~、、いっぱいしようぜ」



 シュン!


「ん!?」


 アリエルは今の今まで目の前にいた女の子が急に消えたのに気付いた。



「す、すみませんが、私はエリック様をお慕い申していますので、ごめんなさい!!」


 気が付くと少し離れた場所で頭を下げてそう話すエスティアの姿があった。



「え? いつの間に……??」


 その声よりも先にエスティアは部屋の中へと入って行く。




「はあはあ……、どうしちゃったのよ、あのふたり……」


 エスティアはひとりになって心を落ち着かせる。考えてみれば今朝は初めてエリックがいない屋敷。その影響だろうか。





 コンコン……


 その日の午後、エスティアの部屋のドアが小さくノックされる。



「はい?」


 少しドアを開け、その訪ねて来た相手を見つめる。



「マルク……、どうしたの……??」


 ドアを開けると四男のマルクが下を向いて立っている。手には本。マルクが小声で言う。



「勉強を、教えて欲しいんだ……、エスティアお姉ちゃん……」


 緊張なのか知らないが声が震えている。



「勉強? どうしたの、急に??」


「あの、エリック兄さんにエスティアお姉ちゃんは頭が良いって聞いたもんで……、ダメかな……?」


 エスティアが笑って答える。



「いいわよ。さ、入って」


「うん、ありがと!!」


 マルクが顔を上げ笑顔で答える。

 エスティアは初めて見るマルクの笑った顔に、思わず抱きしめたくなってしまった。

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