3.エリックの誓い、エスティアの誓い。

 エスティアは暗殺者一家の末子として生まれた。

 物心つく前から暗殺者養成所に通わされ、多くの子供達と一緒にその技術を叩き込まれた。体が細く小さなエスティア。誰もがそんな彼女に一切の期待はしていなかったのだが、その評価は年を経るごとに変わっていく。



『凄いよ、この子!!』


 素早い動きはもちろん細い体のどこにあるのか不思議なぐらい力もあり、また学術においても常に養成所トップに名を連ねた。暗殺技術や理解度も群を抜いており、いつしか『天才少女』と呼ばれるようになっていた。




 そんな彼女が一変する出来事は、暗殺者デビューするその夜に起こった。


 過酷な養成所の鍛錬を終え、ようやく一人前の暗殺者として初めての仕事に向かったエスティア。対象は地方の役人。不正を働いた貴族を罰したことで恨みを買い、暗殺の依頼が舞い込んだ。

 難易度としては初級。天才と呼ばれた彼女にとっては容易い仕事であった。



(えっ……)


 しかしその役人、特に小さな娘と遊ぶ父親としての姿を見たエスティアは固まった。



(あんなの、殺せない……)


 成績抜群だったエスティア。

 その彼女が唯一習得できなかったのが『感情抹殺』。自我に芽生えるありとあらゆる感情を殺し、殺人マシーンとなる為の重要な要素。

 すべてにおいて突出した能力を持った彼女は感情も強く、結局最後までそれを抑えることができなかった。




『愚か者め!!! 【改心の間】に連れて行け!!!』


 暗殺に失敗し、更に『暗殺者引退』の申し出を行ったエスティア。

 それを聞いた家長は激怒し、【改心の間】と呼ばれる薄暗い蔵に彼女を幽閉する。




(暗い、暗いよ……)


 蔵の中は薄暗く、食事は一日一度の薄いスープのみ。夏は暑くて冬は極寒。とても人が住める環境ではない場所にエスティアは閉じ込められた。

 日に日に衰弱するエスティア。一体どのくらい時間が過ぎたのかも分からない。だが感情を殺す【改心の間】であったが、エスティアの心には逆に以前読んだ幸せな女の子の物語が幾度も繰り返されていた。



(人を愛するって、なんだろう……)


 朦朧とする意識の中で、彼女の心には明るく幸せな物語の女の子が生き生きと映し出される。エスティアは脱獄した。




『追え、追うんだ!!!』

『裏切者を処刑しろ!!!!!』


 必死に逃げ続けた。

 衰弱していたが超人的な身体能力を持つ彼女には誰も簡単には追いつけなかった。

 だが暗殺者の恐ろしさ、逃亡の恐怖が彼女を苦しめる。



『待てえええ!! 捕まえろ!!!』

『恥さらしを殺せ!!!』


 その悪夢はエリックの家に来てからもエスティアを苦しめた。





(また夢……)


 エリック邸に来て二日目の朝もまた同じ夢で目が覚めた。全身に流れる汗。まるで今の今まで追いかけられていたかのような感覚。



(私がここに居てはみんなに迷惑が掛かる……)


