4.素敵な贈り物

「エリック様、お怪我の方はどうでしょうか?」


「ああ、随分良くなったよ。ありがとう、エスティア」



【魔獣の森】でエリックを救助した後、安堵のせいか気を失ってしまったエリック。エスティアは怪我をした彼をひとり背負って森を歩き屋敷まで戻って来た。



「誰かいますか!! エリック様が、エリック様が大怪をされて……」


 屋敷の玄関でそう叫んだエスティアに反応し執事のセバスタンやメイドのアンが慌てて駆けて来る。血塗れで気を失っているエリックを見てセバスタンが叫ぶ。



「ど、どうしてこんなことに!?」


「森に行った私を探してエリック様が来てくれて、そこまで背負って来てくれたんですが気を失ってしまって……」



「分かりました! すぐに手当てを!!」


 アンがそれに応えてすぐに動き出す。

 森の中で自生する薬草を使い応急手当てをしたエスティア。そのお陰か幸い大事には至らず、オオカミにやられた怪我も順調に回復して行った。

 エリックの部屋に来て包帯を取り換えるエスティアに言う。



「いつもありがとう、エスティア」


「いえ、大したことはないです」


 エスティアはこうしてエリックと一緒に居られることが幸せであった。エリックがエスティアの手を掴み自分の方へ寄せて言う。



「エスティア、愛してる……」


「は、はい……」


 ベッドに座ったエリックにぐっと体を引き寄せられその顔が近付く。



(キ、キスされる……!?)



「ん、ん……」



 再び重ねられるふたりの唇。

 エリックは真っ赤になったエスティアの頭を抱きしめ優しく言う。



「誰にも渡さない。これは僕のものだ……」


 エスティアの金色の柔らかな髪を撫でながらエリックが微笑む。




 コンコン……


「えー、お取込みの中、すみませんが~」


 エスティアが顔を上げるとドアの入り口にメイドのアンが立っている。すっとエリックから離れてベッドの椅子に座るエスティア。エリックが尋ねる。



「どうしたんだい? アン」


「お昼をお持ちしました」


 そう言って台車に乗せられたプレートを持って部屋に入る。



「あ、あの、私はこれで失礼します!!」


 恥ずかしいところを見られたエスティアが顔を真っ赤にして部屋を駆け足出て行く。



「エスティア、一緒に食事を……」


 そんな声も届かずドアが閉められる。アンが食事の用意をしながら言う。



「可愛らしい方ですね、エスティア様」


「ああ、そうだろ。アンにはやらないからな」



「い、いえ、結構です。そっちの趣味はありませんから……」


 苦笑して食事の準備をするアンにエリックが尋ねる。



「なあ、アン。エスティアに何かプレゼントを贈ろうと思うのだが何が良いかな?」


「プレゼント?」


「ああ、こうして毎日僕の世話をしてくれるお礼にね」



 私も毎日お世話をしていますと思いながらアンが答える。


「お花、なんてどうですか?」


「花? ありきたりじゃないか?」


「そうですね。でもお花を貰って嫌だと思う女の子はいませんよ」


「そんなものなのか?」


「そんなものです」


 アンは食事の準備を終えるとピンクのツインテールを揺らしながら部屋を出ようとする。エリックが尋ねる。



「どんな花がいいかな?」


 立ち止まったアンが背を向けながら答える。



「キキョウなんていかがでしょうか?」



「キキョウ?」


 聞き返すエリックにアンが答える。



「そうです、キキョウ。特にこの地方では白いキキョウは【永遠の愛】という花言葉を持つ花です」


「それはいい!! 是非街に行って買って……」


 アンが振り返って言う。



「でもですね~、エリック様。白いキキョウはとーっても貴重で売られていないんですよ」


「そうなのか? じゃあどこで……」


「えっとですね、ミラル渓谷にある切り立った崖に稀に咲くと言われていまして、ただこれはとっても危険なので別の花が良いかと。他にお勧めはですね……」



(ミラル渓谷、白いキキョウ……)


【永遠の愛】という魅力的な言葉が頭に刻み込まれたエリックは、その後のアンの話など全く頭に入らなかった。






 数日後、ラズレーズン家に訪問診療にやって来た女医が、エスティアの体の検査を終えて言う。


「はい、これでおしまいですね。怪我も綺麗に治っているのでもういいでしょう」


 服を着ながらエスティアが答える。


「ありがとうございます。本当にもう私は大丈夫なんですけどね……」


 それでもエリックが執拗に診断を受けさせる。女医が笑って言う。



「それにしてもあのエリック様がご成婚されるとは驚きですね~」


「そんなにエリック様には女性の話はなかったのですか?」


 女医が診療道具を片付けながら答える。



「ええ、全く。エスティア様を羨む女性はこれからたくさん現れますよ。何せ次期ラズレーズン家当主になるお方ですからね」


「はい……」


 エリックの父親は王都で仕事をしており家に来ることは滅多にないが、自分の跡継ぎには三男のエリックを指名している。

 診察のお礼をし女医を玄関で見送った後、エスティアがアンに尋ねる。



「アンさん、エリック様はお部屋ですか?」


「え、エリック様……!? あ、あの、お出かけになられましたけど……」



(出掛けた!?)


