9.怒り

(エスティア、エスティア、エスティア!!!)


 馬を走らせ森の中を疾走するエリック。

 全てのことがどうでもいい。ただただ愛するエスティアが無事で居てくれればそれでいい。エリックは愛馬に鞭を入れ指示された場所へと急ぐ。



「エスティアあああ!!!!」


 手紙で指示された場所。

 それは森の外れにある誰も人など来ない場所。すぐ近くには崖があり、下にはゴオゴオと激流が流れている。エリックの到着と同時に、静かだった森の木の影から黒い影が数体姿を見せる。黒装束の男が言う。



「これはこれはエリック様。このような場所へようこそおいでくださいました」


 軽く頭を下げる黒装束。その姿が返って慇懃無礼にすら感じる。エリックが馬から降り大声で言う。



「エスティアはどこだ!! 彼女を返してくれ!!!!」


 別の黒装束が前に出て言う。


「簡単には返せないな。大事な人質なんでね」


 エリックが地面に座り土下座して言う。



「エスティアを返して欲しい!! 僕の地位もお金も土地も、全てくれてやる!! だから彼女だけは返してくれ……」


 最後は涙声になりながら地面に頭をこすりつけるエリック。黒装束が苦笑しながら答える。



「ああ、そんじゃその全部を貰おうか。くくくっ、後それから欲しいものがある」


 少し顔を上げたエリックが聞き返す。



「もうひとつ? それはなんだ……??」


 黒装束達が笑って返す。



「お前の命、だよ!!」


 そう言って皆が抜刀してエリックに襲い掛かる。エリックもすぐに立ち上がると腰に付けたサーベルを抜き、大声で返す。



「それだけは譲れん。彼女は生涯僕が守ると約束したんだ!! だから僕の命は渡せない!!!」


 突撃してくる大勢の暗殺者にたったひとりでエリックが立ち向かう。武芸はあまり得意じゃないエリックだが、大切な女性を守るため彼は無我夢中で剣を振り上げた。






(エリック様ぁ~、エリック様ぁ~)


 街に出掛けたエリックに会う為に馬車に乗ったエスティア。嬉しさのあまり歌でも歌いたくなる気分である。



(エリック様とお買い物でもして~、エリック様と一緒にお食事して~、手を繋いで~、それから~)


 考えれば考えるほど幸せになるエスティア。



「到着しましたよ、エスティア様」


「あ、ありがとう」


 そんな彼女に御者が到着を告げる。お礼を言って馬車から降りる。




「ここにエリック様がいらっしゃるのね」


 エスティアがその小さな建物の中へ入って行く。小さな役場。街を管理する場所であり、中で数名働いている小さなのもの。



「あの、どちら様でしょうか……?」


 急に現れたエスティアに気付き、中から中年の女性が尋ねて来た。エスティアが頭を下げて挨拶する。



「私、エスティア・ラズレーズンと申します。エリック様の妻でして、主人に会いに来ました」


 エスティアの胸にはラズレーズンの家紋の入ったバッチが付けられている。女性がも同じく頭を下げて答える。



「まあまあ、エリック様の奥様で!? ご成婚されるって噂はお聞きしていましたが、まあ~」


 そう言ってエスティアを上から下から見つめる。


「綺麗な奥様で、エリック様も隅に置けませんね」


「そ、そんなことないです!!」


 エスティアは初めての『エリックの妻』としての会話に自然と笑みがこぼれる。エスティアが思い出したように尋ねる。



「それでエリック様はこちらにおいででしょうか?」


「エリック様? そう言えば少し前に来られて……、あれ? 居なくなっちゃいましたね」


「居ない? 少し中を見せて貰ってもいいですか」


「ええ、どうぞ」


 エスティアは軽く会釈をし、女性と別れて建物内へと入る。

 しかしそこにはやはりエリックはいなかった。おかしい。そう思った彼女の感性が研ぎ澄まされる。



(あ、あれは!?)


 そんなエスティアの目に、床の隅の方に落ちていた一枚の紙が映った。本能的にエリックに関わる物だと察したエスティアがそれを拾い書かれていた文字を読む。



【お前の女を攫った。返して欲しければひとりで森へ来い】



「これは……」


 エスティアは背筋がぞっとした。



(『お前の女』って、まさか私のこと!? だとしたらエリック様は!!!!)


 エスティアは着ていた上着を脱ぎ捨てる。中には簡易的な暗殺者の衣装。万が一の有事に備えて外出の際はいつも着ている。

 エスティアは建物を出ると紙に指定された場所へ全力で走り出した。本気になった上級暗殺者は馬より速い。



(お願い、エリック様。どうかご無事で!!)