 隣国と言えども暗殺者アサシンに国境はない。いずれここも見つかり刺客が送られてくるだろう。そうなるとエリックが……




 コンコン……


 そんな彼女の部屋のドアをノックする音が響く。



「はい……」


「僕だ、エリックだ。食事を持って来た。入ってもいいかな」


「あ、はい!」


 エスティアは体を起こしベッドに腰かける。



「おはよう、エスティア」


 銀色のサラサラの髪。屈託のない笑顔。見るだけで癒される彼の笑顔を見てエスティアが頭を下げる。



「おはようございます、エリック様」


「体調はどうかな? もう普通に食べられそう?」


 そう言って彼はエスティアの隣に座り、持って来た食事をテーブルに置く。そしていつも通りに皿を手に持ちスプーンでエスティアの口元へ運ぶ。



「はい、あーんして」


「……あーん」


 何度やっても恥ずかしい。恥ずかしいのだが、決して嫌いじゃなかった。



 ぱくっ、むしゃむしゃ……



「美味しい?」


「はい、とても美味しいです」


 この気持ちを何と呼ぶのか知らない。心をきゅんと締め付ける感覚。

 ただもしそれを名付けても良いと言うのならば、『幸せ』と名付けたいと彼女は思った。




 だから、



 だから彼女は、ここを決心をした。


 彼を巻き込まないために。






「アン、エスティアを見なかったか?」


 翌日の夕方、食事を持ってエスティアの部屋を訪れたエリックが彼女が部屋にいないことに気付きメイドのアンに尋ねた。声を掛けられたアンがピンクのツインテールを揺らしながら答える。



「えー、エスティア様ですか? 少し前におひとりでお出掛けになりましたけど~」


「ひとりで!?」


 その言葉を聞いたエリックが驚く。まだ傷も完治していない彼女。



「どこへ行ったんだ?」


 アンはてっきりエリックは知っているものだと思いつつ答える。



「え? あの、ごめんなさい、私はどこへ行ったかは存じなくて……」


 一介のメイドがラズレーズン家の婚約者に対して行き先の詮索などできない。エリックはすぐに屋敷の外へと出る。



「まさか……」


 午後に少し降った雨。その柔らかい地面に森の中へと続く足跡が残っている。

【魔獣の森】、夜になれば恐ろしい魔物が出ると恐れられている森。エリックはひとり夕闇の森へと走り出した。






(重い、どうしてこんなに足が重いのかしら……)


 薄暗くなった森の中をひとり歩くエスティア。

 逃亡中はあれほど無我夢中で動かした足が、今はただ歩くだけで鉛のように重く感じる。まるで足がそれを嫌がっているかのように。



「ガルルウルルッ……」


 そんな森の中をひとり歩く少女の前に、鋭い牙を剥き出しにしたが姿を現わす。オオカミから派生した魔物。目に映る動く物すべてを食い殺す凶悪な魔物で、周辺からは『死のオオカミ』として恐れられている。



「はあ……」


 そんなオオカミの威嚇も悩みながら歩くエスティアには届かない。



(私、やっぱり出たくないと思っているのかしら。エリック様の顔ばかり浮かんで来ちゃう……)


 感情を殺すよう教育された自分が、その感情によって揺れている。



「そ、そうだわ! エリック様が狙われていることだけでもやはりお伝えしなきゃいけないわ!!」


 彼のため置手紙でも書いておこう、そう思ったエスティアは踵を返し屋敷へと戻り始める。



「ガウガウガウガウ!!!!!」


 そんな彼女に『死のオオカミ』が牙を剥き襲い掛かる。



「うるさい!!」



 ガン!!!


「キャイン!!!」


 エスティアは飛び掛かって来たオオカミを回し蹴りにして小走りで走り出す。

 反撃すら全く予想できなかった『死のオオカミ』は、突然の恐怖に身を震わせながら文字通り尻尾を巻いて逃げて行った。






 一方のエリックは木の棒を手に、周りを取り囲むオオカミの群れに対峙していた。


「く、来るんじゃない!! 僕は大事な人を探しているんだ!! 邪魔するな!!!!」


 そう言って木の棒を振り回し威嚇するもオオカミ達にはまるで通じない。

 動揺して勢いで屋敷を飛び出したエリック。夜の【魔獣の森】へ入るのに、丸腰だったのに気付いたのはオオカミ達に囲まれた後。落ちていた木の棒を手に威嚇するが、武器を持ってこなかったことを後悔する。



「ガウガウガウ!!!」


「くっ!!」


 薄暗い森の中。勢いよく飛び掛かって来るオオカミに腕を噛まれる。エリックが持っていた棒で思い切り殴りつける。



 ガン!!!


