2.エリック様が、大変!?

「僕と結婚して欲しい」


 突然の求婚。エスティアはエリックの掛け違えたボタンのことを忘れてしまうぐらい驚いた。エスティアが声を絞り出すように尋ねる。



「エ、エリック様。それは一体どういう意味で……」


 やっと出た言葉。何を聞いていいか分からなかったエスティアが絞り出した言葉。エリックが笑顔で答える。



「どういう意味って、それは君に僕のお嫁さんになって欲しいという意味だよ」



「お嫁さん……」


 暗殺者に恋愛は無縁のもの。

 婚姻関係は結ぶこともあるがそれは家を保つため。相手も家長が決め、お互い恋愛感情もないまま暮らすこともある。そこには感情はない。物心つく前から『感情を殺す訓練』を受けている結果だ。


 エスティアは震えた。

 暗殺者として育てられた彼女にとってこの様な仕事ではない求愛は予想もできないこと。そんな彼女を見たエリックが笑顔で言う。



「ごめんね、急にそんなこと言われても困るよな。返事は後々でいい。驚かせてしまって済まない」


「そ、そんなこと……」


 銀色の髪に手を当てエリックが苦笑いする。そんな屈託のない彼の笑顔にエスティアの心が少しずつ惹かれて行く。






「みんな、紹介するよ。僕のフィアンセのエスティアだ」


 その日の昼食。ラズレーズン家では久し振りに兄弟が揃い賑やかな食事となった。

 エリックは男ばかりの四兄弟の三男。集まった皆の前でいきなりにされて緊張するエスティアを紹介する。



「わお、エリック! こりゃまた可愛い子を見つけてきたな!!」


 真っ先に反応したのが二男のアリエル。茶髪のイケメンで耳にピアスをした、その風貌通りのチャラ男。足を組み、乱雑に座ったアリエルが隣の長男セルバートに言う。



「そう思うだろ? セルにい??」


 二男に話を振られた長男のセルバートが紅茶を口にしながら答える。



「お前は女性をそのような目でしか見れないのか。だからいつまでたっても成長がないのだ」


 長い栗色の髪で、エリック達とはまた違う整った顔をしている。体調が悪いのか、少し顔色が悪い。エリックの弟、四男のマルクだけが静かにその様子を見つめる。エスティアが立ち上がって言う。



「あ、あの、初めまして。エスティアと申します。まだちょっとよく分からないのですが、よろしくお願いします……」


 実際まだ頭の整理はついていなかった。

 追手に終われボロボロになったところをエリックに助けられる。目が覚めていきなりの求婚。その日の昼には兄弟が集まっての食事会。エスティアは目が回りそうであった。隣に座ったエリックが言う。