 エスティアは目にも止まらぬ速さで森の中へと消えて行く。






 多勢に無勢。

 今のエリックの姿を見た者はきっとみなそう思うだろう。



「はあ、はあ、はあ……」


 既に持っていたサーベルはへし折られ、全身の斬られた傷からの流血で服が赤く染まっている。周りを囲む暗殺者達は笑いながらエリックに言う。



「殺すだけなら簡単なこと。ただ依頼主からは『いたぶって殺せ』と命じられていてな。悪いが、もっと苦しんで貰うぞ」


(くそ……)


 片膝をついたエリックが黒装束に言う。



「彼女を、エスティアだけは見逃してくれ。頼む……」



 それを聞いた黒装束が大笑いして言う。



「あーははははっ!! あの女、エスティアと言うのか?? そうかそうか、じゃあ、殺してやろう」



「なっ!? ちょっと待て、ここに居るんじゃないのか……??」


 暗殺者達が首を振って答える。



「いねーよ、馬鹿が。まだ気付いていなかったのか? 最初からあの女はここにはいねえんだよ!!!」


「そんなことが……」


 エリックは絶望に襲われた。

 ここで自分が殺されれば、間違いなく次はエスティアがられる。一体何の恨みがあってこんな事をするのか知らないが、愛する人の危機を知って放って置くことなどできない。



「エスティアには手を出すな。彼女には指一本触れさせない!!!」


 エリックが折れたサーベルを構え、暗殺者達に対峙する。暗殺者達から失笑がこぼれた。






(エリック様、エリック様、エリック様ああああっ!!!!!)


 エスティアは不思議と溢れる涙を風で飛ばしながら走り続ける。

 間違いなく以前からうろついている暗殺者の仕業だろう。思い起こせばお風呂の時にやって来た男も、エリックではない可能性が大きい。一緒の部屋で過ごす自分に、なぜわざわざ風呂のドア越しに言ったのか。そんなこと少し考えればおかしいことなどすぐに分かるはず。



(ごめんなさい、エリック様……)


 愛する人を全力で守ると誓ったはずなのにこの失態。エスティアの涙が風で飛ばされ森の中へ舞って行く。




(いた!! あそこだ!!!!)


 そんな彼女が辿り着いた森の外れ。

 その光景を見たエスティアは体が固まって動かなくなってしまった。



「エリック様……」


 真っ赤に染まった服。

 全身を斬られたエリックが木に縛り付けられて殴られ、そして蹴られている。エスティアの到着に気付いたひとりが声を出す。




「おーい、来たぞ、女が!!」


 その声に反応するようにエリックの近くにいた暗殺者達がエスティアの方へ集まって来る。皆が言う。



「お前がいつもエリックと一緒に居る女だな? 殺す前にじっくり楽しませて貰うぞ」


「きゃはははっ、恐怖に震えて何も言えないか!?」


「思ったより上玉じゃねえか。こりゃ楽しみだ」



 エスティアが声を震わせて尋ねる。


「一体、一体エリック様に何をしたの……」


 あまりに無残な愛する人の姿を見てエスティアが混乱する。暗殺者達が笑って言う。



「ああ? 何をしたってなぶり殺してやるんだよ」


「なぶり……」


 それを聞いたエスティアがガタガタと震え始める。暗殺者達が更に笑いながら言う。



「いいこと聞かせてやるぜ。こいつよぉ、くっそ弱ええくせに無謀にも俺達に挑みやがって」


「『僕がエスティアを守る~』とか叫びながら弱ええくせに歯向かって来たんだぜ?」


「それによぉ、土下座して俺達に頼むんだ『エスティアを助けてくれ』って。もちろん蹴飛ばして断ったがな。ぎゃはははっ!!!」




(エリック様……)



 頬を流れる一筋の涙。

 エスティアの中でが切れた。



「……私さぁ、小さい頃から訳の分からない訓練ばかりさせられて本当に嫌だった。何度も恨んだ」


 突然話始めたエスティアに暗殺者が笑って言う。


「何かしゃべり始めたぞ!? お前、気でも違えたか!!」



「恨んで恨んで恨んで、酷い目に遭って。でも初めてやって良かった思える時が来たよ……」


「はあ? お前、一体さっきから何を言ってんだぁ~??」


 暗殺者達がゆっくりとスティアに近付く。エスティアの目の色が消える。



「だって、お前らみたいなを遠慮なく殺せるんだから」



 初めて全開で放たれたエスティアの殺気。

 暗殺者達は体が固まった。

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