 エスティアの顔が一瞬曇る。



「どちらへ行かれたのですか?」


 アンが引きつった顔で答える。



「わ、私は知らないです。それじゃあ失礼します……」


 くるりと背を向けて歩き出すアン。エスティアはそれがだと見抜いていた。微かに流れる汗、表情筋の動き、動揺して速くなる鼓動。すべてが嘘だと物語っている。エスティアがアンの前に行き話し掛ける。



「アン、教えてくれるかしら。エリック様の居場所」



(ううっ)


 アンはエリックが花を採取に出掛けたことを知っている。行き先はミラル渓谷。アンが止めるのを強引にエリックは出掛けて行ってしまった。でもそれは決してエスティアには話してはいけないこと。エリックに口止めされている。



「わ、私は本当に知らなくて……」


 ひしひしと伝わる噓の文字。動揺からかピンクのツインテールが左右に大きく揺れる。エスティアが言う。



「あーそう。じゃあ、この間、来客室のベッドでお昼寝していたことをエリック様に教えちゃおうかな~」


「ひぇ!? そ、それだけはご勘弁を……」


 アンの顔が引きつる。エスティアが尋ねる。



「じゃあ、教えてくれるわね。エリック様の居場所」


「はい……」


 アンは降参の白旗を上げた。






(あ、あと少しで届く……)


 エリックは愛用の白馬を飛ばし遥々やって来たミラル渓谷で白いキキョウを探していた。剥き出しの岩肌。荒野のような風景。勢いよく流れる川の濁音が耳に響く。



「見つけたぞ!!」


 しばらく探していたエリックが足元の崖下の壁に咲く白いキキョウを発見。その下には雨で水かさが増した川が流れおり落ちると命の危険さえある。



「待ってろ、エスティア。今僕が君への最高のプレゼントを贈るよ」


 そう言って地面にうつ伏せになり必死に手を伸ばすエリック。届きそうで届かない花。そんな彼の姿を少し離れた崖の上からふたりの男が見つめる。




「あれが、エリック・ラズレーズンだな」


「ええ、そうです」


 黒い衣装に身を包んだ二人組。気配を殺してはいるが漏れてくる殺気はただ者ではない。男が言う。


「楽な仕事だな」


「ですね、すぐにやっちまいましょう」



「ああ、……ん? ちょっと待て。誰か来たぞ」


 ふたりは岩陰に隠れるようにその人物を見つめる。






「エリック様あああ!!!」


 それは自分よりも遥かに大きな馬に乗ってやって来たエスティア。馬の扱いも抜群で屋敷から一気にこの渓谷まで走って来た。



(やった、採れた!!!)


 更に身を乗り出したエリックが、ようやく白のキキョウを手に入れる。エスティアが馬から飛び降り、崖の傍でうつ伏せになっているエリックに駆け寄る。エスティアに気付いたエリックが顔を上げ笑顔になって言う。



「エスティア! 見てくれ、白のキキョウが採れたぞ!!」


 極秘にプレゼントすることなど採取できた喜びからすっかり忘れてしまったエリック。彼の無事な姿を見て安堵するエスティアだが、その手前で急に立ち止まり。そして




(なに!?)


 慌てて隠れる暗殺者のふたり。

 かなりの距離。見えるはずのない自分達の姿。それでも一瞬エスティアとふたりの心臓が壊れるほど激しく鼓動する。



(見つかっただと!? そんな馬鹿な……)


 エスティアの視線を感じたふたりはしばらくそこから動くことができなかった。




「エスティア、見てごらん。ようやくこの白いキキョウが……」


 そう言って勢い良く立ち上がったエリックは、急な立ちくらみでバランスを崩す。



「わ、わわっ!!」



「え?」


 背後の高い崖より殺気を感じたエスティアが後ろを向いている間に、立ち上がったエリックがふらつきバランスを崩す。



「エリック様!?」



「うわああああ!!!」



 ドボーン!!!


 そのまま崖下に落ちるエリック。大きな音を立てて激流の中へと消えて行く。



(エリック様っ!!!!)


 エスティアは迷わず彼を追って崖を飛び降りる。



 ドボン!!


 川の激流の中でエリックを探す。

 泳ぎも超一流。流れに逆らわずにエリックに近付くと、気を失った彼の服を掴み近くの岸へと上がる。



「エリック様、エリック様!!」


 エスティアが横にしたエリックの背中を叩き、水を吐かせる。



「うごっ、ごほっ、ごほっ!!」


 エリックが意識を取り戻す。



「良かったぁ……」


 目を覚ましたエリックにエスティアが抱き着いて喜びを現わす。



「あれ、僕は崖から落ちて……、まさかエスティアも落ちたのか……!?」


 思わぬ言葉にエスティアが思わずうなずく。



「え、あ、はい。私も落ちちゃって、それでエリック様に助けて貰って……」


 記憶はない。

 ただ無我夢中できっと一緒に落ちたエスティアも助けたのだろうと思ったエリックが苦笑いして答える。



「そ、そうだったのか。無事で良かった……」


 そう言って笑顔になるエリックを見てエスティアが尋ねる。



「どうしてこんな所にいらしたんですか?」


 エリックが思い出したように言う。



「ああ、そうそう。ここにはね、白いキキョウが咲いているんだ」



 そう言って激流に飲まれ手元で折れてしまった白いキキョウをエスティアに差し出す。



「君に贈ろうと思って。良かった、離さず持っていて。ちょっと折れちゃったけど」


 そう言ってはにかむエリックを見てエスティアがその手を握り答える。



「わ、私の為にこんな危険なことをされたんですか!?」


「大したことないよ。いつもの感謝の気持ち。それよりさ、エスティア」



「な、何でしょうか……?」


 感激で涙腺が崩壊しそうなエスティアにエリックが言う。



「この白いキキョウってどんな花言葉か知ってる?」


 エスティアが首を振って答える。


「いいえ、知りませんが……」



「【永遠の愛】、受け取ってくれるかな?」



 エスティアは折れたキキョウを両手で受け取り、笑顔で答える。



「はい、喜んで」


 初めて男性から貰った花のプレゼント。

 それは決して忘れることのできない素敵な思い出となった。

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