「僕の兄弟だ。家族だと思って接して欲しい。あと彼が執事のセバスタン。その隣にいるのがメイドのアンだ」


 エリックに紹介され丁寧にまとめられたグレーの髪の初老の男性が会釈をする。その隣でピンクのツインテールの美少女メイドのアンが小さく手を振る。

 二男のアリエルがテーブルの上に顔を乗せてエスティアに言う。



「ねえ、エスティアちゃ~ん。そんな奴のどこが気に入ったの~?? 飽きたら俺と遊ぼうよ~」


 チャラ男らしい適当な言葉。表情を変えずに黙るエスティアの隣でエリックが怒りながら言う。



「アリエル兄さん、そう言う冗談はやめてくれよ。僕は真剣に彼女を愛してるんだ。ちょっかいは出さないで欲しい」


「はいはい。それにしてもあの『女嫌いのエリック』がいきなり婚約者だなんて驚きだね~」


 エリックが反論する。



「僕は別に女嫌いじゃないよ。ただ好きになれる相手がいなかっただけ。今はこうしてエスティアと出会えたけどね」


 自分の名前が出る度に顔が赤くなるエスティア。急すぎる展開に頭が痛くなる。



「エスティア、どうしたんだい? やっぱりまだ体調が悪いのか?」


 そんな彼女の様子を見たエリックが心配して声をかける。エスティアが首を振って答える。



「いえ、大丈夫です。エリック様」


 そんな彼女の顔を見てエリックが優しげな表情で言う。



「無理をしなくていい。一度部屋に戻って休もうか。食事はまた後にしよう」


「え、でも……」


「みんな、エスティアの気分が優れないので部屋に戻るよ。じゃあ。さ、行こうか」


 それを聞いたメイドのアンがピンクのツインテールを揺らしながらやって来る。



「エリック様、それでしたらアンがエスティア様を……」


 エリックが手を出してそれを止める。



「大丈夫。僕が連れて行くよ」


 エリックはそう言うとエスティアの手を取り部屋を出ようと歩き出す。



「エスティアちゃん、またね~」


 陽気な二男のアリエルが手を振ってそれを送る。エスティアは皆に一礼してからエリックと共に歩き出す。




(!!)


 そんな彼女の足が食堂のドア近くで止まる。



「エスティア? どうしたんだい?」


 エリックは彼女がドアの隣に置かれた小さな台の上にある郵便物をじっと見ているのに気付いた。エスティアが尋ねる。



「エリック様、これはお手紙……、でしょうか?」


 エリックが台の上の木箱に入った手紙の束を持って答える。


「ああ、今日は手紙の回収に来る日でね。みんな手紙を書いてここに入れて置くんだよ」


「そうでしたか。ありがとうございます」


 エスティアはそう答えるとエリックと共に食堂を出た。





「じゃあ、エスティア。僕は兄さん達と食事に戻るので君はしっかりと体を休めてくれ」


 先程まで寝かされていた部屋に戻りエリックが言った。


「はい、ありがとうございます……」


 まだ戸惑いが消えないエスティア。そんな彼女にエリックが優しく言う。



「急に驚かせてしまって済まない。ただ僕は君のことが好きだ。君さえよければ父さんの許可を貰ってすぐにでも正式な妻として迎えたい。いい加減な気持ちじゃない。これだけは知っていて欲しい」


 真面目な顔。心の籠った言葉。

 嘘と駆け引きばかりを教えられて来た彼女にとって、それはとても新鮮で眩しいほどのものであった。エスティアが答える。



「エリック様、色々ありがとうございます。あの……」


 薄暗い廊下。ぼんやりと見えるエスティアの顔。エリックは彼女の頬が少しだけ赤くなっていることに気付いた。エスティアが言う。



「ちょっとびっくりしましたけど、私も、嬉しかったです……、そ、それじゃあ……」


 エスティアはそう言って頭を下げるとドアを閉め部屋の中へと消えて行く。



『やったあああああ!!!』


 ドア越しに聞こえるエリックの喜ぶ声。エスティアはドアにもたれながら自然と笑顔になる。




「さて……」


 そんな彼女が一瞬で無表情のの顔へと変わる。すっと懐から取り出した一通の封書。しっかりと封蝋された送り主のない封書。先程、食堂の台の上から密かに持って来たものだ。



(この宛名って……)


 それはエスティアの国への国際郵便。そしてその住所は決して一般人では知ることのない宛名。



「暗殺依頼の封書……」


 依頼をする者だけが知る裏の住所。幼い頃からその世界に浸かって来たエスティアはその住所、そして封書から発せられる邪のオーラを見た瞬間感じ取った。

 すぐに封書を太陽の光に当てながらじっと見つめる。



(指紋はない……)


 特別な訓練を受けた彼女は物についた微かな指紋ですら見抜ける。だが相手も用心したのかそれらしきものはない。

 エスティアはハンカチを取り出し、テーブルの上にあったペーパーナイフで今度は自分の指紋がつかぬよう器用に封蝋を開ける。慣れた手つき。この程度は造作もないこと。




「えっ」


 だが恐る恐るその中身を見てエスティアは固まった。



【暗殺を依頼する。対象はエリック・ラズレーズン】



 印刷物を切って作られた手紙。そこにはエリックの暗殺を依頼する内容が記されていた。



(エリック様が、暗殺……)



 自分を助けてくれたエリックが暗殺される。

 差出人の名はないが、このにその暗殺を依頼した者がいることは間違いなかった。

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