「キャン!!!」


 思わぬ攻撃を受け一旦下がるオオカミ。それでもその後ろには他の個体が牙を剝いてこちらを見ている。エリックが言う。



「エスティアが待っている!! 僕の邪魔をするなら容赦しないぞ!!!」


 ドクドクと腕から流れる血。その香しい匂いがオオカミ達を興奮させた。






(これは殺気!? 野獣の強い殺気、大勢……、そしてを襲っている……!?)


 エスティアは森の中を駆け足で移動中、その異様な殺気を感じ足を止める。



「嫌な予感がする……」


 エスティアがその殺気が集まる方へと急ぎ走り出す。




(あ、あれは!!!!)


 エスティアが全力でその殺気集まる現場へ行くと、そこには数頭のオオカミに囲まれ血を流すエリックの姿があった。片手に木の棒を持ちオオカミ達を威嚇しているが、今にも倒れそうである。



(エリック様!!?? 許さないっ!!!!)


 エスティアは一瞬でその場から姿を消すとオオカミ達に突入。目に留まらぬ速さで目の前の野獣を蹴り飛ばすと、今にも倒れそうなエリックを支える。



「エリック様、エリック様!! 大丈夫ですか!!!!」


 肩を支え気を失いそうなエリックにエスティアが必死に声をかける。



「グルルルルルル……」


 突然現れたエスティアに周りのオオカミ達が威嚇の声をあげる。



(うるさい!!!!)


 全身から強烈な殺気を放ったエスティアを前に、『殺される』と直感したオオカミ達が一斉に逃げ始める。エリックが小さく声を出す。




「ん、あ、ああ……、エスティア!? エ、エスティア!!!!」


「きゃ!」


 エリックは目の前にエスティアがいることが分かるとその小さな体を思いきり抱き締める。



「良かった、無事で……」


 エリックが体を震わせながら言う。


「あっ、あのオオカミ達は!?」


 エリックが周りを見回すもその姿はもうない。エスティアが答える。



「エ、エリック様が追い払ってくれたんですよね?」


「そ、そうだったかな……、よく覚えていないが……」


「そ、そうですよ! エリック様」


 頷くエリック。そしてエスティアの血に汚れた服を見て言う。



「こんなに血が……、すまない、僕が来るのが遅くなって……、怪我は痛むかい?」


「い、いえ……」



(これはエリック様の血が付いたんですけど……)


 大怪我をしたエリックを見てエスティアが言う。



「エリック様、その、ごめんなさ……」


 黙って家を出た自分を探しに来てくれたエリック。そのせいでこんな酷い怪我をさせてしまった。だが謝ろうとしたエスティアより先にエリックが言う。




「すまなかった、エスティア……」



「えっ」


 顔からも血を流したエリックがエスティアを見つめて言う。



「君をこんな危険な目に遭わせて、僕は婚約者として失格だ……」



(え、えっ……!?)


 エリックの一言一言に混乱するエスティア。だがすぐに言い返す。



「そ、そんなことはありません!! エリック様はとても勇敢で、お優しくて……、私は一緒に居られてとても幸せで……、それで……、!!」



 エリックはエスティアの首にそっと手をやり、を重ねた。



(あ、あ……)



 頭の中が真っ白になるエスティア。


 キス。

 もちろん初めて。本で読んだことはあったがこんなに、こんなに、



(こんなに涙が出るほど嬉しいなんて思わなかった……)



 エリックがエスティアの頬に流れた涙を指で拭きながら言う。




「僕を君の傍に居させて欲しい。僕が一生君を守る」



「はい……、エリック様……」


 エリックが優しくエスティアを抱きしめる。エスティアもそれに応じるようにエリックに包まれる。そして誓った。



(私もエリック様をお守りします。絶対、なんてさせない!!!!)


 暗殺者にはなれなかったエスティア。

 だがその力は愛する者を守る力として輝くこととなる。

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